「みぃちゃん」といっしょ

ねこの「みぃちゃん」との暮らし。そして何かを思い、感じたこと。そして、やりたいことを見つけたいです。

ばあちゃん

2008-11-13 14:54:47 | できごと

今年、私の一番の出来事……
大好きだったおばあちゃんが、6月に亡くなりました。
今年に入ってからは認知症が一段とひどくなり、これまでは私はなんとかわかってくれるときがあったのに、もうずっと私の名前は出てきませんでした。
5月半ばに、飲食を一切受け付けなくなったので、身体のどこかが悪いのではと、ホームから連絡が入り、入院して検査してもらうことになりました。

検査…胃腸の検査は、私たちでも辛い検査ですよね。
それを90歳になるおばあちゃんに…と、かわいそうでたまらなかった。
ごめんね、ばあちゃん、って思いました。

数週間検査が続きました、が、全く悪いところはない。
お医者さまも少し困った様子で、もう少し様子を見ましょう、ということに。
病室では点滴だらけ。トイレもチューブにつながれている。
ばあちゃんはトイレにつれていけばできるのに… 病院はそこまでは無理だったようでした。
また何週間か入院している間も、一口も食べようしない、飲むこともしない。
看護師さんは根気よく口へと運んでくれてもつぐんでばかり。
私も、これはかぼちゃだよ、ばあちゃん好きだったよね、と、声かけて口もとへスプーンで運ぶ。すると、「まぁええ」と向こうを向いてしまう。
食べてくれたことがあった。今日は珍しく少し食べてくれたんですよ、と運んでくださっている方に声をかけてお膳を返したあと…
ばあちゃんはそっと前掛けの中に吐き出し隠そうとしていた。
…がまんさせちゃったんだ、と思うと、泣けてきて
「大丈夫、大丈夫、片付けておこうね、ごめんね、いらんかったんやね」なんとか口すすぎのお茶を楽のみで、少し嫌がるけれど、きれいにしなきゃいけないと頑張ってさりげなくあげた。

6月に入り、お医者さまが、このままでは同じことだから、胃瘻(いろう)という治療か、口からの食事を根気よく続けるかどちらかの選択をせまられた。
胃に直接栄養を送る…
どこも悪くないばあちゃん、嚥下障害もない、肺に入ってしまうようなこともない。
ばあちゃんの悪くない身体に穴を開けて…

父と弟は胃瘻を望まなかった。私も、いっぱい悩んだ。
少しでも生きていてほしい。だけど、ばあちゃんは自分から望むことができない。
私たちが決めなければならない。口からの食事となると、退院し、グループホームへ戻ることになる。点滴もはずされる。
すなわち、「看取り介護」
私は、仕事中も起きている間中常に考えた、考えたけれど… 「看取り介護」を選ぶことにした。

グループホームの方々は、胃瘻になっても看取り介護となっても、誠意を持って精一杯尽くさせていただきますと、心からありがたい言葉をいただいていただけに、看取り介護を選んだ私に、「もうひとがんばりよ」と励ましてくれた。
「看取り介護」は「ターミナルケア」とも言い、数年前に介護の勉強でならっていただけに、精神力体力気力が必要だなと感じていた。
本人がやすらかにおだやかに最期まで暮らせるように…

私は仕事に行く前、朝早く出て会いに行き「じゃあ、ばあちゃん、しごといってくるね。かえったらまたくるで、まっとってね」と必ず声をかけ、帰りには、「きょうはどうやった?ちょっとそとはあめがふっとるわ。かおいろいいやん」などと、毎日欠かさず、入院していた頃からやっていた。

私になにができるだろう、と考えても、どうしようもできない。今、できることを、精一杯、やるだけ。奇蹟を信じて。
仕事は残業が多く、夜の8時くらいになってしまってた。朝も8時くらいにばあちゃんとこへ出かけ、帰りも8時。昼間のことは、ホームの方々に話を聞き、いつも感謝していた。ふとなにげなく思い出した、ばあちゃんはスイカが大好きだったこと、夏は「めしよかスイカのほうがええ」というくらい好きだったこと、それを介護員さんに伝えると、翌日すぐに食べさせてくれて、少しですけど食べましたよ!と、とても喜んでくださった。もちろん私もすごくうれしかった。すごく、うれしかった、けど…

2日後くらいだったろうか、私がたまたまその日は珍しく、半年以上も続いていた残業がない日となり、早くばあちゃんとこへ行けると思って喜んでいった日。
夕方ごろから、息が荒いとのこと、確かにこれまでとは全く違う息のしかた。苦しそうに汗もかいていた。血圧はまだ正常で、そのうち、血圧が測れない状態になって、
真夜中、日にちが変わった頃… 最期のひと息を、大きく吸い、はいて、そのまま眠ってしまった。
永遠に。

思い出していてもしんどいです。ごめんなさい。
でもちゃんと自分の中でもきちんと忘れないようにしたいのです。
ばあちゃんは私が行くと、これうまいから食いな、よおけ食わんか、これうまいで持ってけ、これでうまいもんでも買いな、と、いつも食べることに気を使ってくれた人が、自ら食べないと口をつぐむほどになるなんて。
なぜ、どうして、ばあちゃんは何を思っていたの…
認知症だから?それだけ、なんだろうか。
未だに納得いかないでいます。

そして、あのときの選択肢に、最後まで考えてもわからなくて、どちらも選べなかった、というのが正直な気持ちです。
だから、後悔ばかり。
もしあのとき、もしああしていたら、もし、もし…
亡くなったのは6月27日でした。そのあと私は10日ほど休み、仕事もそうも休んではいられず、出ましたが、8月のお盆休み中に49日の法要がおわり、報告がてらグループホームに伺うとみなさん、口をそろえて、ばあちゃんがまだいてるみたい、とか、もっとお世話したかったとか、大変やったね、元気にしてる?とか、本当に心温まる言葉をかけてくださって、ばあちゃんはきっと、幸せだったんだろう、と、思えました。

よかった、ここの方々におまかせして…
私も…
いつか治ったら、ばあちゃんを看取ってくださった方々のような気持ちで人と携わりたいと、再び思うのです。