行ってみませんか... こんな 素敵な世界へ

好奇心旺盛な長年の体験で、行って、見て、食べて、泊まった素敵な世界を、皆んなにちょっぴりお裾分け...

プロヴァンスを巡ろう 32 <山あいの小さな村 ヨーロッパ陶磁の歴史に欠かせない ムスティエ・サント・マリー>

2020-12-30 01:13:35 | 素晴らしき世界/フランス/ホテル
ムスティエ・サント・マリー 全景


陶磁器の歴史は面白い
長くなる
そんなテーマでブログなどやりだしたら
えらいことになります

大雑把に単純に無責任にザックリ言えば
西暦751年
タラス河畔の戦いで「唐」からイスラム世界へ
中国の先進技術だった製紙法や高度な作陶技術が伝わった
その後
スンニ派とシーア派との分裂で敗れた「ウマイア王朝」が
イベリア半島まで逃げイベリアをイスラム化する

西欧より学問と技術が進んでいたイスラムは
多くの新しい技術をスペインに定着させ
鞣し革はコルドバが中心となり
針金銀細工はトレドに定着
バレンシアが作陶の中心となっていた

バレンシア焼の陶器をイタリアに輸出する中継地『マジョリカ島』にも
作陶の拠点ができ『マジョリカ焼』が起こる

その後
マジョリカからイタリア半島中央部『ファイエンツァ』に技術がもたらされて
『ファイエンツァ焼き』となり
陶器を表す英語の「ファイアンス」はそこから来た

あとは
アルプスの南を超えて南仏は『ムスティエ・サント・マリー』で作陶が始まる
『ムスティエ焼』


それからは
ブルターニュの『カンペール焼』
パリの『ヴァンセンヌ焼(その後セーヴルに移転)』
カンペールからノルマンディーの『ルーアン焼』
オランダの『デルフト焼』
などに次々と影響を与えて行ったのです


アルプス山脈の一番南の果て
峨々たる山並みの懐にへばりついて
『ムスティエ』の村がある

背後にそびえる
二つの突き出る峰の間を巨大な鎖で結んで
中ほどに金色に輝く星がある
巻頭の写真でお分かりだろうか





スイスとイタリアとの国境アルプス山脈の起伏が
遠ざかる毎に
少しずつ高度が下がり侵食で険しさが減り
一番南のはずれ地中海に迫る辺りまでくると
高山の雰囲気は最早なく
峨々たる山並みが奇観となって現われる所がある

『ムスティエ・サント・マリー』の村は
そんな山肌に抱かれて
下から上へと棚田の如くにへばりつく

上を見上げると
村の教会の鐘楼が目印になる



『Eglise Notre-Dame de l'Assomption  聖母被昇天教会』

鐘楼

さらに上にも別の教会が







こんな感じの階段を登って行く

『Notre-Dame de Beauvoir  眺望の聖母教会』

かなり高いことがわかる


改めて下に降りよう
小さな集落の中は曲がりくねった細い小径が迷路のよう




突き当りは村の「共同洗濯場」
そして
各窯元の直営店があちこちにある

『Boutique de Michèle Blanc 窯元ミッシェル・ブラン』の販売店


『Atelier Du Barri 窯元デュ・バリー』の作品


『Atelier Lalier 窯元ラリエ』の作品


『Atelier Mufaggi 窯元ミュファッジ』の展示室

陶器博物館もある




唐三彩から始まって
彩色陶器の歴史を語り


17世紀ルイ14世の御代に一斉を風靡した
『ムスティエ焼』
の五百年の歴史を展示





あらゆる部屋がこんな色彩照明というわけではありません


そして
19世紀から現代の作品も多数


18世紀のモチーフで現代に作った燭台
現代のレリーフ模様の白磁風角皿
現代のキャンドル・カップ


魚の文様が非常に面白い

村を離れる前に
カフェのテラスに座って
絶景を目にお茶することを
お忘れなく



因みに村の紋章は



岩山の間に掲げられた『星』です



郊外に素敵なホテルあり
『La Bastide de Moustier  バスティッド・ド・ムスティエ』


真っ赤に咲き誇るジェラニウムに誘われるように
門を入る


もう一つアーチがあって


も終わったラヴェンダーの花壇を横目に進むと
見えてくる


糸杉に守られるように
典型的なプロヴァンスの田舎屋敷



レセプションはお約束通り机一つ



共用空間もこの程度



客室も
豪華さやこれ見よがしの高級感など拒否して
とにかく
田舎でくつろぐ為に選び抜かれた素朴なシンプルさ












浴室は
バスタブが薄い紗で覆われ
背後は当然『ムスティエ焼』の
彩色タイル貼り








それより
このホテルは「レストラン」として作られたのです


21世紀の最大のシェフの一人
『アラン・デュカス』
の手で

彼は
モナコで3つ星
パリで3星
その後
南仏各地のホテルやレストランの以来で監修し
何軒もの店に星を与えて大活躍

その『アラン・デュカス』が
田舎の自然の中で快適に休暇を過ごしたい人達の為に
この「オーベルジュ」を開いた

開店以来ずっと1つ星を守っている






















プロヴァンスの典型的な家屋
背が低く
素焼きの瓦屋根
二重の繰り型の軒蛇腹



そして
お庭ですよ
お庭


やはり
何と言っても夏場はここでしょう
お食事も周囲の景色も
口福眼福


= = = = = = = = = = = = = = = = = = = =
【お願い】
皆様のご感想やご意見をお待ちして居ります
右下の「コメント」からどうぞ
実名でなくても構いません
旅行に興味がおありの方は以下のサイトも御覧ください
http://veritas21.com  『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅のプランナー』

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プロヴァンスを巡ろう 31 山国プロヴァンスの三つの山地 4 <リュベロン山塊 2>

2020-12-28 00:13:35 | 素晴らしき世界/フランス/プロヴァンス
アプトの町の満開の桜からリュベロンの山並みを望む


リュベロンの
魅力あふれる山あいの町や村はもっとあるので
今回も同じテーマでご紹介


『Apt  アプト市』

この町は
昔からフルーツ
特にサクランボの砂糖漬けで名高い



町のシンボルは大聖堂

『Cathédrale Sainte-Anne  聖アンヌ大聖堂』

建立は11世紀に遡る

中央大円蓋天井

『Chapelle Royale  王室礼拝堂』

17世紀
ルイ14世の妃『アンヌ・ドートリッシュ』の
寄進によって造られた

『聖遺物櫃を収めた収納庫』


外壁の一部には13世紀の装飾

ところでこの大聖堂は
クリプタ(地下祭室)が結構あれこれありまして

9世紀の教会の部分が利用されている地下祭室の祭壇

そのもう一段下の層に


一つ前の写真の床を支える天井部は
9〜10世紀の石材を使って11世紀に作られた



9世紀頃の町の有力者であった
「カリウス・アリウス・セレール」を讃える文を彫り込んだ石碑
この上に当物の彫像が飾られていたらしい

街中に残る塔 1

街中に残る塔 2

時計塔

そしてここアプトにもアレが

『苔むす噴水』

中心部を出ると田園風景が残っており


小屋掛した屋内井戸が
残っている



かつての「共同洗濯場」も


 そして郊外には城

『Chateau de Roquefure  ロックフュール城』




※  ※

『Lourmarin  ルゥマラン村』


リュベロンの山を背景にしたルゥマラン村
二つの塔は
城と新教寺院




この位置に
12世紀から城塞があり
15世紀に城館に再建し16世紀半ばに今の形に再度再建





  



プロテスタント寺院はというと


19世紀になってすぐ
ルゥマランの資金提供により最初から新教寺院として
建てられた
普通は使われなくなったカトリック教会を転用することが多い

裏通り

噴水 1

噴水 2

噴水 3
苔むした三姉妹噴水

最後に
ノーベル文学賞受賞者『アルベール・カミュ』は晩年をここで過ごし
自動車事故で亡くなった後
この村の墓地に眠っています








※  ※

『Céreste  セレスト村』


他と同じような丘の上の村に見えますが
確かにその通りなんですが
とっても小さい
沢山の子猫が
バスケットの中でぎゅうぎゅう詰めに固まって寝てるみたいに
愛らしい

『Eglise Saint-Michel de Céreste  聖ミカエル教会』
ロマネスクの古刹です

『Hospitalet saint-Jean de Baptiste  洗礼者ヨハネ救済院』
貧しい病人や一人暮らしの病人を収容し
最後を看取る
「病院」と「養老院」とを兼ね備えたような宗教施設
『施療院』とも呼ばれる



13世紀の民家



『La Tour d'Embarbe  アンバルブの塔』


『豚飼いの塔』と呼ばれている塔

共に城址

集落の境界の出口にも古い教会があった

名称不詳

そして
集落を離れた林の中に

『Chapelle Saint-George de Céreste  聖ジョルジュ礼拝堂』

それに
街道の村に入るあたりには古代ローマ時代の
千八百年は経た橋がある






 ※  ※

『Ansouis  アンスゥイ村』


ここも小さな小さな集落
城と教会だけ
己の存在を主張している


左が城 右が教会

城の門

城館の入り口

城館

物見の塔

庭園


教会も
いざという時は村人が中に避難して立て籠もれる
「武装教会」

『Eglise Saint-Martin d'Ansouis  聖マルタン教会』


攻撃から身を守るために壁が非常に厚く開口部は非常に少ない
右の窓を見ると壁の厚さがわかる
矢狭間すら切ってある


13世紀の建立らしいが
遅めのロマネスク
内部の彩色も昔ながらに続いている

村は狭い

民家


 ※  ※

『Saignon  セニョン村』


この村の立地条件はかなりダイナミック
そして
教会もダイナミック

『Eglise Notre-Dame de Pitiée  慈悲の聖母教会』


これも
見るからに「武装教会」


何の飾りもなく質実剛健で美しい
裏側が墓地になっている



オリーブの産地として名高く
昔の搾油所も残っている



= = = = = = = = = = = = = = = = = =
ご意見ご感想をお寄せください
以下のサイトもよろしく
https://veritas21.com  『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅のプランナー』

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プロヴァンスを巡ろう 30 山国プロヴァンスの三つの山 3 <リュベロン山塊>

2020-12-25 00:24:59 | 素晴らしき世界/フランス/プロヴァンス
リュベロン山地の一景


プロヴァンスの山
最後の第三回目
『Massif du Ruberon  リュベロン山塊』







リュベロン山地で名高い村には
『ゴルド』や『ルシヨン』
と並んで
『ミネルブ』がある

『Minérbes  ミネルブ村』


典型的な丘の村

『村と葡萄畑』

そして
お約束の城が最も高い位置に残る


『Chateau de Minerbes  ミネルブ城』


壁の上にあるべき
凸凹の防壁を持つ巡警路も
城門を守る石落としの出っ張りもなくなっているが
美しい城だ

そして教会

『Eglise saint-Luc  聖ルカ教会』



中世の城壁に割り込むように建てられている
おそらく18世紀頃のこの家は
『時計塔』と呼ばれ


アーチをくぐって城壁内に入ると
裏側に時計塔がついているから
この塔は城壁の外からでは見えない


昔の城壁の一部をいつの時代にか利用して
家が建った
細い通りの向こうに『時計塔』が見える

『Villa de Dora Maar』

『ドラ・マアール館』と呼ばれている
有力家系のこの屋敷も18世紀か


城壁の足元を通り防御の門をくぐって進んで
旧市街に入るようになっていた


城壁の上から『リュベロン山塊』の山が間近に迫る


さらに一段高い
城の城壁の位置から村を見下ろす
右下の
小さな鐘楼壁のついた三角屋根は
『Chapelle Saint-Braise  聖ブレーズ礼拝堂』

『Chapelle St-Braise』



そして
抜けるように明るい陽光と花と青空との
この平和な光景こそが
イギリスのジャーナリスト『ピーター・メール』が愛してやまなかった
プロヴァンスそのものなのです

  ※  ※

『Cavaillon  カヴァイヨン村』

古代ローマ時代のアーチ

この町は
それ以外の小さな村々と違い
平地にある

『Cathédrale Saint-Veran  聖ヴェラン大聖堂』

この大聖堂は全景の写真が撮れる空間がない
しかし
内部は素晴らしい


南仏独特の
「ゴシック」の要素がない
ロマネスクからそのままルネッサンス
そしてイエズス会様式からバロック様式
のライン上にある


聖ヴェラン礼拝堂(大聖堂の中の礼拝室)祭壇の黄金の天蓋


同じく「聖セザール・ド・ビュスの礼拝堂」の
木彫金張りの天蓋


サン・ヴェランの聖遺物を収めた黄金張りの木製収納庫

ここ『カヴァイヨン』は
フランス屈指のメロンの産地

『Melon de Cavaillon  カヴァイヨンのメロン』

いわゆる『ハニーデュウ・メロン』ですね
毎年5月の吉日
カヴァイヨンの小学生男女2名がパリを訪れ
大統領府『エリゼー宮』で
「大統領閣下、今年の最初のメロンをお届けに来ました」
という儀式をやる伝統があるんだそうです



 ※  ※

『Beaumettes  ボーメット村』

『Eglise de l'Annonciation   受胎告知教会』

この教会の
右背後の茂みの上の方の「岩棚」を覚えておいてほしい


村の中は
意外と空間がたっぷりしている感じがする


そして
お約束の「乾石積み」の坂を登って上に行くと

『Maison troglodyte  岩穴住居』

山の岩肌が風化によってくぼんで入り部分を利用して
足りない部分を補って住居を建てる


地形自体はこうなっている
ネアンデルタール人の時代から
人類はこういう岩の窪みを住居に利用してきた
時代とともに
掘り込んだり
立てましたりしながら



そして
いつしか
このボーメット村の後背地にこんな集落ができた

現役の部分は
内部は立派で快適な室内がある



昔の水場(井戸)は
今は引退してちょっとした池みたいな存在か


道の端にいきなり立ってる家も


前の道も
しっかり石畳で舗装されているわけです



※  ※

『Goult  グゥ村』



再び
丘陵の村

『Châtreau de Goulu  グゥ城』

反対側から見たら丸い塔のはずの角の塔の裏側に
結構新しいの窓が取り付けられている


城壁の名残と城門





切り通しの道もお約束





『Eglise Saint-Sébastien  聖セバスティアン教会』


『Maison Présbytère  司祭館』

集落のはずれに古そうなお堂があった

『Chapelle St-Veran  聖ヴェラン礼拝堂』



傍にはもっと古そうな遺構


風車もある


※  ※

『Opedde  オペッド村』



頂上は城址

『Château de Oppedes  オペッド城』





その横
一段下がって教会

『Notre-Dame de Gabrielli  ガブリエッリの聖母教会』
イタリア
ウンブリア地方の大貴族『ガブリエッリ家』の領地だった



下からのアプローチで見ると
大きな教会だ


『Maison des Gabrielli  ガブリエッリ家の館』




= = = = = = = = = = = = = = = = = = =
ご意見ご感想をお待ちしています   右下「コメント」からどうぞ
https://veritas21.com  『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅のプランナー』
もご覧ください

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メリー・クリスマス <特別増刊号>

2020-12-24 00:19:23 | 素晴らしき世界



今日は更新日ではありませんが
クリスマス・イヴ
ということで
臨時特別増刊号をお届けしましょう



パリ/サン・シュルピス教会のクレッシュ


この時期
ヨーロッパでは
市役所のエントランス・ホールや教会の中に
人形で再現した
イエスの降誕の情景を飾る伝統がある
『Crèche クレッシュ』
と言います

プロヴァンスの伝統的な
焼成して色をつけた『サントン』という陶器人形で作るのが
昔から有名だった

カゴの中に
イエスがいなければ24日夜以前の撮影だから
イエスがいれば24日24時以降


ランス大聖堂のクレッシュ


モン・サン・ミッシェル大修道院聖堂のクレッシュ


パリ大聖堂のクレッシュ


パリ大聖堂


パリ/サン・シュルピス教会


ミラノ大聖堂


ミラノ大聖堂


そして
欠かせない装飾品の数々

-○○○— 三兄弟


我が家のクレッシュ


ツリー

ツリーは当然
街角のあちこちやら


街角の空間

ショッピングモールのロビーやら


普通のモールのもの

有名デパートは
意匠を凝らし贅を尽くして

パリ/ギャルリー・ラファイエットの中央ホール






刻々と
色が変わって行きました

そして今年

ギャルリー・ラファイエット 2020


伝統的にツリーの大きなものは
大聖堂の前と市役所の前

ミラノ大聖堂の前
高さはゆうに15mを超える

それより何より
クリスマスといえば
ケーキ
ですよね

ビュッシュ・ド・ノエル

フランスでは
薪(Bûche)の形で作るのが伝統
従って
『Bûche de Nöel ビュッシュ・ド・ノエル(クリスマスの薪)』
と言います


普通は
こんな感じです

外側のコーティングがチョコレートだったら
チョコレート色
クリームだったら
フルーツのペーストだったら
そのフルーツの色

街角の『Boulanger ブーランジェ』という
パン屋さん兼ケーキ屋さんで
12月には普通に作られて売られています

でも


著名なパティシエの店では
それではつまらないので
横長の工夫を凝らした意匠で毎年目と舌を楽しませてくれる


こんなのも


こんなのも


『Le Nôtre ル・ノートル』の今年のショーケース

左端の二つは「ビュッシュ型」(多分4人前)ですが
右側の大きいのは
なんと教会の形をしています


それから
忘れてはならないのが電飾
町は
それぞれの町内の商店街が
それぞれの意匠で
通りを横切るような形で10mおきほどに
両側の建物から電飾を飾ります

例えば


こんな風だったり


こんなだったり



こんな風に
縦方向だったり

そして
シャンゼリゼのような象徴的なところは


毎年大イヴェントになります



途中の広場も
趣向を凝らして




特に
市庁舎前はどこの町も精一杯のおめかし

『Hôtel de Ville de Paris パリ市庁舎』2019年


パリ市庁舎 2020


主だった広場も

『Place de la Bastille バスティーユ広場』


別に盛り場でなくとも
ちょっとした辻々にも単独の電飾が

普通の街角

有名どころの広場は

モナコ公国モンテカルロ
「オテル・ド・パリ」と「カジノ」の前の広場

同上

駅構内も

『Gare de Paris-Montparnasse パリ・モンパルナス駅』

  さらにはトラムまで
花電車ならぬ「電飾電車」に変身したりもする

ミラノの市営トラム

いやもう大変な騒ぎです

ただ
騒ぎと言っても
渋谷のハローウインのような「騒ぎ」にはなりません

あくまでも
天上の神様の代わりに人々を地上で救うために
御子が誕生された
特別な日と
その相前後の日々を皆でお祭りしようという
意気込みなのです


最後にとっておき
あまりピントは合っていませんが
『モン・サン・ミッシェル』
クリスマスの光景です


みなさま
Joyeux Noël (ジョワイユー・ノエル)
Merry Christmas !
= = = = = = = = = = = = = = = = = = =
ご感想やご意見・ご要望をお待ちしてまーす!
したの「コメント」からどうぞ
旅行に関しては以下のサイトもどうぞ
https://veritas21.com  『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅のプランナー』

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プロヴァンスを巡ろう 29 山国プロヴァンスの三つの山 2 <アルピーユ山塊 周辺の魅力溢れる村々>

2020-12-23 00:24:59 | 素晴らしき世界/フランス/プロヴァンス
「モウサンス・レ・ザルピーユ村」近くの『アルピーユ山塊』の一山



今回は山の二つ目
『Massif des Alpilles  アルピーユ山塊』
です



この山地はすでに
「アルル」
「ボーケール」
「タラスコン」
「サン・レミー・ド・プロヴァンス」
等の回で話題にした











『アルピーユ山塊』の只中にある
まだ紹介していない小さな村々を幾つかご紹介しよう

※  ※

『Eygaieres  エゲィエール村』




『Chapelle Sainte-Sixte  サント・シクスト礼拝堂』






『Eglise saint-Laurent  サン・ローラン教会』





正面奥にアルピーユの山々が垣間見える



※  ※

『Barbentane   バルバンターン村』

『Chateau de barbentane  バルバンターヌ城』

『Maison des Chevaliers  騎士の館』


 ※  ※

『Noves  ノーヴ村』




『Eglise Saint Baudile  聖ボーディル教会』




※  ※

『Boulbon  ブゥルボン村』
有名な王家の名前とは綴りも発音も違うのでご注意


『Ghateau St-Marcelin  聖マルスラン城』
村のシンボルの城と風車小屋






突き当りの建物の入口の右に


こんな聖者様がいらっしゃる

『聖クリストフル』
子供の守護神です


城門が『石落とし(水平狭間)』の部分の幅だけ
残った

『Eglise Saint-Marcelin  聖マルスラン教会』
実に美しいrマネスク時代の古刹

『Chapelle Saint-Julien  聖ジュリアン礼拝堂』


真下から見上げると
城の建物の最上階の周囲にあった『巡警路』が
「石落とし」の支えだけ残っているのが
よく分かる

そして
もう一つの名物が

『Moulin Bonnet  ボネの風車小屋』


使用する際は骨組みにキャンバスの幌を掛けて
しっかりと羽が風を受けて回る

村自体は
典型的なアルピーユ山塊の只中の村の佇まいである


アルピーユの山々の起伏に
城を頭(かしら)にゆったりと抱き込まれている様な
時の止まった村である


※  ※

『Frigolet  フリゴレ』

ブゥルボン村から10kmほどの森の中にある
『Abbaye Saint-Michel de Frigolet  フリゴレ大修道院』


この大修道院は
フランス北部『プレモントレ』で結成された
各地の司教区・大司教区の『大聖堂』で
運営に携わる重要な地位にある
『律修司祭』たちで構成される特殊な修道会の修道院


各地の律修司祭たちが
それぞれ期間を区切って「任務を外れ」
ここに集って
新たな修行を行っては
また
任地に帰って行く


『大修道院のアクセス階段』

『回廊』



内部は昔ながらの彩色

『運営会議の間』

『小礼拝室』

『小礼拝室の天井』

『全景』


修道院へ向かう一般道に
敷地の入り口を示す三つの塔の目印が立っている


  ※  ※

『Lamanon  ラマノン村』

『Chateau de Lamanon  ラマノン城』


村は
山の斜面にへばりつく典型的な形で
新旧取り混ぜた家々が並んでいる
しかし
この村の山の上に「途方も無いもの」残っているのです
『Les Grottes de Calès  カレスの洞窟』
と呼ばれています


『石窟都市』の廃墟

紀元前3500年「新石器時代」から人が住み着き
集落を作って以来
なんと16世紀まで同じ場所に人が住み続けた


山の岩肌を切り取り
くり抜き


必要な部分だけ切石を積み



床全面も削った岩盤


床に何やら穴ぼこが


おそらく
オリーブ・オイルや小麦の貯蔵のための「甕(かめ)」ではないか


天井には
何かを吊るす仕掛けもある


舗装道路


集落全体を防御する「城壁」もあった

『Chapelle Saunt-Denys-de-Calès   カレスの聖ドゥニ礼拝堂』

廃墟の教会
一般的には『St Denis』と綴るが
古語の綴りで表記され
今日も教会として機能塩ています

この村には
もう一つ「名物」がある


フランス最大の「プラタナス」です


1564年植樹
高さ25m・幹の周囲7,5m・枝が覆う地面が1500㎡
国の『芸術的自然文化財』に指定されている


数10年に一度剪定する
翌年には新生小枝に出る葉っぱで
このまま緑の塊になり
20年後にはまた枝が地を這うようになる
= = = = = = = = = = = = = = = = =
以下のサイトも御覧ください
https://veritas21.com  『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅のプランナー』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プロヴァンスを巡ろう 28 山国プロヴァンスの三つの山脈 1 <ヴァントゥー山>

2020-12-21 00:24:59 | 素晴らしき世界/フランス/プロヴァンス
『Mont  Ventoux  ヴァントゥー山』


プロヴァンスを語る際に
山と川とが
重要な役を果たす

川は
『ローヌ河』とその3本の支流
『デュランス川』
『ヴェルドン川』

山は
『ヴァントゥー山』
『アルピーユ山塊』
『リュベロン山塊』

ちなみに
プロヴァンスには
Massif (マッシフ : 山塊=小山脈・山群)が17
Montagne (モンターニュ : 山=単独峰)が10座あまり
Mont (モン : 山=単独の大きな山)が主だったもので4〜5座
ある

川に関しては
再度機会を作ってご紹介したいと思っています

従って
今回は『山』です

北から順に
『Mont Ventoux  ヴァントゥー山』
からご紹介しよう

ローヌ河が
二つの分かれるアヴィニヨンの北北東の『オランジュ』から
さらに北東『ヴェゾン・ラ・ロメーヌ』あたりから東南にある大きな高山


標高1912mで
北側の頂上付近は夏でも冠雪
冬はスノー・スポーツ
夏は自転車の山岳ロードレースで賑わう










この『ヴァントゥ山』の周辺には
『Haute-Provence  高地プロヴァンス』らしい
魅力あふれる小さな村々が
点在する

幾つかご紹介しよう

※  ※

  『Bédoin  ベドゥアン村』




村から見たヴァントゥ山

※  ※

『Crillon-le-Brave  クリヨン・ル・ブラーヴ村』


『Eglise Notre-Dame des Acces  ノートルダム・デ・ザクセ教会』




ここの領主は
代々優れた人物が続き
王家の重要な地位を占めたりして
パリでも有数の高級ホテル『Hôtel de Crillon  クリヨン・ホテル』
に名前が残っている

村からヴァントゥ山を望む

 
※  ※

『Le Barroux  ル・バルゥ村』


『ル・バルゥ城』

『Eglise Notre-Dame de Brune  ノートルダム・ド・ブリュンヌ教会』



※  ※

『Cartantra  カルパントラ町』



『Ancienne Cathédrale Sainte-Trinitée  旧聖三位一体大聖堂』
のロマネスク時代部分

大聖堂ゴシックの部分『ユダヤ人の扉口』




旧司教館

『Château de Dubesson  デュベッソン城』



※  ※

『Crestet  クルステ村』

『クルステ村』から『ヴァントゥー山』を望む

『Eglise Saint-Sauveur  聖救世主教会』

『Château de Crestet  クルステ城』


共同洗濯場


 ※  ※

『Entrechaux  アントルショー村』


『Eglise Notre-Dame de Nazareth  ナザレノのノートルダム教会』

『Eglise Immaculée Conception Saint-Lauren  無原罪のお宿り・サン・ローラン教会』




※  ※

『Gigondas  ジゴンダス村』


『Côte de Provence コート・ド・プロヴァンス』
という「原産地呼称法」で守られた
名高いワインの産地の村





※  ※

『Mazan  マザン村』

『Château de Mazan  マザン城』

この城は
ずっと以前は『シャトー・ド・サッド』という名で
南仏の名家で数多くの爵位を併せ持ち
各領地に城を持っていた
『サド侯爵家』の持ち城の一つであったそうな

『Chapelle des Pénitens   贖罪巡礼団の礼拝堂』

ロマネスク時代の『Eglise Notre-Dame de nazareth  ナザレのノートルダム教会』

中世の「屋内公益市場」

村から見た『ヴァントゥ山』
頂上の気象観測所のポールまでしっかりと見える


※  ※

『Perne-les-Fontaines  ペルン・レ・フォンテーヌ村』

『Porte Noire et Chapelle  黒の城門と礼拝堂』
礼拝堂は城門の城壁に付属する左の2つの窓がある部分

『Eglise Notre-Dame de Nazareth  ナザレのノートルダム教会』

『Place Notre-Dame  ノートルダム広場』
教会側面の扉口前の広場が
住民たちの憩いの場

市場の前の広場の噴水

ディテール
村の名前はこの噴水に由来する


※  ※

『Séguret  セギュレ村』


城壁に名残と城門の一つ 共同洗濯場



家屋に組み込まれてしまった噴水

昔の洗濯場




※  ※

『Vanasque  ヴァナスク村』



ロマネスク時代の洗礼堂

『プロヴァンスの山』シリーズは
続きます
= = = = = = = = = = = = = = = = = =
【お願い】
皆様のご意見を「コメント」からお送りください
旅行の実際に興味のおありの方は以下のサイトもどうぞ
https://veritas21.com  『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅のプランナー』


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プロヴァンスを巡ろう 27 <エックスのホテル 2 街中を離れて ワイナリーの美食ホテルに泊まろう あるいは?>

2020-12-18 00:10:33 | 素晴らしき世界/フランス/グルメ
『Château de la Gaude  シャトー・ド・ラ・ゴード』


ヨーロッパの旅行で楽しいのは
都会ではなく
田園や山里や海岸の
人混みのないところの素晴らしいホテルに泊まる
人知れぬ喜びを経験すること
そして
その手のホテルは
食事のレベルが極めて高い

エックス・アン・プロヴァンス
から北北東の10kmほど

葡萄畑を持つワイナリーである16世紀の「Bastide (農園屋敷)」を
現代のエスプリで瀟洒なホテルに再建した
『Château de la Gaude  シャトー・ド・ラ・ゴード』

そして
「レ・ボー・ド・プロヴァンス」の麓の高級リゾートホテルかから
シェフとして
『マチュー・デュピュイ=ボーマル』
を招いて
ミシュランの星を獲得した


まず
開放感に溢れた陽光の弾ける広々とした庭園が
旅の疲れを
一瞬で吹き飛ばしてくれる



お庭には


いたるところに「みょうちきりん」なオブジェが
分散してて


びっくりするやら


呆れるやら


きみが悪いやら




客室は
白が基調でウルトラモダン





このようであったり

あるいは



このようであったり

はたまた



こんなだったり

階段ホールも白



廊下も白



そして
いよいよレストランですが



ゆったりスペース

肝心の
お料理はと申しますと


まず『amuse bouche  突き出し 3種』

続いて



鯖の甘酢漬け
なんとも言えぬ複雑な香りと味が


グリーンアスパラガスの穂先
編笠茸
小魚の棒寿司風




ガンバス(車海老)の香草ソース



 お魚



チーズ


デザート


お茶請け


当然ですが
お庭でもお食事できます




もし
あなたが少人数のグループでいらっしゃったら
こんな感じで


夢のようなひと時を
過ごすことになるかもしれませんよ

シャトーの建物の
正面のドアから外を見晴らすと



巻頭の写真の逆の景色が
こうなります

写真の左前方の角に少し見える
糸杉の若木の並ぶそのさらにに左側には
葡萄畑が広がります



9月初めは収穫の時期。


南国なので
気候によっては8月後半ということも

日本と違って人件費があらゆる経費の中で一番高いフランスでは
自動収穫機という
トラクターの一種で収穫するところが多い中
この『Domaine du Château de la Gaude』では
高級ワインのカテゴリーではないにもかかわらず
人手での収穫


摘み取られた房を
腐ったものや熟していないものなどを
選別します


さらに
ひと房の中に
腐った粒や熟していない粒や虫食いがあれば
それだけを選り分けます



あとは
発酵タンクで2週間
熟成倉庫で6ヶ月から1年半で
食卓に供されます


※  ※

もっと街に近い方が良ければ

旧市街ではないもののエックスの市内にも
前回ご紹介した「Villa Callici」「Roi René」以外にも
もう一軒おすすめが
『Hôtel-Spa Villa Saint-Ange ホテル・サン・タンジュ』

『聖天使邸ホテル』
と言うありがたーい名前のこのホテル




絶対水浴びしたくなる
このプール




客室は

スイート 1


スイート 2


ジュニア・スイート


シングル/ダブル・ルーム

バスルームは


だいたい


こんな感じ

バー



レストラン



   アカザのミルフォイユ仕立て



スズキのロースト



デザートは
『Charlotte aux Fraises イチゴのシャルロット』

これ
ホールケーキではありません
一人分です

シャルロットは
フルーツのババロワを
甘いサクサクのビスキュイで囲んだお菓子

これは苺ですから
中のババロワは苺のババロワ




どちらのホテルがお好みですか?

街中か 田園か
クラシックな豪華さか シンプルなモダニスムか
究極の選択ですね
= = = = = = = = = = = = = = = = = = = =
【お願い】
皆様方の「ご感想」「ご意見」「お叱り」「お褒めの言葉」「ご要望」「叱咤激励」「ご忠告」
などをお待ちしております
右下の「コメント」ボタンから「コメントを送る」になり
それをクリックすると「書き込みフォーマット」に変わります
お名前欄はハンドルメームでもsnsのアカウントでもニックネームでもなんでも可
ご旅行の手配や実際の動きなどにご興味のある方は下記のサイトにもどうぞ
https://veritas21.com  『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅のプランナー』


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プロヴァンスを巡ろう 26 <エックス・アン・プロヴァンスの お薦めホテル>

2020-12-16 00:02:25 | 素晴らしき世界/フランス/ホテル
『Villa Gallici  ヴィラ・ガリッシ』



セザンヌのアトリエからほど遠からぬ
緑豊かで静謐に満ちた住宅地に
素敵なホテルがあります
『Villa Gallici  ヴィラ・ガリッシ』

道路から門を入ると
斜面にそって玄関へスロープを登る


レセプションのある地上階は
幾つかの部屋を
壁を取り払って繋いだ複雑な形の空間が
共有空間

それが夕食時になると
そっくりそのままダイニング・ルームに作り変えられる


通常の意味でのダイニング・ルームと違うので
テーブルも椅子も
様々な形で
しかもチェアーではなくソファー
低いテーブルもあるので姿勢的に食べにくい席もある


例えばこの席
昼間はバーのロー・テーブルの席なんだ


ここみたいにね

でも
これら様々なスタイルのソファーなどが
もともと「趣味の良い客間」という共通の価値観で選び抜かれている
妙な統一感と落ち着きを感じるのです


これらの共用空間兼レストランの窓の外は
テラスになっていて
当然そこにも食事のテーブルが並びます





特に
お昼は全員テラスのテーブルを選ぶので
中で食べてる人はいないも同然

食事の時間外はバーの席になる
上の回の客室の窓から見下ろすと


こんな風に見える

そして
そのもう一段下のテラスもあって
そこはプールと午眠用のデッキチェアー



地上階というのも本当は相応しくないのだけれど
例の共用空間を抜けて客室の方へ向かう
上のフロアーもある


客室は
全部内装が異なっているらしい
自分の部屋以外に
その時ゲストがいない部屋を幾つか見せてもらった





あるいは



または



そして



さらに



このホテルのレストランは
長らく「一つ星」に輝いていた
たまたま今年は外されてしまったが質は落ちていないはず

ほんの一例を


前菜二種




魚料理



肉料理



デザート 1



デザート 2


南国プロヴァンスの夏の夜は
長い





あまり肩のこらない普通のホテルがお好みの方にも
ありますよ

『Grand Hotel Roi René   グラン・トテル・ロワ・ルネ』
ロトンドの噴水まで歩いて10分弱
ビジネスマン向けの
綺麗なホテルです




普通に「ロビー」がある安心感?



フロアーにも共用空間が備わってます
`



ごく普通のツイン・ルーム



ごく普通のダブル/シングル・ルーム



バーも寛げそうですね



レストランも機能的





デザート・ビュッフェ
には
思わず歓声が上がりそう

中庭はプールがあって
その横でもお食事ができます



もちろん
プールサイドでお昼寝も






フィットネス・ルームも
当然あります


このホテルなら
気軽に過ごせそうです


このホテルは
世界的にビジネスホテルを展開している
『Accord』
のチェーンです



さらに同じスタイルで
もっとカジュアルなホテルも
『Hotel La Renaissance   ホテル・ラ・ルネッサンス』




ロビーの一部



バーに一隅



バーの全体



なにやら人目をひくものが向かって


アッパー・ロビーから下のロビーに



2ベッド・ルーム



ベッドを一つにメイクすると
こうなる



なんだか
無意味な空間の大きいジュニア・スイート



屋内プール



マッサージ・ルームもあります



レストランは
ややポップすぎて安っぽいかも
と言うことで


悪天候でなければ
ガーデンの席をお勧めします

こちらは『マリオット』のチェーン
= = = = = = = = = = = = = = = = = = = =
【お願い】
皆様の「ご感想」「ご意見」「ご要望」「苦情」「叱咤激励」「その他なんでも」お待ちしています
右下の「コメント」ボタンで送信フォーマットのページにお進みください
お名前記入欄は実名でなくても構いません
SNSのアカウント名 ハンドルネーム ニックネーム 世をしのぶ偽名
なんでもOKです
旅行の計画や手配などに関心がおありの方は以下のサイトにも寄ってみてください
https://veritas21.com  『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅のプランナー』

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プロヴァンスを巡ろう 25 <エックス・アン・プロヴァンス は 100の噴水の街と呼ばれてきた>

2020-12-14 00:34:02 | 素晴らしき世界/フランス/プロヴァンス
『Fontaine de la Rotonde  ロトンドの噴水』夜景



『エックス・アン・プロヴァンス』
という街は
フランスにおいて
パリに次いで二番目に「文化財」が多く集まっている街

そして
「100の噴水の街』
とも呼ばれてきた

そこで
エックスの街の主だった噴水を
順次ご紹介しておこう

まず最初に理解していただきたいことは
「噴水」と訳すと観賞用の装飾に思えるが
昔は
各町内各村々の住民たちの生活用水の汲み取り場所
つまり
「共同井戸」みたいな生活に欠かせない公共施設だった
ということなのです


もちろん
「いの一番」は『苔むした噴水』

まず古い絵はがきから


1930年の姿
今と違って「お湯」がたくさん流れ落ちている

1666年 建築家ジャック・フォッセ作
当初は海神ネプチューンの子トリトンの彫刻で飾られ
のちに
4頭のイルカに置き換えられた

今は全く痕跡もわからない


次に


これは2004年の姿

そして


2014年当時

そして


2018年

なぜこの様なご紹介をしているかというと
「苔」という
自然の植物を身に纏っている以上
いつも同じ表情ではない
という事をわかって頂きたいのです


2017年に撮影した表面の一部ですが
と一言で言っても
葉っぱのあるタイプや無い様に見えるタイプなど
様々なのです
天候も大きく左右します

この
『苔むした噴水』
と同じタイプの噴水が他に幾つかあります

まず例の
同じ『クール・ミラボー』に有るもう一つ


実はこの噴水は
『Fontaine des Neuf Canons 9門の大砲の噴水』
という名前が付いています
1691年 建築家ローラン・ヴァロン作
重要文化財

当初は九箇所から水を吹き出していたことから
この名がついたらしい


そして
南国プロヴァンスといえども
冬季にはこういう光景も見られます


もう一つ同じタイプを



『Fontaine Amado / des Cardeurs  アマドの噴水(カルダーの噴水)』
1963年
新たに「カルダー広場」を建設した際
彫刻家アマドにより製作

新しい噴水ですが
年と季節によりしっかり苔が付いきます






『Fontaine des deux canons  2門の大砲(2出水口)の噴水』
1532年
当初は繊細なヒトの頭部の彫刻だったらしい
それがいつしか蛇口に変わって
今の名になった




『Fontaine des Trois Ormeaux  3個のアワビの噴水』
1632年
皆様のご期待に背きますが
この噴水に「アワビ」はどこにもいません
作られた場所が「3個のアワビ通り」だったから
作った背景には歴史的な逸話があるが
長くなるので割愛



『Fontaine d'Espéluque  エスペリュックの噴水』
1618年



当時その場所にあった修道院の回廊の角に置く聖水盤として作られた
その後1750年に第三者に譲られて場所を変え
交通に邪魔にならぬよう
ローマ時代の壁際に設置された
引いてきた水の水源の所有者の名前が付けられたらしい




『Fontaine de l'Hotel du Valori  ヴァローリ館の噴水』
1750年
重要文化財
チーズで名高い「ロックフォール」の領主が建てた館
のちに
エックスの大司教となった息子が相続し
その後
ヴァローリ家に譲られた




『Fontaine des Augustins  オーギュスタンの噴水』
1620年
その200年後1820年に完全に作り変えられた
その際
プロヴァンス伯の宮殿(現裁判所)にあった
ローマ時代の円柱を使用し
天辺に12針のブロンズ製の星が乗せられた
重要文化財



『Fontaine des Bagniers  バニエールの噴水』
1687年
その後1758年に元の場所から数メートル移動された
最初は温泉水で温水だったが
水量が減少していたので地中に暗渠を掘って全て『苔むした噴水』に回し
移動の際に市が供給する普通水に変えられた
さらに1926年に
ルノワール製作になる『ポール・セザンヌ』の青銅製のレリーフが
オリジナルの装飾を失っていた壁面にはめ込まれた
重要文化財




『Fontaine des Pecheurs  漁師の噴水』
1758年 ジャン=パンクラス・シャテル作
バロックの装飾
「Place des Pecheurs 漁師の広場」にあるためこの名
重要文化財




『Fontaine des Quatre Dauphins  四頭のイルカの噴水』
1667年 彫刻家ジャン=クロード・ランボー作


バロックの傑作
「四頭のイルカ広場」にある
重要文化財




『Fontaine de l'Hôtel de Ville  市役所の噴水』
1756年
貯水槽は建築家ジョルジュ・ヴァロン
出水柱は彫刻家ジャン=パンクラス・シャテル
写っていないが上に立つ柱は
ローマ時代の遺跡に建つプロヴァンス伯の宮殿から
重要文化財




『Fontaine du cours Sextis / de Pascal  セクスティス広場の噴水』
「パスカルの噴水」
とも呼ばれる
1713年
もともと水源の水量が十分ではなく
異常気象の夏に住民への給水が不可能になった際に
新たにもっと深い井戸を掘り直し
噴水も作り直した
1833年
建築家リュウトー設計
彫刻家バイユ製作
重要文化財





『Fontaine d'Argent / de la Mule Noire  銀の噴水』
お金がとってもかかる噴水だったから
いつしかこう呼ばれるようになったとか
ミュール・ノワール通りにあるので別称「ミュール・ノワールの噴水」
1758年
全体設計はジョルジュ・ヴァロン


18世紀大流行していた「トルコ人」の顔の彫刻はシャテル
重要文化財




『Fontaine des Neuf Puits  新しい井戸の噴水』
「新しい井戸通り」と「ミニエ通り」の角
何も言われの伝わっていない
ただ古い噴水




『Fontaine de Boulegon  ブウルゴンの噴水』
1532年
「ブゥルゴン通り」にある




『Fontaine de Saint-Jean de Malte  マルタ騎士団十字の噴水』
起源は1759年
「マルタ島の聖ヨハネ教会」の前に設置
ヴァロン製作
その後1862年に壊して現在のものに作り替えられた
当時は2匹の「魔物」の口から水を出していた
マルタ島騎士団の十字架は確認できる
グラネ美術館の前




『Fontaine des tanneurs  鞣し革職人の噴水』
六本の通りが集まる広場
そのうちの一つが「鞣し革職人通り」
皮なめしの職人たちはその一角に集まって住んでいた
1761年
ジョルジュ・ヴァロン設計
陶器製の総帥パイプが水藻でつまり
行き交う馬車の振動でパイプが壊れ
1861年に改修
現在のデザインで作り直された
重要文化財


まだまだ有るがキリがないので
最後に
もう一度『クール・ミラボー』に戻って閉めよう



『Fontaine du Roi René  ルネ王の噴水』
1822年
「クール・ミラボー」の一番奥にある

ピエール・レヴォワル設計
ダヴィッド・ダンジェ彫刻
正方形の基礎石の二カ所から水を出す
王が立つ縦長の四角柱は白大理石

ルネ王生誕600周年を記念して
需要文化財協会が
2009年に大々的な修復工事を行った


フランス王家カペー王朝の権威に抵抗し続けた
ロワール河下流域の「アンジュー家」の殿様は
アンジューの首都「アンジェ」でも『Bon Roi René(善き王ルネ)』と呼ばれて
同じ様に愛され続けている
= = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = =
【お願い】
皆様方の「ご感想」「ご意見」「ご要望」「その他なんでも」をお待ちしています
右下の「コメント」→「コメントを送る」→「書き込みページ」→「不正アクセス防止の暗号」→「送信」
お名前欄は実名でなくても構いません
旅行の実際にご興味がある方は以下のサイトも是非どうぞ
https://veritas21.com  『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅のプランナー』



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プロヴァンスを巡ろう 24 <エックス・アン・プロヴァンス といえば ポール・セザンヌ>

