賛美の心

こちらでは賛美、礼拝、心を主の前において静まり、まことの心で神様を賛美することだけです。

地位を失ってから

2020-08-06 23:34:17 | 天の国の福音

   リーダーの地位から外されてがっかりしたり、弱気になったり、いじけたりする人のことを見聞きするたび、私はそんな人たちを見下していました。ひとりひとり教会の中で異なる役割をもっているだけのことで、上下の差があるわけではなく、私たちはみな被造物であり、気落ちする必要などないと思っていましたから。ですから、新しい信者の世話をしている時も、リーダーとして奉仕している時も、自分の地位をそれほど意識したこともなく、自分が地位にこだわる人間だと思ったこともありませんでした。実際にリーダーの立場から外されたとき、自分も同じような恥ずべき行動に出てしまうなどとは、夢にも思いませんでした。

   しばらく前のこと、私が実際の働きを何一つしておらず、いつも教義を宣べ伝えるばかりだったため、リーダーは私を配置転換しました。その時私は、自分の素質が地域のリーダーにふさわしくないとしても、せめて水を与える仕事くらいは許されるはずだと思いました。まさかリーダーが私に教会の庶務を担当させるなどとは全く予想していませんでした。「誇りある地域のリーダーだった私が、今日は使い走りをさせられているなんて。足されあれば、あるいは少しばかりの知恵があれば、教会の誰でもできるこんな仕事を私がするなんて」そう思って驚きました。こんな仕事を私にさせるなんて、どう考えても私の能力を無駄にしているのではないか。けれども教会の姉妹たちに、反抗的だとか、自分の地位を気にかけているなどと言われることを恐れ、自分の気持ちを心の中にしまっておきました。でも家に帰った私はベッドに倒れ込み、ひどく嫌な気持ちになりました。「何の地位もなくなる。兄弟姉妹たちは私をどんな目で見るだろう。」そんな思いで頭がいっぱいになりました。使い走りをさせられているなんて、一体どうしたらここから立ち直ることができるだろう。考えれば考えるほど、ますます落ち込んでいきました。

   数日後、私は私のために仕事を用意してくれたある姉妹に会いました。会うや否や、「この仕事は簡単にできるように見えますが、献身の思いをもってしなければなりません」と言ったかと思うと、その姉妹は知恵や従順といった側面の真理について話し始めました。わたしははっきりしない口調で曖昧な返事をしていましたが、心の中は煮えくりかえっていました。「まるで私が何も知らないみたいに、あなたが私に助言するの?はじめの頃、あなたに助言していたのは私よ。それなのにこんな風に私に話しをするなんて。」その姉妹の言葉はひとつも私の心に届きませんでした。それどころか、私は長々と話すその姉妹を腹立たしく思いました。話しが終わる頃にはうんざりしきってこう言いました。「それだけ?ならもう行くわ。」家に戻った私は、何故自分があの姉妹にあのような態度をとったのだろうかと思い巡らしていました。もし彼女の地位が常に私の地位より上であるか、同じであったなら、私はあのような接し方をしただろうか。おそらくしなかっただろう。間違いなくしなかった。私が彼女を導いてきたのに、その彼女が私に問題を指摘している。だから私は納得できなかったのではないのか。私が地位に執着していた証拠ではないのか。自分の恥ずべき態度に気づいた私は急に自己嫌悪を感じ、それと共に神様からの裁きに関する言葉が心に浮かんできました。「あなたがたの追求がこのようなものであればあるほど、刈り入れる物は少なくなるであろう。ある人の地位に対する欲望が強ければ強いほど、それだけ深刻に取り扱われ、重大な精錬を受けなければならない。この種の人は無価値過ぎる。このような人は地位に対する欲望を完全に捨て去るため、適切な取り扱いと裁きを受ける必要がある。あなたがたがこのように求めれば求めるほど、刈り入れる物は少なくなるであろう。いのちを追求しない者は変化させられることはできない。真理を渇望しない者は、真理を得られない。あなたは自分の変化の追求と入りにことに重点を置かず、度を越した欲望や、神への愛を縛り、神に近付くことを阻む物事にいつも重点を置く。そのような物事があなたを変化させることができるだろうか。あなたを神の国へと導くことができるだろうか。あなたの追求の目的が真理を求めることでないならば、これを機に俗世に戻ってそこでの成功を目指せばよいであろう。このようにして時間を無駄にするのは全く無価値である。なぜ自分を苦しめるのか。」(『言葉は肉において現れる』の「なぜ進んで引き立て役になろうとしないのか」より)神様の御言葉を読み、自分自身のことを考えていくうちに、私は気づかされました。自分は真理を求めていたのでもなく、神様に満足していただこうとしていたのでもない。それどころか、自分が求めていたのは、名声、利得、地位だったと気付いたのです。地位を得たことで、私の自信は膨れ上がりました。反対に、地位を失えば不機嫌になり、働きも出来ないほど落ち込みました。私は自分の地位に気持ちを振り回され、ささいで無意味なことに1日中心穏やかでなくなり、無駄な時間を過ごしました。そこから結局何を得たのでしょうか。今日のような恥ずべき姿でしょうか。神様が私にしてくださったこと全てを思えば、私に託すことで神様に安心していただけなかったどころか、神様が与えられた仕事を、くだらない、やりたくないと言って嫌ったのです。それならば私は自分の良心に従って行動していたでしょうか。名声、利得、そして地位ばかりを追い求めていた自分の恥ずべき姿を神様に示されました。あまりにも高ぶり、傲慢になり、地位を重視していた自分に気づかせて下さった神様に、心から感謝しました。すると、ある歌が私の心に浮かんできました。「神よ!私に地位があろうとなかろうと、私は今自分をしている、私の地位が高ければそれは貴方が私を高めたおかげで、逆に低ければそれは貴方の定めだ。神よ!私に選択の余地はなく不平もない、全てが貴方の手中にある……貴方の権威のもと従順であるべきだ。なぜなら貴方はそれを定め.……貴方が私を用いるなら私は被造物、完全にされても私は創造物で、完全にされなくても私は貴方を愛するだろう。なぜなら私は被造物に過ぎないから。」(『小羊に従って新しい歌を歌おう』の「私は取るに足りない被造物」より)私は涙と共に何度もこの歌を歌いました。そして神様の前に出て祈りました。「神様!あなたの御言葉を通して、私はあなたの意図が理解できるようになりました。地位の高低に関係なく、私はあなたによって造られたものです。あなたの定めに完全に従わなければなりません。あなたが託された本分を選り好みせず、被造物のひとりとして託された本分に全力で取り組まなくてはなりません。神様!私はあなたの定めに従い、畑で働く牛のように、あなたの意のままに用いられることを願います。自分の地位のために葛藤したり、あなたを苦しめたり傷つけたりするようなことは二度としません。ああ神様、私を更に取り扱い、裁き、地位に対する欲望を明け渡せるようにしてください。あなたに近づく妨げとなる全てのものから解放されるよう私を扱ってください。そしてさらにあなたを愛し、心から与えられた本分を全うできるものとしてください。