行ってみませんか... こんな 素敵な世界へ

好奇心旺盛な長年の体験で、行って、見て、食べて、泊まった素敵な世界を、皆んなにちょっぴりお裾分け...

パリで美術三昧 <ジャックマール・アンドレ美術館で ターナーの特別展をやってる>

2020-09-30 16:28:06 | 素晴らしき世界/パリ/美術
パリ9区オスマン大通り 『MUSEE JACQUEMART-ANDRE』



19世紀後半に裕福な銀行家のエドウアール・アンドレさんは
巨額の遺産を受け継いでパリに大邸宅を建て
若き画家ネリー・ジャックマールさんと結婚します。

これが
美術館の名前の由来


皇帝ナポレオン3世の衛兵の制服姿の
『エドウアール・アンドレ』(1857)


生来美術収集家であった彼は
妻ネリーの助言も受けて数多くの見事な作品を集め
エドウアール亡き後ネリーが引き継ぎ
それがフランス学士院に遺贈されて
20世紀初頭に建物ごと美術館になりました





大通りから
玄関を入るとそのまま中庭に抜けるような構造で

中庭にある正面玄関から館内に入ります

入って最初の「エントランス・ホール」には
壁全面に絵画
その他彫刻や工芸品がうじゃうじゃと飾られていて




左右の壁の上部に一枚ずつ
『フランソワ・ブーシェ』の珠玉の小品が二点


『ユノンの宝石を身に付けるヴィーナス』(1738)


『アモルに見守られて眠るヴィーナス』(1738)


『ターナー特別展』をご紹介する前に
常設展を一回りしてみよう

作品群もだが
内装自体が素晴らしい


次の部屋は『グラン・サロン』


レセプションなどはここで行われた




天井画も見事だが
大きすぎて写せない


ここから左に展示室が連なる




テーブルもチェストも
宮廷指物師の名品ばかり

そして
天井画が『ティエポロ』だったりする



『裁きと平和のアレゴリー』(1741/42)

もちろん
この邸宅の建設時に
ティエポロをイタリアから招いて書いてもらったわけではない

イタリアで
彼の天井用板絵を見つけて買い取って
この天井に使用した

別の部屋にも

『ヘラクレスのアポテオセス(神格化)』



個別の展示作品から
著名は画家の作品を幾つか挙げてみる

『検事の肖像』 アントン・ファン・ダイク (1620頃)



『老人の頭部』ジャン=オノレ・フラゴナール(1767〜69)



『エマイウスの巡礼』レンブラント(1628頃)



『男の肖像』フィリップ・ド・シャンペーニュ(1652)



『ヴェニスの空想的入り口』グアルディ(1778〜80)




上の回に上る階段が見事な造形なのです




その周辺にも
古代文明の彫刻やレリーフがいくつも飾られている

『ギリシアの大理石像』2世紀



『襞のある衣服の神像』紀元前4世紀



『翼のないニケ像』(ヘレニスム時代)


階段を登ろう




壁の上部に
またティエポロのフレスコが

『コンタリーニ家に迎えられるフランス王アンリ3世』(1745年頃)


上の階に細かな工芸品が飾られたケースがあり
中にヴェロッキオのブロンズ小品があった



あのレオナルド・ダ・ヴィンチの
唯一の師匠
当代一と言われた彫刻家にして画家

『聖ヨハネの洗礼』を描くとき
隅の天使の一人を10代の弟子レオナルドに任せたところ

自分の描いた天使と比べてあまりの見事な出来栄えに驚愕し
筆を折って二度と絵画の注文は引き受けず
ブロンズ彫刻だけに専念した

あの
ヴェロッキオ


そのまま二階の奥に進むと「特別展」の会場だが
そのご紹介は次回にして

一旦下にまた降りる

この邸宅が美術館になる前
上流階級の住居だったことを偲ばせる
当時の室内の幾つかが往時のままに
保存されている













ほとんどの家具調度は
ルイ15世か16世の時代のもの
つまり18世紀

ため息をつくだけ


では『ターナー特別展』は
次回にご案内します

お楽しみに

= = = = = = = = = = = = = = = = = =
下のサイトも御覧ください
https://veritas21.com/『こんな旅がしてみたい 誰もまねのできない 旅のプランナー』






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スペインのバスクに行こう 2 <バスクが生んだ偉大な聖人 イグナティオ・デ・ロヨラの生地を詣でた>

2020-09-28 01:19:56 | 素晴らしき世界/スペイン
SANTARIO de SAN IGNATIO(聖イグナティオの聖所)



スペイン・バスクの海岸から少し内陸の山地に入って行くと
アズペイチアという町のはずれに
ロヨラという聖地がある

中世から近世において
地元の小領主『ロヨラ家』の城があった場所に
17世紀にイエズス会が建立した聖所


15世紀末の城の模型がある




そこで生を受けた一人の男子が
いろいろあって危機に瀕していたローマ・カトリックを
再生させることになる

その男子の名は
『イグナティオ』
1491年暮れの事であった


その彼が聖職に入り
修道士として出会った『フランシスコ・ザヴィエル』と
ローマ教会再生を近い
『イエズス会』を創設する


神の啓示を得るイグナティオ


この場所は
彼の生家であるイグナティオ城を包み込むようにして
教会堂と
修道院と
資料館と
イエズス会事務局と
巡礼者の収容施設
からなる
広大な建造物だ





左右対称形の建物の
中央部が教会堂


正面入り口上部に
『バジリカ聖堂』
(教区を定めず世界中の信者を等しく受け入れる聖堂)
とあり
巡礼地であることがわかる





内部は
円形の『バロック』の様式



本来は
世界に布教活動を行ったイエズス会独特の
『ジェジュイット(イエズス会)様式』
があるのだが

残念ながら17世紀の事ゆえ
バチカンは豪華なバロック様式で作った
聖人のために


祭壇は
左右がバロック独特の
大理石製のねじねじ円柱で飾られたている



天井は
丸いクーポラで
天井画で飾られ
中央は明かりとりのランテルヌ





聖堂を出て
そのままつながる資料館の方に行ってみると




見事な大階段があり



その複雑化構造設計に
目をみはる

ただし通常は奥までは行くことはできない


一旦中庭のような空間に出ると

そこには
嘗ての城が
そっくりそのまま保存されていた

その中が資料館




相当の天井の高さであろう二階部分ほどまでが石積み
その上はレンガ構造担っている
レンガの部分は構成の再建であろう



銃丸付きの矢狭間が見られることで
戦国の世の城塞であったことが
垣間見られる

中も
再建だと思われるが
往時の生活環境を理解できるように
家財などが置かれている



地方の小領主の城塞である
絢爛豪華などとは縁がない質実剛健








イグナティオが
出家するため
家族と最後の時を過ごしたとされる部屋が
奥にある


ガラス越しにだが
想像を膨らませると
歴史に触れる感じを味わう事ができるだろう


さらに


当時の用途は不明だが
この広い部屋の奥の横長の家具の上の部分が
祭壇のように仕立ててあった



城の礼拝堂は
ちゃんと別にあるので
ちょっとした『神棚』みたいなものだったか


その「礼拝室」がここ


手前の長椅子が
家来と使用人のための席

奥が



あるじ家族の空間

家族たちは
毎晩

日曜日や祝日には
城の全員が集まって
礼拝を執り行っていたのであろう

通路にも
あれこれ展示物があり




エルサレム巡礼から帰還したイグナティオが
フランシスコ・ザヴィエルと
邂逅したシーンの
ステンドグラスもある




最後に
イエズス会を創設し
初代総長に就いたイグナチオの「デスマスク」も
見ることができる






この『ロヨラ村』から道なりに北へ40Kmほど
車で30分で

スペイン・バスクの景勝の地
『ドノスティア』
(カスティーリア語で『サン・セバスティアン』)
という有名なリゾート地がある



近年
日本でも美食の町として知られているらしい

バルの並ぶ通りで
ピンチョとバスク語でいう
やや凝ったタパス(おつまみ)があまりにも名高い
その上
3つ星が2軒もあります

今度ご紹介しようかな。。

= = = = = = = = = = = = = = = = = =
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パリで美術三昧 <マルモッタン美術館 モンドリアン特別展>

2020-09-27 01:01:26 | 素晴らしき世界/パリ/美術
モンドリアン『青と黄とピンクのコンポジション』



2の0世紀前半の抽象画家として
その作品を
あらゆる場所で目にしてきた代表的な画家は
『モンドリアン』
ではなかろうか




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スペインのバスクに行こう 1 <ゲルニカの町に佇んで 自分の今を見つめよう>

2020-09-25 00:33:18 | 素晴らしき世界/スペイン/美術
ゲルニカの街中の『ゲルニカ』の複製


もう一度スペインに戻って

カタルーニアとは反対側
北西部の『バスク』に飛んでみよう

スペイン北西部とフランス南西部とにまたがる
『バスク』地方は
スペイン側の首都は「ビルバオ」

そして
現代史上最も象徴的な町が
『ゲルニカ』

バスク語表記『GUERNIKA=LUMO』
スペイン標準カスティーリア語表記『GUERNICA y LOMO』



時は1937年


スペイン バスク自治州ビスカイヤ県 『ゲルニカ=ルモ』
廃墟となった

4月26日の夜だった


スペイン全土を掌握しようとするファシストのフランコが
苦戦していた
反ファシストの人民軍『バスク独立戦線』との戦いを支援するために

ヒトラーは空軍部隊「コンドル部隊」を派遣し
徹底的な空襲を敢行









町は
ほぼ全滅だった


ヒトラーは
「バスク解放軍の仕業だった」
言い逃れをしたために世界中から怒りを買った







歩いていると
歩道に
こんなタイルがはめ込まれている


『バスク』という地名は
現地語で
「聖なる樫の木」



矢印の示す方向へ歩いて行くと


ドーリア式円形神殿で

大空襲で全滅した『ゲルニカ』の
町のシンボルだった
『樫の木』(当時4代目)
コンクリート処理をされて
保存されている




現在は「6代目」の樫

14世紀に町がつくられ
港を守る町の独立を領主が保障した

以後
ビスカイヤ伯爵
イスパニア国王
フランコ総督
バスク・ビスカイヤ自治州首相
たちは
即位の戴冠式や就任式の後

必ずゲルニカの町を訪れ
自治州議会議事堂で
『ゲルニカ』の自治権を守る宣誓式を
執りおこなう

その独立のシンボルとして
一本の樫の木が
歴史を超えて大切に守られ

枯れかかると
接ぎ木で代々伝えられてきた樫の木が
町の象徴とされているのです


自治州議会議事堂があり


広間の天井からは

シンボルの樫の木が
ステンドグラスの天井全体から

日陰を作ってくれている




自治州首相の
専用の椅子



未だに自治州議会が開かれる
議場


壁には
歴代ビスカイヤ伯爵
イスパニア王
自治州首相
肖像画が議場を見下ろしている


この議場に
議会開催中の写真が貼ってあった






現在
過去の不幸な破壊の傷跡は残っていない

あの石化した「樫の木」以外は



破壊以前と
ほぼ同じように再建された
中央広場

この建物の反対側に
『ゲルニカ平和記念館』(Museo des Pas de Guernika)
が設けられている





今回掲載したモノクロ写真は
この記念館からコピーさせていただいた


【閲覧注意】



この惨劇を前にして

1937年のパリ万博に出品を依頼されていた「パブロ・ピカソ」は
怒りと悲しみとを
全力でぶつけて
彼の代表作の一枚となる『ゲルニカ』を描き上げた

色彩のない
モノトーンで




人間の持つ

野蛮性や暴力を前にしての
無力感
悲しみ
怒り
嘆き
恐れ

などを
生々しく表現している

色彩なしで


おそらく
「牛」や「馬」で表されているのは

人間の
動物としての
「獣性」や「暴力性」や「野蛮さ」や「愚かさ」
つまり
「非文明性」「非精神性」







そして
人で表されているものが



精神を持った
動物とは違う人間の
「虚弱性」や「無力感」や


「恐れ」や「嘆き」や「絶望感」や「あきらめ」や「怒り」
など


「文明」「精神」
ではなかろうか

『日常と平和を奪う者』者の狂気
『日常と平和を奪われた者』の激情


もちろん
直裁的には
「幼い子供も含めてほぼ全員の市民」や「女子修道院の尼僧たち」
に加えて
牛馬ら「家畜」までが
命を奪われた事実から

家畜においてすら
不合理な暴力への悲しみや怒りが迸り溢れ出ている

と解釈する方が普通のようである



今現在

食べて
寝て
一応明日もあるはずの

生きている自分に感謝し

その
人間の本来の感情や精神の営みを暴力で叩き潰す思想や行動に

抵抗したいと
思った........


今回は、感情の赴くままに重たい内容になってしまったかもしれません。
これからは、明るい世の中で楽しく旅行できる喜びを、お伝えしたいと思います。

次回をお楽しみに
= = = = = = = = = = = = = = = = =
右のカラムにある「ブックマーク」から
『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない たびにプランナー』も訪問してみてください


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パリで美術三昧 『マルモッタン美術館特別展』<セザンヌを軸に 新旧のイタリアの画家との本歌取り>

2020-09-23 01:15:23 | 素晴らしい世界/美術



ポルトガル紀行を一旦離れます。



パリの『マルモッタン美術館』で、今年の2月末から7月初まで『セザンヌとイタリアの画家たち "イタリアの夢" 展』という特別展をやっていた。

ほとんどの時期が自粛とロックダウンとで閉館していたのですが、結局来年1月3日まで延長がが決まりました。







早速行ってみた。



前半は
ポール・セザンヌ本人が
ルネッサンスの先達たちの作品からインスピレーションを受けた
セザンヌの『本歌取り』作品

後半は
セザンヌの作品に想を得て
独自の作品に取り入れたイタリアで活躍した画家たちの「本歌取り」作品



  

左 『十字架降架』ティントレット(1580)
右 『吊るされた女』ポール・セザンヌ (1875〜76)

画面の中の種々のポイントの配列と
その角度と比例配分
両手を広げて嘆く女性の存在



  

左 『若い女の肖像』エル・グレコ(16世紀末〜17世紀初頭)
右 『ミンクのストールの女』セザンヌ(1885〜86)

エル・グレコもスペインンイ行く前、イタリアで仕事をした

全体の雰囲気
面長の顔つき
目線の先を感じさせる内面の存在感



  

左 『オリーブの庭のイエス』グレコ(1600〜10)
右 『宗教的光景』セザンヌ(1860〜62)

『主」の前で恐れおののく人々
ほとばしる驚きに包まれた主



  

左 『最後の晩餐』ティントレット(1566)
右 『饗宴の準備』セザンヌ(1888〜90)

画面構造と人々の配置



  

左 『若い女の肖像』フランチェスコ・トレヴィザーニ(1725頃)
右 『エミール・ゾラの肖像』セザンヌ(1862〜64)

空白と満足されたスペースとの空間配分
主人公の顔の中央への埋まりこみ



  

左 『(ナイル)河から救助されたモーゼ』ニコラ・プッサン(1638)
右 『牧歌的光景』セザンヌ(1870)

画面の分割と主要な素材の配置



  

左 『バッカスとケレスのいる風景』プッサン(1625〜28)
右 『四人の水浴する女』セザンヌ(1877〜78)
手前右の人物左の人物などの配置とキャンバスに描く線
レネッサンスの主要テーマの19世紀風の解釈

このセザンヌの主題はエドウアール・マネに受け継がれる




ここからは
セザンヌより後のイタリアの画家たちの
セザンヌへの『本歌取り』作品



  

左 『プロヴァンス地方のうねる小道』セザンヌ(1866かそれ以降)
右 『路』アドレンゴ・ソフィッチ(1911)



  

左 『プロヴァンスの風景』セザンヌ(1879〜82)
右 『風景』オットーネ・ローザイ(1922)



  

左 『ジュールダンの小屋』セザンヌ(1906)
右 『風景』ジョウルジオ・モランディイ(1942)



  

左 『ローヴへの高地のくねる小道』セザンヌ(1904〜06)
右 『海岸の脱衣小屋』カルロ・カッラ(1927)



  

左 『リキュールの瓶』セザンヌ(1890頃)
右 『梨とコーヒーポットノアる静物』カッラ(1933)



  

左 『肘をつくセザンヌ夫人』セザンヌ(1873〜74)
右 『若い女の肖像』ウンベルト・ボッチオーニ(1910)



  

左 『座る男』セザンヌ(1905〜06)
右 『弟エットーレ』マリオ・スィローニ(1910)





『五人の水浴する女達』セザンヌ(1900〜04)

   

左 『水浴する女達』ジオルジオ・モランディ(1915)
右 『背中を見せた水浴する女達』(1955)





『梨と緑リンゴのある静物』セザンヌ(1873)

  

左 『瓶とコップのある静物』モランディイ(1945〜55)
右 『静物』もランディイ(1960)


いかがですか

こうして直接比べられると
それぞれの画家たちの
学び方
視方
感じ取った中井も表し方

などが
理解できるような気がします



全部をご紹介したわけではありませんが、非常に有意義な展示会でした。

ちなみに、この『マルモッタン美術館』に、『印象派』という美術運動のグループを呼ぶ名前の起こりである、『印象・日の出』という絵があります。





では、次回は何をご紹介しましょうか?
お楽しみに。

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ご旅行にご興味がおあるでしたら下のサイトも御覧ください
⬇︎
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ポルトガルで泊まろう 3 <ポルトガルのホテルは イイね! 南部編>

2020-09-21 01:09:44 | 素晴らしき世界/ポルトガル/ホテル
POUSADA DE INFANTE



今回は
ポルトガル南部のホテルを
ご紹介します


【SAGRES】

まず最南端『アルガルベ』地方

ポルトガル最南端は海に面しているものの
「まだ」地中海ではないのです
東に繋がるスペインの「アンダルシア」地方の『ジブラルタル』までは
大西洋なのです


その南西端のサグレシ岬



岬の断崖の上の白亜の館
昔の要塞の様な姿形とロケーションで...




アルガルベ地方南西最先端のサグレシュ岬にあるホテル
『インファンテ』




平面図的には要塞そのもの

プールは大小二つ

周りは何もない
集落もない

あるのは
蒼い空
碧い海
止まった様な時間

ただそれだけ




フロント周りからして
時が止まってる




ロビーも



バーも



レストランも

ただシンプルでピュアー



客室はと言いますと


大きな部屋も



普通の部屋も

シンプル & ピュアーですが

底抜けに明るい
光に溢れている

快適な時を過ごす為だけに
作られているんです


あなたが
日頃のストレスから解放される為に
お越しになるのを

いつも静かにお待ちしています


※  ※  ※


次も同じアルガルベですが
海から少し離れて内陸へ


【MONCARAPACHO】

強い日差しに焼かれた岩肌と糸杉の
モンカラパッショという土地にある
『ヴィラ・モンテ・ファーム・ハウス・リゾート』
という名のリゾート・ホテル




ファーム・ハウスと言っても
農家ホテルではありません





起伏のある土地を利用して
自然な環境の中に
20部屋とか40部屋とかの棟が巧みに配置され

スパもある






思いがけない発見もある




レストランは
カジュアル
かつ上品に



客室も


広い部屋も




普通の部屋も



リゾートホテルそのもの

ここのスパのマッサージは
効きます


※  ※  ※


また
海辺に戻ります


【VILA NOVA DE MILFONTES】

ポルトガル南西端のサグレシから
西の海岸線を北上すること120km

小さな湾に面して
『ヴィラ・ノーヴァ・デ・ミルフォンテシ』
という町がある




この写真の中央
お城があるのがお分かりだろうか

『Forte Sâo Clement』要塞

それがホテルなのです


正面のゲートは
この様になっております


  



ご宿泊されますと



どなたももれなく
跳ね橋を渡って
城内に入る特権が付いてきます♡

そのまま中に入ると



玄関間
この様に


そのまま突き抜けますと



この様な
中庭になっております

いかがですか?
雰囲気満点でしょう?


ただ残念ながら
客室やレストランの写真が残っていませんでした



※  ※  ※


ポルトガル西端から一挙に東に飛びます

ポルトガル南端部のアルガルベ地方の北に隣接する
「アレンテージョ地方」

リスボンから西へ250Kmほどで

『エシュトレモシ』と『ヴィラ・ヴィソーサ』という
雰囲気満点の古い町があります

(ポルトガル中部と言ってもハズレではない)



【VILA VIÇOSA】

17〜18世紀の大公の宮殿と
中世の城塞とが残っています

そこの
『ホテル・デ・ドン・ジョアン6世』




かつての
修道院だった建物です


修道院であったからには
必ず回廊が


最上階から撮してみた



地上階からも
撮してみた


回廊や廊下を探検してみると

各所に
往時の装飾のフレスコ画などが残されていた


  


  



回廊の壁はもちろん



回廊の内側の廊下の壁にも
あたかも「タピスリー」が飾られているかのように




レストランの壁にまで



『最後の晩餐』が...


レストランといえばこんな感じ


夕食時




朝食時


そして
ロビーの一角





当然バーもあります




肝心の客室も忘れずに


小さい方のジュニア・スイートです


夕食を終えて回廊に出てみると
こんな感じになっておりました





※  ※  ※


そのヴィラ・ヴィソーサのすぐ近くに
『エシトレモシ』
という町があります

そこの『レイーナ・サンタ・イザベラ』というホテルを
是非
今回ご紹介したい
訳して『聖イザベラ女王』




ここは
かつてのエシトレモシのお城でした


中世戦国時代の城塞の塔が残っている
そのすぐ後ろ





玄関のアップ



中は
お城の時代の大広間をいくつもつなげて
ロビーというか
博物館というか





あっちを見ても
こっちを見ても



年代物の家具が
数多く飾られている


金箔型押し彩色の
「コルドバ皮」をはった
見事な椅子




このキャビネットがとても気に入った私は
持って帰りたくてたまらなくなったぢゃないか!
と一人でツッコミました
(すみません)


ある階段は



オフシーズンを利用して
絨毯の張り替えをやっていた



奥にメイン・ダイニング



オフシーズンだったのでお客も少なく
使わない奥の部分は
電気も消してあった




客室は



こんな「ジュニア・スイート」だったり
(右隣にサロンあり)



こんな「ツイン・ルーム」だったり


中庭もあります


表の
古い塔が圧倒的存在感


玄関を外に出ると


軒先の上には

王冠とともに
ポルトガル王室の紋章が
今日もゲストの出入りを見守っておりました


さらに
表の塔の横を回り込んで行けば

古い城塞の一部も
しっかり残っていました





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このリンクもご覧くださると幸いです
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ポルトガルで泊まろう 2 <ポルトガルのホテルは イイネ! 中部編>

2020-09-18 01:04:54 | 素晴らしき世界/ポルトガル/ホテル
HOTEL ALTIS BELEM / LISBOA



前回に引き続き
ポルトガルのホテル<中部編>
最初は首都リスボンから

【LISBOA】

私は
現代的な素敵なホテルと
歴史的文化財を利用している素敵なホテルとがあったら
絶対に後者を選ぶのですが...

リスボンだけは超近代的な『アルティス・ベレン』
敢えてご紹介します






なぜかと言いますと
偶には良いでしょ


何しろ
あの
『大航海 発見記念碑』
『ベレンの塔』
『ジェロニモシュ王室修道院』
のすぐ近くなんです



そして
リスボンのシンボル『テージョ河』の真ん前


屋上はサンデッキだし
プールもあるし



対岸の「大キリスト像」も見えるし

発見記念碑も見えるし



全館総ガラス張りだし





客室までガラスが多用されていて
とにかく
底抜けに開放的




お部屋は広々

レストランも光溢れて



気分はいやがうえにも
Viva Portugal !
な気分ではち切れそうになること請け合い

場合によっては明るすぎるのは...
でも心配ご無用

メイン・ダイニングでは




しっぽりと
二人だけの世界にも浸れますからね


そして



このオープンデッキは
ランチや
午後の冷たいヴィーニョ・ヴェルデのグラスを傾けるのに最高です



※  ※  ※


 リスボンはテージョ河の河口
そのリスボンから30㎞ほどテージョに沿って走ると大西洋

そのあたりには
『エシュトリル』(F1のサーキットあり)と並んで
『カシュカイシュ』と云う世界の富豪の集うリゾートがあります

と言ってもそこはポルトガル
地中海の高級リゾートに比べれば
全く臆すことなく入って行けます

そのカシュカイスの外れ
ギンショー岬に
『フォルテンサ・デ・ギンショー』

その名も「ギンショー要塞」



一目瞭然
ギンショー岬の先端から海を見晴らし
カシュカイシュの湾を護る要塞だった建物です




左右に大砲を持つ正面の門を入って
前面と左右の三方向が海に向いている防御の建物だった
その真ん中の中庭にガラスで屋根を作って
ロビーに仕立ててあるのです



外観から想像してください


ロビーを
上階のギャラリーから見下ろすと


正面の玄関口の方に向いた角度


バーを伴ったサロンでくつろぐ




そのサロンに続いて
メイン・ダイニングがあります





夕食の時間帯はしっとり

でも
同じ部屋を昼食時に見ると




レストランからお部屋に戻るときには
エレベーターもありますが
ぜひ階段で




なぜかと言いますと

敷き詰めてある段通と思しき絨毯が見事なのです
美しいだけでなく



一段一段折り返しながら
徐々に右回りに螺旋を描くのに
中央の木の幹が
そのまま「直線」に繋がって見える

これを織り上げるのは大変な手間だったと思います
「この階段」のための特注ですね


上の階が客室です
一部屋ご紹介しましょう



レンガのアーチ天井が剥きだしで
雰囲気満点

それから特筆すべきは
このホテルのレストランは
ポルトガル全国で2店しかなかった
『ミシュラン』の一つ星の栄誉に輝いているのです


ということで
ある夜のディナーもあげておきます




前菜四種



手長海老と梨とブドウのソテー




ビーフとフォアグラの市松ゼリー寄せ




エイの縁側 甲殻類のソース





デザート三種
(二人分を一緒の皿に乗せて)


ポルトガルは
裏通りのざっかけないご飯屋さんでも
何を食べても美味しいので

わざわざ星付きのレストランで
フランス料理の技法で作った食事を食する必要は
ないのですが

レストランの雰囲気や
外に食べに行く時間や体力が無い様な時に
こんな上質の料理を出してくれる時はオススメですね


夕食前の日の沈む頃
お部屋のテラスから海を眺める




なんだか異次元に迷い込んだ様な
不思議な気分を味わった


正面も
そろそろ夜景になってきた頃だろう
出てみた





※  ※  ※


【OBIDOS】

また海から離れて
中世そのままの村『オビドシュ』に行ってみよう

このお城
『Castelo de Obidos』
がホテルなのです



15世紀かそこらの城塞
見張りと防備の拠点となる塔を数多く配して
四角く
頑丈な城壁を兼ねた建物で囲む

そんな戦国時代の城塞の四角い中庭の内側三方向に
後世16世紀くらいの建物が縦増されている




城門をくぐり
中庭に入り

この外階段を4段ほど登った右のアーチが
ホテルの玄関

そのまま階段を登れば
宿泊客以外でもレストランに直接入れるようにしてある


従って
中はレストランです




入ると結構落ち着く雰囲気ですよ


その中の
一押しの席が


ここ

左右の壁に二卓ずつ
計四席これがあります

たった四卓
要予約

客室の方に向かうには

レストランからバーを抜けて



廊下を進む



いろんな
大きさも内装も違う客室なので
大勢で泊りに行けば
お互いの部屋を訪問し合うのという
楽しみもあります

まず
広いお部屋


ベッドのある側と
反対側




それから
お約束でスイート・ルームですが



無駄に広すぎないかしらん



バスルームの片隅に
古いお城の石積みの一部が見えてます

というか
見えるようにしてあります

ヨーロッパでは
古いものほど価値があり
オリジナルのパートは積極的に残すようにします


普通の部屋


窓の両側に
壁の厚みを利用して石のベンチが作られている
見張りの兵士が座れるように

このくらいのお部屋の方が落ち着くかも


そして
私の大好きな一押しの部屋が


最初の写真と反対側の
村の方から見たお城ですが

城壁の左右の塔の中!

一番のお薦めは
向かって右の高い方の塔の中の客室

そこが取れなければ
低いの塔で我慢するしかない



レストランを出て
客室の並ぶ建物を通り抜けて
外に出ると
目の前の塔

入り口は
すぐに侵入されないように
一階分高いところにあるので
外階段を登るのです


写真でお分かりになるだろうか


低い方の塔には
そこから右に曲がる
城壁の上の順警路を行きます


なにはさておき
塔に入ってみよう



塔に入ってすぐは
サロン(リビング)で
ベッドルームはさらにもう一つ上の階





どうです?
ワクワクしてきませんか?


低い方の塔のお部屋は


下がこうで



ベッドは
いわゆるメゾネット風の中二階の様に作った部分にあります


窓はほとんどなく
あってもとても小さい

敵の弾丸が飛び込みにくい様に
防御の拠点となる塔は開口部をほとんど開けなかったのでした

どうでしょう

ヨーロッパの中世の気分に浸れる事
請け合いです


広間
お部屋の塔の外の城壁から村を見ると



町を見下ろすと美しい家並み

殿様になって
天守から町を見る気分で晴れ晴れしますよね


今回はここまで
次回の<南部編>もお楽しみに

= = = = = = = = = = = = = = = = = =

閲覧に来ていただいたみなさまへ。
弊ブログは、もちろんスマートフォンでも大歓迎ですが、可能であればタブレットか、理想を言えばパソコンでご覧頂く事をお薦めいたします。
その方が構成上、写真がより映えるはずです。

= = = = = = = = = = = = = = = = = =
次のサイトもご覧いただけると嬉しいです。旅行の御案内ですが、写真もたくさんあります。
https://veritas21.com 『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない 旅のプランナー』


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ポルトガルで泊まろう 1 <ポルトガルのホテルは イイネ! 北部編>

2020-09-16 00:32:04 | 素晴らしき世界/ポルトガル/ホテル
HOTEL INFANTE DE SAGRES / PORTO



ポルトガルには
歴史や伝統を感じさせる素敵なホテルが数多くあります

まず
北部の中心都市『ポルト』から二軒ご紹介しよう


【PORTO】

最初はポルト市内の中心部にある
『インファンテ・デ・サグレシュ』

建物の外観は以外と平凡だが
中に入ると重厚長大絢爛豪華




玄関からしてこんな感じです
ちゃんと
ベル・キャプテン自身がお出迎え



18世紀頃東インド会社が中国か日本に発注したであろう
大壺が雰囲気をそそってくれます


奥の突き当たりの壁にエレベーターが二機



エレベーターの外扉は木製
内扉は鉄の蛇腹仕様



ちなみに
写真の左側のガラスの向こう側は
ウインター・ガーデン風のロビーです


蛇腹の扉
その外側の木の扉を開けると
フロアーの廊下に出る





お部屋は


スイート・ルームはこのような感じになっておりまして

もっと普通のお部屋は


意外とシンプルで
肩が凝らずに済みそうですね


ところでこのホテルは
あまり高い階でなければ
ぜひ
階段を使用すべきなのです

なぜなら


階段ホールがすごいステンドグラスだから



メイン・ダイニング




そして
先程のウインター・ガーデン


中庭をガラスの天井で蓋をして部屋にしたのが
ウインター・ガーデン

朝食はここでも取れます


いかがですか
いい感じでしょう




次はポルトの街の郊外

『ドウエロ河』の岸辺の高台にあるのが
『パラシオ・デ・フレッショ』




瀟洒な正面


ロビーも




やっぱり
瀟洒

そして廊下も


やっぱり瀟洒


ですが
お部屋は以外とシンプル

広いお部屋と



普通のお部屋




清潔感たっぷりで
リラックスできそうです


レストラン


手ぶれ写真で
申し訳ありません


最後に夜景で締めましょう





※  ※  ※


次に
最北端の臨海都市『ヴィアーナ・ド・カステロ』をご紹介しよう

【VIANA DO CASTELO】


大航海時代に多くの帆船が出港した『リマ河』河口を見下ろす高台に聳える
『サンタ・ルシア・バジリカ聖堂』をさらに見下ろす
絶好の位置
『モンテ・サンタ・ルシア』



『サンタ・ルシア・バジリカ聖堂』


お部屋のテラスから見た『BASILICA DA SANTA LUZIA』



肝心のホテルですが
正面




ロビー


朝食のレストランも兼ねる


メイン・ダイニング


もちろん
ここでも朝食は取れる

このホテルの朝食のビュッフェ」に出る
卵黄だけで作ったフラン
最高に美味でした

普通のプリンよりやや固めの20センチほどの長さのレンガ型
当然好きなだけ切り取って良くて
ネットリ
コッテリ
あまあ〜くて

私に中では経験上一番美味しいフランだと思いました


※  ※  ※


【COIMBRA】

次はポルトに次ぐ北部第二の都市
内陸の大学都市の『コインブラ』です


街の中心の喧騒から離れて
静かな住宅地に中にひっそりと佇む旧貴族のお屋敷
『キンタ・ダシュ・ラグリマシュ』



正面だけ見ると
そんなに大きくは感じません

しかし
奥の方に建物が伸びててかなり大規模



かつては広間であったと思しき空間を
いくつも抜けて





客室のある棟へと
行くのです

もちろん
これらの広間の合間の廊下にも
お部屋は幾つかあります


広めのお部屋


内装はモダンでシック


狭めのお部屋も


居心地良さに溢れてます


スイートはといえば


こんなお部屋も

「屋根裏部屋」と言うと使用人の部屋
みたいですが
ヨーロッパではワンフロアー全部使えるので
屋根の下は広大なスイート・ルームに使われていることも多い


この館は
広大な自然のままのお庭があります


気候の良い季節は
メイン・ダイニングからそのまま外へ出られて「テラス席」

朝食は
これらの席が奪い合いになる



母屋の反対側は
緑のトンネルでした




奥へ行くと
昔の館の礼拝堂の一部が
廃墟としてあえて残してある









竹林も
きっと日本からもたらされたものに
違いない

やはり
ポルトガルは「遠くて近い国」


街へ出て
忙しく観光するのも良いけれど

半日ほど
お庭を歩き回ってのんびりする
そういう時間の過ごし方も素敵ですよ

それほど
こkのお庭は広いのです


次回
「ポルトガル 中部編」
次々回
「ポルトガル 南部編」
に続きます

 =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
下記のサイトも覗いてみてください
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ポルトガルを食べよう <ポルトガルは 美味しい!>

2020-09-14 00:08:47 | 素晴らしき世界/ポルトガル/グルメ
OVOS MOLES(ウオヴォス・モレシュ)



ポルトガル伝来といえば
火縄銃とカルタと
カステラ

原型は『Pao de Lo』(パン・デ・ロ)という
16世紀には既にできていたそうな

名前の意味は「絹のようなパン」


ポルトガル全域で作られており
地方によって多少異なる

しかし材料はどこも同じ
小麦粉と卵と砂糖だけ
バターなどの油類は一切使わない





北部地方では
素焼きの型にクッキングペーパーを敷いてバターを塗ってタネを入れ
蓋にもペーパーを敷いてバターを塗り
上下から均一に加熱する

焦げ目が均一

イーストも膨らし粉も入れないので
材料の攪拌によって混入された空気だけで膨らむ

従って作る時は必死で掻き混ぜる


家庭で作ったものは
それぞれ手でちぎって食べるそうです




中部以南では
蓋はぜず加熱する
表面は焼けて中は半熟の見切りが難しいらしい


切るとこうなる



スプーンで食べることもあるほど
中はトロトロ


もっと極端なものになると


オヴァール地方のパン・デ・ロともなると
ここまで卵が半熟となる
スプーン無くしては食べられない

これの
どこがパンなんだぁー



ところで
ポルトガルといえば海洋国

従って
魚介の消費量が非常に多い

しかも
誰も彼もエビが大好き

旅行中のある日曜日の昼過ぎ
山岳地の小さな村で昼食の時間になってしまい
レストランがどこにあるやら

聞いてみようにも人っ子一人歩いていない
周りじゅうの家は全部閉まってる

そこに
なにやら匂いが
そこで顔を上に向けて鼻をヒクヒクしてみたら
エビの焼ける匂いがしてきたではないか

その匂いをたどっていくと
無事にレストランにたどり着いた

冗談ではなく実体験です



さて



これは『カタプラーナ』という名の銅鍋

ポルトガル最南端
海に面した『アルガルベ地方』の独特の鍋

通りのお土産やさんの外壁に
何十ものこのカタプラーナが飾ってある

これで
エビを中心に
いろんな魚介を煮るのです

上下が同じ形だが
蓋の取っ手の一つをパチンと上に引っ掛けて密閉固定して
蒸し煮にする

エビだけで作れば「エビのカタプラーナ」
各種の魚介を入れると「海鮮カタプラーナ」
食材によって呼び分けることもあるが
料理名も『カタプラーナ』


中身は



こんな感じだったり



こんなだったり


味のベースは魚貝の旨みですが

土地々々によっては
蟹のミソを入れたり
ヒラメのキモを裏ごしして入れたり

いやはや
旨いのなんのって



他の地方に行くと
カタプラーナ鍋がないこともある

そういう地方では「海鮮煮込み」等という料理名で
土鍋やアルミの鍋のまま出してくる事もあります

例えば




もしくは







ところで
ポルトガルは蛸をたくさん食べます


これは
蛸のリゾット『Arroz de Poulpo(アローシュ・デ・プールポ)』
アローシュがポルトガル語でお米

お米を使った料理をアローシュと言います
ツユダクのおじや風だったり
炊き込み御飯風だったり

北部の「鴨アローシュ」も大変に美味




蛸のロースト

ポルトガルの一部では
クリスマスに欠かせないのが「蛸のロースト」だと聞きました



蛸の炒め


ところで
ポルトガルというとタラ料理が世界的に有名です
何回か前に書いた通り
大航海時代のブラジル帰りに船を空で返したくなくて
南米沖で大量に採れたタラを塩鱈にして祖国へ運んだ

市場で必ず売ってます


アイスランド産と書いてある
塩加減や加工法で値段が違うらしい
キロあたり11ユーロ台から16ユーロ台




一枚60〜80㎝ほどもある
1キロから2キロ以上のものまで


何日間も水につけて完全に塩抜きすると
ぷるぷるの生みたいな状態にまで戻るのです



それを
茹でたり蒸したりして
オリーブオイルたっぷりかける

あるいは


ムニエルに


そこまで戻さずに
途中でほぐして
コロッケにしたりグラタンにしたり
ムサカ風にしたりラザニア風にしたり



これは
ほぐしたタラを
細切りのフライドポテトと玉ねぎとで炒める料理




タラのコロッケ風とピロシキ風



ついでに揚げ物の類のごく一部もご紹介

これらは
なんとお菓子屋さんのショーケースの
お菓子の隣に並んでいるのです







同じショーケースには

  



  


