行ってみませんか... こんな 素敵な世界へ

好奇心旺盛な長年の体験で、行って、見て、食べて、泊まった素敵な世界を、皆んなにちょっぴりお裾分け...

プロヴァンスを巡る 55 東プロヴァンスの山の村々を訪ずれる 5 <城と森と治水の村 モンス>

2021-02-03 00:46:35 | 素晴らしき世界/フランス/プロヴァンス
『Château Moderne シャトー・モデルヌ(現代城)』


「ファイアンス」や「モントールゥ」などの村々が東西に連なる位置から
さらに北へ数キロ離れて独特の村がある
『Mons モンス村』

旧集落(Village ヴィラージュ)は例によって丘の上のこじんまりした村だが
村域は結構広く(これまでの他の村々も同じ)
起伏の多い山並みと
それぞれの頂に残る石器時代の要塞集落の遺跡と
広い森に点在するいくつかの「字(あざ)」にある城
それらの城や集落に給水した給水システムなど
興味深いものが数多く残っている

全景の俯瞰

右端に見えるのは
『Château Moderne モデルヌ城』
その名の通り
古い歴史はない様だ
役場と公民館(集会場)が使っている


教会は細長い楕円形の旧城壁内の村域のほぼ中ほど


『Eglise Notre Dame de l'Assomption 被昇天の聖母教会』



集落の中は










旧村落域(ヴィラージュ)周囲の広大な森と山々には
新石器時代以来の遺跡が数多い

『Dolmen de Peygros ペイグロ地区のドルメン』

『Dolmen de Saint-Marcellin サン・マルスラン地区のドルメン』

Villard の環状防壁集落の跡

Oppidum de Roubies ロゥビィの防壁集落の跡

Castrum de St-Laurent  サン・ローラン防壁砦住居群の跡

中世の切石積みのボリーや集合住居の跡も各地に

ルーキエール山中の羊飼い小屋

ブラキエール山中の羊飼い小屋

ブリオーグの石積み小屋
最近まで使われてきたようだ

同内部

カンペストルの石積み小屋ボリー

そして

『Château de St-Marcellin サン・マルスラン城』

サン・マルスラン城への給水の水源池


ヴィラージュ周辺の城の中で最も保存状態の良いものが
『Château de Beauregard ボールギャール城』

Photo by @survoldefrance



山中の水源から城に水を供給する水道
現在はパイプが通してある


城の敷地内の地下水道の一定の距離ごとに
点検のための縦坑が並んでいる

城側の取水口


『Château de la Lubi ルービ城』

ルービ城の地表部水道

ルービ城への給水水道暗渠部の点検用開口部

城側の受水槽

城はなくとも
集落ごとの水道が残っている

『Aqueduc de Riens リアン地区の水道』


同 内部

現代に拭き直した天井部分


水源から地区までの地下水道の途中にある井戸

『Chapelle Saint-Pierre ou San Peyre de Riens リアンの聖ペテロ礼拝堂』

モンス周辺には水源がいくつもある

ネッスゥン地区の水源


ローマ時代の貯水ダムと分水口が
時代とともに修理されながら今日に伝わっている

それぞれの城や教会のある集落に給水された



各地区(集落)には
それぞれの水場や洗濯場もある

『Basson de Bourigailles ブーリガイユ地区の水場』

『Puis de Frigoure 1 フリグゥル地区の井戸 1』

『Puis de Frigoure 2 フリグゥル地区の井戸 2』

『Puis de Frigoure 3 フリグゥール地区の井戸 3』


『Fontaine de la Ferme de Villard ヴィラール地区農園の水場』







水車を持つ集落もある
この水車は水が跳ねないように覆いがしてある

このモンスの自治体圏にはいくつものローカルな城がある

『Château d'Esclapon-Bas 下エスクラポン城』


※  ※

最後にもう一箇所
『Cabris カブリ村』


この村は
一番高いところは標高760mを超える
ちなみに自治体域全体で最低は250mほどと高低差が激しい

11世紀建設の戦国時代の城塞があったが
プロヴァンスの君主でナポリの王だった『ヨアンナ女王』の時代
16世紀に戦乱で破壊された


城址はそれでも重文



城の残存部を利用しながら建てられた後世の建物が
美しく修復されて
ホテルに利用されている




そして
集落内外に美しい教会や礼拝堂が数多い

『Eglise Notre-Dame de l'assomption 被昇天の聖母教会』





『Chapelle Saint_Sébastien 聖セバスティアヌス礼拝堂』






『Chapelle Sainte-Magueritte 聖マルグリット礼拝堂』




『Chapelle Saint-Jean-Pape 教皇と聖ヨハネ礼拝堂』


この礼拝堂は
2017年に完全レストアされた
正面にも側面にも後部の壁にも
石のひび割れを止める「かすがい」がはめ込まれている
側面の下部にオリジナルの石組みが見える
建設当時は
背後の斜面はここまで崩れてはいなかったのかもしれない


『Chapelle Saint-Jean 聖ヨハネ礼拝堂』

家並みはといえば









『時計塔』

周辺部には共同洗濯場も残っている


さて
55回も続いてしまったプロヴァンス巡りは
一旦ここで終止符を打とうと思います
このすぐ近くに
プロヴァンス最東端の名所『カンヌ』や『グラース』があるが
それは後日
『ナポレオン街道』でご紹介しようかと思っています
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
ご感想やご意見ご要望などをお待ちしています
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プロヴァンスを巡ろう 54 <東プロヴァンスで 後背地の山の村々を訪れる 3>

2021-02-02 00:16:09 | 素晴らしき世界/フランス/プロヴァンス
トゥーレットの『Château du Puy シャトー・デュ・ピュイ』


昨日の「ファイアンス」に隣接するように
もっと小さな丘があって
そこにある村


『Tourettes トゥーレット村』


丘の上の
ふる〜いお城の跡にいつの頃か塔を建てて時計塔にした
その塔が
村の名前「Tourette  小塔/かわいい塔」の由来
なのではなかろうか

しかし実際にはそうではなく
この地に城は無かった模様
城塞を形作るほどのしっかりした切石の残骸もない

城には二つの塔があるが
19世紀のナポレオン時代の城なので村名にはなりえない

『Château de Puy ピュイ城』





ナポレオンが
ロシア国内の道路網の実情その他戦略的情報収集のために
サンクト・ペテリブルクに派遣した武官が
30年のロシア滞在から帰国する際に
滞露中に集めた絵画や美術工芸品を飾る博物館として使える様に
城を建設した
サンクト・ペテルブルクの陸軍士官学校をモデルに設計したが
本人の生前には完成しなかった


従って
裏側から見てみると
正面左右の角塔の内側は作られていない事がわかる




それよりこの村は
フタコブラクダのような二つの起伏の
小さい方の頂上を『ピュイ城』が占めており
大きい方の丘が集落で
その天辺が『時計塔』という構造

教会は集落の丘のやや下の方




『Eglise Saint-André 聖アンドレ教会』























ところでこの『トゥーレット村』は
殆どの民家が非常に高いレベルで修復されている
ヴァカンス時期は千客万来なので
地元に落ちるお金も多く
自治体主導で建物のレストア(修復)を積極的に行ってきたことが
観て取れます

この
隣同士の二つの村『ファイアンス』と『トゥーレット』の
供用飛行場がある
「空港 Aéroport」ではなく「飛行場 Aérodrôme」

『ファイアンス=トゥーレット飛行場』

ターミナルビルのなんと可愛いこと
もちろん定期便などはありません
飛行クラブが使っていて
あとは報道ヘリやらいろいろ不定期に利用されているらしい


※  ※

「トゥーレット」から東に3〜4kmで
『Callian カリアン村』
に至る

『Château de Callian カリアン城』

11世紀に築城され
今は両側の丸い塔が12世紀と13世紀の部分
大部分は16世紀に「プロヴァンス・ルネッサンス」様式で改築

南側正面と裏側北面や西側では
かなり印象が違う

南側

西側






城の北東のはずれ(しかしすぐ近く)に
教会がある
写真の三角尖塔屋根の四角い高い塔がそれ

Photo by ⒸGoogleMap

右上の細長い長方形の建物が教会

『Eglise Notre-Dame de l'Assomption 被昇天の聖母教会』



『Place de l'Eglise 教会前広場』








噴水(水場)





※  ※

東に10kmほど行くと
『Montauroux モントールゥ村』がある

非常に美しい城館が名高い

『Château de la Colle Noire コル・ノワール城』

なぜ名高いかというと
『クリスティアン・ディオール』の所有だったから


城の歴史自体
それほど古くはない
建設が19世紀後半で20世紀になってやっと完成したようだ

戦後
敷地が100ヘクタールを超える広大な城が痛んでいて
維持が難しくなりかかっていた時
1950年にクリスティアン・ヂオールが買い取った


彼は
城本体も丁寧に修復し
各お部屋を入念に装飾していきながら
自分の作る香水の根底をなす花畑を庭園に植え
陽光を反射する池
鈴蘭や
薔薇や
ラヴェンダーなど
さらには
葡萄
アーモンド
オリーブ
等を精力的に植えていった


北部ノルマンディーの生家も
庭に特別の花壇を作って
四季折々に花に囲まれる環境を作っていたが
ここ
南仏のプロヴァンスを殊の外好み
「私の家」
と呼んで丹精して飾っていった


結局
彼は1957年に神のもとに旅立ち
「我が家」の完全な感性を見ることはなかった

その後
クリスティアンの遺族から
『Parfum Christien Dior』(香水部門の会社)が買い取り
クリスティアンがパリを離れて滞在中に
暮らした頃のままに再度修復された









現在
パッファン・ディオール社のパーティーや
顧客筋などの接待用ゲストハウス
それに
文化と芸術のランダムな集会やワークショップや合宿
などに開放されている




旧村落はといえば


頂上の平な丘の上に
起伏の少ない集落を形成している

一番最初の部分が一つの礼拝堂を取り囲んで円形の家が並んでおり
その南につながって
後から開けた部分が長方形に延びているので
まるで前方後円墳の様な輪郭

Photo by @GoogleMap

礼拝堂と
その前の敷地を囲む石塀がわかります

『Cjapelle Saint-Barthérémy 聖バーテレミー礼拝堂』


鐘が正面ではなく後ろ側の屋根の上にある

そしてややこしいことに
この「礼拝堂」と同じ名前で「教会」もあるんです

『Eglise Saint-Barthérémy 聖バーテレミー教会』





村の様子も



=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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プロヴァンスを巡ろう 53 <東プロヴァンスで 後背地の山の村々を訪れる 2>

2021-02-01 00:16:09 | 素晴らしき世界/フランス/プロヴァンス
『セイヤン村』 外周の家並み


昨日に続いて
『エストレル海岸』後背地
海から20kmほどの山地に東西に点在する村々を訪ねよう



『Séillans セイヤン村』

11世紀の天守(円形の塔)と12世紀の城郭
及び
11世紀のロマネスクの教会
を持つ
中世の村そのもの


一番高いところは城

『Château de Séillans セイヤン城』



『Porte Sarrasine サラセン人の門』

城門は複数残っているが
これは「サラセン人の門」と呼ばれている

預言者ムハンマドの死後
わずか1世紀にして東は中央アジアから西はイベリア半島まで
大帝国を築いたウマイア朝は
ピレネーを超えてガリアの地に侵攻し
732年フランス中央部「トゥール」と「ポワティエ」の間で
大激戦の末「カール・マルテル」率いるフランス諸侯連合軍に敗れて
イベリア半島に引き返した
その流れで
地中海岸はイスラム(サラセン人)に占領されたり略奪されたりで
その時代の
イスラム建築(主に城壁)が残っている

だがしかし
この城門の名はサラセン人とは無関係
扉は内側に開くのがヨーロッパのしきたり
この門の扉はサラセン風に外に向かって開いたから

ここセイヤンは
一度もイスラムの襲撃を受けたことはないんだそうです


旧城壁内は
やはり坂道が多い







サラセン人の門




『サラセン人の門』は
本来あった城壁部分は無くなって
城門の部分だけが独立して塔の様に残されている


『Fontaine de la Place Thouron トゥーロン広場の噴水』


『Fontaine de la Place de la République 共和国広場の噴水』


村役場


Ivan Ivanov 作『ドラゴン』


『Place de Boucherie 肉屋の広場』

その昔
肉屋があったのであろう広場が今では寂しい限り





教会は白の反対側


右が城で
左が教会

正面上部

周り全部に建物が立て込んでいて
正面も側面も
全景を画面に入れられるだけ下がれる空間は全くない




旧城壁外に
非常に似た二つの礼拝堂あり

『Chapelle des Selves セルヴの聖母礼拝堂』


『Chapelle Notre-Dame de l'Ormeau オルモーの聖母礼拝堂』(重文)

この村を歩いている時
ある家の表に面白いものを見つけた


「猫にご注意」

猫を2匹飼っているおたくなのだろう
扉を無造作に開けないようにという注意か






※  ※

『Fayence ファイアンス村』


かなりの急勾配の斜面にへばりつき
等高線上に動線を持つ村

天辺は『時計塔』

『Tour de l'Horloge 時計塔』

おそらく古い城址の塔の再利用だと思われる
時計をつけたのが1708年か
一応鐘もつけるようになっている



城の残骸もある



教会は城より下の方にある



四角い塔が教会の鐘楼

もし左奥の小さな二つの四角い塔が判別できれば
すぐ隣『トゥーレット村』の城

『Eglise Saint-Jean-Baptiste 洗礼者聖ヨハネ教会』




内部写真は手ぶれで恐縮です
プロヴァンス共通の雰囲気

それから
この村にも上の「セイヤン」と同じ造りの礼拝堂もある

『Chapelle Notre-Dame des Cypres 糸杉の聖母教会』

正面玄関口の前に
屋根で覆われた張り出し「ポルシュ」が付いている
さらに変わっているのは
後陣(正面から入って一番奥の外側)に鐘楼が立つ




さらにこの村にも
『サラセンの門』がある



通りをまたぐ
アーケード型の村役場も既視感十分



結構な勾配の斜面なので
等高線に沿わない動線は階段か坂道




勾配の少ない等高線沿いの道路は車が走り
日常生活の商店や飲食店は
階段や坂道を歩いて

噴水(水場)もいたるところに





共同洗濯場

とっても素敵な入り口のあるレストランを
見つけました



集落域の外に
ローマの水道橋がかなり完全な形をとどめて
残っています


では
あと二回程この辺りの村をごい紹介して
『プロヴァンス巡り』を終わりにしようと思います
もう少しだけ我慢して
お付き合いください
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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プロヴァンスを巡ろう 52 <東プロヴァンス ヴァール県 の 山の村々を訪れる>

2021-01-29 00:58:50 | 素晴らしき世界/フランス/プロヴァンス
『Bagnole-en-Forêt バニョル・アン・フォレ』 全景



また
エストレル海岸の後背地で『山のプロヴァンス』に戻ろう


「サン・トロペ」や「エストレル海岸」
から直線距離で
山側(北)へ10km〜20kmほど引き返すと
プロヴァンスの起伏の中に
ほとんど知られていない個性溢れた村々がある


※  ※

まず海から一番近いところで
『Bagnole-en-Forêt バニョル・アン・フォレ』
という村から始めてみよう


それほど斜面ではない立地で
一番外れを
教会が占めている

『Eglise Saint-Antonin 聖アントナン教会』

その中央の入り口の横に
ユニークなものがある

『Chapelle Notre-Dame 聖母の礼拝堂』

ルルドの
あるいは
サント・ボームの
聖地の『洞窟』のような
不思議な礼拝堂


『Chapelle Saint-Denis サン・ドニ礼拝堂』


起源は8世紀
この形になったのは11世紀


『Chapelle Sainte-Anne 聖アンナ礼拝堂』

この村は
14世紀に地中海から遠征してきた海賊軍に散々略奪破壊され
85年間人も住まぬ廃墟であったらしい
例のプロヴァンスの『ルネ王』により
領主権や司教権が整備され
14年代興南にやっと復興したという歴史があり
殊の外信仰心が暑かったのかもしれない

集落の中は
所謂プロヴァンスの小村





村の噴水

中心を外れると


こんな感じで静かになる

村の南側の断崖の下に小さな流れがあり
その谷間の反対側はもっと標高の高い山地となる


この山を登ると
標高450mほどのところに
古代ローマ以前の城塞集落跡があるのです
『バイヨンヌの城塞集落』と呼ばれている

『Oppidum de Bayonne バイヨンヌの城塞集落』

石器時代からの城塞集落跡を『Oppium』と言って
特に
ローマ以前の原住民族『ケルト族』のそれが
そう呼ばれる

ローマ以前の石積みの防壁が
二重に巡らされていた痕跡が残っている



向こう側が抜けて見えるこのアーチのようなカーブは
明らかに人の手で削られたものとわかる

この山の頂近くは奇岩が露出している


そのあたりに
古代ローマの遺跡も別に残っている


不思議な
岩の一部を丸く削った後が点々と


実はここ
ローマ人達の「碾き臼石」生産地だった


現場の固い岩盤を石臼の形に
切り出していた


太鼓状に切られた岩が
切り取られる前の碾き臼だろう


その「バニョル村」から北に4km
『Saint-Paul-en-Forêt サン・ポール・アン・フォレ』
という村があるがそこは飛ばして
もう少し北まで行ってみよう

バニョルから10kmほど北側に
いくつもの美しい村がある
東から西へ
『カラス』『バルジュモン』『セイヤン』『ファイアンス』
『トゥーレット』『カリアン』『モントルゥー』
等々


※  ※

『Callas カラス村』


村の真ん中に教会




『Eglise Saint-Michel 聖ミカエル教会』

十字架型の教会の西側が正面扉口で
反対側の十字架頭部が丸くなくて平という
かなり変わった形


でも
中に入ってみるとしっかり半円形


白い石の鐘楼が眩しい








こんな小さな古い村ですが
周囲には
岩山と広い森とに囲まれていて
本格的なの住処にするお金持ちも多いと見える


こんなお屋敷もあります


※  ※

『Bargemon バルジュモン村』


この村は中央に教会

『Eglise Saint-Etienne 聖エティエンヌ教会』

四角い塔の上に
鐘のはいる部分の八角形の塔が乗る



正面扉口

正面の全景を写せる距離的空間はない


実はよく見ると
左のほうにもう一つ鐘楼があった


『Chapelle Notre-Dame de Montaigu モンテギュー家の聖母礼拝堂』

鐘楼の写真がないが
聖エティエンヌ教会の塔と同じ様な四角い塔の上には
八角形ではなく
鐘の入った四角い小型の塔が載っている

城壁や城門といった防御の部分の残っている

城壁を利用した建物



城門から中を覗く



別の城門


内側には噴水


別の噴水





上の二つの城門とは別の門を外から見る


内側から外を見ると
やはり村が高い位置にあることがわかる



城壁の外側に建つ建物

この
『エストレル海岸』の後背地の村々
もう少し続きます
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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プロヴァンスを巡ろう 51 海のプロヴァンス 7 <赤い海岸エストレル と サン・ラファエル / フレジュス>

2021-01-28 00:33:44 | 素晴らしき世界/フランス/プロヴァンス
『Côte d'Esterel   près du Pointe du Roux エストレル海岸 ポアント・デュ・ルゥ付近』



サン・トロペからさらに東へ30km
フレジュス湾から東側に
赤い岩の海岸がある
『Corniche d'Esterel エストレル岩棚海岸』
と名付けられている


紅いのですよとにかく

そして背後には
『Massif de l'Esterel エストレル山塊』
と呼ばれる産地が迫っており
海岸のすぐ後ろにも
あたかもコロラドかどこかの荒涼たる岩山のような光景が
聳えてています





この海岸線は
『Corniche d'Or d'Esterel』
エストレルの『黄金の岩棚』と呼ばれている

『Agay アゲイ』村周辺

リュベロン地方リュシヨンの赤いオークルの斜面とはまた違って
手を浸すと紺色に染まりそうな地中海のブルーと相まって
これは既にこの世のものとは思えぬ光景




この辺りの
ヴァカンスの拠点の町は二箇所
『フレジュス』と『サン・ラファエル』
この二つの町は隣接している


※  ※

まず西側の
『Frejus フレジュス』を訪れてみましょうか

超近代的な港がある

『Port Fréjus フレジュス港』


ローマの遺跡もある

水道橋の一部



闘技場の一部




ローマ時代の橋

『黄金の門』と呼ばれるローマ遺跡


中世の城壁の一部もある



大聖堂もある

『Cathédrale Saint-Leonce 聖レオンス大聖堂』


『回廊』

『司教館』

他の教会もある

『Eglise Saint-François de Paule 聖パウラのフランシスコ教会』


城もある

『Châtrau Aurelien オーレリアン城』

『Chateau Gallien ガリアン城』


大富豪の邸宅もある

『Villa Marie マリー館』

街中の
普通じゃない普通の住宅もある



街中の
普通じゃない普通の集合住宅もある



※  ※

もう一つの町は
『Saint-Raphael サン・ラファエル』


極めて地中海のリゾートらしい港

しかしこの『サン・ラファエル』は
「フレジュス」
と違って全てが新しい



港の施設も
市役所も文化センターも中学高校も駅も
近代的
数ある教会は
昔ながらの様式で全く新しい

一番大きな教会は
港からも見える『勝利の聖母バジリカ聖堂』



なんだか見覚えが
有るような無いような
とおっしゃる方はかなりフランス通です




この『プロヴァンス』シリーズの最初の回『マルセイユ』の
『Notre-dame de Garde 守護のノートル・ダム』と
感じが似てる
もっと言うと「リヨン」の「フゥルヴィエールのノートル・ダム」
にそっくり

19世紀後半に
増える人口を収容しきれなくなった古い教会を立て直すことになった時
フランス全土で流行していた『新ヴィザンチン様式』に
傾倒していた建築家に委ねられた結果

パリのモンマルトルの『サクレクール』も同じ発想です


お金の殿堂「カジノ」と
マリア様の殿堂「聖母教会」とが
お隣り同士

地中海のリゾートタウンにはカジノは必ずあるんですが
建てる時
何も考えなかったらしい笑

町で唯一古い教会は
これ

 『Chapelle des Templers テンプル騎士団礼拝堂』

ただし
今ではここは博物館

その他の(新しい)教会も挙げておきます

『Chapelle Sacré-Coeur サクレ・クール礼拝堂』


『Chapelle des Tous Saints トゥッサン(諸聖人)礼拝堂』


『Chapelle Almenienne アルメニア正教会礼拝堂』


『Eglise Notre-Dame de St-Raphaël サン・ラファエルの聖母教会』



『Eglise Orthodoxe 東方教会(ギリシア正教会)教会』


『Eglise Saint-Roc サン・ロック教会』


『Eglise Sait-Raphaël 大天使聖ラファエル教会』


『Eglise Réformée de St-Raphaël サンラファエル・プロテスタント教会』


もう一度港に戻って
その周辺の街角の光景を見てみよう


港周りを綺麗に作りなおし
港に面している集合住宅は高級住宅なんだろうが
ピンクって苦笑


新しいだけに清潔感は十分に感じられる

港から一本内側に入ると


夏の間は観光客でひしめく
レストランなどが集まっている通りの一本

ところで
このサンラファエルの町に
とてもユニークなものがあります

『フリーメイソン』
の「グランド・ロッジ」があるのです


2017年1月にオープンした新館

数十メートルの高さの天井を持ち
100mを超える尖塔を立てるゴシック大聖堂の建設の頃
各部位の石の役割
それを規定する力学計算から設計図を引き木型を作り
重さ1から2トンの石を正確に切って積み重ねる技術を
石工たちが修行し継承するためのギルドを作ったのが
『Franc Maçon フラン・マソン(純粋な石工)』

今では英語読みで「フリーメイソン」として
会員を世界中に持って活動している自己啓発組織の様な
ヴェールのかかった特赦な組織

その活動の総合本部みたいなところを
『Grand Loge グラン・ロージュ』と呼ぶらしいのです
以前からこの町にあったものが古くて手狭になり
新規に立て直したとか

※  ※

この『サン・ラファエル』市域の海岸に
幾つかの小自治体(村)があり

その代表が『Agay アゲイ』村
赤い岩棚の海岸の中心です

『Ile d'Or 黄金島』という名の岩礁



こんなビーチやら


こんなビーチやら


こんなビーチやら
あちこちに潜んでいます


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プロヴァンスを巡ろう 48 <丘の上の旧村落と海岸の新開発のリゾートタウン グリモー>

2021-01-25 00:06:46 | 素晴らしき世界/フランス/プロヴァンス
『Vieux-Grimaux 古グリモー村落』



もう一箇所
後背地の丘の上の旧村落と海岸のご紹介

『Grimaux グリモー』
という町のお話です

発祥の地は例によって丘の村

photo by ⒸMairie-de-Grimaux

頂上の城址と
城の城壁の一部が確認できる

『Château de Grimaux グリモー城』

角角の丸い塔で四角くつなぐ典型的な中世初期の城塞だ
西暦973年
プロヴァンス伯爵とブルグンド(ブルゴーニュ)王とビザンチン皇帝の
連合軍がこの地でサラセンを打ち破り
直後11世紀初頭
この地にマルセイユの聖ヴィクトール修道院が山城を築いたことで
グリモーの戦略的存在価値が決定した










城址と城の城壁の間に
テラス

集落を囲んだ城壁は残っていないが
城の城壁が一部残る


内側



外側



城のテラスから教会が見下ろせる


『Eglise Saint-Michel 聖ミカエル教会』



教会のすぐ裏手にある通りのアーケード



民家



村の噴水(水場)



民家


『Eglise Notre-Dame de Queste ケストの聖母教会』

『身廊と祭壇』

『周歩廊の西礼拝堂』


『Chapelle des Pénitants 贖罪巡礼団礼拝堂』

旧村落域周辺には


風車もあれば


ロマネスク時代の橋も残っている


最後にもう一度
旧村落の全景をオリーブ畑の背後に



とまあここまでは
今まで散々見てきた
あまりにも典型的なプロヴァンスの
「小さな美しい村」
なのですが


10kmほど南に下って
地中海の『Gulf de Grimaud グリモー湾』に
水上休暇村のような
プライヴェート・ポートが付属する別荘地の新開発を
行ったのです

※  ※

『Port Grimaud ポー・グリモー(グリモー港)』
という名のリゾート・ニュータウン

『Port-Grimaud ポー・グリモー』  photo by Ⓒoffice-de-tourisme-grimaud

航空写真で見ると
まるで釣りの餌のゴカイがウジャウジャいるみたいな
不気味さ

しかし中に入ると
そこは


まるで「テーマパーク」じゃなかろうか
としか思えない不思議な世界が広がっているのです


ここはヴェネチアか!
思わず叫びたくなるような光景


まるで
『リアルト橋』をパクった様な橋の近くには
港内巡りの観光船乗り場まである


これでゴンドラがあれば
デジャ・ヴュ



背後の山並みと
運河の様な水面に浮かぶボートと
なんだか不思議な光景


ヴァカンスの時期を過ぎると
急に静かになる


通常の光景を見ると
普通の生活があることもわかる



水面(みずも)を石畳だと空目すれば
ごくごく
普通の町の中の光景


団地の空間の駐車スペースと同じ感覚で
ボートがある


こんな木製の橋もあって
右側の「埠頭」にはフード・トラックの食事スペースも
出来てる
ヴァカンスの中の日常生活

夜景も
「水の都」に見えないこともない

ヴァカンス中

ヴァカンス期間以外

夜は観光客はいなくなり
ここの別荘で過ごす人たちだけが
レストランに集まって食事を楽しんでいる

1960年代半ば
サン・トロペ湾のごく一部『グリモー湾』の沿岸の沼沢地が
売りに出されていたのを知り
一人のロレーヌ出身の建築家が土地を買い取り
大規模な資産形成用分譲別荘地の造営計画を発表した

今だったら
自然環境保護の意識が高く
まず不可のウェあったであろう計画が承認され
66年から建設が始まったそうです

これもフランス初期『バブル時代』の置き土産

photo by Ⓒmairie-de-grimaud

隣はすぐ海
俯瞰するとやっぱり凄い

photo by Ⓒmaire-de-grimaud

この
全てが分譲別荘なんですからね

もちろん
所有者は
自分が使わない時期は週単位で貸してることは
大いに有り得ますが




グリモー市の域内には6箇所ほど
美しいビーチがある








プロヴァンスは
山と海
空の青 と 海の青
=   =   =   =   =   =   =   =   =
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プロヴァンスを巡ろう 47 <花の香り溢れる麗しき村 カーニヴァルのミモザ山車行列で名高い ボルヌ・レ・ミモザ>

2021-01-22 00:25:28 | 素晴らしき世界/フランス/プロヴァンス
『Bormes-les-Mimosas ボーム・レ・ミモザ村』


今回は海は出てこない
でも
先回の「イエール」と同じように海のすぐ後背地の丘から海岸までの町を
もう一つご紹介しよう

その名も「ミモザのボーム」

起源は海岸から始まった
紀元前7世紀頃イタリア半島からやってきた漁民たちが集落を作り
漁業と製塩と製鉄
及び
銀砂鉛造りで栄えた。

9世紀頃から散々海賊に襲撃されるようになり
後背地の高台に集落を移した


しかし
頂上に城が造られ
集落を城壁で囲んだのは13世紀になってから

頂上の城は
イエールと同じで『Fos フォス』の領主のものだった

高台のテラスは
ミモザの時期は花盛り




下を見下ろすと海まで一望できる





photo by ⒸBormeslesmimosas-tourisme


街中はご覧の通り
季節によって様々なお花が咲き乱れる















もっとも著名な教会は

『Eglise Saint-Trophyme 聖トロフィーム教会』




18世紀に難病を治す奇跡を行った『サン(聖)・トロフィーム』


もちろん
お花が終わった後の季節の旧市街も充分に素敵で情緒たっぷり

















そして
この町の名をヨーロッパ中に知らしめているのが
花祭り
『Corso Fleuri 花競争』

この祭りは
すでに100年の歴史を持ち
カーニヴァルの一環として2月に行われる

ニースのカーニヴァルの『花合戦』
マントンの『レモン祭り』
と並んで
ヨーロッパ三大花祭りとして名高い







各町内や企業団体など
18前後のグループが毎年エントリーし
前年に10月頃から
次の山車のコンセプトを考え設計を始める

ルールは単純
ミモザを基本とし
「黄色」と「オレンジ色」を中心に生花だけを使う

毎年数10トンの生花が使われる
開催日直前に花栽培農家から買い付け
前夜から当日の早朝までかかって飾り付ける






山車と山車の間には参加団体のメンバーが
ブラスバンドや民族衣装
あるいは
道化やアクロバットなどで「花」を添える
















行列がメインのコースに差し掛かると
山車から
花を一輪沿道の観衆に投げ始まる












この山車では
花がかなりなくなり始めている


もはや原型をとどめていない山車

ゴール地点に到着すると
残った飾りを分解して観衆に分け与えたり
参加者が持ち帰ったり


大騒ぎの雰囲気が伝わっていますでしょうか


ところで
この『ボーム・レ・ミモザ』の町が地中海まで繋がって
三角形の半島の南西の端に
『Cap de Brégançon ブレガンソン岬』
という小さな岬があって
さらにそこから米粒ほどの突起が
紐で繋がった石ころみたいに飛び出しています
実はそこ全体が要塞

この要塞が実になんともユニークな代物で
Google Map の航空写真で見ると
なんと「モザイク」が!

『Fort de Brégançon ブレガンソン要塞』

要塞を海から見るとまるで島



種明かしをすると


左奥の岬の先端と
細い短い陸地で繋がっているのがわかります


写真というものは撮り方ひとつで
いかようにも騙せ...エッヘン

ここは何かと申しますと
フランス共和国大統領の持ち物なんです
と言っても
大統領の私物ではありませぬ


右下から
車でも登っていけそうな道が島を巻いて通ってる

ここは
地元の領主の砦で
プロヴァンス伯爵の所有になり
大革命で革命軍のものとなり
そのまま
19世紀にフランス海軍と所有となり
三軍の総司令官である大統領が主ということで
フランス大統領府が管理しています


なので
Googleの衛星写真にすらモザイクがかかる

ここからの写真は
『大統領府』Ⓒpresidencedelafrance から拝借しました


かつての兵舎だった建物は現在「民間人」を迎える施設

実は
仏大統領は国の元首という立場で
フランス国家が所有する歴史的建造物の使用権が
あるのです
ある一定の条件のもとで

例えば
ヴェルサイユ宮の大トリアノン離宮の
『Torianon-sous-Bois 森のトリアノン』翼
パリ近郊『Château de Breteuil ブルトゥイユ城』
はそれぞれ
パリの『エリゼー宮』を離れて
気分転換に使える

「ブルトゥイユ城」は
かつてジスカール=デスタン大統領が
第一回目のサミットを行った

他にもロワール河古城地帯の
王家の城だった『Château de Chanbord シャンボール城』
その他全国に何箇所もある



ここ『ブレガンサ要塞』も
歴代大統領は任期中に一度は訪れて
3〜4日のヴァカンスを過ごし
その間にこの地方の著名人を招いてパーティをやったり
やらなかったり








海軍の所有で
大統領が休暇や内外の首脳を招いたりして使うと点では
アメリカの『キャンプ・デーヴィッド』
みたいなものですね


プロヴァンスの旅もそろそろ終わりに近づいていますが
もう少しだけ続きます
=   =   =   =   =   =   =   =   =
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プロヴァンスを巡ろう 46 海のプロヴァンス 4 < イエールの ジアン半島 と イエール諸島 2>

2021-01-21 00:11:49 | 素晴らしき世界/フランス/プロヴァンス
『Presqu'ile de Giens ジアン半島』



一度整理しておこう


地図左上の高地から空港を経て岬の入り口までは
『イエール市』の中心部
その中で
北部の高地(茶色い部分)の南端あたりに
最初の「Vieux Hyères 旧村域」があり
海岸に向けて新しくなってゆく
半島は
『Prequ'île de Giens ジアン半島』
右のひも状の部分が本来の陸地で
左に道路だけでつないだ部分があって
その間が塩田
半島先端部の広い一体の北西部海岸に
『Giens ジアン』という名の町
あとは
大きな島三つ
西から
『Ile de Porquerolles ポークロール島』
『Ile de Port-Cros ポー・クロ島』
『Ile du Levant ル・ルヴァン島』
あと小さな二つを入れて
『Iles d'Hyères イエール諸島』

島の中にもそれぞれ町か港の集落があり
それらの全体が『Ville  d'Hyères イエール市』ということ


『Presqu'ile de Giens ジアン半島』

ジアンの町中





『Eglisz Saint-Pierre de Giens ジアンの聖ペテロ教会』





南東の海岸に要塞がある

『Tour Fondue (Fort du Predeau) フォンデュの塔(プレドー要塞) 』





こんな角度で見ると
完全に島のように感じるが半島


ビーチは
各地に大小たくさんある





『Ile de Porquerolles ポークロール島』

『港の集落と背後の高台に聖アガタ要塞』

サン・タガタ要塞から見下ろしたポークロルの町と港

『葡萄畑と聖アガタ要塞』




要塞の背後には風車小屋





そして実は
もう一つ要塞があって
『Fort Repentance  ルパンタンス要塞』

東方教会(ギリシア正教)の修道院が使っている
『Monastère Saint-Pierre d'Orthodox 聖ペテロ東方教会修道院』


『Fort Repentance ルパンタンス要塞』




そしてこの修道院のすぐ近くに
年代不詳の切石乾積み石造建設が残っている

『cabanne de l'Ermite 隠者の小屋』

「隠者の小屋」と呼ばれているが
ボリーの項でご紹介したコルシカの例のような
新石器時代の住居跡かもしれない

そして
この『ポークロル島』の周りの海は
特に美しい

『Plage de la Courtade クゥルタッド海岸』




『Plage d'Argent 銀の海岸』


『Plage du Langustier 伊勢海老漁師の海岸』

『Plage Notre-Dame ノートルダム海岸』




『Plage Noire du Langustier 伊勢海老採りの黒い海岸』



この辺りで止めておくことにしよう

島南部の海岸線

次に
三つの島の中では一番小さい
真ん中の島に渡ろう



『Ile de Port-Cros ポー・クロ島』


レンズ効果で広く感じますが
小さな港です

右端に要塞がお見えになるだろうか

『Tour (Fort) du Moulin ムーランの塔(要塞)』




地中海は文明の揺籃の地
古代より交易が発達し
海岸線に交易中継点の町が生まれ
海賊が跋扈した

従って古代が終わり中世ヨーロッパが成立した後も
砦や要塞は
港と富と住民を守る要であり続けた

『Fort de l'Eminence エミナンス(枢機卿猊下)の要塞』



『Fort de l'Estissac エSUティサック要塞』

photo by ⒸParcNational

中世においては
海賊の侵略を防ぎ
近世以後は
敵艦隊の通過を阻み攻撃を撃退した


エスティサック要塞


『Fort du Port-Man ポー・マン港要塞』

photo by ⒸParcNational


『Plage sauvage de Port-Cros ポー・クロの野生の海岸』


海はというと
これはもう文句なしに美しい
どこに行っても






そして
島内には古代の水道橋の名残も
残っている



ついでと言ってはなんだが
この『ポー・クロ島』のすぐ北西の海岸に
小さな島がある
『Ile de Bagaud バゴー島』

ポー・クロ島から見た『Ile de Bagaud バゴー島』

このミニチュアの様に小さな島は
野鳥と希少植物の宝庫
一年を通じて国の係官が世話を行っている
断崖絶壁の海岸を
ロッククライマーよろしくロープ懸垂をしながら

以上
『ポークロル島』『ポー・クロ島』『バゴー島』
の三つは
『フランス国立自然公園』
に指定されている

それなのに
ホテルがあります

『Hôtel Restaurant le Provançal オテル・プロヴァンサル』

さらに
知る人ぞ知る秘密の隠れ家

『Hôtel le Manoire オテル・ル・マノワール』


21室しかない(21室もある)

車は無いに等しいので
ハイキングロードを歩いて
いたるところに人の手の入っていない野生の海岸が満喫できます




さて
最後の島『Ile de Levant ルヴァン島』は
実は
「ヌーディストの楽園」なのです
港と街中は着衣ですが後は..




