プチコミ情報局

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『東京一極集中解消』2020年目標を安倍政権断念!

2019-06-20 | Weblog
 シリーズ本音トークー『東京一極集中解消』2020年目標を安倍政権断念!
 安倍政権は、『東京一極集中解消』を2020年までに達成することを断念し、改定案を検討することとしたことが分かった。
 同政権は、政権が発足して2年目の2014年に、人口減少対策として「まち・ひと・しごと創生総合戦略」を閣議決定し、『東京一極集中』を2020年までに是正する計画であった。しかしその後2018年になっても東京への大幅な転入超過が続き、2020年までの目標達成が困難な見通しとなり、5年目にして目標達成を断念する旨を明らかにしている。
 政府・自民党は、「地方創生」を政権の目玉の一つとし、7月の参議院選挙に向けても「地方創生」を目玉の一つにしているが、『東京一極集中解消』が安倍政権の下で前進どころか、大幅な転入超過の後退となっているのが現実だ。掛け声ばかりで、逆に一極集中激化となっているので、「地方創生」自体も結果を出せず、空疎な掛け声だけで終わることが懸念される。
 1、『一極集中』を呼び込んでいるのは政府
 『東京一極集中』を呼び込み、地方の人口流出、過疎化を加速させたのは1990年代以降の政府である。1990年代初期に日本の人口減が予測され、実際に農村に嫁が来ず、後継ぎまで少なくなり、アジア途上国からの嫁取りや技能研修制度の名の下で事実上の低賃金外国人労働者の受け入れなどで凌いできた。だから地方の停滞はその頃から予測され、始まっていたことだ。中央政府は、都市機能の分散などを打ち出してはいたが、アリバイ造り程度のちまちました対応で、効果的な対策を取って来なかった。
 現自・公政権においても、「地方創生」を標榜して来ているが、その中身は、地方への選択的交付金、補助金等の交付が主であり、地方が中央政府に従属する形を固定化、強化する結果となっており、地方自治も地方の自主性も発揮される状況にはない。規制緩和の唯一の施策として提唱された「戦略特区制度」も、加計学園問題で明らかになった通り、政権との特殊な関係や忖度で進められ、その他に目に見える成果はない。そもそもこの「戦略特区制度」は、全般的な規制を前提として、地域を選別して規制を緩和するということであり、一見緩和と見えるが、全般的な規制に地域的な規制を加えることに等しく、規制の屋上屋でしかなく、地方振興にはほとんど効果はない。規制制度の複雑化でしかない。
 更に政府は、東京都を支援する形でオリンピック2020を推進し、膨大な費用を掛けて国立競技場の建設はじめ、各種のスポーツ施設を整備し、道路・鉄道などの交通網を整備しており、これにより東京には多くのスポーツ施設が集中し、長期にわたりスポーツのメッカとなると共に、それ等施設を利用した各種イベントも更に集中することになろう。
 これまでのような細々とした改善、施策の積み重ねは、努力は評価するが、効果は出ない。グランド・プランが不可欠のようだ。
 2、‘皇居’を‘京都御所’に戻すことが一極集中解消の切り札となる!
 天皇は、明治維新後、江戸幕府が無血開城した江戸城内に‘皇居’を新設し、京都御所からそこに移り住まわれている。それは徳川将軍派の再起を封じ込める意味と米欧列強の介入を抑止する上で必要であったと思われる。第2次世界大戦後も、昭和天皇は江戸城址内の皇居に留まった。これは、米国を中心とする連合軍が進駐し、皇居のある江戸城跡内に連合指令本部が置かれることを防ぐためにも止むを得ない措置であったと考えられる。
 昭和天皇崩御後、平成天皇はそれを継承したが、現在は米軍の進駐はもとより考えられず、また国内情勢は歴史上最も安定していると共に、憲法上の天皇の地位は国民に広く認識されているので、もはや天皇が江戸城址内の‘皇居’に留まっている必要はなくなっている。逆に江戸城にふたをし、歴史を封じ込める結果ともなる。宮内庁が未だに江戸城址内にあるのも歴史に反する。
新天皇の即位の礼は、平安朝以降の伝統に基づき、明治天皇はもとより、大正天皇、昭和天皇も京都御所で行われている。即位の礼が東京で行われたのは、平成天皇が歴史上唯一の例外となっている。
 むしろ新憲法の下の新時代においては、伝統に沿って天皇は京都御所に復帰され、江戸城址は国民に開放すべきではないだろうか。
 そうすれば京都に伝統的ないぶきが「入り、京都、滋賀、大阪、兵庫などを中心として関西は活気付くであろう。 そのようにすることが、日本の歴史に沿うことになると共に、東西の文化的、社会的なバランスが回復し、東西のバランスある発展が望めるのではなかろうか。
 そのためには伊丹空港からの輸送手段の抜本的な改善はじめ、伝統を尊重したインフラ造りなどは必要となろう。
 3、首都圏直下地震対策としても‘皇居’を京都御所’へ
 首都圏直下地震等の大規模災害の発生は現実のものとなりつつあり、各種の、緊急対策が検討されているが、それでも自然災害や何らかの不測の事態が想定の範囲を超える可能性も念頭に入れて置く必要があろう。そのような首都圏緊急事態への対応の一環として、伝統に則り天皇の居所を京都御所に戻しておくことが望ましい。そのような緊急事態の際、立法、行政、司法の政府機能が打撃を受けるが、象徴たる天皇をも巻き込むことを避けるため、皇居の京都御所復帰を真剣に検討すべきであろう。天皇が京都御所に復帰される場合の対応については、十分対応可能であると共に、江戸城址の国民への開放や赤坂御所の有効活用などの可能性が広がり、有益であろう。
 政府は首都圏直下地震等の大規模災害への対策が必要とし、国民に注意喚起をする形になっているが、抜本的な対策からは程遠い。(2019.6.18.)
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年金不足指摘の報告書、暴かれた政府審議会の本性!

2019-06-20 | Weblog
シリーズ本音トークー年金不足指摘の報告書、暴かれた政府審議会の本性!
金融庁は、2019年6月3日、金融審議会の作業部会がまとめた「人生100年時代を見据えた資産形成を促す報告書」公表した。これによると、「95歳まで生きるには年金収入だけでは足りず、夫婦で約2千万円の金融資産の取り崩しが必要になる」との試算を示すとともに、資産増加の方法として株式投資や信託投資という長期には不安定で元本を失うリスクの高い民間任せの方法を提示した。
政府自体が、100年安心としてきた年金制度に疑問を呈し、また自・公政権が打ち出した「1億総活躍社会」や「人生100歳時代」が2000万円の資産がないと‘まぼろし~’であることが暴かれた形で、批判が相次いだ。
これに対し麻生財務相(副首相)は、「政府の政策に沿わない」などとして同報告書の受け取りを拒否した。そもそも審議会への諮問は所管大臣である麻生財務相が行った形になっているので、自分で諮問して置きながら、‘政府と考えが違う’から受理しないということであり、審議会自体の意義に基本的な疑問を投げかけている。
政府審議会や各種委員会は、官邸の経済諮問委員会を含め、各省庁に多数あり、何か新たな政策などを進めようとするときに首相、大臣から諮問され、報告書が提出される。委員は各省庁が任意に任命する。経済諮問委員会に至っては、委員を「政府議員」と呼んでおり、あたかも国民から選ばれたかのような怪しげな呼称も使われている。
従来も政府審議会/委員会の意義については、政府の意見を代弁するもので、事務方が用意した「報告書」に‘ラバー・スタンプ’(ゴム印)を押すだけのものではないかと疑問視されていた。
今回金融審議会の報告書が、「政府の政策と違う」との理由で所管大臣に受け取りが拒否されたことは、正にこの疑問が国民の前に明らかにされたのだ。「政府の意見と異なる」報告書は受理されないということであり、審議会/委員会の存在意義が問われる。
政府「報告書」に‘ラバー・スタンプ’押してきた委員の見識や資質・品性が問われると共に、数多くの政府審議会/委員会は無意味な存在であるばかりか、あたかも国民の意見を代弁するかの誤った印象を国民に与える上、予算の無駄でもあるので、すべて廃止すべきである。政府は、国民から選ばれた議員で構成される国会に提示し、国会で議論を尽くすべきであろう。そのための国会であろう。(2019.6.15.)
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戦争発言はタブーか?!

2019-06-20 | Weblog
本音トークー戦争発言はタブーか?!
 5月上旬、北方4島の一つ国後島へのビザなし交流の訪問団に参加していた丸山穂高衆議院議員(当時日本維新の会)が、団長への同行記者インタビューに割って入り、酒を飲んだ状態で団長に向かって『戦争でこの島を取り返すことは賛成ですか?反対ですか?』、『戦争しないとどうしようもなくないですか?』などと発言したことが物議を巻き起こしている。ほとんどのテレビや新聞各紙などの論調も、コメンテーターと称する知識人タレントを含め、国会議員として不適切などとして批判の渦だ。このようなマスコミ、世論の批判を背景として、所属していた日本維新の会は同議員を除名処分とし、野党6党派は議員辞職勧告決議案、与党は問責決議案を出し、また根室市議会も辞任要求決議を採択した。
 これを受け与・野党が協議の上、「糾弾決議」として一本化して6月6日の衆議院本会議において全会一致で採択された。
 同議員は、議員辞職を拒否すると共に、体調不良により2か月間の療養診断書を提出し、議運への出席も拒否していたが、決議の採択を受けて改めて議員辞職を否定している。なお、小泉進次郎議員は、議員の進退については有権者が判断すべきであるとして採択には欠席した。勇気ある見識だ。
 丸山議員の発言は、ビザなし交流の趣旨に反するばかりか、議員でありながら酒を飲んで公の場に出て、発言を求められてもいないのに他人のインタビュー割って入るなど、団員、公人としてTPOをわきまえない不適切な言動で、更に宿舎内で酒の上とは言え、大声を出したり、夜中に遊びに出たいなど、品位を疑う言動が伝えられており、事実とすれば人として論外だ。糾弾決議の理由の大半はこうした同議員の言動や品位に向けられており、戦争発言には2行ほどしか触れていない。戦争発言が、憲法9条との関係を含め、何故議員辞職勧告に相当するのかなど、理由が記されておらず、戦争発言をぼやかし、いわば‘別件’での糾弾決議のようだ。
 しかし、そもそも北方領土問題を含む平和交渉で「戦争」を持ち出しているのはロシア側に他ならない。
 1、『北方領土は戦争で取得した』と主張しているのはロシア側
 プーチン大統領は、数年前より『北方領土は戦争で取得した』ロシアの領土としている。だからこそ4島問題を解決して平和条約を締結しようとしているのではないのか。ロシア側は、平和条約の意味を分かっていないのだろうか。ロシア側が北方4島は『戦争で取得した領土』に固執する限り平和条約はあり得ない。
 日本とすれば、『戦争で奪取された領土』を回復、防護する権利がある。その平和的手段が外交交渉による平和条約の締結だ。それが困難となれば、論理上は‘領土を回復、防護’するためのあらゆる選択肢‘を検討しなくてはならない。
 北方4島にはソ連に追い出された多くの日本の地権者がおり、島には墓石がある。一方ロシア人もたくさん生活している。日本側は、早く北方領土返還後のロシア人の移住支援や住宅支援の概要を提示し、在住ロシア人の不安を払拭すべきだ。
 なお、丸山議員の戦争発言について、日本維新の会が在京ロシア大使館に「謝罪」に行ったと伝えられている。それでは維新の会は何故ロシア側の『戦争で奪取』を抗議しないのか。またこのビザなし交流には、国会議員枠が5つあるようだが、5月には2人しか参加していないようだ。自・公政権は、領土問題を解決して平和条約締結を進める、日・ロ首脳会談は20回以上としているが、本気で解決したいのならば何故もっと多くの議員が参加し、返還への熱意が示されても良さそうだ。また同議員の発言を批判する側も、それではどのような方法で北方領土問題を解決できるのか、具体的な選択肢を示すべきであろう。

 2、戦争という言葉をタブーとしてはならない
 今回の戦争発言がこれほど広く批判されたことは注目に値する。日本は、憲法9条で防衛を除き、戦争が放棄されているところであり、右翼グループ、保守派知識人やタカ派議員などは別として、これがマスコミや日本国民に広く浸透していることを示していると言えるであろう。もっとも批判は、場をわきまえず、酒を飲んだ状態での公人への発言に向けられているのかも知れないが、「戦争」という言葉をタブーとしたり、死語としてはならない。
 世界各地には、内戦を含め戦争が各地で行われているのが現実であり、その世界の現実に目をつぶり、或いは建前論の平和意識に浸っていれば、独りよがりの平和論になってしまう。無論、与党や日本維新の会などのタカ派議員や右翼グループ、保守派知識人は、戦争を意識し、軍備増強や憲法改正、或いは日・米軍事同盟の強化を日常的に意識しているであろう。
 しかし戦争をタブーとしてしまうと、これらの勢力だけでなく、テレビ、新聞等のマスコミでの戦争への言及は極度に抑止され、建前論に終始し、戦争議論を伏せる恐れがある。現在でも差別用語は禁止され、どこでも見聞きする、或いは批判の少ない‘常識的’な、いわば金太郎飴的な議論や解説に終始する傾向も見られ、マスコミの質の低下とも見られるが、「戦争」テーマについても表面的には常識的な建前論に終始し、本音が隠される不健全な社会となる恐れがある。
 丸山議員は戦後世代で戦争に関する体験や知識もないが、同世代、特に高度成長期以降の世代では体験はもとより、戦争の悲惨さについての知識もないので、ともすると戦争に対する忌避意識は相対的には小さいと見られる。歴史教育の場でも、明治維新や明治時代の近代化などは教科書にも掲載されているが、戦前、戦中を含め近代史の記述は少ない上、3学期は入学試験などで近代史を教える時間にも制約があり、また多くの場合試験にはほとんど出ないので関心も低くなりがちのようだ。従って丸山議員の戦争発言については、現実論としてはまずあり得ないことであるが、若い世代の人達の間で本音ベースでは、同議員の発言に何らかの共感を覚えてえている面もあろう。
 第2次世界大戦は、旧帝国憲法の下で昭和天皇が軍事大権を持ち、軍人出身の東条内閣の下で進められたが、将兵約200万、民間人100万人以上の日本人が死亡している。唯一の本土決戦となった沖縄、集中爆撃を受けた東京、そして原爆被害を受けた広島、長崎の4地点では、10万人から20万人ほどの一般民間人が死亡している。言論統制が無くなった戦後直後から1960年代半ばくらいまでは、悲惨な戦争・戦闘や軍隊内での新参兵士へのいじめをテーマとする映画、演劇、TVドラマなどが多く見られたようだが、今日では海外での地域紛争の報道以外余りないので、若い世代は戦争に対する忌避感は少ない。逆に、攻撃されれば反撃するという意識が強くなっているように見える。
 それはそれとして頼もしくもあるが、第2次世界大戦がもたらした惨禍やその責任の所在を含め、バランスある認識が持たれることが望ましい。
現在「空母いぶき」が上映されている。漫画をベースとした未来フィクションで、第3国が太平洋上の日本の島を占拠し、これに対応する「空母いぶき」の艦隊も攻撃され、被害が出たことから「防衛発動」が出され、「戦争」に発展する恐れがあったが、外交努力により戦争を回避するというストーリだ。洋上の戦闘場面が多くドラマとしての厚みに欠ける面があるものの、「戦争」をテーマとしたタイムリーな映画と言えよう。中学生や女性などの入場者も多く、防衛活動の現実的な必要性と「戦争」を回避したいという気持ちの葛藤と厳しさを見る一つの機会を提供している。

 3、ダメ議員を選ぶのも落とすのも原則有権者の責任
 衆議院議員については、有権者が4年の任期で国政を付託しているもので、犯罪行為や重大な法令違反でもない限り、任期満了か退場させるのは有権者の責任であろう。それにより、有権者は責任を自覚し、より注意深く議員を選ぶようになると期待される。
 丸山議員としては、決議をどう判断するかは別として、酒の上で場にふさわしくない言動を行ったことを深く反省する一方、信念があるのであれば、国会議員として戦争発言の真意を正々堂々と国会と国民に説明すべきであろう。その将来については、有権者が判断すべきことだ。
 衆議院議員の任期については、国民から4年間付託されており、本来であれば任期に近い期間責任を果たすべきであろう。衆議院には解散があり、『解散は首相の専権事項』と言われているが、議員の任期を短縮する結果となるので、国家の将来を左右するような余程重要な政策課題がない限り、みだりに解散権を行使すべきではない。それは議員の任期を縮め有権者の選択を毀損することになるので、職権乱用となる恐れがある。
 現自・公政権は、7月の参院選挙に合わせ衆院の解散風を吹かせているが、国会での議論は低調で、国論を分けるような具体的な重大案件もない。現政権は2012年12月の総選挙から7年間で既に3回の解散、総選挙を重ねている上、いずれについても国民にとって何のための選挙であったか分からない‘争点無き解散’に近い。それにより有権者が選んだ議員の任期を半分くらいに縮め、選挙期間中政治的空白を作った上、1回の総選挙で650億から800億円もの費用を掛けており、職権乱用と言われても仕方ない状況だ。更に本年7月に解散総選挙となると、2017年10月22日に選挙をしたばかりであるのに、重大な争点もなく解散総選挙となるので、職権乱用と言えそうだ。
 マスコミやコメンテーターなど知識人タレントは、ほぼ無条件で『解散は首相の専権事項』などとしているが、それ相応の重大な理由がなければ任期を大幅に残しての解散・総選挙は職権乱用として批判が出ても不思議はない。いわゆる知識人タレント等を含めたマスコミ力の低下、各種の民間研究所などの発想力、発信力の低下が著しい。各分野での商業化が進んだからであろうが、民主主義の健全な発展だけでなく、日本の健全で想像力に富む社会発展にとって憂慮される。(2019.6.7.)
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トランプ大統領の訪日に際し望まれたこと

2019-06-20 | Weblog
トランプ大統領の訪日に際し望まれたこと
5月25日より28日までトランプ大統領が国賓と訪日する。心より歓迎すると共に、快適で良い訪日であることを期待する。
訪日中には、天皇との会見の他、日・米首脳会談が行われ、朝鮮半島非核化を含む国際問題、安全保障問題や通商問題などにつき協議されると予想される。
日米安全保障問題については、両国首脳の良好な関係に沿って両国間の良好な同盟関係が再確認されよう。しかし日・米首脳間の関係が良好であれば、折角の機会であるので、次の潜在的な懸案につきトランプ大統領に提起し、理解と英断を求めることが期待される。
1、沖縄普天間米軍飛行場の迅速な返還と辺野古移設の再検討
普天間米軍飛行場の日本返還が合意されて20年以上経つ。またその代替として埋め立てが行われている辺野古沿岸の米海兵隊航空基地については、沖縄県民の一貫した反対で未だに目途が立っていない。その上20年以上経った今日でも、知事選や2019年衆議院議員補選についても与党は敗退している上、辺野古に関する県民投票(2019年2月24日)では7割以上が建設に反対している。
沖縄県民の民意は明らかであり、普天間米軍飛行場の即時返還と辺野古沿岸の軍用航空基地建設を中止し、代替地を検討することが望ましい。
安全保障問題は、中央政府の‘専管事項’とされているが、日本国内の特定県に外国の軍事基地を建設することは、県民生活に更に大きな影響を与えると共に、完成後の円滑な運用にとっても県民の理解と協力が必要であるので、沖縄県民の民意が尊重されるべきであろう。現状では、県民が示した民意と共に地方自治が完全否定されたに等しい状況であり、米国としても沖縄県に基地を持つ以上、民意をくみ取るべきであろう。
2、米軍横田基地上空の制空権の返還
米軍横田基地上空の制空権は、現在米軍に与えられているが、羽田空港を利用する民間航空の航路を制限しており、直ちに日本側に返還し、日本側航空当局との協議により使用されるべきであろう。
独立国で制空権を米軍に与えているのは世界で日本のみであり、速やかな是正が不可欠である。
3、日本駐在の米国軍人の職務外の犯罪の裁判権の日本への返還
日米地位協定において、米国軍人の職務外の行動における犯罪についても、日本側に裁判権はないという、植民地支配の状況が続いていることは驚きである。
米軍横田基地上空の制空権だけでなく、米国軍人の職務外の行動における裁判権についてもNATO諸国並みの対応が望まれる。
日・米が対等な同盟関係にあると言うのであれば、これらの不平等性について早急な改善が望まれる。
日米安全保障条約では、米国が第3国から攻撃されても日本は米国を防衛する義務はなく、不平等性が存在する。しかしこれは憲法上の制約によるものである一方、日本側は、米国に基地を提供すると共に、年によっても増減はあるが、年間約3,000億円近くの経費を負担しており、更に米国より多量の武器類を購入しているので、不平等性は相殺されていると言えよう。
両国首脳間に真の信頼関係があるのであれば、トランプ大統領の訪日を契機に上記の諸点につき進展することを期待したい。

日・米関係は、日本の外交、安保政策の礎であるが、軍事同盟化を強めれば強めるほど、ロシア等が反発を強めるのは十分予想ことであり、そうなれば北方領土問題の解決は益々遠のくことが予想される。米・ロが関係を修復し、日・米・ロ3国間の関係改善と交流の促進が望まれる。
ロシアのプーチン大統領は、北方領土は『戦争で取得したもの』であり、ロシアの領土としているが、だからこそ北方領土問題を解決し、平和条約を締結しようとしていることを、ロシア側は理解すべきであろう。(2019.5.24.)(All Rights Reserved.)
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消費税再々増税は税金の無駄使いのためなのか!?

2019-06-20 | Weblog
 平成の本音―消費税再々増税は税金の無駄使いのためなのか!?
 10月15日、自・公政権は、臨時閣議で2019年10月に消費税率を8%から更に10%へ再々増税すると表明した。その上で、再々増税による消費の落ち込みを防ぐための対策として、クレジットカードなどキャッシュレス決済を使った消費者へのポイント還元措置の他、低所得層を対象としたプレミアム付き商品券の配布などを検討するとしている。年末までの予算折衝の過程で、自・公両党内で検討される。
 1、増税は政権与党、それに忖度する官僚の無駄使いのためか!
 今回、自・公政権が‘消費増税は消費を落ち込ませる’ことを公認した形となったが、増税をしておきながら、何故低所得層を対象としてプレミアム付き商品券(金券)をばらまく無駄をするのだろうか。訳が分からない。
 そもそも低所得層でもクレジットカードなどを持っている人もいるだろう。それ以上に、全体として低所得層は、所得税も住民税も払ってない上、社会福祉の最大の受益者であり、その低所得層に更にプレミアム付き商品券を何故ばらまかなくてはならないのか。この金券を作るためには、1人5,000円のプレミアムを付ける上、更に印刷代と人件費が掛かるので、可なりの税金を使うことになる。一方で増税をし、他方で税金の無駄使いをするのは国民の利益に反する。
このような税金の無駄使いをするのであれば、更なる増税などしない方がましだろう。
従来地方振興券など、特定の地域や低所得層を対象とした金券の配布は、公明党が提案しているが、公明党の支持基盤である創価学会の底辺層は低所得層が占めていることから、党の支持者の多くが受益者となる。このようなばらまき対策は、明年7月頃に予定されている参議院議員選挙の年に行われることになるので、自・公両党とも票を獲得する材料となる。いわば票の官製買収とも言えるので、政治的にも公正を欠き、非常に望ましくない。
 こんなことをするのであれば、国民としては物を極力買わないように節約するしかないのだろう。

 2、政府、中央銀行のインフレ・ターゲット、金融垂れ流しは賞味期限切れ!
 このような中で、中銀は未曽有の金融緩和を継続する一方、預金者や銀行経営にとってはゼロ金利以上の打撃となるマイナス金利を続けるという不合理な政策を長期化させ、2%のインフレ・ターゲットを設定することにより‘デフレからの脱却’を目標としている。
しかし‘2%のインフレ・ターゲット’は達成できる見通しが暗い上、更に2019年10月には消費税の10 % への再々増税を実施しようとしている。消費者へのポイント還元措置や低所得層を対象としたプレミアム付き商品券の配布など、こそくな措置をとっても、政権側が認めている通り、‘2%のインフレ・ターゲット’の見通しが暗い中で、消費へのマイナス効果が重なるので、中銀の目標達成は困難な見通しであり、いわば賞味期限切れの状態と言えよう。
他方、米国を中心として、欧米は2008年9月のリーマン・ショック後の長期にわたる金融緩和、信用増発の正常化を実施している。長期金利も上がっている。少なくても中銀総裁グループは早期に交代すべき時期であろう。
政府、中銀が賞味期限切れとなった‘2%のインフレ・ターゲット’を先送りし、国内的にも国際的にも弊害が顕著なマイナス金利を含む超金融緩和策をさらに長期に続けることは、国民の利益にはならず、また国際的潮流に逆行する。それを続けることは、国民に無駄と負担を掛けるだけの延命策にしかならないようだ。もっとも保守政治においては、保身と問題先送りが常であるので、政権が変わるまで何事も先送りされるのだろうか。国民も消費を節約するしかなさそうだ。

3、国民の懸念はむしろ政府支出の中身と無駄な使い方
消費増税関連法の第一条で、“税制の抜本的な改革の一環として、社会保障の安定財源の確保及び財政の健全化を同時に達成することを目指す観点から、消費税の使途の明確化及び税率の引上げを行う”とし、消費税の収入については、”毎年度、年金、医療及び介護の社会保障給付並びに少子化に対処するための施策に要する経費に充てるものとする”ことを明記している。
要するに消費税増税の目的は、” 社会保障の安定財源の確保”と”財政の健全化の同時達成”の2つであり、公共事業や低所得者への給付などではない。もし増税の相当分を公共事業や低所得者への給付等に当てることができるのであれば、そもそも” 社会保障の安定財源の確保”のためと称して、8%、10%への消費増税を行う必要はなかったのではないか。
政府、財政当局の行っていることは不誠実である以上に、消費増税関連法の第一条の趣旨に反する。国民は、増税分は、年金、医療を含む社会保障の充実と財政の健全化であった。国民は、増税を容認したが、歳出面の内容には満足していない。
消費増税により社会保障のための財源を確保しておいて、それで浮いた財源で税を選挙対策のために使い放題という魂胆であったということか。余りにもご都合主義の説明振りとなり、良く言えば国民を愚弄している、悪く言えば国民を騙していることになる。もう一つ不誠実なのは、消費増税を重ねておきながら、社会保障の改善や財政の健全化を行わず、消費税相当部分に社会保障関連費をすべて集中し、それで一般財源を浮かして、景気対策やバラマキの無駄な支出を継続していることだ。だから社会保障関連費が窮屈になり、年金などが実質的に圧迫され、切り込まれている。消費増税関連法では、社会保障関連費は‘消費税のみで賄う’とはされていない。
更に、消費増税の2%相当分を社会保障のための財源以外に流用できるのであれば、もう一つの目的である”財政の健全化”のために、借り換えを含む新規国債の発行抑制や繰り上げ償還により国債負担を軽減すれば、”財政の健全化”のために寄与することになる。そうすれば既に毎年10兆円を越える利支払い負担も減少し、その分財政にも余裕が出てくることになる。それが何故出来ないのか。本来であれば、消費増税法の目的に沿ってそうすべきであろう。そうでなければ法律違反にもなる。国民は、増税するのであれば、年金、医療を含む社会保障の充実と、財政の健全化に支出されることを期待している。
4、政府(議会、裁判所を含む)と地方公共団体に求められる人件費を含む管理費などの節減
国民が消費増税に納得していない理由は、社会保障の改善、充実や財政健全化に増税分が使われていないこと以外にもう一つある。
消費税を2019年10月に10%に増税しても、社会保障の充実や政府が目標とする財政黒字化が困難というのであれば、まず歳出を節減するしかないであろう。財務省や政府税調、党税調などは、‘財源不足’となると‘増税’を検討するが、歳出節減も重要な財源であると共に、財政破綻と膨大な借金を抱えている場合は、歳出の節減は不可欠だ。
 どの民間企業にしても、どの団体にしても長期間赤字が続き、膨大な借金を抱えていれば、まずコスト削減する。特殊法人や独立行政法人を含む行政組織は例外とでも言うのだろうか。逆にそのコスト感覚の無さが行政機関の最大の問題なのだろうが、同時に行政機関は経済や経営を分かっていない集団であり、また内閣も同様ということを物語っているとも言えよう。いずれにしても、現政権が歳出節減に着手しないようでは、経済や国家経営への理解や誠意が欠けていると見られても仕方がないであろう。
(2018.11.11.)
 10月15日、自・公政権は、臨時閣議で2019年10月に消費税率を8%から更に10%へ再々増税すると表明した。その上で、再々増税による消費の落ち込みを防ぐための対策として、クレジットカードなどキャッシュレス決済を使った消費者へのポイント還元措置の他、低所得層を対象としたプレミアム付き商品券の配布などを検討するとしている。年末までの予算折衝の過程で、自・公両党内で検討される。
 1、増税は政権与党、それに忖度する官僚の無駄使いのためか!
 今回、自・公政権が‘消費増税は消費を落ち込ませる’ことを公認した形となったが、増税をしておきながら、何故低所得層を対象としてプレミアム付き商品券(金券)をばらまく無駄をするのだろうか。訳が分からない。
 そもそも低所得層でもクレジットカードなどを持っている人もいるだろう。それ以上に、全体として低所得層は、所得税も住民税も払ってない上、社会福祉の最大の受益者であり、その低所得層に更にプレミアム付き商品券を何故ばらまかなくてはならないのか。この金券を作るためには、1人5,000円のプレミアムを付ける上、更に印刷代と人件費が掛かるので、可なりの税金を使うことになる。一方で増税をし、他方で税金の無駄使いをするのは国民の利益に反する。
このような税金の無駄使いをするのであれば、更なる増税などしない方がましだろう。
従来地方振興券など、特定の地域や低所得層を対象とした金券の配布は、公明党が提案しているが、公明党の支持基盤である創価学会の底辺層は低所得層が占めていることから、党の支持者の多くが受益者となる。このようなばらまき対策は、明年7月頃に予定されている参議院議員選挙の年に行われることになるので、自・公両党とも票を獲得する材料となる。いわば票の官製買収とも言えるので、政治的にも公正を欠き、非常に望ましくない。
 こんなことをするのであれば、国民としては物を極力買わないように節約するしかないのだろう。