結構素朴な
あえて言えば昔風の
あるいは田舎風の
そんなお菓子がぎっしりと並んでいる



ところで
魚介をウリにしているレストランは
表にその日の仕入れが展示してある事も多い







言葉が通じなくても
指差して「アレ」といえば
一人前づつ料理してくれます



太刀魚は
ふた切れで一人前だった

お魚は
炭火で豪快に焼いてくる
レモンと塩だけで何もいらないほど旨い



ところで中央部よりやや北の海岸に
『ナザレ』という有名な漁師村があり
毎朝イワシを採りに行って帰ってきた船を
おかみさん達と牛とが総出で地引網のように浜に引き上げることが
かつては映画で有名になった

今では有名なリゾートになってしまっているが
未だに漁師たちは「干物」を作っている
なんと海水浴客のいる同じ海岸で









その日は
ハタハタみたいな白身の小型魚が多かった



さてさて
いよいよお菓子と参りましょう

カバーの写真にあるのは
中央部アヴェイロという街の名菓『ウエヴォシュ・モレシュ』
訳して「やわらか卵」


その名の通り
卵黄と砂糖だけで作られる
(ポルトガルのお菓子は卵黄の餡が多用されます)




卵黄のあま〜い餡をカリッカリサックサクの米粉の薄皮でくるむ
あえて言いますならば「卵黄最中」ですな

アヴェイロの修道院で作っていた
このお菓子は
非常に有名ながら普遍的に広がらないのです

日持ちがしないから

1日後には皮が湿気を含んでしんなりしてくるし
3日もすると
卵黄餡は痛み始める

EUが
『原産地保護法』で他所で同名の菓子を作れない保護対象にしています


では
ポルトガルの菓子の揃い踏み



CORNUCOPIA
直訳して「コーン・カップ」
クリームはお約束の卵黄
コーンはトウモロコシではありませんからね
ツノです




卵黄クリームとオレンジソースのクレープ
卵黄のクリーム餡が
オレンジのさっぱりしたシロップと相まって。。




TENTUGAL
コインブラの名菓
たまご春巻き?



TOCiNHO




コインブラ名菓『PASTEL SANTA CLARA 』
サンタ・クララ修道院で作っていた



最後に
スナックで閉めることにしよう



FRANCESINHA(フランセシーニャ)
「フランス女性」

実はこれ
フランスのカフェで気軽に食べるスナック
『Crock Madame(クロックマダム)』
のポルトガル流アレンジなのです

本家はというと
極めてシンプル



薄切りの四角い食パン二枚でハムを挟み
上にチーズを乗せてオーブンで焼くと『クロック・ムッシュー』

その上に
さらに目玉焼きを乗せると『クロック・マダム』


それをポルトガル人がアレンジすれば
間にハムと一緒に「非常に極めて厚切り」のチーズも挟み
甘辛いグレーヴィーソースを
これでもか!
とぶっかける


美味しそうでしょ

ポルトガルの食べ物は
極めて日本人によく合います

美味しくて
しかも
安い!


イザ行かむ! ポルトガルへ

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ご旅行にご興味がおありでしたら以下のサイトも御覧ください
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ポルトガル 6 エキゾチックで懐かしい 遠くて近い国 <ラメーゴの大階段 と 天空の城マラヴァン>

2020-09-11 18:51:27 | 素晴らしき世界/ポルトガル
NOSSARA SENHORA dos RAMEDIOS em LAMEGO



先日ブラーガの回で『ボン・ジェジュ』の大階段をご紹介しました。

ポルトガルには
この手の大階段を持つ教会は他にもあります

ラメーゴ(LAMEGO)のノートルダム(Nossara Senhora 聖母教会)も
その一つです

ラメーゴの街は『マテウス邸』のあるヴィラ・レアルから
南南東に35㎞ほど


この町の「ノートル・ダム(ノッサラ・セニョーラ)教会」は
人通りの少ない直線の長い道の突き当たりの
丘の上にある



従って
てっぺんの教会も含めて
大階段全部を見晴らすことができるのです

ブラーガ近郊のボン・ジェジュのようにメンテナンスが施されておらず
階段部分を化粧する白漆喰はない






しかもケーブルカーなどないので
車で上り下りするか
歩いて上り下りするか

ちなみに
聖堂の中はこんな風


一番奥の祭壇前


聖堂正面の壁面の上の方に
面白い縁取りの丸窓があった



ポルトガルの教会建築は
修道院も含めて
柱と壁面装飾
特に窓や扉口の縁取りが非常に面白いのです







教会堂正面のテラスから下方を見下ろすと
ラメーゴの町がみおろせる

構造材の石も結構侵食が進んでいる様だ

最初の階段部分を半分だけ降ってみると



さらに一つ下のテラスまで下りて
見上げると



こうなる
アジュレジョシュのタイル画が美しい





車で登ったので
階段を下る快感は味わえない
しかも
迂回路は結構大回りしている

下の広場に樹齢1300年を誇るオリーブの古木があった




この風格は
並の人間では足元にも及ばない.....


改めて下の方の木立の合間から振り返ると




最後に
夜景をご紹介しましょう






※  ※  ※



前回ご紹介したモンサント村からほど遠くない山国に
天空の城がある




CASTELO DE MARAVAO
例によって山の頂



スペインとの国境の山岳地の
しかし視界は開けて平地に見える界隈の国道を走っていると
視界に見えてくる斜面の上辺にへばり付く様に
何かが見える





お分かりだろうか
平らなてっぺんの全体に

MARAVAO (マラヴァン)村とその城


迂回して村の入り口まで車で走る

村に入るための城門も残っている





城門をくぐって

丘の稜線に従って
ゆる山に登ったり下ったり
白壁の民家が並ぶ村を先端まで行くと




やがて
綴れ織りの道に沿って頂上に近づいてゆく






頂上の稜線の一番はじ

かつての城の庭園だったと思しき公園と
さらのその先に
城跡が残っている





先の写真の反対側の光景

城の城壁まで登って振り返ると
こう見える


城の城壁を
城までさらに近づいてみた






城自体は
内側の城壁と天守にあたる塔が残っている

内側の城壁内に入ると
結構高度がある






内壁にへばり付く様に
天守の足元に後世の建物があった

管理者の使用のためだろうか






とある入り口を入って石の階段を下って行くと
かつての城の貯水槽だった





城壁の上
敵の攻撃から身を隠し
攻め手を打つノコギリ型の胸壁の間から
村を見下ろしてみた







内壁も
結構複雑に頑丈に作られている





直線距離だと
ほんの数㎞で強大なスペイン王国という要害の地

この城の役割は
極めて重要であったはず



城を後に
また村を下って行く



「隅石」の美しい家があった




てっぺんの城と同じほどに
齢を感じさせる民家が連なる石畳を下る

時計の針が500年ほども巻き戻った様な気がしてくる
ちょっとした散歩








まさに
『天空の城マラヴァン』




それでは
次回をお楽しみに


= = = = = = = = = = = = = = = = =
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ポルトガル 5 エキゾチックで懐かしい 遠くて近い国 <この世の奇観 モンサント と マルタ騎士団長のお城ホテル>

2020-09-09 01:27:38 | 素晴らしき世界/ポルトガル/ホテル
MONSANTO モンサント村



南北に細長いポルトガルの中程やや南より
東西の東のはずれ

スペイン国境にあと一歩という山国に

世にも奇妙な村がある
その名も『モンサント』


カバーの写真にある通り
大岩に押しつぶされたように見える
奇妙奇天烈な景観を持つ村


村は斜面にへばりつくように始まる
村の入り口からすぐ上り坂で
途中から振り返ると




こんな感じ

通りの先を見ると




こうなり


やがて両側が
素朴な石積みの小さな家に変わってゆく





その後
まともな通りはなくなり不規則な小道に分かれてゆく





そして徐々に
あたりは岩がゴロゴロと姿をむき出しに






ななな 何事!?