島内の一角

『Tour de Titan タイタンの塔と呼ばれる廃墟』
紀元前2千年ほどの要塞集落の廃墟

=   =   =   =   =   =   =   =
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プロヴァンスを巡ろう 45 海のプロヴァンス 3 山里と海岸と島々と <全て堪能できる イエール と その周辺  1>

2021-01-20 00:11:49 | 素晴らしき世界/フランス/プロヴァンス
『ジネス岬とイエール』 photp by Ⓒfrance-jeditoo.com



『バンドール』から西に20kmで『トゥーロン』
そこからさらに
西へ20km行くと
『Hyères イエール』という町がある

その町は
プロヴァンスならではの
「丘の斜面」にへばりつく旧村落から
そのまま南に斜面を下りながら新住宅地が海まで連なり
ビーチを何箇所も持ち
極めて細い陸地と
そしてさらに細い道路とで
かつては島であったと思しき先端につながる
『ジネス岬』
さらには
大小六つの島々のすべてを包含する自治体なのです


山岳地を覗いて一番北の部分は
旧村落『Hyères-Village イエール旧村域』


例によって頂上は旧城址
その下にへばり辻て「新城」

ruine du Châteux d'Hyères 旧イエール城址

プロヴァンスより西側の『ラングドック』の港町
『Fos フォス』の領主の城だった







下の新しい方の城は

『Châteux Sainte-Claire サント・クレール城』


高低差のある広い庭園になっていて
夏はお花が咲き乱れている




旧村落域の中は
さすがプロヴァンスという感じ



オークルの赤やオレンジがプロヴァンスだ



『Porte des Princes 大公たちの門』

アーチの小径もプロヴァンスだ


教会はもっと下って「旧村落」の中の人口の多い新街区の
入り口にある

『Collegiale Saint-Paul d'Hyères 聖パウロ参事会聖堂』


教区聖堂ではなく
ある会派(ここでは聖パウロ参事会)会員の聖職者の聖堂を
「コレジアル」といい
神学校などを併設していた
フランスの中学校や英語圏の単科大学を
「college コレージュ(カレッジ)」と呼ぶのはここから

旧聖パウロ参事会本部



12世紀創建のロマネスク様式
教会の祭式に使う宗教美術のフランス最大の大コレクションを有する

もちろん他にも教会もあるが
一つ挙げておこう

『Eglise Saint-Louis d'Hyères 聖ルイ・ディエール教会』


14世紀フランシスコ会修道士の手で建立

丘の麓の新街区はそれなりに開けている






『Tour de Templiers テンプル騎士団の塔』


新街区とはいえ古いので
こんな「アーケード」もしっかり残っている




城門も
いくつも残っている

最初の集落を取り囲んだ城壁の後
人口が増え
村域が丘の麓に区域が広がって作られた二番目の城壁の
門の一つ




『Porte de Massilon マッシヨン門』

『Porte de Fenouillet  フヌイエ門』


『Porte de Baruc バリュック門』

そして
海岸に近づくほど街は新しくなる



綺麗な海のビーチもいくつもあり
幾つかのヨットハーバーも合計2千隻分ほどもある
人気リゾートなので


立派なカジノもあります

ビーチは
砂浜も砂利も
広々としたところも
ひっそり隠れ浜辺みたいなところも



さらに『イエール』で特筆すべきは
ここにも塩田があるのです

photo by ⒸHerard-Pastor

陸側の街の東側と
細長い半島部の西側とに二箇所


塩田は海水を引き込み
徐々にやや低い方に流して行くのですが
せいぜい深さ10cmほどしかなく
しかも
海の小さな生き物が入り込んでくるので
水鳥には格好の餌場
特に
フラミンゴがアフリカから渡ってくるときの
休憩所となっています

『カマルグ』
と全く同じです

さて今回はここまでにして
半島部と
島々とは
次回にご紹介しましょう
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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プロヴァンスを巡ろう 43 海のプロヴァンスの魅力は海岸線にある <美しき カランク を訪れる>

2021-01-18 00:22:00 | 素晴らしき世界/フランス/プロヴァンス
『Calanque de Cassis カシスのカランク』



マルセイユから東の海岸線には
『カランク』
と呼ばれる絶景の入江がいくつもある

入江と言っても
幅は極端に様く


両岸の岸は極端に高い断崖絶壁



その奥に
小さな浜辺があったりして
しかし
陸路の進入路はない所が多い


ヨットかモーターボートでしか辿り着けない
この世の楽園



狭くて奥深いという意味で「フィヨルド」に似ているが
違いは
氷河が削ってできたわけではなく
ヨーロッパ大陸とアフリカ大陸がぶつかり合って
アルプス山脈が隆起し
ややあって
衝撃の反動で両大陸が元に戻るように移動したことで
地中海ができた時
要するに陸地が引き千切られてこんな不思議な地形になった
1億2千年前の地球自身の作品

両岸はあくまで高く険しい




マルセイユから東に20km強で
『Cassis カシス』
という村がある

軽くて飲みやすい白ワインの産地として広く知れ渡っている
「ブイヤベースにはカシスの白」
というのが
地元の定番の組み合わせと言われるほど
プロヴァンスを代表する気取らず飲める白ワイン

カシスの港と背後右奥の高台の要塞








要塞









そのカシス村から
カランク巡りの遊覧船が出ている

マルセイユからも出ているが
『カシス村』を見ておくのも良い
昼食にカシスの白ワインでイワシの塩焼きをいただくと
なおさら結構


かランクの入り口が4つか5つある海岸
極端に狭く深く長いものもあれば
以外と短く両岸も低く結構幅の広いものもある

いくつか著名なカランクを
個別に
ご紹介してみよう


※  ※

『Calanque de Sugiton カランク・ド・シュジトン』


ここは
どちらかというと幅は広め


入り口はこう





短いカランクの奥に


小さな小さな浜辺が
一握りの人たちを楽しませてくれる




※  ※

『Calanque de Morgiou カランク・ド・モルギウー』


ここは
結構広い


しかも
山道ながら車で行けるし
ハーバーもある


食堂や民宿みたいな集落もあり



プレジャー・ボートのハーバーには
レンタルの手漕ぎボートまであるようだ

ここまで来てボートを借り
アクセスのないほかのカランクに行く
という手があります


※  ※

『Calanque de Mounine カランク・ド・ムゥニーヌ』


ここも小規模だが
逆に
日によっては無人のこともあるだろう


自分達だけの世界に浸って
のんびりと過ごすことができそう


※  ※

『Calanque d'En Vau カランク・ダン・ヴォー』


こここそ
単系的なカランクと言えます





幅はあくまで狭く



両岸はあくまで高く険しい


そして
奥にあくまで小さな浜辺








まさしく
この世の天国


   ※  ※   

『Calanque de Port-Miou カランク・ド・ポー・ミウー』


このカランクの名前は
「ミウー港のカランク」


その名の通り
結構な規模の港になっている


ハイシーズンのハーバー


ビーチで肌を焼く
と言うより
ヨットやプレジャーボートの基地


※  ※

『Calanque de Sormiou カランク・ド・ソーミゥー』



ここは短いので
入り口から奥まで全部見渡せる

しかも
奥は二股に分かれて
両方に集落

片方には小さなハーバーがある


上から見張らせば
結構なだらかな下りで
アクセスの道路もあることがわかる




ハーバーのない広い方の先端
入江の中央部と両側の水深の極端な違いがわかる


※  ※

『Calanque de Port Pin カランク・ド・ポー・パン』



その名も「松の港」と言うだけあって
岩肌に生える『地中海松』が
とても美しい



『地中海松』という松の木は
若いうちは枝葉が
幹の上にこんもり丸く平たく広がるので
あたかも傘をさしているように見える
別名「パラソル松」
写真は小さいが
両岸の稜線に並ぶところをよく見て欲しい











水深が浅く
底が玉砂利のような石の部分は
透明度が極めてよく分かる


※  ※

『Calanque de l'Oule カランク・ド・ルゥウル』

ここは
入江自体は小規模ながら
入り口の岩の洞窟
さらには
入江の奥の水中洞窟で名高い


海中洞窟の入り口


入ると
中はこうなっている


この洞窟から海中に潜ると
海底近くにトンネルがあり
ボンベを背負って泳いでトンネルを進むと
また
別の洞窟に出るとか


中にいると
暗いのでやはり多少緊張する
出口に向かうとホッとする

岸壁は70m以上も屹立しており
ロッククライミングの格好の対象となっている


海中洞窟だけではなく
岸壁の中から海面までつながる縦穴もあって
興味は尽きない
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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プロヴァンスを巡ろう 42 プロヴァンスは地中海 <ナポレオンの出世の糸口となった港町 トゥーロン>