2020-12-11 00:03:33 | 素晴らしき世界/フランス/プロヴァンス
『サント・ヴィクトワール山』



『ポール・セザンヌ』
この「エックス」の街で生を受けた

そして
終盤この地に戻り
エックスで亡くなった


ロトンドの噴水広場のすぐ横
観光案内所の前に立つ『ポール・セザンヌ』

旧市街の歩道には
主だったゆかりの地に向かう道筋に


10cm四方ほどのブロンズのプレートが
埋め込まれている


こんな感じで


まず
彼の誕生から始めよう

セザンヌの生家のある建物

彼はこの家で生まれた
もちろんこの集合住宅の建物の中の両親のアパルトマンで
1839年1月19日

父親は有能な「 帽子」のセールスマンで
稼ぎを貯めて「クール・ミラボー」に自分の帽子店を開業

父親の帽子店のあった建物

商売はうまくいき
かなりの蓄財をしてエックスの街の銀行を一行買い取った

『セザンヌ・エ・カボッソル銀行』所在地(当時)

共同経営から
単独で銀行のオーナーとなる

セザンヌ銀行の当時の所在地

彼はリセ(中高学校)で
パリから来ていた一学年下の『エミール・ゾラ』と出会う
ゾラは生涯の友で良き助言者となった

『Lycée Mignet  ミニエ高校』

このリセは
17世紀ルイ14世の御代に創設された旧王室高等学校
名門校である

その後
ポールに銀行を継いで欲しかった父親は
息子を「エックス・アン・プロヴァンス大学」の法学部に行かせる

彼が籍を置いた法学部


石畳に
「旧法科大学 ここでセザンヌは学業を収めた」
という銘板がはめ込まれていた

しかし
絵を描くことに興味を覚えていたポールは
同時にデッサン学校にも通った

その頃父親は
街中の2軒のアパルトマン以外に
街のすぐ東に
くつろぐための農場屋敷を所有して
そこでも暮らしていた
『Bastide du Jas de la Bouffan  ブッファン農園』
Bastide も Jas も 街の外の農場屋敷をを意味する



若きポールは
家屋に何面かの壁画と父親の肖像画を描いている

『エヴェンヌマン紙を読む父の肖像』

この屋敷は
父親の死後ポールの意思に反して家族が売却しているため
中の壁画が現存するのかわからない
数年来修復工事で閉館中

この
旧市街から一歩外に出ただけの位置にある
いわば別荘のようなこの屋敷がポールは大好きだったらしく
エックスに戻った後も頻繁に滞在し
屋敷と庭園とを
多くの油彩画と水彩画に書き残している

彼は「法学部」に馴染めず悩んでいる頃
すでに実家のパリに帰っていた「エミール・ゾラ」による
何度もの手紙での励まし
「パリに出て絵を学ぶべき」との説得で大学を止め
パリに出る

そこからの複雑な画家としての歩みは今回は割愛させていただくが
若手からは尊敬を受けながらも
主流派である「アカデミー」の支持は受けられず失意の連続
年齢とともにパリの気候に馴染めなくなった彼は
結局
エックスに引き上げてきた

父親の遺産を相続して生活に困らなくなり
終盤の彼の制作活動のテンポは凄まじい

まず
自分のアトリエ用に家作を一軒構える

大好きな『サント・ヴィクトワール山』の方向へ街を出るあたりに
『Atelier des Lauves  アトリエ・デ・ローヴ』
と名付けられた
Lauve に四阿(あずまや)という意味がある


通りから小さな門をくぐるとすぐ建物
敷地は広大な雑木林になっており木々が邪魔して正面全景の写真は撮り様がない




玄関を入って入場料を払い二階に登ると
アトリエ


ポール・セザンヌ生前の状態を留める努力が
なされている
右の家具の引き出しは自由に開け閉めできて
中に
彼の直筆の書簡や出生証明書
当時の写真や新聞記事などが収められている


彼の静物画のモチーフでよく知られる
林檎やオレンジなどは月一くらいで取り替えている様だが
それ以外の展示品は
全部
生前の本人のもの






画家は人体描写の勉強のために「解剖学」を学ぶ
そして
頭蓋骨は聖書の絵画のモチーフにも使われるので
かなりの画家は所有していた


それを
そっくりそのまま描いている




このアトリエを出て
少し上り坂を行くと展望台がある


見張らせる遠方の村や『サント・ヴィクトワール山』を
描いた方向が示されている

そのまま街を出て
『La Route Cezannne  セザンヌ街道』
と呼ばれる街道を
例の赤いオークルの土壌の松の森を通り抜けながら東へ10kmばかり
20分ほど曲がりくねった道に車を走らせると
『Le Thoronet  ル・トロネ』という村がある

『Château du Tholonet  トロネ城』

この村にある美しい城は
現在『プロヴァンス運河会社』の本社機能が置かれている

南仏は
古代ローマ以来運河が発達していて
別の機会に触れることにしよう

道のすぐ脇に
いきなり風車小屋が現れる


現在は使われておらず羽根もないが
中を見学することができる

ここからさらに15分くらい行くと森や林が途絶えて
田園となる

そして
この「光景」が現れる

『Montagne Sainte-Victoire  サント・ヴィクトワール山』

もちろん
エックスの『アトリエ・ローヴ』近くの展望台からも遠景で見えるが
彼は
体調が良い時はここまでやってきては
色々な角度から
計20点ほどの油彩と無数の水彩画とを残した

『Montagne Ste Victoire vue du Carrieres de Bibemus 1897』

この絵は
『ル・トロネ村』からすぐ北側の
オークル採石場『Bibemus』から見た角度で描いたもの

その近くに『Château Noir  シャトー・ノワール』という
小さな古い城があり
それを含めた角度の絵も何点かある


そのシャトーを彼は買い取りたかったが
直前で他の人に飼われてしまった

この辺りで制作に励んでいる時は「ル・トロネ村」の旅籠に滞在した


その旅籠は今
『Auberge Cezanne  オーベルジュ・セザンヌ』と
名乗っている

この村には
セザンヌの頭部のレリーフを飾った石碑もある


そして
エックスのロトンドの噴水の広場近くにあったのと同じ
セザンヌの銅像が
もう一体置かれている



彼は
パリとその周辺での制作活動を打ち切り
1890年頃にはエックスに腰を据えて地元での制作に励み
パリの官展には出品しなくなって
中央の画壇には全く彼の情報は伝わらなくなってしまう

そして
1906年10月23日
この建物で生涯を閉じた







中央画壇で否定されていた印象派の制作意識
の光と色彩の表現を
正統的絵画手法として
世に受け入れられるきっかけを作り出し
さらには
それにこだわり続ける姿勢に反発して印象派の仲間たちとの行動をやめ
ルネッサンス時代以来のテーマに回帰しながら
平面と輪郭線の影響を追求し
その後の
ピカソやブラックの『キュービスム』を生むきっかけを作り出すまでになり

不条理主義からアウストラクトまで
20世紀西洋絵画のほとんどの流れに影響を与える仕事をした

「ポール・セザンヌ」がいなかったら
絵画史は違うものになっていたはずだと
言われている

『Cathedrale Sint-Sauveur  聖救世主大聖堂』
での葬儀で送られ
街の『サン・ピエール墓地』
眠っている





= = = = = = = = = = = = = = = = = = = =
【お願い】
皆様方のご感想やご意見をお待ちしています
右下の「コメント」ボタンからどうぞ
https://veritas21.com  『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅のプランナー』









コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プロヴァンスを巡ろう 23 <いよいよプロヴァンスの首都 エックス・アン・プロヴァンス を訪れる>

2020-12-09 00:19:47 | 素晴らしき世界/フランス/プロヴァンス
『Fontaine de la Rotonde  ロトンドの噴水』


プロヴァンスの首都は
『Aix-en-Provence  エックス・アン・プロヴァンス』

その中心地への入り口にあたる広場が
ロトンドの噴水のある広場です

そこから
街で一番知名度が高い通り
『Cours Mirabeau  クール・ミラボー』
が始まる

『COURS』は
並木を伴う大通りの事を言います

ところでエックスの街は
別名「100の噴水の街」と言われます

このクール・ミラボーには
二つの苔むした噴水があります

噴水と訳しますが
「Fontaine』には泉とか湧水口
あるいは共同水場などの意味もあります

一つ目


ちゃんと水が流れ出ていますよね
これは昔からの湧き水を引いているのです

南仏の夏は強烈な暑さ
その時この噴水に手を浸すとひんやり冷たくて嬉しい

そして二番目


こちらは
水の出水具合がわかりにくいですが
何箇所かちょろちょろと水が垂れ下っている

また手を水に差し伸べると
なんと
ほのかに暖かい

実はこの地は
古代ローマ時代にアウグストゥスが好んで湯治に訪れて以来
湯治場として栄えた

ラテン語で水 AQUA と言いますが
そのアクアが鈍って
そのうち『Aix  エックス』という街名に
なりました

この噴水の水こそ
アウグストゥスが愛した温泉と同じ泉源からもたらされているのです

どちらも「苔むした」噴水ですが
この熱泉を特に
『Fontaine Moussus   苔むした泉』
と呼んでいます




この『クール・ミラボー』には
両側にお店やレストランやカフェが軒を連ね
エックスの市民にとって最も象徴的な場所なのです
日本人にとっての「銀座通り」
パリジャンにとっての「シャン・ゼリゼ大通り」