決して
山崩れの後ではありません

数万年の侵食作用の結果残った岩盤の硬い部分だけがむき出しになった

その部分を
壁に利用したり屋根にしたり
そこを基礎に上に家を建てたり







ついには
大岩の間の狭間を玄関口に
その奥の岩のない空間部分が家になっている
と思われるものまで





な な な
何かが 正面に隠れてる



ちゃんと電気も来てるし


そして
だんだん登って行けば行くほど
視界が広がり始め







丘の頂上には城跡




下の集落も見晴らせる
赤い素焼きの瓦屋根が美しい




足元を見下ろすと
岩 また 岩



人と比べたら
その巨大さが分かると言うもの



また
下って行こう


右の家も潰れることはない
岩が家の上に乗っているわけではなく
岩の隙間の空間に
家をはめ込んで建てているわけだから





今にも転がり落ちていきそうな
そんな心配はご無用

岩自体は数万年
家も数百年
このまま動いていなのだ


そして




この家が

現地のポスターやガイドブックを飾る
代表的な『モンサント村』の一押しの光景であります





世にも奇妙な村『モンサント』こにあり!







この集落の
岩の迷路のような小道の片隅に
大岩と大岩とで複雑に支えあって作られてる
岩の洞窟の様なレストランもありました

ちゃんと窓もあって下界も見下ろせる
素朴な「天国のお食事処」でした





普通の家並みの場所まで降りてきて
見上げてみると

村の上部は岩だらけ.....
さてさて



※  ※  ※


モンサントからそれほど遠くない
CRATO(クラート)という小さな集落に
素敵なホテルがあります

『マルタ島騎士団長』を務めた
地元の修道院長の居城が
そっくりそのままホテルになっているのです

『フロール・ダ・ローザ』





正面全景を斜めから
当然敷地全体が城壁で囲まれている


村自体には何もない
100人も住んでるかどうか



クラート村は殆どの家が平屋






城門を入ると前庭

その奥に
お城自体が立っている






中に入ると
修道院長(聖職貴族)の城だけあって
回廊があった




回廊内庭は
『マルタ島騎士団』の旗じるしの
先端が切り込まれた『マルタ騎士団十字架』の文様の刈り込み








ロビーの一隅






バー



左奥がカウンター
広さから言って
かつての聖堂だった場所か


そしてレストラン




お部屋の写真が見つからない。。スミマセン



最後は夜景で締めましょう







ポルトガルのご案内はもうすこし続きます

次回をお楽しみに



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ポルトガル 4 エキゾチックで懐かしい 遠くて近い国 <マテウス と ブラガンサ>

2020-09-07 01:09:38 | 素晴らしき世界/ポルトガル
SOLAR DE MATEUS (マテウス邸)


ブラーガから東南東へ1時間
VILA REAL(ヴィラ・レアル)という町ありて

その町外れ
マテウスという字(あざ)に鬱蒼たる木立に隠されたる
名高い大邸宅あり

その名もCASA DE MATEUS (カーサ・デ・マテウス)と言い
SOLAR DE MATEUS『ラール・デ・マテウス(マテウスの太陽)』
とも呼ばれる


フランス語表記ではMANOIR(屋敷)とよばれている
日本で言えば
さしずめ「庄屋屋敷」とでも言おうか
下級貴族のお屋敷


敷地の門を入り
木立を抜けて行くと

見えた



これですよ

この池に映る正面の光景は
ポルトガルの文化や観光を振興するポスターには
必ず使われる代表的光景のひとつ


池を迂回して正面に近づく




L字型の正面左右の翼の間奥に
どこかで見たような階段が...


残念ながら
お屋敷の中には入れないが
その正面階段のまん真ん中の下から奥に抜けられる






こんなのを見ながら進むと両側に建物が





こんな感じだったり


中庭のようになって





こんなのや




こんなのも見えて

また大きな建物の中央をさらにくぐり抜けると
正面とは反対側のお庭に出るのです




まっすぐ進む




よく見ると
池の向こうの木立の真ん中が通り抜けられる緑の回廊

そこに入って振り返ると




今通り抜けてきた出口が見えました

あとは歩き回るのみ













正面の建物の反対側にもう一棟あるわけで

それの全景が




こうなります


この『マテウス邸』はお庭を拝見するだけですが
充分に見応えがあります

何より
正面池越しの写真が取れれば「お宝」ですね



※  ※  ※


これから
スペイン王国に組み込まれていたポルトガルで
最初に『王国』を宣言したブラガンサ公爵家の発祥の地『ブラガンサ』へ
行ってみよう


南北に細長い長方形の国土のほぼ右上の角まで
マテウスから北東へ2時間半

丘の上が
中世よりその姿を今日に留める旧市街

もしドローンがあれば
丸っこい輪郭の旧市街全体が城壁で囲まれたままの姿の
写真が撮れるはず





ひときわ大きく聳えるのは1187年創建の
『ブラガンサ城』

ここの城主『ドン・アルフォンス1世』が1139年にポルトガル国王を宣言
爾来現在のポルトガル共和国開始の1910年まで
ブラガンサ家がポルトガルの王室を守った

ちなみに町自体は古代ローマに起源を持つ





旧市街をぐるりと取り囲む城壁に開いた市門





銅像は1464年のブラガンサ公爵アルフォンス公



旧市街の中は
こんな感じで丸石の石畳の小路が頂上へ導く




中を見るとこう






やや進んで外を振り返るとこう



そして視界が開けるとお城が現れるのです
いきなり






その近くに教会と中世の市庁舎がある




『サンタ・マリーア教会』

ロマネスク時代(12世紀まで)の教会堂だが
18世紀に完全レストア済み

正面扉口左右の「ねじねじ柱」は大航海時代以降のポルトガル様式の定番

内部は
彩色された石造りアーチ天井の様に見える
見事な騙し絵の天井が残っている






その『サンタ・マリア教会』の向かって右に
接する様に建つ建物が




ポルトガル全土で
確認されている現存する最古の市庁舎『Domus Municipalis』
時代は12世紀!




内部は
5本の大梁のむき出しの天井が美しい

周囲に石の作り付けのベンチが囲んでおり
訴訟や仲裁を求める村人が役人や書記官の順番を待ったそうな








ちなみに丘のふもとの16世紀以後の「新市街」は活気にあふれ
旧大聖堂(セ)もある




このブラガンサの街はすでに「司教座」ではなくなり
従って「司教/大司教」もいないので敢えて「旧大聖堂」と呼ばれている



ブラガンサ県の小邑「オウテイラ』村にも
一見に値する教会があることを
最後に記しておきたい






では最後にもう一度『ブラガンサ城』



続く


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ポルトガル 3 エキゾチックで懐かしい 遠くて近い国 <ブラーガとその周辺>

2020-09-04 21:07:30 | 素晴らしき世界/ポルトガル/ホテル
ボン・ジェジュ・デ・モンテ(大登りの善きイエス教会) の グラン・ドウグレ(大階段)



ポルトガル北部に「ブラーガ」という街がある
古代ローマ人が築いた街である





市門を入るとまっすぐの道が繁華街の中央

その道沿いにCathédral(ポルトガル語で Sé)がある

Sé (大聖堂)は古代ローマ時代の遺跡の上に建てられているので
敷地から出てきた遺構や遺物も見ることができる





イベリア半島全体で一番最初にキリスト教化した町ブラーガの大司教は
スペインも含むイベリア半島北部で最高位の大司教座だった




ローマ時代の彫刻


聖堂内部のパイプオルガンが
左右両側の壁面に置かれ、その両方からパイプが突き出すダブル構造で
燦然ときらめく金張りが暗闇に怪しく光る





結構洒落たブティックなどもひしめいているが

やや外れには
週に二回市場がたつ場所もある




結構年季の入った田舎風の雰囲気が心地よい

そしてコリアンダーと生きたウサギを売ってるおばあちゃんがいた





ポルトガル料理はコリアンダーを結構使う
さすがはアフリカ周り東南アジアへの大航海時代ルートを開いた国だけあると納得

それにしても
生きたウサギは捌くのがかわいそう。。



そのブラーガを出てほんの数キロ郊外に行くと
名高い教会がある
小高い丘のてっぺんに

『Bom Jesùs de Monté』
「大登りの善きイエス」という名称に偽りはなく
丘の下から頂上の教会まで実に見事な大階段がある

車でも登れるが
ここは絶対ケーブルカー




こんな古色蒼然としたケーブルカーに乗ることができる機会なぞ
滅多にありませぬ


テッペンの『善きイエス教会』




石造りの骨格の間が白壁という典型的なポルトガルの建築様式

その前面のテラスから見下ろすとブラーガの街が見晴らせる





しかし
上からでは階段自体はその優美な姿を現さない

そこで階段を降りて行く事にしよう

右に折れ
途中のテラスから
左に折れ

それを繰り返す



途中の側面に門があった
中は花屋さん

そして
途中で振り返って見上げると





おお!
なにやら圧倒的な迫力が背後から

しかし全体を把握できるのは完全に降り切ってしまってからの
お楽しみ


それが.....