 2、政府、中央銀行のインフレ・ターゲット、金融垂れ流しは賞味期限切れ!
 このような中で、中銀は未曽有の金融緩和を継続する一方、預金者や銀行経営にとってはゼロ金利以上の打撃となるマイナス金利を続けるという不合理な政策を長期化させ、2%のインフレ・ターゲットを設定することにより‘デフレからの脱却’を目標としている。
しかし‘2%のインフレ・ターゲット’は達成できる見通しが暗い上、更に2019年10月には消費税の10 % への再々増税を実施しようとしている。消費者へのポイント還元措置や低所得層を対象としたプレミアム付き商品券の配布など、こそくな措置をとっても、政権側が認めている通り、‘2%のインフレ・ターゲット’の見通しが暗い中で、消費へのマイナス効果が重なるので、中銀の目標達成は困難な見通しであり、いわば賞味期限切れの状態と言えよう。
他方、米国を中心として、欧米は2008年9月のリーマン・ショック後の長期にわたる金融緩和、信用増発の正常化を実施している。長期金利も上がっている。少なくても中銀総裁グループは早期に交代すべき時期であろう。
政府、中銀が賞味期限切れとなった‘2%のインフレ・ターゲット’を先送りし、国内的にも国際的にも弊害が顕著なマイナス金利を含む超金融緩和策をさらに長期に続けることは、国民の利益にはならず、また国際的潮流に逆行する。それを続けることは、国民に無駄と負担を掛けるだけの延命策にしかならないようだ。もっとも保守政治においては、保身と問題先送りが常であるので、政権が変わるまで何事も先送りされるのだろうか。国民も消費を節約するしかなさそうだ。

3、国民の懸念はむしろ政府支出の中身と無駄な使い方
消費増税関連法の第一条で、“税制の抜本的な改革の一環として、社会保障の安定財源の確保及び財政の健全化を同時に達成することを目指す観点から、消費税の使途の明確化及び税率の引上げを行う”とし、消費税の収入については、”毎年度、年金、医療及び介護の社会保障給付並びに少子化に対処するための施策に要する経費に充てるものとする”ことを明記している。
要するに消費税増税の目的は、” 社会保障の安定財源の確保”と”財政の健全化の同時達成”の2つであり、公共事業や低所得者への給付などではない。もし増税の相当分を公共事業や低所得者への給付等に当てることができるのであれば、そもそも” 社会保障の安定財源の確保”のためと称して、8%、10%への消費増税を行う必要はなかったのではないか。
政府、財政当局の行っていることは不誠実である以上に、消費増税関連法の第一条の趣旨に反する。国民は、増税分は、年金、医療を含む社会保障の充実と財政の健全化であった。国民は、増税を容認したが、歳出面の内容には満足していない。
消費増税により社会保障のための財源を確保しておいて、それで浮いた財源で税を選挙対策のために使い放題という魂胆であったということか。余りにもご都合主義の説明振りとなり、良く言えば国民を愚弄している、悪く言えば国民を騙していることになる。もう一つ不誠実なのは、消費増税を重ねておきながら、社会保障の改善や財政の健全化を行わず、消費税相当部分に社会保障関連費をすべて集中し、それで一般財源を浮かして、景気対策やバラマキの無駄な支出を継続していることだ。だから社会保障関連費が窮屈になり、年金などが実質的に圧迫され、切り込まれている。消費増税関連法では、社会保障関連費は‘消費税のみで賄う’とはされていない。
更に、消費増税の2%相当分を社会保障のための財源以外に流用できるのであれば、もう一つの目的である”財政の健全化”のために、借り換えを含む新規国債の発行抑制や繰り上げ償還により国債負担を軽減すれば、”財政の健全化”のために寄与することになる。そうすれば既に毎年10兆円を越える利支払い負担も減少し、その分財政にも余裕が出てくることになる。それが何故出来ないのか。本来であれば、消費増税法の目的に沿ってそうすべきであろう。そうでなければ法律違反にもなる。国民は、増税するのであれば、年金、医療を含む社会保障の充実と、財政の健全化に支出されることを期待している。
4、政府(議会、裁判所を含む)と地方公共団体に求められる人件費を含む管理費などの節減
国民が消費増税に納得していない理由は、社会保障の改善、充実や財政健全化に増税分が使われていないこと以外にもう一つある。
消費税を2019年10月に10%に増税しても、社会保障の充実や政府が目標とする財政黒字化が困難というのであれば、まず歳出を節減するしかないであろう。財務省や政府税調、党税調などは、‘財源不足’となると‘増税’を検討するが、歳出節減も重要な財源であると共に、財政破綻と膨大な借金を抱えている場合は、歳出の節減は不可欠だ。
 どの民間企業にしても、どの団体にしても長期間赤字が続き、膨大な借金を抱えていれば、まずコスト削減する。特殊法人や独立行政法人を含む行政組織は例外とでも言うのだろうか。逆にそのコスト感覚の無さが行政機関の最大の問題なのだろうが、同時に行政機関は経済や経営を分かっていない集団であり、また内閣も同様ということを物語っているとも言えよう。いずれにしても、現政権が歳出節減に着手しないようでは、経済や国家経営への理解や誠意が欠けていると見られても仕方がないであろう。
(2018.11.11.)
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インフレターゲット2%は賞味期限切れ、必要になった政策転換ー再掲

2019-06-20 | Weblog
インフレターゲット2%は賞味期限切れ、必要になった政策転換ー再掲
 総務省は、2月17日、2016年の総世帯の家計調査の結果として、1世帯当たりの消費支出(平均24万2千円/月)が実質で前年比1.8%減となったことを公表した。前年割れは3年連続で個人消費の不振が長期化している。
 中央銀行は、2013年1月から、インフレターゲットを2%とし‘異次元の通貨供給の量的緩和’を実施し、デフレマインドを払拭し、経済成長を促す政策をとって来た。1世帯当たりの消費支出の前年比実質1.8%減、そして3年連続の前年割れは、インフレターゲット2%目標の破たんを意味する。インフレターゲット2%を目標とする量的緩和は、アベノミクスの第一の矢であり、同時に第二の矢である円安を誘導するものであるので、アベノミクス自体が成果を出しておらず、破たん状態となっていることを意味する。財政再建と言いながら、予算節減は行わず、補正予算に赤字国債まで使っている。
 また2016年前半に、中銀が窮余の策としてマイナス金利を導入したが、それで進んだのは借り入れの切り替えであり、貸し出しは進んでおらず、逆に預金者のデフレ感を煽ると共に、金融機関の収益を圧迫するなど、逆効果となっている。更に、米国が一昨年より金利引き上げを含む金融、通貨の正常化に向かおうとしている時期に、日本がマイナス金利を導入することは米国の動きに逆行する政策と言える。黒田中銀総裁は、意地でもこれまでの金融、通貨政策の継続を主張するであろうが、日本も金利の正常化が必要になっている。そもそも同総裁は、法学部出身の財務官僚であり、実体経済を知らず、法律や規則を定めれば物事が規制できると考えているのではなかろうか。
 アベノミクスは4年を経過して目標を達成出来ないばかりか、言葉や説明とは反対に、事実上破たんし、デフレ下の景気停滞であるスタグフレーションに入っていると言えそうだ。金融政策頼みの景気対策には限界があり、実体経済は各種規制に縛られ停滞しており、これまでの政策を継続しても好転は望めそうもない。政策の抜本的転換と消費者、国民の年金給付減や医療・介護などへの負担感と世代横断的な将来不安への真摯な対応が望まれる。(2017.2.19.)(All Rights Reserved.)
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大嘗祭は宗教行事であり政府による国家行事とすべきでない(改定版)

2019-06-20 | Weblog
 平成の本音―大嘗祭は宗教行事であり政府による国家行事とすべきでない(改定版)
 新天皇が初めて行う新嘗祭(にいなめさい)を大嘗祭(だいじょうさい)と言うが、宮内庁は、大嘗祭を2019年11月14、15日に行う予定としている。
 1、大嘗祭は神道形式の天皇家の宗教行事
 この祀りごとは、天皇が五穀豊穣を祈るものであるが、新天皇が即位後初めて行う大嘗祭については、天皇の一世一代の‘秘儀’とされている。そのため、一般にはその内容の詳細は知られていないが、神話に則り、その年の新穀を天皇が天照大神(あまてらすおおみかみ)および天神地祇に供え、自らも食し、その天孫降臨と一体化する神道形式の宗教行事のようだ。つまり、天孫降臨した邇邇芸命(ニニギノミコト)、即ち天照大神の子孫に、新天皇がなる儀式と言われる。

 2、大嘗祭を国家行事とすることも、国家予算を使うことも適当ではない
  宮家がこの儀式を信じるか否かは自由であるが、宗教行事である大嘗祭を政府が国の行事として行うべきではなかろう。国は憲法上宗教行事を行うことは出来ない。また国家予算を使うべきでもない。
 宮内庁は、この大嘗祭を江戸城址(一部を皇居として使用)内の東御苑で行うとしている。平成天皇の大嘗祭もここで行われたが(1990年11月21日)、即位儀式に関連する政府支出が全体で約123億円にも達し、高額に過ぎるとの批判があったことなどを考慮し、今回は東御苑の一部のみを使用し、節約を図るとしている。しかし大嘗祭は宗教性が強いと言う以上に、神道行事そのものであり、天皇家の中にも‘公費を使用すべきでない’との意見がある。一方で大嘗祭を若干小規模として予算要求がなされているとの報道もある。
 その大半の予算が、東御苑に社殿、社屋を建設する費用である。行事は、その中で行事が行われるが、大嘗祭後取り壊されるものの、国家予算で神道の社殿、社屋を建設することは国家、政府が宗教行事を行うに等しく、容認されるものではない。

 3、大嘗祭を江戸城址内(東御苑)で行うことは歴史に沿わない
 そもそもこのような神道形式の宗教行事を江戸城址内で行うべきではない。
大嘗祭のために東御苑に社殿、社屋を建設し、その中で神道行事を行うことは歴史を歪め、踏みにじる行為と言えそうだ。明治維新後、旧帝国憲法の下では、天皇を擁する官軍が幕府軍に勝ったので、戦勝者である天皇派が江戸城址を占拠、使用することは容認されても、旧憲法は廃止となり、新憲法となっている今日、それが引き続き容認されるべきではなかろう。
 更に、‘皇居’内に「三殿」が常設されており、天皇交代に伴い宗教行事が行われていることが報じられるようになり、国民の目にとまるようになった。「宮中三殿」は賢所、皇霊殿、神殿で構成され、中心として天照大神が祀られている神道の神社に相当するものであり、そこで新旧天皇がお参りや祈祷をするが、それは正に「神道」による宗教行事である。その内部は明らかにされていない。天皇も国民の一人として信仰、信条の自由があるが、国民の統合の象徴である天皇が、公の‘皇居’内で特定宗教の神道行事を行うことは、「国の宗教活動を禁止する」憲法の趣旨の反するのではないか。そもそも国の財産である江戸城址内に神道神社である「三殿」が新憲法になった現在でも存在することは、憲法の趣旨のみならず、江戸城址という歴史的な意味や価値に反するものではないだろうか。明治維新は終わり、その後の天皇君主制も帝国憲法も終わっている。
 新憲法では、天皇は軍の指揮権はもとより、統治権などは無い。その上国の征服者でも支配者でもない、‘国民統合の象徴’である天皇が、江戸城址を占有することは、‘反幕府’、幕府支配の抑止、封殺を意味し、尊皇派支配を意味するので、‘国民統合の象徴’としてはふさわしくない。現状では‘分断の象徴’、‘抑圧の象徴’と映ってしまう。

 4、「東御苑」を‘皇居東御苑’と称するのは歴史の冒涜
 江戸城址を‘皇居’と称するのも、歴史を閉じ込めるものではないだろうか。
特に江戸城天守閣跡や本丸などの江戸城の中心部の一角は「東御苑」として一般にも公開されているが(大手門、平川門、北桔橋門から一定日に入場可能)、ここが‘皇居東御苑’と呼称され、地図にもそのように表示されている。これまで気にとめていなかったが、戦後74年も経ち、新憲法の下で明治維新後擁立された‘日本帝国’は廃止され、民主的な日本国として歩んで来た現在も、江戸城址の中心部が‘皇居東御苑’と呼称されているのは驚きだ。世界にも誇れる江戸城、江戸文化を考えると、歴史の冒涜であり、不適切と言えそうだ。
 その上、東御苑を含め宮内庁が所管しているのも時代錯誤と映る。「江戸城址」
として文部科学省の所管とし、貴重な文化遺産として保存し、歴史研究等に門戸を開放すべきではなかろうか。いずれにしても江戸城址は、世界にも誇れる貴重な国民の文化遺産であり、そうあるべきであろう。
 一行政機関である宮内庁が江戸城址内にあることも、あたかも他の行政機関とは異なる国民から遠い存在との印象を与えると共に、国民を江戸城址から遠ざける結果となっており、明治維新、日本帝国時代ならともかく、今や好ましくない。
 最近外国人の観光者が著しく増えており、‘皇居’が外国人観光者の東京における人気の場所の一つになっている。その理由を外国人観光客にインタビューすると、「侍が好きだから」、「古くからの石垣に興味がある」など、武士や城に関連するところとしており、城址として認識されている。外国人観光客は江戸城址に関心があるようだ。その場所を‘皇居’という名称で‘江戸城址’という歴史的史跡を覆い隠す結果となっており、日本人のみならず外国観光客に対しても日本の歴史や貴重な文化遺産を正しく伝えていないことになりそうだ。
 明治以来の3代に亘る尊皇派支配は終わり、天皇は国民統合の象徴となっているので、天皇は京都御所に戻り、江戸城址は‘江戸城址’として国民及び世界からの観光客に開放すべきではないだろうか。因みに、京都御所は東西700m、南北に1.3kmの広大な敷地を擁し、現在参観を除けば、活用されていない。
 なお敢えて付言すれば、飛鳥、奈良時代を含め、明治天皇以前の天皇陵については研究目的の発掘、調査を原則許可し、歴史研究に資すべきであろう。
 いずれにしても天皇家の宗教行事である大嘗祭は、古来からの歴史に従って京都御所で行うことが適当であろう。もし京都で行うことが嫌であれば、伊勢神宮や明治神宮、昭和天皇の御陵地などで行うことも出来るだろう。
 また大嘗祭は、少しづつ形を変えながら古来より行われている貴重な歴史的な行事であり、無形文化と言えるので、衣装や装飾品、建物などを含め大切に保存すると共に、公開することが望まれる。ましてや国家予算で行われる行事であれば、全体を原則公開とすべきであろう(改定2019.1.26.)
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新天皇即位の礼を京都御所で何故行わないのか!!

2019-06-20 | Weblog
シリーズ平成の本音―新天皇即位の礼を京都御所で何故行わないのか!!
 政府は2019年4月30日の現天皇の退位、5月1日の新天皇の即位を受けて、同年10月22日に新天皇の「即位礼」を実施する方針を決定した。即位の礼の詳細については明らかにされていないが、式典に使用される京都御所に保管されている「高御座(たかみくら)」が解体させたうえ東京に輸送された。総重量8トンで、解体・輸送経費9億円とも言われている。
1、新天皇の「即位礼」を京都御所で行い、居所とすることが望ましい
「高御座(たかみくら)」が玉座として新天皇の即位の礼に必要か否かは疑問
の残るところではあるが、古式に則るというのであれば何故京都御所で挙行しないのか。「高御座」を何故解体までして京都御所から東京まで持ち出すのか。
 歴史的に天皇は奈良、京都に都を築き、京都御所も京都に現にある。維新を迎えた明治天皇はじめ、大正天皇はもとより昭和天皇も即位の礼は京都御所で行っている。
 現平成天皇については、昭和天皇ご崩御に伴う即位であり時間的な余裕もなく、また新憲法の下での初めての天皇の交代でもあり経験不足等であったため、一連の即位式を東京で行った。当時の問題としては、一部過激派グループに対する警備上の問題があったとされている。しかし今日では治安情勢は改善していると共に、警備力も向上していると思われるので、即位の礼は本来の歴史に則り京都御所で行うことが望ましい。歴史的に、東京で挙行された平成天皇の即位の礼は唯一の例外である。
 一部には即位の礼には外国要人が多く招待される可能性があるので、京都には宿泊施設が不十分との意見もあるようだ。京都は、外国要人が頻繁に訪問する国際的な観光都市であり、また近接する大阪等の宿泊施設や関西空港や新幹線の存在を考慮すると、京都に難癖をつけているに等しい。
 また現行憲法上天皇は国家元首ではなく、あくまでも国民の統合の象徴であり、対外的に日本を代表するものではない。主権は国民にあり、国民が選んだ国会で指名された首相が対外的にも日本を代表する実務上の元首と言えよう。従って国民的、国内的行事である即位の礼には、全世界から元首級を招待する必要はなく、在京の各国政府の代表である大使の他、日本皇室と緊密な関係がある王室等のある諸国からの国王、王女などの招待を中心にするなど、簡略化も可能であろう。
 
 2、‘皇居’の京都御所への復帰と江戸城址の国民への奉還
 (1)‘皇居’の京都御所への復帰
 尊王攘夷派の江戸幕府との抗争は、江戸城の無血明け渡しという形で決着し、明治維新となり天皇は京都御所から江戸城内に移り住んだ。それは将軍派の再起を抑える意味と米欧列強の介入を抑止する上で必要であったと思われる。
 また1945年8月に日本が無条件降伏をした後も、昭和天皇は江戸城内の皇居に留まった。これは、米国を中心とする連合軍が進駐し、皇居のある江戸城内に連合指令本部が置かれることを防ぐためにも止むを得ない措置であったと考えられる。
昭和天皇崩御後、平成天皇はそれを継承したが、現在は米軍の進駐はもとより考えられず、また国内情勢は歴史上最も安定していると共に、憲法上の天皇の地位は国民に広く認識されているので、もはや天皇が江戸城址内の‘皇居’に留まっている必要はなくなっていると言えよう。
新天皇は、歴史に則って京都御所に復帰することが望ましい。天皇が国民統合の象徴であることは認識されているので、京都におられても問題はない。それ以上に関西及び西日本の人々にとっては歴史的にも地理的にも喜ばしく、誇りにもなることであろう。無論、京都御所には必要な改修等を行った上である。
天皇のご公務については、憲法上国事行為として10項目掲載されているが、必要な時には東京等、必要な場所に行くことは交通事情が飛躍的に向上している今日では問題ない。また東京に滞在し、或いは一定の期日東京での公務が必要な時は、赤坂の迎賓館(赤坂離宮)を所定の改築をし、そこで執務、宿泊されればよい。現在赤坂の迎賓館は、年数回しか使用されておらず、著しい無駄になっており、その活用を真剣に考える時期であろう。日本は、少子高齢化の本格化を迎え、税負担能力が低下する一方、国民総所得の2倍に当たる1,000兆円を超える公的債務を抱え、これが年金の削減と並んで国民の将来不安の大きな原因になっている。

(2)江戸城址の国民への奉還と東西の文化的バランスの回復の必要性
 江戸城は、欧米列強が開国を狙う中、天皇を戴いた薩長土肥の尊王攘夷派が徳川幕府を倒し、勝海舟と西郷隆盛との協議の末、戦火を交えることなく徳川幕府が江戸城を明け渡し、江戸を戦火から守ると共に、欧州列強の介入を招くことなく、1868年に明治維新を迎えた経緯がある。
従って江戸城は、東京の前身である江戸と共に内戦で破壊されることなく引き継がれ、城内に‘皇居’が建設され、天皇が京都御所から移り住んだ。皇居のある江戸城は、第2次世界大戦においても米国による東京への絨毯爆撃の対象から除外され、焼失した大手門を除き、幸運にもその歴史的な姿が維持された。
江戸城を中心とする江戸の人口は、幕府が発足した17世紀初頭には15万人程度と言われているが、18世紀初頭には100万人を超えたと考えられている。人口はロンドン(1801年約 86万人)、パリ(同約 54万人)と比較しても世界一の大都市であったと推定されている。文化的にも、参勤交代により地方の文化も持ち込まれ、多様性があり、また版画や日本画、歌舞伎、相撲そして魚市場など、欧州でも評価される高い文化が華を開いた。
その中心が江戸城であり、江戸文化は東京だけの歴史遺産ではなく、日本の、そして世界の文化遺産と言えるので、それを再評価し、可能な範囲で復元、保存して人々に開放することが望まれる。
現状でも江戸城址は、内郭(主要建物を含む内堀内)でも東西2.3km、南北1.8kmで、周囲約7.8kmに及ぶ広大なもので、主要な門や周囲の石垣や建築物は重厚で、正に日本最大の城址を思わせる。また明治維新に向けての内戦を回避し、大手門以外は第2次世界大戦末期の爆撃からも逃れたため、城址内の植物や鳥、昆虫などは江戸時代以来の大変貴重な自然遺産だ。江戸城址内に江戸が残っていると言っても過言ではない。それを保全すると共に、江戸を象徴する江戸城址を保全し、文化遺産、自然遺産として公開することが望ましい。それは世界に誇れる貴重な観光資源ともなり、大きな経済効果も期待出来る。(江戸城址再興の詳細は、別掲「皇位継承は新時代にふさわしい簡素で親しみやすく」の4.を参照。)
明治維新後、江戸城は旧帝国憲法の下で、専制君主としての天皇のお住まいとして使用され、‘皇居’と呼ばれているが、それにより世界に誇れる大変貴重な歴史的な遺産江戸城が隠れてしまう結果となっている。
戦後日本においては、旧帝国憲法に代わり、新憲法が制定され、主権は国民にあり、いわば大政は国民に奉還されているので、国民の歴史的、文化的な財産である江戸城に‘皇居’を置いておく必要性はもはやなく、江戸城址を国民に奉還することが望ましい。そのようにすることが、日本の歴史に沿うことになると共に、東西の文化的、社会的なバランスが回復し、東西のバランスある発展が望めるのではなかろうか。(2018.10.6.)(Copy Rights Reserved.)
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森友への国有地売却問題、大阪地裁の呆れた判決