2021-01-15 00:42:54 | 素晴らしき世界/フランス/プロヴァンス
ファロン山から俯瞰したトゥーロン


フランスの重要な港は
商業港は
北の『ル・アーブル』 南の『マルセイユ』
軍港は
北の『ブレスト』 南の『トゥーロン』

トゥーロンは歴史的に地中海の拠点軍港として発展してきた



港湾内には
常に何らかの仏海軍の艦船が見られる


その中でもっとも大型船は
原子力空母『シャルル・ド・ゴール』


世界中に
原子力空母は12隻しかない(12隻もある)
その内11隻は米国
従って
米国以外で唯一の原子力空母という事になる
ペルシャ湾 アラビア海 インド洋
等に派遣されている

フリーゲート艦『シュヴァリエ(騎士)・ポール』

帆船時代は
フリーゲート艦とは高速戦闘艦のことだったが
現代では「対潜哨戒護衛艦」

フリーゲート艦『ラ・ファイエット』

変わったところでは

潜水艦『カサブランカ』

当然
これらの艦艇がいつでも見られるわけではない
任務を終えて帰投している時に限られます


湾の入口の東西には
昔の要塞が一つづつ残っている

その一つが

『Fort Royale de Balagier 王室バラギエ要塞』

17世紀前半に建設され
後半に対オランダ戦略の必要性から補強されて
今日の形になる



この要塞は
湾の一番西の岬の先端から港への侵入を防ぐ

もう一つの要塞もほぼ同じ形

『Tour Royale 王の塔』

名前は結構単純だ
しかも
このように海から見るとあまり大きく感じないが
実際は結構デカイのです




中に入ってみると
本当に大規模


この写真を見ると
港への敵艦隊の侵入を防ぐ役割がよく理解できる
東側のみ脇の先端で港を護る


そしてさらに
もう一つ要塞がある

『Fort Royale de Saint-Louis 王室サン・ルイ要塞』

三番目のこちらは
前の「バラギエ要塞」から遅れること1世紀
「王の塔」から
岬を東側に回り込んだところに作られた






実は
この要塞の東側にビーチがあるのです

『Plage du Lido ル・リド・ビーチ』

ビーチには固有名詞がつけられることが多い
ここは『ル・リド』
ヴェネチアの名高い島の名前で
パリのシャンゼリゼに同名の高級キャバレーがある
ある意味で
安易な有名好みのネーミング




軍港とはいえ
今では民生用にも大きくシフトを寄せており
マルセイユ セート ニース
と並んで
『コルシカ・フェリー』
『サルデーニャ便』
その他各ラインが就航している


その他
近郊の海岸の村を結ぶ連絡船や
港内遊覧船も多い

遊覧船の発着波止場

外洋大型客船も頻繁に寄港するようになった


奥に
客船と軍艦とが並んで接岸している光景は
結構シュール

勿論
古くからの漁民達の波止場もあります

『トゥーロン丸』

そのまま東に
少し足を伸ばせば美しく素朴な海岸リゾートもある

『Baie d'Anse Méjean アンス・メジャン入江』

水はあくまで清く
空はあくまで蒼い
右側の人口桟橋はレストラン



もう一箇所別のビーチも

 『Baie de Anse Magaud アンス・マゴー入江』

前の「アンス・メジャン入江」とは岬で東西分かれる位置にある

トゥーロンは
街の東側にこのような美しく小さな入江が10箇所程あり
車は乗り付けられないが
近くまで行ってハイキング小径のような道を歩くか
ボートで行くか
多少歩いても行ってみる価値は大いにある

時には
帆船が集う大イヴェントも


『Le Belem ベラン号』

「ベラン号」はフランス船籍の現役帆船

ところで
港の一番奥の岸壁に有名な銅像が立っている

『Génie de la Navigation 航海の守護神』

1847年トゥーロンの彫刻家『ルイ=ジョゼフ・ドーマ』作
歴史上の航海の天才的先達に捧げる像で
具体的には
19世紀地中海艦隊の提督
『Jules de Cuvervilles ジュール・ド・キュヴェールヴィル』
がモデル

海に向かって腕を上げて彼方を指差しているが
この銅像の後は
名誉市役所(名誉領事館みたいな)なので
「Cul vers Ville  キュル(お尻)・ヴェール(向かう)・ヴィル(街)』
韻を踏んで
「市に尻向けて」と揶揄されてきた

『名誉市役所』

見事な扉口


入り口のガラス戸に
確かに「尻」が映ってますね

現役の市役所はここ

『Hôtel de Ville de Toulon トゥーロン市役所』

欧州諸国では
市役所や役場は
その自治体にある歴史的に一番重要な建物
例えば
城や宮殿や館
等を使っていることが多い

トゥーロンは都会だが
それに見合う大規模な建物は軍関係以外になかったらしく
新建築の凡庸なビルに収まってる

街の中心は

『Cours Lafayette ラ=ファイエット大通り』

大規模な建物というと美術館

『Musée de Vieux Toulon トゥーロン歴史美術館』


トゥーロンと周辺地方の
歴史と文化に関わる絵画彫刻工芸品が
収められている



もう一つ博物館をご紹介

『Musée National de la Marine 海洋海軍博物館』

これは
軍港の方の波止場の近く


それから
都会ですから当然ですがオペラ座があります

『L'Opéra de Toulon トゥーロンのオペラ座』





ところで
海岸の街の背後に山が迫るのは地中海世界の共通項

『Mont Faron ファロン山』

標高584m
巻頭の写真はここから

ロープウエイで繋がっている


フランスで革命が勃発
自国に影響が及ぶことを恐れた欧州諸国は
フランスに干渉して
トゥーロンを英国海軍が占領
革命政府は
どの将軍を作戦司令官に任命しても奪回作戦は失敗

防御が堅く港に船で突入できない
背後は険しい山
限られた陸路を堅守され手詰まりだった時
革命政府の重鎮『シエイエス』が『ナポレオン・ボナパルト』に
白羽の矢を立てる

パリ王室陸軍士官学校を卒業後
コルシカという辺境の豪族の息子では出世の道に乗れず
燻っていた青年士官ボナパルトは
ファロン山頂に大砲を引っ張り上げて砲台を築き
上から英国軍陣地を砲撃
英国側
たまらずトゥーロンを諦めて退却
フランスは地中海の拠点を取り返す事ができた

その功績で『イタリア戦線司令官』に抜擢され
以後『ナポレオン・ボナパルト』は連戦連勝を続け革命軍の将軍となり
革命政府の執政に登りつめ
『皇帝』にまでなって
歴史にその名を輝かせる事になるのです

ちなみに山腹に
航海の無事を祈る船乗り達の礼拝堂が
岩肌を掘り抜いて作られている

『Oratoire Notre-Dame de faron ファロンの聖母礼拝堂』
=    =    =    =    =    =    =
皆様のご感想ご意見ご要望などをお待ちしています
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プロヴァンスを巡ろう 40 三つの大修道院のあと二つ <ル・トロネ と シルヴァカーン>

2021-01-13 00:37:22 | 素晴らしき世界/フランス/プロヴァンス
『Abbaye du Tholonet ル・トロネ大修道院』


プロヴァンスの三大「Abbaye 大修道院」
『Abbaye de Sénanque』
を既にご紹介した

あとの二つ
『Abbaye du Tholonet ル・トロネ大修道院』
『Abbeye de Sylvacane シルヴァカーン大修道院』
をご紹介しよう

「ル・トロネ」は
「サン・マクシマン・ラ・サント・ボーム村」から東へ40kmほど
近くで幹線道路を離れて間道を小さな村々を横切り
かなり広大な森をくぐり抜けて走る

入り口は小さな堀に掛かる橋を渡る小さな城門


塀で囲まれており
中は見えない


城門の落とし格子は開けないので
アーケードの中で右側を巻いて入る



ここを抜けて左に出ると
正面の格子の向こう側になる

ローマ帝国消滅以後
数多くの異民族の侵略があり
地中海の海賊にも
ノルマン人(バイキング)にも
修道院は豊かであるという前提で散々略奪を受けた

従って
重要な修道院は堀と城壁で防御する事が習いとなる


修道院は『Monastère モナステール』で「修道院」と訳す
志を同じくする
その修道会の規約を守る誓いを立てた者同士が
外界とは閉ざされた閉鎖空間で共同生活を行い修行する場

そこの院長が
Abbé (アベ)
という聖職位を持っていれば
Abbeye (アベイ)
と呼び「大修道院」と訳す



修道院の教会は「修道院聖堂」
修道院の各種施設の中の最大の建造物だ



正面からでは想像できない大きさがある


身廊部

内部が極めてシンプルなのは
この大修道院が
もっとも戒律の厳しい『シトー会』傘下の修道院であり
建築様式がロマネスクだから

例によって
回廊の一面の内側に
『Salle des Châpitres サル・デ・シャピィトル(運営会議の間)』がある



地盤の岩盤を残してあることがわかる

奥の開口部の向こう側が回廊
三つの開口部の高さが違うことにお気づきだろうか


この通路は三段の高低差でできている



手前の通路に段差がある
アーケードの奥の運営会議の間に
参加する修道僧のベンチが三段見える

そして
回廊の階段から上に上がると



『Réféctoire レフェクトワール(共同大寝室)』があることも
同じ
これを登って
途中で右に折れて登ると




右奥に出てくる
左端の階段は回廊の二階部に出る

それより
この「ル・トロネ大修道院」の際立った特徴は
回廊の敷地が均等の高さではなかった
という事


アーケードから反対側を見てみると
極めてはっきりとわかる



平面図上で四角い回廊を設計し
土地の起伏をそのままに
四本の通路を無理やり繋いだぞ
どうだ!
という様な強引さ


この三面
すべて地面の高さが違うという現実

それ以外は
作り方は極めて普通で
有るべき物は全て有った


回廊の一角は当然聖水盤がある
単に祝福用だけではなく
生活用水をここから調達していた様だ

 ワインを作って収入源にしていたのも
他の多くの修道院と同じ


絞る葡萄の房を入れる圧搾槽
下に
原液が流れ出てくる回収口がある



葡萄の房を上の圧搾槽に入れて
上から圧力をかける「圧搾用の重し」を上げ下げする
巨大な長い梃子の先端を受け止める部分

聖堂内部には成人の彫像もあった


極めて素朴なゴシック初期の聖母子像


この聖者様はどなたなのだろう


革命中1791年
最後に残った数名の修道僧が亡命し修道院としての機能は消滅
国家財産として接収されて競売
家畜小屋となる
1854年には国の重要文化財に指定されて
以後国有の文化財