これです

そして
下りきって門を出ると外の通りに戻る





階段は木立に囲まれており
全景を見る事が出来る場所はあまりないのです

実際に
階段を上り下りした人だけが見る事ができる特権

ただ
登るのは結構しんどい

というわけで
車は下に残してケーブルカーで登り
下りだけ階段



またブラーガに戻って
町のはずれの坂道を登るとお城があります

『CASTELO DE BRAGA』




ポルトガル大半をほぼ掌握して
「ポルトガル王国」の成立を宣言した『ブラガンサ公爵』の居城でした


四隅に頑丈な四角い塔を持つ正方形のお城







内側は二層のアーケード
その内側に
大広間やらいろいろ






当然ながら
礼拝堂もある







ところで
このブラーガから20㎞ほど東に
『Guimaràes(ギマリャンエシュ)』という町がある

そこに
私のお気に入りのホテルが
あるのですよ!




教会ではありません

かつての修道院を改装したホテルです
『サンタ・マリーニャ』

修道院だっただけに
広い空間があちこちにあって
目の保養になる









碁盤の目のように幾つか延びる廊下
その両側には
かつての修道僧の個室だった部屋が客室に作り変えられています




修道僧に個室が与えられていた
ということは
戒律の穏やかな「フランチェスコ会」の修道院だった
と思われる


肝心の客室はというと
歴史を感じたければ修道僧の部屋が良い

グレーの石積みのカチッとした四角い部屋
修道院ではありませんからバストイレ付きだし快適です
やや狭いのが唯一の欠点

しかし
広いお部屋もあります



これは
一般修道僧の部屋とは違う場所の
広めの客室です


レストランは



かつて聖堂だった場所を使っていてかなり広い
ここでいただいた「鴨ご飯」は秀逸でした



このホテルも高台にあり
アプローチの坂道に情緒たっぷりの民家が並んでいる





街並みは
ブラーガよりは整然としていて空間的です















 そして
ギマリャンエシュにもお城があります





さて
次回以降も
もう少しポルトガルの魅力をお届けしようと
思います



= = = = = = = = = = = = = = = =

ご旅行にご興味のおありの方は以下のサイトもご覧下さい
http://veritas21.com  『こんな旅がしてみたい / 誰にも真似のできない 旅のプランナー』
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ポルトガル 2 エキゾチックで懐かしい 遠くて近い国 <リスボン 2> リスボンを食べよう!

2020-09-02 00:41:00 | 素晴らしき世界/ポルトガル/グルメ
PASTEIS DE BELEM  <ベレム製菓店> の『PASTEL DE NATA(エッグ・タルト)』


リスボンと言えば...
一押しで『エッグタルト』

マカオではエッグタルトが普通に存在していて
その影響か
東南アジア各国にも日常に見ることができますね。

『マカオ』はポルトガルの植民地でした



ジェロニモシュ大修道院のすぐそばに
1831年創業というエッグタルトの「本家」で「元祖」みたいな
エッグタルト発祥(定かではない)の名店があります




『PASTEIS DE BELEM』(ベレム菓子店)という極めてシンプルな店名で
たまたまお店の前に誰もいない写真ですが
ここは営業時間中はいつも大行列で日本の人気ラーメン店もかくや
という感じです






もちろんその場で食べられる「サロン・ド・テ」(ティールーム)あり
結構大きな部屋ですが順番待ちの覚悟を持って訪れましょう



ところで
リスボンで一番「イケてる」食の殿堂をご紹介します

その名も『Time Out Market』といいます


もともとはその地区の市場でした
その建物を大改装して、若手の人気シェフの出店を募り
斬新なフードコートに変身したのです

外観はゲートなどが基本的に変わっていませんが
すっかりお化粧直しが行われて現代的な清潔感があります


  



そして内部は

もともと市場だった頃こうだったのが・・・




今や
こう



しかも
この写真では写しきれないほど広大なのです


内部に入ると、両側の各店舗のブースが並ぶことで
広大な長方形の建物の内側を
お店を見ながら一回り歩けるようになっています





両側のお店はカウンターに座れます

お店とお店の間のこのような長方形の歩ける部分の
さらに内側が
広大な飲食スペースがこんな風に




この写真は
スツール風の高い椅子に囲まれた細長いテーブルですが
普通の椅子に座る8人掛けから10人掛けのテーブルも整然と並び
もちろんどこのお店で買ったものでも
どの場所で食べてもいいわけです

この広いスペースの周りにも
各店舗が並んでいることになりますが



この写真のお店の奥の明るく見えるところが
先ほどのお店とお店の間の歩けるところ
カウンターに座ってるお客様が立ってる料理人のすぐ右に見えますか


お料理はというと
山岳地方の生ハムのサンドイッチ専門店から
フランス料理と見まごう繊細な一品料理
はたまたバーガー屋さんとより取り見取り


例えば
こんなのやら



エビとムール貝のアローシュ(リゾット)


または
こんなのだったり



エビのピルピル(アヒージョ)
はスペインのようにトマトペーストを入れないので
ポルトガル風はソースが白い(黄色ですが)のです


はたまた
このような



タコのサンドウイッチ
長あーいあんよが丸々一本


それから
このように



鱈とイカの天ぷら
糸フリット添え


さらには



これは他人の注文品なので正体不明



極め付けは



フランス料理のごとく繊細な鱈のナージュ(ひたひた)


ポルトガルは、日常的には鱈料理です
南米に進出したポルトガルが
植民地ブラジルに物資を運んだ船が、帰路カラで帰るのはもったいないからと
ブラジル沿岸で大量に採れた鱈を塩漬けにして持ち帰った

それ以後「干鱈」「塩鱈」を戻して食べ続け
国民食になりました
一年間365日鱈料理を続けても同じ料理は出さない
と言われるほどにレパートリーは豊かです


そしてそして
なんと



寿司屋も2軒ありました
左上の看板のお品書きの右端に「IKURA」という字が.....




フランスもそうですが
ヨーロッパ人は「サーモン」のとろりとした脂肪の味が大好き

この写真ではよくわかりませんが
冷蔵ケースの右のほうは「鯛」や「平目」も「すずき」もしっかりありました


ここでは、10〜13ユーロ位でしっかり手をかけた一品が食べられて
しかも
美味しいのです








空いてるお店なら
注文してその場で待ちますが

混んでる店は
注文を受け支払いをすませるとポケベルを渡されます
待つ間に
席を確保しに行けば良いのです

日本でもこのシステムはやっているようですが
便利ですね



2014年に開業以来大好評を収めて
そのまま北米に進出
『Time Out Market』という同じ名前と同じロゴとで
N.Y. やボストンなど5カ所くらいの大都市に展開し

ロンドン出店も決定している
らしいです


とにかく
リスボンに行ったら、なにはせずとも「タイム・アウト・マーケット」に
ぜひ行ってみましょう



では次回をお楽しみに!


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