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ブルターニュ紀行 67 < ブルターニュ防衛線 『マルシュ・ド・ブルターニュ』 4 > サン・トーバン フゥジェール

2021-07-07 00:01:38 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ
巻頭写真 : 『Château de Fougeres』

海と信仰とケルト文化と古代巨石文明と
フランスにあってフランスではない異世界を巡ろう
67


前回訪れた「ヴィットレ」から北北西へ25kmで
下図⑫『Saint-Aubin du Cormier サン・トーバン・デュ・コルミエ』に着く


ここの城は完全な廃墟
なぜなら
フランス王家側に取り壊されてしまったから


この城こそ
『ブルターニュ公爵領』の敗北を意味するのです
1488年7月28日
15000名のフランス軍を迎え撃った11000名のブルターニュ軍は
6000名の戦死者を出して壊滅した
フランス側の犠牲は1500名に過ぎなかった
「サン・トーバンの闘い」

前世紀から150年続いていた各地での戦いの末
時のブルターニュ公「フランソワ2世」はかなりの窮地に追い込まれており
この年
「シャトーブリアン」「ヴィットレ」「フゥジェール」と続いた戦いでの一進一退ののち
起死回生の一戦だった


『サン・トーバンを攻めるフランス国王』 Archive by ⒸBibliothque Ste-Geneviève

独立国ブルターニュの男系最後の公爵だった「フランソワ2世」は
この壊滅戦の後
相続権を持つ娘「アンヌ・ド・ブルターニュ」を残して
同年9月9日に此の世を去る


城趾の一角に
この戦いで散ったブルトン人6000名の鎮魂の銘板がある

ブルターニュ公フランソワ2世は
公国の生き残りをかけて各方面との連合を試み
「オーストリア大公ハプスブルク家」の世嗣「マクシミリアン」に
娘「アンヌ」との婚約を前提の連合を呼びかけていた
「マクシミリアン」は
ハプスブルク家から初めて皇帝に選出された「フィリップ大公」の
世嗣ぎで
中世最後の騎士と言われる人物

『サン・トーバンの闘い記念碑』

1988年に500年祭が行われ
その際に建立された記念碑にオーストリア兵に関する銘板もある


『神聖ローマ帝国兵士600名 
隊長ブッラーの指揮のもと ブルターニュのために戦い この地に眠る』

天守の残骸

この城は低い一つの丘全体を占めていた

Schema by ