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ブルターニュ紀行 36 < カルナック の 巨石列柱遺跡 > 

2021-04-26 00:37:49 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ
巻頭写真 : カルナックの『Alignements 巨石列柱』

荒海と信仰とケルト文化と古代巨石文明と
フランスにあってフランスではない異世界を訪れる
36


今回は全編「石だらけ」の回となります
というか
「石しかない」お話です

おさらいです

①「Menhir メンヒル」
直立させた一本の長い一枚岩

『Menhir de Kelhuit à Groix』
「ロリアン」沖にある「グロワ島」の『ケルユイットのメンヒル』

メンヒルの場合
地中に埋まっている部分が正確に何メートルあるのかはわかっていない
何トンも何10トンもある細長い石を直立させる為には
それなりの基礎部分が必要であるが
数千年経ているのに掘り返して倒れると元も子もないので調査しない


②「Dolmen ドルメン」
両側のメンヒルの上に一枚岩を渡した形のもの

『Dolmen de Kélarn ケラーンのドルメン』
「法悦の聖母礼拝堂」をご紹介した「Penmarc'h ペンマーク」近くの
「Plobannalec-Lesconil」周辺にあるドルメン


③「Tumulus テュミュリュス 又は Cairn ケルン」
ドルメンを長くつなげて
その上を石のブロックを積み上げて覆ってしまったもの

『Tumulus Saint-Michel サン・ミッシェルのテュミュリュス』

カルナック地区にあり
時代とともに土で覆われたままのテュミュリュスとしてフランス最大

『Cairn de Table de Marchante ターブル・ド・マルシャンのケルン』

これは方面を覆ってしまっていた土砂をとりのぞき石積みだけの
当時の状態に戻したもの


④「Allée Couverte アレ・クヴェールト(覆われた列柱)」
チュミュリュスの覆いがほぼ消失し
トンネル状の「通路」だけが現存するもの

『Allée couverte de Locmariquer ロクマリアケーの覆われた列柱』

多少の覆いが残ったタイプ

『Dolmen (Allée couverte) de Landivisiau ランディヴィジオーのドルメン』

完全にむき出しのタイプ
この「ランディヴィジオー」は2月25日にご紹介しているが
「ドルメン」に関しては書いていません

これら
「テュミュリュス」と「ケルン」
及び
「アレ・クヴェールト」と「ドルメン」
昔から地元で呼ばれてきた呼び名が名称になっており
厳密な区分はない


⑤「Alignements 列石柱」
メンヒルを限りなく並べたもの

『Alignement de Carnac カルナックの巨石列柱』

朝霧の中の列石です


⑥「Cromlec'h クロムレック」
メンヒルを円形に並べたもの
イングランドの「ストーン・サークル」など


では
改めて『Alignements de Carnac カルナック巨石列柱』に話題を戻しましょう

この遺跡は構成される建てられている石柱の総数で世界に類を見ない


『Maquettes du Site Ménec メネック地区』 提供 : カルナック観光局

写真に写る右側の円形の建物は案内所で
屋根上のテラスに登って見ることができるが全体像など全く把握できない

「カルナック列柱遺跡」は
数百メートルずつ離れた三箇所のサイトの総称で

『Ménec メネック』
100m x 1160m メンヒル11列1099本
『Kermario ケルマリオ』
100m x 1120m メンヒル10列1029本
『Kerlescan ケッレスカン』
139m x 355m メンヒル13列555本

で成り立っている








各メンヒルは
高さ 5m〜50cm
周囲 1抱えから5抱えくらい


こんな「密」な部分もあったりする


言うまでもないことだが
これらの各メンヒルは全部一枚岩


 そして
「誰が」「いつ」「何のために」
造ったのかわかっていない
推定で紀元前3000年頃というのが研究者たちの共通認識となっている


なぜなら
放射性同位元素アイソトープで年代測定をしても
石の場合は「生成時代」は推定できても「加工された時代」の推定はできない
周辺地域にある文様が彩色されたテュミュリュスの内壁などを参考に
それらの顔料の分析から
「それと同じ時代に作られたに違いない」と思い込むしかないのだから


「何のために」
には昔から喧々諤々様々な推測が飛び交ってきた
-祭祀に使われた神殿だ
-権力者の力の誇示だ
-暦だ
-権力者の墳墓の一部に違いない
-宇宙人の仕業だ
云々

「古代の部族間の戦争で片方の王の力で敵兵を全員石に変えてしまった」
などという伝説すらある


「メネック」地区の一番起点の位置から遠くなるごとに
石の高さが概ね低くなっているが
これも
5000年の時の流れで
自然崩壊したり
壊されたり
倒れたり倒されたり
城を作るための石材として持ち去られたり
道路を作る際に撤去されたり

それ以前に
およそ規則的な形に切った石を並べたのか
手に入る石をそのままの形で大きさの順に並べたのか
詳しいことは全くわからないし
調査の仕様もない


人が写っているので石の大きさをお分かりになれると思う


左のメンヒルは
相当巨大で会ったらしいが斜めに割れて上半分は地上にある
人の手で割られなければ自然に割れることはないのだろう






この家の住民のご先祖は
家作の周囲の石は取り払って敷地を整備士畑も作ったのだろう
今では国の重要文化財でユネスコの世界遺産の一部になってしまっている





この列柱遺跡の三カ所のサイトからやや離れて
同じ「カルナック遺跡群」の一つで
『Tumulus Saint-Michel サンミッシェル(聖ミカエル)のテュミュリュス』
がある



この丘全体がテュミュリュスで
長径120m 短径60m
高度差は15mほどにも及ぶ結構な規模

頂上に「聖ミカエルの礼拝堂」を立ててあって
いつからか「サンミッシェルの丘」と呼ばれていたらしい
おそらく
誰も知らないくらい古い時代の墳墓だということは住民達は知っていて
丘全体を聖ミカエルに捧げて
悪しき現象が起こらないように鎮めたのではなかろうか


高さと方向の違う二箇所に入り口が見つかっており


それぞれ別の玄道を通って
中に一つある玄室につながっている
一枚目の写真の入り口からの玄道は上り坂になる

 『内部見取り図』 現地案内板を撮影

いずれにせよ
内部は公開されていないが
玄室からは20個ほどの石櫃が見つかり副葬品があった
それらの分析により
これは新石器時代紀元前4500年頃の墳墓である事が分かっている
ギザのピラミッドより2000年古いことになる





礼拝堂とカルヴェールは16世紀のもの



この階段は
特に下の方が痛んで崩れやすいので普段は坂道を登ることになっている




例の「泉」は下にあった


※  ※

やや離れてもう一箇所別のテュミュリュス
『Cairn de Kercado ケルカドーのケルン』

入り口は1m位しかない


しかし玄道はすでに立って歩ける高さがあり


玄室は天井高2m



そして判読しづらいが
側面には線刻文様が見て取れる


出口を振り返ると誕生が低くなる



ほぼ正円のこのケルンは紀元前4670年頃
実に古い

※  ※

また『Dolmens de Kerioned ケリオネッドのドルメン群』
ここには4基のドルメンがあり
そのうち最初のドルメンは8枚の左右のメンヒルで支えられ
内側に
非常に単純化された「斧」や「盾」や「渦巻き模様」等の線刻画が鮮明に見える







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