それらの中に
世界的に有名なカフェがあります
『Café des Deux Garçons  カフェ・デ・ドゥ・ギャルソン』


このカフェこそが
パリから故郷に帰ってきた『ポール・セザンヌ』が
入り浸った店だった


『カードをする二人の男』
このカフェでスケッチをした


ところで
ここ「エックス」のカテドラルにはとても大切な文化財が
残されています



正面屋根の上の大天使ミカエル像

この
『Cathédrale St Sauveur  聖救世主大聖堂』
の特徴の一つが
両面の壁で向き合う「二重連パイプオルガン」


もう一つが
「歴史的に重要な文化財」
なのです

古代ローマ崩壊以後
ゲルマンの諸族の跋扈で旧ローマ帝国領域が細分化し
文化が一挙に衰退してしまった西欧に
5世紀後半フランク族の王『クローヴィス』がローマ・カトリックに改宗して
『メロヴィング王朝』を立て
8世紀半ば
宰相(宮宰)ピピンによって『カロリング王朝』と変わり
旧西ローマ帝国の領土の大半を再統一し
次の王『シャルル』が
ローマ教会から『皇帝位』を授けられた事でローマ帝国の権威が再興
その
『神聖ローマ皇帝シャルル・マーニュ(カール大帝)』
ヨーロッパの基礎を打ち立てた

その頃の様式の『洗礼槽』が残っている

エックスのそれの起源はなんと6世紀



『シャルル・マーニュ(カール大帝)』
低地ドイツの地の湯治場を好み
『フランク王国』を打ち立てた際
最初の宮廷所在地(首都)となった『エックス・ラ・シャペル』
(独名アーヘン 蘭名アーケン)
に建てた宮廷大聖堂が
外側が円形で内側に八角形という形式


そちらは絢爛豪華だが
その起源がこの『エックス・アン・プロヴァンス』

まだこの頃の「洗礼」は
小さなプールに自ら浸かってなされた

八角形の槽
それを円柱が八角形に立てられて取り囲む形



この形式は
イタリアではルネッサンス時代まで受け継がれた


ミラノ大聖堂の地下
ロマネスク時代の洗礼槽の遺構



北イタリア
ピエモンテ地方のノヴァーラの例



フィレンツエ
名高き『花の大聖堂』の脇にある「大洗礼堂」は好例

この『エックスの聖救世主大聖堂』にはそのほか
地下祭室にも古い時代ロマネスクの頃の遺構が見られる


当時の祭壇とその背後の彫像とフレスコの名残



『聖ミートル』の「石棺」と
その上に「聖遺物」



壁面から四半ドーム天井のフレスコの名残


ここにも回廊がある


その
アーケードを支える二列柱が
何も装飾のないシンプルな円柱だったり
らせん模様だったり

門の太い柱は「ねじん棒』だったり



四角柱と円柱のペアだったり
多角柱と円柱の対だったり


シャピトー(柱頭)が無装飾だったり
組紐文様や人物の物語だったり



一箇所の門の太い柱の装飾には
「天国の鍵」を持つ
聖ペテロがいらっしゃった




大聖堂から外に出ると
広間の太陽は冬でも眩しい


カフェには人が鈴なり






中央に立つ像は
ロワール河下流域アンジューの大伯爵にして
プロヴァンス伯爵
その他
数々の王位爵位を併せ持った
『Bon Roi René  善き王ルネ』




旧市街は17世紀の家並みが続き


人気のない裏通りはとても良い感じ



旧大司教館は
今では『タピスリー博物館』になっている


最後に
エックスの誇る美術館をご紹介しよう
『Musée Granet  グラネ美術館』


地方都市の美術館にしては
規模も所蔵品も有数の見事さです






ただ
ご当地の美術館なので
『ポール・セザンヌ』の晩年の代表作
『Montagne Sainte Victoire  サント・ヴィクトワール山』
の連作のうち4点を所有しているのですが
ガラス越しで
光の反射と距離の不足とで
写真が撮れなかったのが心残りでした

『サント・ヴィクトワール山』に関しては
日を改めて別項目を立てようと思っています

最後に街のもう一つの名物もご紹介
15世紀半ばに期限が遡る「銘菓」です
『Calissons d'Aix-en-Provence (カリッソン)』


クール・ミラボーに店のある老舗『Léonard Parli』のもの

アーモンド・パウダーに
各種ドライ・フルーツを砕いたものと砂糖混ぜ込んで生地を作り
上を白砂糖でコーティングしたものです

1450年代の「ルネ王」の二度目の結婚の披露宴に出された
菓子だった

十字軍での中東との触れ合いが
ヨーロッパ人に「アーモンド」をもたらし
最後の十字軍主唱者ルイ9世と同時代のルネ王にとって
時期を得たな菓子だったはずです
その後は
地元の「ベネディクト派修道院」が細々と作り続けて
収入源にしていました

量産(と言っても手作りです)が可能になった19世紀から
カリッソン専門の菓子屋が登場

その最古参が
『Maison Bremond』


店の日よけに「1830年創業」と
誇らしげに謳ってます


店内も歴史を感じさせる雰囲気です

20世紀初頭には20数軒あったらしいカリッソン専門店も
今では8軒くらい
でも未だに
毎年9月の第一日曜日に『カリッソン祭り』が行われます
= = = = = = = = = = = = = = = =
【お願い】
皆様方の「ご感想」「ご意見」「ご要望」「その他何でも」を求めております
右下「コメント」
「コメントを送信する」
「記入フォーム」
不正アクセス対策の数字を打ち込んで「送信」
「お名前」の欄は実名でなくても構いません
以下のサイトもご覧ください
https://veritas21.com  『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅のプランナー』


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プロヴァンスを巡ろう 22 <紅蓮の炎に燃える村 ルシヨン を訪れる>

2020-12-07 00:37:47 | 素晴らしき世界/フランス/プロヴァンス
土壌全体が赤い「オークル」のルシヨン一帯


『Massif du Luberon  リュベロン山塊』の一角には
赤い土壌の土地があります

日本画の絵の具である『泥絵の具』の
赤や黄色の原料を
「黄土」
と言います
フランス語で『オークル』
英語では「オーカー」

地中海沿岸地帯の土壌はオークルであることが多く
その土地その土地で色合いが微妙に違い
薄い「黄土色」から
真っ赤な「緋色」まで
様々です

そこで
地中海沿岸諸国は
家屋の外壁を
歴史的にその土地のオークルで塗ってきた

ギリシアなど
極端に夏の太陽が強烈な土地では
熱を遮断するために生石灰で白く塗るけれど


丸ごと真っ赤なオークルの丘にある
『ルシヨン村』は
結果として「真っ赤」なのです

丘の麓の方は
比較的新しく広がった新村域
それで
新しい建物も結構あって
家ごとに違う色のオークルを塗ったりしているものの


村の中で上に行くほど
赤くなる






しかも
下の方は3階建などもあるが





上に行くほど
家屋の背が低くなり
赤が心なしか濃くなっていく










そして
旧村域に入る「赤い門」を入ると


あとはもう
ただひたすら赤い

まず
今の門の内側が


あとは家屋の数がまばらになり
小さくなり
赤 赤 赤
となる




そして
丘のてっぺんは広い平らな草木の茂る空間

その端から
反対側を見晴らすと
ガイドブックで有名な光景が現れる


そして
さらにその先が


 世界に名高い光景の写真が
あなたにも写せます

真っ赤なオークル剥き出しの断崖

これぞ『ルシヨン』なのです

村の周りは


ほんの少し行くと
山林の中のあちこちに
オークルの剥き出しの「鉱脈」を見ることができます



こんなだったり


こんなだったり


またまた
こんなだったり


もっともっとあります



こんな
妙ちきりんな姿をしたのやら



一箇所で
何色もの「オークル」のヴァリエーションを
見ることのできるポイントです

当然
この辺りは
「オークル採掘・精製工場」もあって


採掘跡のトンネル

そこが運営する
『エコミュゼ』もあり子供達に人気です









いかがですか?