20世紀入って
長雨の年に地盤低下が起こり
その後
建設当時の切石の採寸の不正確さと地盤の土砂崩れとの
ダブルパンチで
相当被害を受けてしまった







現在も鋭意修復中


見学を終えて引き返す
訪れた時に最初の外から見た城門は
内側から見るとこうなる
講師の門扉は格子で普段は上げないので
入った時と逆に左側を回り込んで
出るようになる

すぐ近くの村の路地に
おそらく村で一軒だけの小さなレストランがある
その前の
一抱えほどの丸石をはめ込んでゴロゴロ凸凹の石畳の道全体を
テラス席にしてあった



素朴な田舎の家庭料理のプロ版みたいな
美味しいお昼を食べられます

  
※  ※

三番目にご紹介するのは
『Abbaye de Sylvacane シルヴァカンヌ大修道院』

「エックス・アン・プロヴァンス」の北東20Kmあまり


修道院聖堂の正面の池に水蓮が咲いていた
この池は当時は食用の川魚の養殖池だった


この聖堂の特徴は
一番奥「内陣」が平らであること




従って当然
十字架型の頭部分(内陣)の外側
「外陣」も


平らだ

回廊 北側通路

回廊 西側通路

ここの回廊は
アーケードを支える柱にも全く何の装飾もない


極めて原始的な内庭になっている


Salle des Châpitres  運営会議の間

他方
この部屋の柱の一本は
最近の修復であろう


ここの回廊の一角の聖水盤は
実は井戸


共同大寝室も同じ構造


回廊から
この階段で共同寝室に至る


聖堂交差部の鐘楼は
壊れた訳ではなさそうだ


12世紀半ばの本体建立に遅れること数世紀
おそらく16〜7世紀に作り足そうとして
すぐさま中断してしまった様だ

この『シルヴァカンヌ大修道院』も
大革命で国有財産として競売処分となり
農場に成ってしまった

その後1840年に文化財指定を受け
早々に国有化されたが
修復や復元工事は1960年代になってから
やっと始まった


12世紀から13世紀に全欧に発展した『クリューニー会』修道会が
ゴシックの技術を起こし
発展させ
大規模大聖堂建設や華麗なステンドグラスの生産技術を確立して
教会文化が爛熟する

それを「退廃」だと批判して
結成されたのが
『シトー会』

精神も肉体も一切の虚飾を廃し
ひたすら修行に徹することを規約とした

『プロヴァンスのシトー派三姉妹』
と呼ばれてきた
『セナンク』『ル・トロネ』『シルヴァカンヌ』
三つの大修道院のうち
セナンク大修道院だけが
今日も修道院として機能している
= = = = = = = = = = = = = = = =
皆様の「ご感想・ご意見・お気付きの点」等をお待ちします
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プロヴァンスを巡ろう 37 プロヴァンス名物はもっと有る <サントン人形 と ミストラル>

2021-01-08 00:54:12 | 素晴らしき世界/フランス/プロヴァンス
サントン人形



プロヴァンス名物といえば
これまで
数々ご紹介してきました

『地中海の青 空の青 強烈な太陽』
『丘の村』
『平板切石乾積みのボリー』
『オークル(黄土)』
『ゴッホ セザンヌ その他多くの画家たち』
『三大山地』『三大河川』『三大修道院』

今回
それに加えてご紹介する名物は
彩色素焼き土器人形
『サントン』
強烈なローヌ下ろしの突風
『ミストラル』


まず
『Les Santons サントン』
ですが
もともと「クリスマス」のクレッシュに使う
小さな素焼きのお人形でした


 聖母マリアと幼子イエス
ヨハネ
羊 牛 驢馬 鶏
村人たち
東方三博士
等を飾って聖誕祭を祝っていましたが
素焼きのままではなく
絵の具で衣装を身に纏わせて
いつしか
プロヴァンス小紋の布でそれぞれの衣装まで着せるに至る




その村人たちが
羊飼い 木こり 農民 加冶屋 肉屋 パン屋 行商人 など
あらゆる職業の装束に種類が増えて
通常の装飾品としてのお人形にまで日常化して行ったのです



最初は
高さ7cm程の物でしたが
その後
単体で飾られるようになると大きくなっていった


「卵売り」のおばあちゃまと
「ミストラル」の突風に耐える羊飼い
定番のパターンです

彩色の衣装より
実際の布地の衣装に趣向が凝らされるようにも



現地には
幾つかの工房があり作家も多くいるので
個性は様々

ただ
職業的特徴が明らかなほど
衣装が具体的であるほど
お年寄りであるほど
シワが多く深いほど
そして
表情が穏やかなほど好まれるようです

私が一番お気に入りの作家さんは
『Marie-Nöel マリー・ノエル』さんという女性です

その彼女の作品は

『瀬戸物屋のエマ』

マリー・ノエルさんには
複数の固定のキャラクターが居て
名前が付いています

そのキャラクターを
様々な職業や状況に合わせて製作しているのです

『干し草刈りのセザール』

『用箪笥のジャンヌ』

ジャンヌは
やや若手のお手伝いさん役が多い


『干し草刈りのアンジェル』


『パン屋のジュール』


『ウサギ売りのイヴォンヌ』


『パン屋のジュールとエマ』

ですね
個人的に一番気に入っているのが
「居眠り爺さん」「居眠り婆さん」
なんです

『眠るフェリシア』
レース編みの途中で寝落ちしたフェリシア

『クララとアメデー』
夕餉の途中で寝落ちしたアメデー爺さん
「ほらお爺ちゃん 風邪ひきますよ」

『フェリシーとレアンドル』
「困った婆さんだわい」

これらカップルの作品は
最初から二人一対で作られているものもありますが
お気に入りのキャラクター同士を
別々に購入して
二人並べても良いように作られています


ここで
プロヴァンスの村々で
教会に設置された実際の『Crèche クレッシュ』を
いくつかご紹介しよう

『アヴィニヨン セレスタン教会のクレッシュ』


『エックス・アン・プロヴァンス カルメル会修道院聖堂のクレッシュ』


『コンブ村の教会のクレッシュ』





『ジュウカ村の教会のクレッシュ』








『ボニユー村の教会のクレッシュ』






『ガルディアン村の教会のクレッシュ』




普通
イエスの降誕の情景は
2千年前も20世紀前半までも
あまり区別のないプロヴァンスの風俗で表されるが
最後の写真は
古代を意識した『東方三博士』の行列の後ろに
白馬に乗った
現代のプロヴァンスの若い二人が通りかかるという
不思議な光景となっている

サントン人形
興味深いでしょう


※  ※

さて
もう一つの名物が突風
『ミストラル』

 ローヌ河河口に向かって北から突風が吹く
年に2百日以上も

私自身
昔マルセイユを車で走っていて
すぐ目の前の道路右端を漕いでいた自転車が
(車は右側通行です)
一瞬ののち
片側2車線対面交通の
一番左端を走っているのを目の当たりにする経験した

秒速10mほどしかないこともあるが
秒速40mを超えることも
稀ではない

上でご紹介したサントン人形でも

『Atelier Fouque フーク工房』の
ミストラルに耐える
パン屋のお婆ちゃまと羊飼いの人形

吹かなくなったら
ものすごく牧歌的な村や町の生活が
吹き始めたら何日間か吹き止まない
あまりにも日常的なので
プロヴァンスの人々は
その突風すら土地の誇りという扱いをして
北部中央文化圏から下に見られ続けてきたプロヴァンスで
『フレデリック・ミストラル』
プロヴァンス語の詩篇で「ノーベル文学賞」を受賞した喜びで
彼の名前を「土地の誇り」である突風につけてしまった


この木は
今まさにミストラルに吹き倒されるのに耐えている
のではなく
年中強風を受け続けた結果
こんな形に育ってしまっているのです

しかもこれ一本ではなく

こんな風に

こんな風に

今まさに強風が吹き荒れている光景

途中で折れかかって復活した木

都合よく
カーブの内側に押し倒されてる



もはや倒木


 突風もさることながら
フランスで一般的に『ミストラル』というと
70年代まで
特急列車の事でもありました


パリ・マルセイユ間の幹線列車の路線が
人気に高いヴァカンス地でイタリアの玄関口であるニースまで1100km弱
乗り換えなしで特急列車が結ぶことになったのです
1951年の事
一見普通の蒸気機関車に見えますが
なんと重油で走る機関車で
時速160kmという
超快速列車が誕生しました

その後1965年に地中海岸の電化に伴い全線電気機関車が使用されます


1等車は冷房車
全車両自動ドアという
ヨーロッパの鉄道にあって当時画期的な豪華な特急列車だったのです

1981年に
TGVという超高速新幹線に取って代わられて
幕を閉じましたが
私もミストラルに乗るときはわくわくしたものでした
= = = = = = = = = = = = = = = = = =
【お願い】
皆様の「ご感想」「ご意見」「ご要望」その他なんでもお待ちしております
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プロヴァンスを巡ろう 36 <ヴェルドン河の 渓谷美と美しい村々を訪れる 4>

2021-01-07 00:05:04 | 素晴らしき世界/フランス/プロヴァンス
ヴェルドン河 ダム湖 『Lac de Castillon カスティヨン湖』



ヴェルドン河にはダムが3基ある
つまりダム湖も三つ

グラン・キャニオンを挟んで

下流側に
『Le Lac de la Sainte-Croix サント・クロワ湖』

上流側に
『Le Lac de Castillon カスティヨン湖』
『Le Lac de Chaudanne ショーダンヌ湖』

言い換えると
それらのダムの間が『グラン・キャニヨン』ということになる

北から順に
湖を見てみよう


『カスティヨン湖』


標高がそこそこ高いとはいえ
プロヴァンスの夏の太陽は底抜けに明るい



近くで見ると
ヴェルドン河の水は
やはり緑色


一転
冬季には湖面が氷結し雪に覆われてしまうことも
稀ではない



それでダムですが





標高880mあたりに造られている
聞くところによると
満水で1億5千万㎥とか(ピンと来ませんね)



ショーダンヌ湖

一部凍った状態なのがお分かりになれるか



  一転
夏は当然ウォーター・スポーツの拠点となるが
カステラーヌ湖ほどの賑わいはない


ダムはというと


こんな感じです



ショーダンヌダムの方は
やや下流なので標高は790mほど
貯水能力は1600万㎥だそうなので
カスティヨン湖より小さい


水量調整の放水は
岩山を削ったトンネルから豪快に

これら
「カスティヨン湖」と「ショーダンヌ湖」とは
互いにに近く
間に
『カステラーヌ』という町がある


『Castellane カステラーヌ』

『カステラーヌ』と『Roc de Cqstellane カステラーヌ岩』

谷あいの
大岩の麓に寄り添ううように


教会の四角い鐘楼が頭二つ分ほど飛び抜けて
全体の屋根が美しい







『Eglise Sacré-Coeur 聖心教会』





『Eglise Saint-Victor 聖ヴィクトール教会』

なんと
二階の席がある



白の残骸の塔と
大岩の頂上の礼拝堂の塔と


大岩の頂上には
礼拝堂


『Chapelle Notre-Dame du Roc 岩の聖母礼拝堂』

11世紀には
この横の斜面に城があり
隣接して礼拝堂があった
城は塔の一つの残骸を覗いて跡形もなくなり
礼拝堂は18世紀に位置を変えて再建

町に戻って
『Le Roc 大岩』の上から見下ろすと


町を囲んでいた城壁の残った一部も見える
真ん中の下の方に
『サクレ・ク−ル(聖心)教会』が見える


このカステラーヌの町のあたりで「ヴェルドン河」を見ると
こう見える




 このようなロマネスクの時代の橋が
いくつか残る

それが俯瞰すると
ヴェルドン河の渓谷は実はこうなのです


「大峡谷」の名に恥じない
絶景と言って良い

そしてヴェルドン河の魅力は
渓谷美と美しい村々に
加えて
もう一つある

何を隠そう『ラヴェンダー』


※  ※

『Valensole ヴァランソール村』
サント・クロワ湖の北西20km弱


村自体は
プロヴァンスでは「何の変哲も無い」丘の村
しかし一歩出ると周りは


こうなのです
期間限定ですけれど

まず村自体のご紹介


てっぺんに聳えるのは
他の村々と違って城ではなく
教会

『Eglise Saint-Blaise 聖ブレーズ教会』

10世紀から教会があって
何度か建て直され拡大され
現在の形は14世紀前半
大聖堂ではなく単なる「教区聖堂」としては
躯体の大きさに非常に存在感がある

村は
7月半ばの『Fête des Lavendres ラヴェンダー祭り』の際は
非常に賑わう




屋台で
可愛らしい帽子の形のラヴェンダーの匂い袋が
売られていた

『広場の噴水』


もう一つ別の噴水が
「共同洗濯場」の前にもあった



そして
城は丘の一番下

『Château de Valensole ヴァランソール城』


この城は「シャトー民宿」をやっている
あなたも
このお部屋「など」に泊まれるわけです


村の中はこうだが
一歩村の外に出ると


こうなる
「期間限定」ですが


こんな風です


あとはもう
これでもか
こでれもか

でもご注意


早く訪れすぎると
まだ
こんな光景しかありません













朝霞のラヴェンダー畑

雪山が背景になることも



収穫中

開花以前

さあ
季節を間違わずに
Let's Go!


= = = = = = = = = = = = = = = = = = 
次のサイトにもどうぞ
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プロヴァンスを巡ろう 35 <ヴェルドン河の 渓谷美と美しい村々を訪れる 3>

2021-01-06 00:05:04 | 素晴らしき世界/フランス/プロヴァンス
ヴェルドン河ダム湖『Lac de Caudanne コーダンヌ湖』



『Rougon ルゥゴン村』

『Rougon ルゥゴン村』全景

岩山の頂上が城址


城址

村はこの向こう側で見えない

城壁の一部が確認できる



『村役場』
のどかとしか言い様がない役場

『Chapelle Saint-Christophe 聖クリストフ礼拝堂』
ロマネスクの時代の優美な礼拝堂がポツンと


もはや山の中の限界集落の趣

集落と城址 遠景




※  ※

『Sainte-Croix du verdon サント・クロワ・デュ・ヴェルドン村』


グラン・キャニヨンの出口
サント・クロワ胡の入り口
湖自身の名を名乗る村


夏のシーズンの賑わいは実に楽しげ







※  ※

『Entrevaux アントルヴォー村』


まさに絶景
この世の奇観


川から村が
背後に向かってどんどん高くなり
城山に通じる


まず
石落としの付いた城門をくぐって橋を渡って
村に入る







集落の中に入り


集落の中を通り抜け


ジグザグの坂道を要塞まで登る



この要塞は
17世紀ルイ14世の御代
王室技術部隊ヴォーバン元帥の手になる
欧州中に同形式の要塞建築が広がり
ついには
札幌に五稜郭まで作った要塞建築


この要塞建築は
平地の完成形の星形要塞ではなく
あくまで
山城の形式


綴れ織りの坂と階段を上り詰めて
要塞の入り口

この村は
かつては重要な戦略的拠点で人口も多く
18世紀末までは司教座で大聖堂が残っている

『cathédrale Notre-Dame de l'Assomption 被昇天の聖母大聖堂』

外観の素朴さにたがい
内部は
18世紀末まで大聖堂であったことを彷彿とさせる






村の要の位置に大聖堂があり
そこから先は要塞への進入路

Photo : ⓒverdontourism


※  ※

『Saint-Martin de Brômes サン・マルタン・ド・ブローム村』

村の俯瞰


『時計塔』
明らかにかつての城の一部だろう
城の面影を想像することは難しい


『Eglise Saint-Martin de St-Martin de Brôme 聖マルタン教会』
ロマネスクの時代の見事な教会





村の中

ここにも「苔むす噴水」がある

これは
1847年と彫りこまれている噴水




教会の正面進入路

時代を感じさせてくれる甍の波

町外れの「祠」




※  ※

『Comps-sur-Artuby コン・シュー・アルテュビー村』


丘の
ほぼ頂上に堂々と聳え立つのは
礼拝堂


『Chapelle Saint-André 聖アンドレ礼拝堂』
13世紀建立の『テンプル騎士団』の礼拝堂


したから近づくと
こう見える


内部は素朴で純粋

小さな村とはいえ
教会は他にもいくつもある

『Eglise Saint-Didié 聖ディディエ教会』
建立は12世紀

『Chapelle saint-Jean 聖ヨハネ礼拝堂』
今は
既に教会としては使われていない

『Eglise sainte-Philomène 聖フィロメーヌ教会』





『Chapelle Saint-Jean 聖ヨハネ礼拝堂』
12世紀建立

いずれも
建立当時の「ロマネスク様式」の姿が今日まで保たれてきた
素晴らしい文化財

この村のアクセスで
「ヴェルドン河」の支流『アルテュビー川」を渡る橋がある

『Mauvais Pont 悪い橋』
多分細くて水面下が高い「危ない」橋だから
そういう名前が残ったのだろうと
勝手に考えている

さらに村のすぐ近くの小さな流れ『スッシュ川』を
渡る橋もある

『Pont de la Souche スッシュ橋』

これらの橋も
上記の教会達と同じくらい古い橋なのだ


※  ※

『Saint-André les Alpes サン・タンドレ・レ・ザルプ村』

サン・タンドレ・レ・ザルプ 全景

「アルプスの聖アンドレ」
と言う
ありがたい名前の町です

『Lac de Castillon カスティヨン湖』

ヴェルドン河の三つの人工湖の
最北端
写真の湖水は凍っています

この辺りは
『Alepes-Haute-Provence アルプス・高プロヴァンス』
と言う県で
もっとも北端です

「Crète de la Charmette  シャルメット尾根」
を背景に
『Eglise St-André les Alpes アルプスの聖アンドレ教会』


尖塔屋根まで石葺き

『Eglise de Courchons クールション教会』の廃墟

当然夏は賑わう


7月の青空市

『Sentinelle de Tortone トルトーネの見張り兵士』

平板切石乾積み造りの
背後の尾根のモニュメント
= = = = = = = = = = = = = = = = = = =
以下のサイトも御覧ください
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