十字架の愛
従順という愛があります
奉献という愛があります
悔いがないという愛があります
これらの愛は私たちの主イエスから来ています
主イエスは言われた。「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。 神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。 」ヨハネによる福音書3:16-17
神は言われた。「主イエスは、心のなかで、自らを人類に進んで捧げ、自らを進んで犠牲にした、と言えるであろう。またイエスは進んで罪のためのいけにえとなり、十字架にはり付けになり、この業を完遂することを望んでいた。イエスが人間生活の悲惨な状態を見た時、一分一秒も遅れることなく、早急に自身の使命を成し遂げることを、一層強く求めた。神がこうした喫緊の必要性を認識した時、神は自身の受ける痛みがどれほど酷いものか、どれほどの恥辱に耐えなければならないかなどとは考えていなかった。イエスの心にあったのは、自らを捧げ、罪のためのいけにえとして十字架にはり付けられる限りにおいて、神の旨が実行されて新たな業を始めることが出来る、罪の中にある人間生活、罪の中に存在する人間の状態が全く別のものに一変する、という確信のみであった。イエスの確信と、実行を決意した業は、人間の救いに関連するものであり、イエスの唯一の目的は、神の旨を遂行して業の次の段階を開始出来るようにすることであった。」