2019-06-20 | Weblog
シリーズ本音トーク―森友への国有地売却問題、大阪地裁の呆れた判決
 森友学園への国有地超廉価売却問題で、大阪地方裁判所は、5月30日、価格そのものを不開示にしていたことについては違法だとして国に賠償を命じた。
しかし市場評価額(9億5,600万円~14億円)よりも大幅に低い価格(1億3,400万円)で8億円以上もの破格の値引きの理由を開示しなかったことについては、「地中に正確な量はわからないものの相当量のごみが存在した」とした上で、「公になれば保護者らに嫌悪感を与え、通学を思いとどまらせるなど学園の利益を害する怖れがあると判断したことは、合理的で違法とはいえない」とした。何ですか、これは?良識ある者、ましてや公の判断を下す者が言うべきことではないでしょう。大阪地裁のこの判決については、次の2点で重大な問題がある。
1、ゴミの存在につき、調べもしないのに財務当局の主張を丸呑み
地裁は、「地中に正確な量はわからないものの相当量のごみが存在した」としているが、この表現から明確な通り、「正確な量はわからない」としつつ「相当量のごみ」としており、調べもせず、分りもせずに‘当て推量’しているだけで、被告側の財務当局の主張を丸呑みにしているに過ぎず、不適切な判断であろう。
2、児童や保護者、職員への健康上への悪影響を考慮せず
相当量のゴミの存在が「公になれば保護者らに嫌悪感を与え、通学を思いとどまらせるなど学園の利益を害する」と判断したことは「合理的で違法とはいえない」として財務当局の主張を丸呑みして「合理的」としている。しかし財務当局は当時学園の敷地となる国有地には「相当量のごみ」が存在し、保護者、学童への健康被害への懸念があることを承知の上、値引きの理由を開示せず、大幅値下げをして国有地を払い下げようとしていたということであり、地裁がこれを「合理的」判断とするとは如何なものか。確かに「違法とはいえない」が、そうだとしても財務当局はそのような国有地を児童教育のための学園に売却すべきではなかったのではないか。大幅値下げして売却しようとしたことは子供の健康確保を無視した深刻な問題となる。良識を疑う呆れた判決だ。
 地方裁判所とは言え、このレベルの裁判官がいること自体お寒いところだ。恐らくは現政権の顔色を忖度しての判決であった可能性が強い。裁判官も、段々と上に行くと官邸の人事権に影響されるところであり、3権独立とはいえ、官僚と類似する。しかし本来独立であるべき司法が、政権の顔色を忖度して判断を下すようになれば一般国民の利益は棄損され、民主主義は後退し、独裁的な恐怖政治に陥る恐れがある。既に行政官僚には、森友学園、加計学園問題以降、‘忖度’しなければ行政組織での居場所がなくなるという意識が定着しつつあるが、司法もその例外ではなくなっているのだろうか。
 不気味なのはコメンテーターと称するタレント知識人を含めたマスコミで、このような呆れた判決でも明確な批判も聞かれないことだ。政権に忖度していないと仕事が来なくなるからだろうが、お寒い話だ。昨今言論が大きく劣化している。独裁者というのはこのようにして作られて行くのだろう。
 行政の‘縦割り’の弊害を緩和するためには、幹部人事への官邸の調整機能が必要であるが、現在それが乱用され、恣意的な人事となっている証拠であろう。異なる考え方を持っている者も受け入れる寛容さと出身大学を含めた多様性の確保と新卒重視の廃止、公募制による中間採用の促進などが望まれる。
また国有地の管理の在り方についても、まず国有地を売却して抜本的に削減するなど、管理の簡素化と透明性の確保が緊要のようだ。(2019.5.31.)
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年金不足指摘の報告書、暴かれた政府審議会の本性!

2019-06-20 | Weblog
シリーズ本音トークー年金不足指摘の報告書、暴かれた政府審議会の本性!
金融庁は、2019年6月3日、金融審議会の作業部会がまとめた「人生100年時代を見据えた資産形成を促す報告書」公表した。これによると、「95歳まで生きるには年金収入だけでは足りず、夫婦で約2千万円の金融資産の取り崩しが必要になる」との試算を示すとともに、資産増加の方法として株式投資や信託投資という長期には不安定で元本を失うリスクの高い民間任せの方法を提示した。
政府自体が、100年安心としてきた年金制度に疑問を呈し、また自・公政権が打ち出した「1億総活躍社会」や「人生100歳時代」が2000万円の資産がないと‘まぼろし~’であることが暴かれた形で、批判が相次いだ。
これに対し麻生財務相(副首相)は、「政府の政策に沿わない」などとして同報告書の受け取りを拒否した。そもそも審議会への諮問は所管大臣である麻生財務相が行った形になっているので、自分で諮問して置きながら、‘政府と考えが違う’から受理しないということであり、審議会自体の意義に基本的な疑問を投げかけている。
政府審議会や各種委員会は、官邸の経済諮問委員会を含め、各省庁に多数あり、何か新たな政策などを進めようとするときに首相、大臣から諮問され、報告書が提出される。委員は各省庁が任意に任命する。経済諮問委員会に至っては、委員を「政府議員」と呼んでおり、あたかも国民から選ばれたかのような怪しげな呼称も使われている。
従来も政府審議会/委員会の意義については、政府の意見を代弁するもので、事務方が用意した「報告書」に‘ラバー・スタンプ’(ゴム印)を押すだけのものではないかと疑問視されていた。
今回金融審議会の報告書が、「政府の政策と違う」との理由で所管大臣に受け取りが拒否されたことは、正にこの疑問が国民の前に明らかにされたのだ。「政府の意見と異なる」報告書は受理されないということであり、審議会/委員会の存在意義が問われる。
政府「報告書」に‘ラバー・スタンプ’押してきた委員の見識や資質・品性が問われると共に、数多くの政府審議会/委員会は無意味な存在であるばかりか、あたかも国民の意見を代弁するかの誤った印象を国民に与える上、予算の無駄でもあるので、すべて廃止すべきである。政府は、国民から選ばれた議員で構成される国会に提示し、国会で議論を尽くすべきであろう。そのための国会であろう。(2019.6.15.)
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