巻頭写真 : 『シャトー・ダンスニ』の城壁
海と信仰とケルト文化と古代巨石文明と
フランスにあってフランスではない異世界を巡る
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先回の続きで「ブルターニュ防衛線」上に並ぶ城の第二回
絵図 ⑧ の『Château d'Ancenis アンスニ城』から始めましょう
「ナント」から「ロワール」を遡ること30km
『Château d'Ancenis』
創建は10世紀に遡る。
「ブルターニュ防衛線」の戦略的な位置である故に
12世紀から16世紀にかけて幾たびもの激しい攻防戦の的となった
その頃から現存する部分が
城門を固める巨大な塔で防御された「Chatelet 出丸」で
14世紀のもの
『Chatelet』
この門は16世紀に補強され
扉は巨大な「落とし格子」が上部から降りてくるように作られ
中は屋根付きのギャラリーがシケイン(クランク型の誘導路)につながっていたらしい
居館は16世紀半ばのルネッサンス式
『Logis 居館』
中庭に面した側面は装飾のディテールがフランスの初期ルネッサンスだが
建築骨格(平面図)と
特に窓の十文字仕切りや物見の小塔などはまだゴシックのまま
未修復の部分
上掲の建物の反対側
最後にひとつ興味深い視点を
この「シャトレ」の向かって左の円塔の左端の上に立つ白亜の建物
端から見ると
こんな具合で正面側と直角ではなかった
※ ※
「アンスニ」の町から北に真っ直ぐ40kmで
絵図⑨番の『Châteaubriant シャトーブリアン』という町に至る
『Château de Châteaubriant シャトーブリアン城』
18世紀後半
ブルターニュ紀行のごく最初にご紹介した「サン・マロー」出身で
ルイ15世の宮廷で活躍した文芸貴族に
「フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアン」という有名作家がいるが
彼の名前は『de Châteaubriand』と最後が<D>で
この町の名前は『Châteaubriant』で最後は<T>で終わる
城は非常に大規模で各時代の建築様式が見られる
俯瞰 Photo by ⒸMairie de Châteaubriant
横長の「<」型につながる建物群の上辺の中ほどに
丸い塔が二つつながるのが見分けられれば
「大手門」への進入路を守る「出丸」である「シャトレ」
城の創建は11世紀
ブルターニュをアンジュー伯の侵攻から防御する目的の「マルシュ・ド・ブルターニュ」
として
「クリッソン」「アンスニ」「ヴィットレ(後述)」「フゥジェール(後述)」
らの城と同じ役割を担った
この城の改築は19世紀まで続いた
『Châtelet』
二つの巨大な丸い塔の間の門の上
ルネッサンス期に付け加えられたレリーフはかなり削り取られてしまっている
同 裏側
天守
同 別角度
同 城内から
同
同 屋上
天守内部3階の暖炉の跡
3階部から4階を見上げる
各階のフロアーは残っていない
天守内の上部へは
地上階から直線の階段を少し上って
そこから壁の厚みの中に設えられた螺旋階段を登ることになる
天守内大階段
天守内小階段
天守内の水場
天守内の牢獄部(ここは女囚房)
「シャトレ 出丸」と「ドンジョン 天守」以外の部分も
見てみよう
Photo by ⒸMairie de Châteaubriant
再び別の角度からの俯瞰写真で
天守はほど中央に見える
その斜め右上に接する部分が「旧大居館」
さらにそのまま「シャトレ」
天守の右下に接するのは「旧小居館」
そのまま右下が「礼拝堂」
右の屋根窓二つの建物が旧「大居館」
左の屋根窓一つの建物が旧「小居館」
大居館の2階部分の一室
小居館の切妻部分
大居館の端と
小居館に至る繋ぎの建物の端とに
入口が接して二つある
「旧」居館と呼ばれるのは
この城ができた最初の頃の小規模な時代の居館だったから
そして
小居館から先に礼拝堂
礼拝堂内部は装飾などは残っていない
礼拝堂の城外側の外壁は城壁と一体になっている
次に
ルネッサンス期に拡張された部分の居館をご紹介しよう
先掲の俯瞰写真の左半分に当たる左側の縦に並ぶ上半分の白い建物が
『Logis de Jean de Laval ラヴァル公ジャンの居館』
下側につながる屋根窓の無い部分が『Batiment des Gardes 衛兵の兵営』
右が「ラヴァル公ジャンの居館」左が「衛兵の兵営」
『Logis de Jean de Laval ラヴァル公ジャンの居館』
「ラヴァル公ジャン」という人物は
ここからもう少し北のアンジュウ伯爵領の町『Raval』の領主で
ここ「シャトーブリアン」を
併わせて領有し城を増改築した『Jean de Laval-Chateaubriant』の事
『ラヴァル=シャトーブリアン公ジャン』が正式名称
居館の左端に玄関口「ポルシュ(ポーチ)」が有る
『Porche d'Entrée』
外観でわかるがこの中は階段ホールにもなっている
階段天井の格天井は完全に「イタリア・ルネッサンス」
登った上階の左の扉
建物の外観より内部の装飾が完全にルネッサンスになっている
『Arcôve アルコーヴ(寝台を置く切り込み)』
「黄金の間」と呼ばれる寝室は17世紀の様式
暖炉上部のレリーフの金彩がいかにも17世紀後半のフランス
領主が臨席して行った会議の間も残っている
『Salle de tribune 会議の傍聴の間』
次に
この居館の北側につながる「衛兵の兵営」
この「衛兵」の兵舎と天守を結ぶ移動用のギャラリーが残っている
攻城戦の際に敵軍の矢玉を避けて移動できるように
且つては屋根も付いていたらしい
その左下は
「Le Cher シェール川」を少しせき止めた堀『Etang de Torche トーシュ池』
という堀がある
右端が天守
左端は「衛兵の兵舎」の先端
そして
「ジャン・ド・ラヴァルの居館」の右端(南端)に近い部分に
『大ギャラリー』
が直角に伸びる
大ギャラリーの階段部
そして
この「大ギャラリー」の南側にもさらに建物が伸びている
右の丸い塔の左横に接するあたりの向こう側に
「大ギャラリー」が直角に接している
『ブルターニュ防衛線』の項つづきます
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