かの孫悟空が身を焦がした「火焔山」もかくや
と言わんがばかりの
『ルシヨン村』
一生に一度は訪れてみたいですよね



プロヴァンスは
もっと素敵なところが沢山あります
だから
このシリーズは
もっと続きます
お楽しみに
= = = = = = = = = = = = = = = = = =
【お願い】
皆様方の「ご感想」「ご意見」「ご希望」「あーしろ こーしろ」などをお待ちしております
お名前は実名でなくとも構いません
ご自身のSNSのアカウント名
ハンドルネーム
あだ名
世をしのぶ仮の名
「通りすがり」でも
OKです
右下の「コメント」ボタンからどうぞ
旅行方法などのの実態のご興味のある方は以下のサイトもご覧ください
https://veritas21.com  『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅のプラランナー』



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プロヴァンスを巡ろう 21 プロヴァンスのみならず 地中海世界全体の4千年来の家造り技術 <ボリーの秘密に迫る>

2020-12-04 00:50:47 | 素晴らしき世界
ボリーの村



ゴルド村からセナンク大修道院へ向かう途中の
小さな村々を横切って奥に入ると
『ボリー村』がある

そこのご案内をする前に
「ボリー」についてご説明しておこうと思います


地中海世界には
石器時代から同じ技術で作られ続け
19世紀ほどまで現役だった石造り家屋の技術がある


南仏で
山林まじりの田園や丘陵地帯を走っていると
木陰にチラリと見える石の塊みたいな小屋に
気づくだろう

気がついたら気になって眼で探していたりする

その姿は


セレスト村のボリー

ニット帽をかぶってるみたいだったり


ラルバンク村のボリー

三角帽子をかぶっていたり


ゴルド村のボリー

幾つかが寄り添っていたり


ジュック村のボリー

平たくて
屋根に草が生えていたり


ロドルティエ村のボリー

規模が大きかったりする


このような
石造の小屋をプロヴァンス語で
『Borie ボリー』
と呼びます



新石器時代から変わらず継承されてきた建て方で
19世紀まで現役でした


最初は極めて原始的な一家族単位の住居として始まり
その後
それらを繋いで複数家族の集合住居になり

やがて
それらに食料倉庫なども備えて円形に繋がって閉じこもり
城壁で囲んだ砦のような城塞集落にまで
発展していった

例えばこれは

ポルト・ヴェッキオ『Casteddu d'Araghju』

コルシカ島南部ポルト・ヴェッキオという港町の背後の山頂にある
紀元前2000年の集落砦の遺跡です

このコルシカの例は
海賊の襲撃を避けて数百mの山頂に作られた
10数家族の集落砦の跡







海が一望できる
標高300mほどの低木しかない山の頂に
すでに4000年間
ずっとここにある遺跡です


ボリーの特徴は
ブロックではなく平たく切った石を
セメントやモルタルなどの接着剤を用いず
ただ積み上げずらして行くだけで
壁から天井(屋根)まで一体構造であること


接着をしない
つまり

つなぎという湿った成分を使わないので
『乾積み(からづみ)』
と言います

天井は
接着しない以上丸いアーチは難しいので
とんがり帽子型が多くなる




柱がなく
一つの空間で天井の重みを支える必要があるため
壁はかなり厚くなる
というのが共通点

それらのボリーは
中世以後はさすがに住居は少なくなってゆくが
一年の半分は放牧地に出て羊の群れとともに寝起きする羊飼いが
要所要所に私物を置いておくために使ったり

農民が
農作業の道具を置いたり
帰宅できない日に臨時に泊まったりするために
さらには
猟師が
何日も獲物を追って山を歩く時の寝ぐらなどに
使われていたもの

19世紀まで
同じ作り方で建てたり使い続けてきたが
その後
打ち捨てられてしまった


未だに現役で残る
もっとも名高い場所が
南イタリアの『アルベロベッロ』だろう




ここ『アルベロベッロ』の場合は
壁の外側も内側も
漆喰で塗り固めてあるが
構造自体は「乾積み」なのです
住居の集合体として大規模な町を形成し
19世紀以降打ち捨てられて
20世紀に修復して「観光的な売り」として復活した

フランスでも
プロヴァンス地方だけではなく
上の方ですでに挙げている通り
南フランスでは
まだ結構残っていて
所在地の自治体の文化財に指定されていたりもする

ブルイユ村のボリー

ブルイユ村


サン・ミッシェル・ロプセルヴァトワール村のボリー


ミュール村のボリー



ギャビユウ村のボリー


シャンピリット村のボリー


さて

ゴルド村の近くに
プロヴァンス全土から放置されていたボリーを修復して移築をした
場所があります
『ボリー村』と呼ばれているのです

上述した通り
丹念に探せば南フランス各地に数多く残っているはずのボリーですが
たった一つを見るために
延々とあちこち旅行するわけにもいかない
いうことで
ゴルドの「ボリー村」は有意義です

綺麗に建て直してありますが
全部本物


しかも
大人数の家族で暮らしたであろう大型のボリーが
結構数多集めてあるのが良い





数軒が繋がったタイプも





一部二階建ても



これも二階建て
その場合必ず外階段



入り口のアーチを間近で見ると
改めて
教会建築などのように
一個一個を必要な位置ごとに形状を計算して
木型に合わせて切った「テーラード・カット」ではない
『乾積み』
ならではのずらし方も理解できます



この奥はかまど



物置用の棚も残っている








細々とし日用品の数々


生活感がよくわかります





敷地の囲いにも
薄く対話に割った石を「縦に」並べてある



ボリー村の敷地全体を囲む塀も
同じ作り


いかがですか


すでに書いた通り

近代ではほとんどが
猟師や羊飼いや農民の仮設住居として利用されていただけだった
とはいえ

おそらく石器人も18世紀末に近代の人間も
地中海沿岸諸国の山地の民は
同じような生活をしていた部分があったことは
非常に興味深いです

ではまた次の目的地にご案内書ましょう
= = = = = = = = = = = = = = = =
【お願い】
皆様の「ご感想」「ご意見」「その他なんも」おしらせください
実名でなくとも全く構いません
SNSのハンドルネーム/アカウント・ネーム/世をしのぶ仮の名/ニックネーム/源氏名
なんでもOKです
右下の「コメント」ボタンからどうぞ
旅行の手配などの実際にご関心のある方は以下のサイトにもお寄りください
https://veritas21.com  『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅のプランナー』

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プロヴァンスを巡ろう 20 <プロヴァンスの代名詞ラヴェンダー畑で名高い セナンク大修道院 と ボリーの村>

2020-12-02 00:00:02 | 素晴らしき世界/フランス/プロヴァンス
セナンク大修道院


プロヴァンスには
三つの最重要な大修道院がある

『Abbaye de Sénanque  セナンク大修道院』
『Abbaye du Tholonet  ル・トロネ大修道院』
『Abbaye de Silvacane  シルヴァカンヌ大修道院』
です


まず今回
丘の村ゴルドのすぐ近くにある
「巻頭の写真」であまりにも世界的に名高い修道院をご紹介しよう
『Abbaye de Sénanque  セナンク大修道院』
です

街道が高地を通っていて
谷地にある修道院に近づくと下り坂になり
その途中から
全景が俯瞰できます


アップにするとこうなりますが


建物群の右側の
未だ緑の部分が紫色一色の時期に来れば
目を疑うような
この世のものと思えない美しさです



下り坂を下りきると
こんな感じで低地に到着


そして
この角度で近づいて行くことになります

あとは


訪問の季節
時間帯
天候
などによって

こう見えたり


こんなだったり


百変幻の光景です

このセナンク大修道院の教会は


『Abbaciale Notre Dame de Sénanque  ノートル・ダム大修道院聖堂』
という名前です

聖堂内部は


それなりに大きく


平面図上十字架形の交差部の天井が高く
左右に紐が垂れ下がっているのが
お分かりだろうか


この
交差部の屋根の上は「鐘楼」が有って
ミサの時に
修道僧がこのロープを引っ張って
鐘を撞くのです


修道院である以上
『回廊』が必ずあります


その四面の壁のうち
一面
内側の部屋に素通しになっている壁があり


その内側の部屋が
『Salle des Chapitres  運営会議の部屋』


週に一回
主だった修道僧が全員集まって
周りの三段のベンチに座り
前の週の反省と次の週の目標と
定めるのです


今の時代は
修道僧の数も限られて
半円形に並べた椅子で用が足りるそうですが

その回廊から上階に登れます


通常
上階には
「書庫」「写経の間」「宝物殿(聖遺物の間」
などと並んで
『大寝室』
があります


こんな階段もある


12世紀半ばに作られたこの修道院は
最も戒律の厳しい『Sistercien  シトー会』に属しているので
個室などはありません


天井の痛みが
胸を痛める


『大食堂』
今は見学者は入れません

なぜなら未だに現役の修道院だから
ですが
特別に


通常
この写真は撮ることはできません
(修道院から特別にいただきました)




言うまでもないことですが
ラヴェンダーが伸びていない時期に来ると
とても寂しい光景です


春の訪れとともに
ラヴェンダーも息を吹き返します


そして
6月半ばから7月一杯の一月半ほど


この『眼福』を
堪能できるのです


この後に併記を予定していた
『ボリーの村』
次回に回します
= = = = = = = = = = = = = = = = =
【お願い】
皆様のご感想やご意見をお待ちしています
右下の「コメント」ボタンからどうぞ
実名でなくても
ペンネームでもSNSのハンドルネームでも構いません
旅行の実態にご興味の方は次のサイトもぜひ!
veritas21.com  『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない 旅のプランナー』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする