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首相官邸・内閣府、法令遵守崩壊か!?(改訂/補足版)

2021-06-24 | Weblog
シリーズ本音トークー首相官邸・内閣府、法令遵守崩壊か!?(改訂/補足版)
 首相官邸はじめとして政権中枢部局は、森友学園問題での公文書の廃棄、文書の書き換え・改ざんや加計学園問題での縁故者優遇などを背景として、首相主催の「桜を見る会」の招待者リストの廃棄、コンピュータ・データの廃棄、破壊など、行政の公正さ、透明性、そのための検証を確保出来ない状態になってきているように映る。行政官僚は、行政の公正、公平よりは、そのような政権の意向を忖度し、政権の意向を優先するようになる。行政官僚も生活のため、保身に走るのも仕方ないのかも知れないが、一般国民にとっては事態は深刻だ。
そのような行政の信頼性を失わせるような状況で、東京高検の検事長の定年63歳を延長する「閣議決定」がなされた。政府は、上記の閣議決定に先立って、「従来国家公務員法に基づく定年60歳の延長は検察官には適用されない」との解釈を所管の法務大臣が口頭で変更し、当該検事長の定年についても「国家公務員法を適用できる」との解釈を採択していたとされる。
このような中で自・公政権は、国家公務員の定年引き上げ法案と共に、検察庁法改正案を併せて閣議決定し(3月13日)、通常国会も終盤に入った段階で採決をしようとしている。本検察庁改正法案では、検察官の定年を現行の63歳から段階的に65歳に引き上げ、高検検事長や検事正などの幹部は63歳でポストを退く「役職定年」も設け、その後は「特例」で定年延長を最大3年間可能にし、検事総長については「特例」で最長68歳まで延ばすことが可能になるようだ。
 1、検察官の定年延長については、法改訂が不可欠
 検察官も広義では国家公務員ではあるが、時の政権や政党、諸団体、社会等の影響を受けることなく、独立性を保てるよう「検察庁法」が定められている。
 検察庁法は、一般国家公務員と区別し、検察官が時の政権や政党、利益団体の圧力に対抗できるよう、心神喪失等と認められる場合を除き、罷免されないよう法律で保護している。定年についても国家公務員に比し不利とならず、定年延長の判断に左右されないよう、63歳として優遇している。従って、既に保護、優遇されているので、定年延長の規定もない。政権等からの介入を防ぐためでもある。
 定年延長の規定がない以上、検事長を含め検事の定年延長には法律改正が不可欠と言えよう。
 法律を守るべき法務大臣が、検事長の定年延長を‘口頭で了承した’としているようであるが、国民には、「法律でございます、規則でございます」などと言わせておきながら、自らは法律軽視、法律無視であり、言語道断だ。文書による決裁がなされておらず、事務方が文書決裁としなかったのは、文書での決裁には広範な部局の決済が必要であるが、事実上それが不可能であり、事務方が拒んだことを意味するのかも知れない。そうだとすると、事務方にも多少の良心が残っているとも言えるので、救いではあるが、疑義が呈されたときに誰も責任を取らず、‘無かったことにする’ためのこの政権の常套手段と思われ、行政の闇がここまで広がっていると言えよう。法務大臣がこれをやり通したことは、上からの指示で、検察といえども人事に介入するとの政権の意図が見える。
 また定年延長を‘受諾‘し居座っている黒川検事長については、国民に「法律違反の嫌疑を掛ける立場」でありながら、法律違反に当たる定年延長を受けるとは、何と見識の無いことか。その程度の法律の理解では、国民に嫌疑を掛ける資格は全くない。自ら身を引くべきであろう。そうでないと検察当局とは、こんなところかとの印象を国民に与える。
 定年延長自体は、一般国家公務員も65歳定年に向け法改正を行う予定とみられるが、検察官についても検察庁法の改正によって行うベきであろう。それまでは、法律を守るのが当たり前だ。
 この問題をメデイアや言論界が仕方ないとしてやり過ごすとすれば、由々しきことだ。また民間調査・研究機関等も経済問題を含め全く頼りにならない。
 国家公務員の定年引き上げ法案については良いが、検察庁法改正案については、一見、一般国家公務員の定年を65歳に引き上げる国家公務員法改正案と一本化するかたち見えるが、次の通り検事の独立性の確保の上で根本的な問題を抱えている。
(1)検察官は、一般国家公務員と区別し、検察庁法を別途規定して、検察官が時の政権や政党、利益団体等の圧力に対抗できるよう、法律で保護し、定年についても現行法の国家公務員60歳定年に対し63歳として優遇している。検察庁法改正により定年は65歳までとなるが、一般公務員と同様となり保護も「優遇」もされなくなる。更に検事総長や検事長らの検察幹部は63歳で定年となり、その後は1年毎に最大3年間定年延長が可能になるが、「特例規定」により法相または内閣が判断することになり、一般公務員より抑制され、不利になる可能性ある。さらに検事総長については、法相または内閣の判断により最長68歳まで延ばすことが可能となるが、検察幹部は常に法相や内閣の顔色をうかがって仕事しなくてはならない。それでは検察の独立性などないことになる。
(2)首相は、「恣意的判断は入らない」などとしているが、上記の通り、黒川検事長を検察庁法上の規定に従わず、内閣の判断で6ヶ月定年を延長している。これは内閣による行政判断が法律を上回るという法律無視、下克上的姿勢であり、まさに内閣による「恣意的判断」に他ならない。そのような「恣意的判断」をして置きながら、「恣意的判断はしない」と言われても誰も信じないであろう。
(3)法相は、「三権分立に反しない」などと言っているが、訴追をする検察官は行政に属する公務員であり、裁判所の問題ではないので、当たり前のことで、単なる言い逃れとしか聞こえない。しかし検察官は、国民を罪人として訴追する側として、権力のある者にもない者に対しても公正、公平であるべきとの観点から、圧力に屈しないように法律で一定の保護をしている。そのために一般国家公務員法とは別に検察庁法を規定しているのであり、首相側や与党はその趣旨を理解しようとはせず、逆にそれを歪めようとしている。
 政権側の説明は、言行不一致で不誠実であり、連立政権を担っている自民、公明党両党の議員がこれを支持しているとすれば、両党議員も正義からほど遠く、国民の代表として再び国会に送るべきか大いに疑問が残る。

 2、「桜を見る会」など、官邸のコンプライアンス違反の常態化
 「桜を見る会」については、確かに何人招待したかなど、たいした問題でもない。しかし行政当局による招待者リストの棄却、更にコンピュータ・データの消去にとどまらず、データを蓄積している基盤まで破壊したとしていることは、非常に悪質で、深刻だ。これでは政権内で不正が行われていても懸賞不能になる。国民の7割以上が十分説明しているとは思わないとしている。
 その理由が「個人情報保護」、プライバシーなどと主張しているが、全く理由にもならない。首相が国家、国民に貢献し、功績、功労があった者を招待し、労をねぎらうことを目的としており、そうだとすれば招待された者は世の中に大なり小なり知られた方々であろうから、名前や功績の内容、出身地などは既にそれぞれの分野では知られており、その範囲であれば個人情報保やプライバシーを侵害することは一切無いであろう。会の趣旨からして氏名や出身地域などを公表することは何ら問題ない上に、当事者にとっては光栄なことであろう。この会の趣旨にも反する訳の分からない理由に、いわば納得している形のマスコミやコメンテーターと称する人たちは一体何なのであろうか。
 2019年の首相主催「桜を見る会」には約1万8200人もの人が各分野、各都道府県より招待され、5,000万円以上が公費から支出されている。その内山口県については、安倍事務所の推薦で参加した者は何と800名以上にものぼっている。安倍事務所関係だけでそんなに多くの功績、功労者がいるとは考えられないが、山口県の誇りだ、氏名を公表して欲しいものだ。
 しかし公費を使っているので関心もしていられない。5,000万円以上の公費を使っており、予算(毎年1,700万円程度)の3倍前後も使っているのに、精算、決算の裏付けとなる招待者リストも跡形もなく直後に廃棄されているとされているので、内閣府内の精算、決算が如何にずさんかを物語っている。こんなにずさんな形で差額が補填されているとすれば、官房機密費が充てられている可能性もあるが、いずれにしても公費であるので、こんなにずさんに公費が使われるのでは国民としても納得できないであろう。会計検査院や決算委による個別検査が望まれる。費用の根拠となる招待者数、参加者数は、招待者リストに基づくが、招待者数の適否を査定するためには被招待者が、招待されるにふさわしい業績、功労があるかを点検する必要もあろう。それを精算、決算前に資料を消したということになり、とても常識では考えられない。
「安倍晋三後援会 桜を見る会前夜祭」については、2019年4月に某大手ホテルで行われた趣だが、地元の安倍事務所が推薦、斡旋した800人ほどが参加したと伝えられている。会費が1人5,000円とされるが、高級寿司店まで入っている会合であるので、通常は1人15,000円~20,000円内外と予想され、差額1人1万円内外はホテル側が宿泊代から割り引かれたことになる。予算委員会での首相答弁では、安倍事務所がホテル側と話し、そのような取り扱いとし、また会費領収書はホテル側より各参加者に出すことにした旨説明されている。常識的には考えにくい手法だが、もしそのようにされていたとすれば、政治資金規正法の報告義務の悪質な‘脱法行為’と言えよう。こんなことが認められて良いのか。選挙管理委員会は、このようなやり方が適正か否か、見解を出すべきであろう。
 だが、実体的には安倍事務所の要請でホテル側が安倍事務所推薦の参加者に利益便宜がなされたことは明らかだ。宴会場の入り口で会費やご祝儀を受け取ったのは安倍事務所関係者や後援会関係者であろうから、金の授受がなかったとは思えないが、いずれにしても、実体的には安倍事務所の口利きで、各参加者に対し1万円内外の利益が供与されたことになる。またホテルに宿泊しなかった参加者も参加費5,000円とすると差額は誰が支払ったかの問題もある。だから差額はホテル側が持ったとする説明はまずあり得ない。
 また800名内外の参加者がホテルから10台以上のバスを連ねて会場の新宿御苑に向かったとされるが、バスの借り上げ代は誰が払ったのか。まさか各人がバス会社に払ったとはいえないだろう。ここにも安倍事務所の地元参加者への利益供与の可能性がある。
 このような問題を、コロナウイルス肺炎の脅威がある中で、何時までも追求すべきではないとする意見やコメントが聞かれるが、それこそ危険な意見だ。危機を持ち出して、国民を黙らせる手法は、往々にして独裁国家に導く恐れがある。第2次世界大戦もその1例だろう。
 こんなことを何時までも続けていれば、行政システムは適正に維持できないばかりか、良心を持つ有為な人材は確保出来なくなるだろう。新型コロナウイルス肺炎の問題はそれとして緊急に対応しなければならない。今優先して行うべきことは、検査体制の拡充と医療機関受け入れ体制の強化であろう。同時に、この状態で対応に当たっている首相はじめ関係閣僚、事務方、及び与野党議員はじめ関係者の尽力には敬意と感謝の意を表したい。
 しかし行政システムを適正に保ち、健全な民主主義を維持して行くための努力は続けていかなければ、健全な国家、健全な国民生活は維持できない。

 3、行政府内のチェック機能が機能不全
 このような首相官邸を中心とする指導部のコンプライアンスの崩壊により、会計検査院、人事院、内閣法制局、そして検察庁という行政府内のチェック機能がほとんど機能しない機能不全の状態に陥っている。
 首相官邸の政策遂行上のリーダーシップが強化され、関係省庁が一国一城のあるじ的な存在となり、政策や人事が各省庁にほとんど委ねられ、縦割り行政の弊害がなくなることは望ましいことである。しかし現政権では、官邸トップによる人事権が強くなり過ぎて、個別の措置などについてトップの意向に沿うよう行動していないと不利益があるとの意識が行政各部に広がり、行政府内部のチェック機能が低下しているように見える。人事権の乱用であり、恣意的な人事の横行である。
その好例が、検察幹部への恣意的な人事であった。本来であれば、検察庁法改正案は、法律違反であり、内閣での決定を避けるべきであった。人事院や内閣法制局が沈黙を余儀なくされた。森友問題での国有地の捨て値の払い下げについても会計検査院が特別検査を実施すべきであった。
首相官邸の政策遂行上のリーダーシップが強化され、縦割り行政の弊害が除去されることは良いが、官邸による人事権の乱用、恣意的な行使を今後どうチェックできるかが課題となった。
(2020.3.10.2020.5.15.一部改訂、同年6.18.第3項追加)
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森友学園公文書改ざん問題、新証拠で再審査か!(再掲)

2021-06-24 | Weblog
シリーズ本音トークー森友学園公文書改ざん問題、新証拠で再審査か!(再掲)
 国有土地を常識外の低価格で売却しようとしていた森友学園問題で、公文書の改ざんを実際に行い、自殺した近畿財務局の職員(当時国有財産管理官)の「手記」が同職員妻により公開され、生々しい手記の内容と共に週刊誌が報じた。
遺族側は、改ざんを指示したとされる佐川理財局長(当時)と国(財務省)に対し民事訴訟を起している。民事訴訟に際し、同手記の公開に踏み切ったと思われる。
公務員は公務中の活動につき退職後その責任を問われないとしている。他方政府(財務相側)は、改ざんを強いられ自殺した職員が残した記録と政府の考えとは一致しているとして、再調査はしないとしているが、それは財務省(佐川元理財局長)が近畿財務局を介して同職員に改ざんを執拗に強いたことを認めたに等しいので、国家(財務省)責任は免れそうにない。
1、「新証拠」となる改ざん指示を受け自殺した職員の「手記」
同手記によると、森友学園側への超低価格での国有地売却に安倍首相夫人の影響が国会で問題になり、首相がそれを強く否定したことから、超低価格での国有地売却の経緯を記した公文書(本部財務省理財局への超低価格での売却に繋がる報告、申請書類などと思われる)を改ざんすることになった模様であるが、その指示は「すべて、佐川理財局長(当時)の指示」と明記され、また直属の上司である「近畿財務局長に報告したと承知」とも記されていると報じられている。近畿財務局への具体的な指示は本部理財局よりなされたものであろうが、指示は、「資料は最小限にする」、「できるだけ資料は示さない」など詳細で、関連文書の改ざんは佐川理財局長(当時)の指示により組織的に行われたとみられる。
 ‘死人に口なし’とは言われるが、上層部より指示を受け、既に決済された公文書を改ざんした職員が残した「手記」であれば、この事案の「新たな証拠」と言える。
森友学園問題で、不当に安い価格での国有地売却により国に損を掛けた背任の疑いや公文書改ざん、関係文書・資料の保存期限内廃棄等が疑われたが、当時この事件を担当した大阪地検特捜部の女性特捜部長が佐川元理財局長を不起訴としたが、その後間もなく函館地検に転勤となり、昨年末に大阪地検の次席検事に栄転しているようだ。本件は、検察審査会での再審要請についても不起訴とされている。
 改ざんした職員が残した「手記」という新たな証拠が明るみに出た今日、捜査のやり直しが検討されなくてはならない。

 2、財務省の再調査は不可避か!
 この「手記」に関し問われ麻生財務相は、2018年6月に財務省の調査は公表されており、「手記と調査報告書の内容に大きな乖離があると考えていない」と述べ、再調査は今考えていない旨明らかにしている。安倍首相も再調査は必要ないとしている。
 しかし「手記と(財務省)調査報告書の内容に大きな乖離がない」とすると、財務大臣は佐川元理財局長の指示で公文書を改ざんし、多量の関係文書を廃棄させていたことを知っていたことになり、事態は深刻だ。いずれにしても「手記」
が、佐川元理財局長の指示であったこと、及び、関連公文書を改ざんし、本来の文書類が廃棄されていることが明らかになった以上、再調査は不可避のように思われる。

3、公文書の廃棄、改ざんの前例としてはならない森友学園事件
この森友学園事件で公文書の保存期限内廃棄、国会や検察はもとより、マスメデイアやコメンテーター等が改ざんを見過ごしてきたことが、その後の防衛日報の隠蔽、加計学園問題など、更には「桜を見る会」での招待者リストの廃棄、データの破壊等を招いているのではないだろうか。
それをどこかで止めないと、善意の公務員が不正を強いられ、不幸の連鎖が起こることになると共に、公平、公正であるべき正義は守られず、国家機構や民主主義体制自体が劣化する恐れがある。(2020.3.25.)
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男女平等を支持、だが個人の平等も未達成の日本!

2021-06-24 | Weblog
シリーズ平成の本音―男女平等を支持、だが個人の平等も未達成の日本!
  2021年2月3日に開催されたJOC臨時評議会におけるオリンピック組織委森会長の発言が、女性蔑視的発言としてマスコミ等に報道されたことを端に発し、日本国内での批判が多方面に及んだため、森会長(当時)が釈明会見を行った。しかし謝罪はメモを読むような形で行われ、また記者との質疑応答も高圧的とも見られるやりとりがあったため、批判は更に広がった。国際オリンピック委員会(IOC)も、当初は「謝罪したからよい」との姿勢であったが、米国はじめ国際世論が厳しさを増したため、同会長の発言はオリンピック規定に沿わないとの見解が出されるに至り、辞任に追い込まれた。
 更にその後森会長側が特定者を後任候補に指名、推薦したことが報道され、不透明な指名等として批判されるに至り、2月12日、オリンピック・パラリンピック組織委・評議会合同会議が急遽開催され、森会長が正式に辞任を表明する一方、後任候補については検討委員会において行われることになった。
ここまでの経緯についても、同組織委の右往左往振りは拙劣であり、事務局の事務的トップであり、また森会長慰留に奔走した事務総長の責任が問われている。また同組織委についてが、事務局職員は月収20万程度から200万円となっているようだが、多数のボランテイアが無報酬或いは少額の手当で募集されているにも拘わらず、事務総長はトップとして月200万円、年額2,400円という高額の報酬を得ているのではないかとの疑問の中、事務局幹部の報酬も不公表となっている上、オリ・パラ大会が2020年7月から1年間延期されたにも拘わらず、その後も同じ報酬を得ているのではないかとの疑問も聞かれる。
 新会長については、政府、与党自民党幹部筋やから「女性か若い人」などとして具体的な名前が報道され、これがかえって女性や年長者に対する「逆差別」などとの批判が出るなど、迷走振りは日本だけでなく世界の目からも醜態と映っているようだ。
 1、男女平等が身についていない日本の社会
 このように男女平等への意識が低いという国際世論を背景として、新会長は女性からなどという意見が出ることは、一見理解ある対応と見えるが、要するに国際社会の目を配慮しての対応であり、それで男女平等が確保されるわけでもなく、そのような発想自体、男女平等意識が身についていないことを示している。また、もっと若い人をと言う発想も、新卒優先の定年制や制度を年齢で区別する行政や社会慣行をベースとした、過剰な年齢差別の意識と言えよう。80歳以上の年長者が時代遅れの不適切な発言をしたからと言って、「若い人」を会長とすれば問題が解決するわけでもない。
 他方、森会長(当時)の「女性理事が多いと会議の時間が掛る」との発言については、辞任するほどの発言ではないとの見方もある。しかし今回の批判は、その発言だけではなく、与党自民党の幹部を務め、党内最大の派閥を率い、自ら首相となり、安倍内閣を誕生させた有力な政治家ではあるが、政治活動の中での心ない言動やオリンピック・パラリンピック組織委の会長に就任してからも新国立競技場建設に当初予算の2倍以上の3,500億―5,000億円内外を掛けようとしたり、エンブレムでは盗作疑惑を掛けられたり、数々の不祥事起し、また小池東京都知事との確執など、とかくの風評があったから今回の問題に発展したとのであろう。国際的スポーツの祭典に国レベルにせよ世界レベルにせよ政治を持ち込むのはなじまないのかもしれない。
 その会長を武藤事務総長が組織のために慰留したとされ、事務総長自体も森発言の問題を理解していない。更に同事務総長は森会長が辞任した後も、新会長候補の指名に関与したり、新候補選びでは「候補者検討委員会」のメンバー選びが不明瞭な上、氏名を不公表とするなど、迷走に迷走を重ねている。同事務総長は、組織委の事務方トップとして森会長が引っ張った元財務官僚であり、組織委発足以来、上記の一連の不祥事を重ねて来ており、事務処理上も拙劣に映る。その事務総長が、「候補者検討委員会」の進行役を務めているようだが、一体この「候補者検討委員会」は何なのであろう。

 2、個人の平等も達成されていない日本
  男女平等は勿論支持するところだが、実は日本において国民の「個人の平等」が未だに実現されていないのが現状だ。
 民主主義の基本は、男女を含めて「個人の平等」であり、憲法にも規定されている。個人の平等を最も基本的に体現できるのは、国民の代表を国会に送る選挙であろう。しかし戦後国民1人1人の投票の重み、価値が1対1に近い形で平等な選挙が行われたことは1度もない。都道府県毎に選挙区が区割りされ、定数が割り振られているが、人口の少ない選挙区と多い選挙区では、1票の重みが衆議院では最大で3倍以上、参議院では5倍以上の状態が続き、選挙のたびに弁護士グループが憲法違反訴訟を提起して来ている。裁判においては、地裁レベルでは「憲法違反」とする場合もあったが、地裁レベルでも、最高裁においても「違憲状態」とされる場合が多く、国会の対応に委ねられて来た。しかし国会では時に微調整は行われたものの、長期に亘り抜本的な検討はなされなかった。そこで裁判所も国会へ対応を促すため、最近では衆議院で2倍以内、参議院で3倍以内なら違憲ではないと裁定するようになっている。それでも、都市圏の人口の多い選挙区では少ない県に比し、個々人の1票の価値は衆議院で2分の1以下、参議院で3分の1以下となっており、とても「平等」とは言えない状態が長期に続いている。男女平等どころではない。男女を問わず国民の平等は未だに確保されていない。
 最高裁の「平等」に関する考えは、「単なる1対1の関係が基準ではなく、地域など他の要素を考慮する」ということに尽きるようだ。この並びから言うと、男女平等も「単なる1対1の関係が基準ではなく、他の要素を考慮する」という解釈となり、女性への待遇等が男性の2分の1か3分の1以下でも許容されることになる。そうなのですよ。憲法の番人であるべき最高裁でさえも、建前では国民、男女の「平等」と言っていますが、「他の要素を考慮する」という恣意的な判断を加えることを容認しているということ。平等は原則1対1の関係という初歩的な算術も理解されていないようだ。これが現実なのでしょう。
 最高裁のこのような恣意的な「平等」が容認されると、男女平等についても、女性が男性の2分の1、3分の1でも容認されることになる。それが最高裁の本音なのかもしれないが、速やかな是正が望まし。
 最高裁の判事も、内閣により任命される公務員、時の内閣に不利になる判断を出せば、人事で不利にもなりかねないので、わきまえるしかないのは誰も同じと言えそうだ。しかし、そんなことでは3権分立の意味は薄れるばかりでなく、社会も、全体的な民主主義も進まない。
 国会は真に平等な国民の代表ではない。その国会で指名された首相も真の意味で国民の代表ではなく、その内閣に任命された裁判官も同様という負の連鎖が続いているように見える。これに意見が言えるのは、マスコミや学者を含む知識人なのであろう。
 しかし従来、マスコミや学者、有識者などもこの状況を許してきたと言える。マスコミやコメンテーター等もビジネスであるのでスポンサーや雇い主等を考慮しなくてはならないことは当然だろう。学者については、著名で国の各種委員会等で委員を務めている国立大学の多くの教授、研究者は国家公務員であり、言動には国家公務員としてわきまえなくてはならない。余計なことを言えば外される。全国には国立大学が86校(2020年4月現在)もあり、これ程多くの最高学府の学者、研究者が国家公務員であり、発言は自粛、制限される。自由な発信は望めない。いわば御用学者が多過ぎると言える。特に政治・社会・経済・歴史を含む人文科学、社会科学の分野では自由な発想、研究や表現は望めない。日本は、政治に縛られない生物化学、物理、及び文学の分野ではノーベル賞受賞者を出しており、喜ばしい限りだが、政治と密接に関係する社会科学の分野では1人も受賞していないことは、教育制度に国家色の強い偏りがあるからであろう。学問や表現の自由を確保する意味からも、国立大学の民営化と、学生の経済的負担を軽減し、平等の教育機会を与えるとの観点から、その予算を、将来負担を軽減した奨学金制度の拡充及び研究助成に振り向けることを検討すべき時期ではないだろうか。
 また最近情報系バラエテイ番組でお笑い系のタレントが重用されているが、お笑いの人からコメントなど聞きたくないという辛口の意見や、わきまえて話すお笑い芸人は面白くも可笑しくもないとの声がある。
 従って現実問題として、残念ながら日本は中から政治・社会・経済制度の改善、改革の動きは出にくく、今回のように国際社会からの批判や圧力、良く言われる「外圧」がないとなかなか動かないのかもしれない。それで良いわけがない。(2021.2.17.2021./2.20.一部加筆)
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政党交付金は廃止すべし

2021-06-24 | Weblog
 政党交付金は廃止すべし
 総務省は、11月27日、2019年分の政治資金収支報告書(中央分)を公開した。収入総額は、1,098億円(前年比1.3%増)で、参院選があり借入金が例年の約5倍の36.5億にものぼるので、借入金を差し引くとネットで1,063億円になる。その内自民党の政党本部収入は約245億円で、ダントツのトップである。
 1、政党交付金にあぐらをかく政党、各候補個人への選挙費助成に転換すべ
多数党で最も多く議員を擁しているので当然と言えば当然であるが、自民党本部の収入の72%強の約176億円が税金を財源とする「政党交付金」であることは驚きだ。まるで政府がほぼ丸抱えした政党が与党となっている。これではまるで中央専制国家のようで、政権与党の税金お手盛り振りが明らかのようだ。その上、自民党本部は戦後75年も経っている今日でも、国会に至近の国有地を割安で賃貸しており、まるで国立政党のようだ。
 これはいかにも異常で、民主主義国家であれば、政党は基本的には個人や企業・団体の浄財、任意の寄付で運営されることが望ましい。長期に亘り政権を担ってきた政党の72%強の収入が国民の貴重な税金である政党交付金で賄われ、政党本部が国有地を優先使用している現状は、共産主義国や独裁国家と余り変わらず、民主主義とは言えないのではないだろうか。  
戦後直後ならまだしも、75年も経っている今日、政党助成金を廃止して、候補者個人への選挙費助成金とする時期ではないか。その方が、助成を受けた候補が国民の税金の有難味が分かるのではないだろうか。また各政党が国民から支援を広げる努力をするようになるのではないだろうか。

 2、河井案里議員側が自民党より受領した支援金1.5億円は政党交付金から
 2019年7月の参議院議員選挙に際し、自民党は、擁立した河井案里側に1億5千万円の支援金を提供した。それが、案里側により、車上運動員(通称うぐいす嬢)に法定上限2万円を超える報酬支払いや県議や市議、市長等に配られた疑いで、案里議員事務所と夫である河井克行衆院議員(元法相)が公職選挙法(買収)及び政治資金規正法違反の容疑で起訴され、まず案里事務所の公設秘書が禁固1年6ヶ月、執行猶予5年の有罪判決が確定した。
 河井衆院議員の判決は別途行われることになるが、自民党から通常1200万円/人と言われている選挙支援金の10倍を超える1.5億円もの支援金が出されていなければ、これだけ広範な選挙違反行為が行われていなかったであろう。その支援金は、税金を財源とする政党交付金から出されていることが分かっている。1.5億円の税金で買収等の選挙違反行為が行われたということであり、納税者である国民としては納得できないであろう。
 党の政党交付金管理責任と結果責任が問われそうだ。また政党交付金が選挙違反行為の原資になったと見られることから、遅滞なく全額を国庫に返納することについても問われるのではなかろうか。

 3、共産党、自助努力で204.5億円の党収入を確保
 共産党は、政党交付金を受けず、党員による会費と機関誌赤旗の販売など自助努力により、同年204.5億円の党収入を確保している。自民党に次ぐ高額の党収入であるが、政党交付金無しの自助努力ではダントツの1位となっている。
 要するに、政党交付金無しでも、会費、事業収入などの自助努力で党収入は図れるということであり、与野党を問わず、会費、事業収入などの自助努力で党費、政治活動費を賄うという、民主主義本来のあり方を築いて欲しいものだ。
 もっとも、共産党は中央統制による共産主義というイデオロギーを信奉するグループであり、多様性を基礎とする自由、民主主義、自由市場主義という日本を含む世界の大多数の諸国に共有されている価値観とは相容れない、絶対的なイデオロギー信奉政党であるので、他の政党が会費などの自助努力で党収入を図ることには困難があるだろう。しかし民主主義政治の基本はそういうことであるので、そのような政治環境を構築するのも政党の仕事であろう。
 他方、共産党はこれまで党収入が潤沢であったため、原則として全ての選挙区で候補者を立てているが、野党の票を喰う結果となっているので、野党の発展を阻害する結果となっていることも否めない。共産党の存在は、保守政党にとっては都合の良い存在となっているのが現実であり、同党がイデオロギー信奉を離れ、国民政党となることが問われているのではないだろうか。いずれにしても、野党同士が食い合う状況を解消することが課題だろう。
 なお、公明党は、政党交付金を受けているが、会費収入や機関誌発行などの自助努力で129億円規模の第3位の収入を図っている。もっとも公明党は、宗教団体である創価学会メンバーのいわば下部組織であり、宗教的信仰を基礎とするものであるので、他の政党の参考にはならないだろう。
 いずれにしても、何時までも税金を財源とする政党交付金に依存し続けているのでは、民主主義政党としては努力が足りないと言えるだろう。政党交付金は廃止し一定の基準を設け、候補者個人への公職選挙支援助成金に転換すべき時期ではなかろうか。(2020.12.1.)
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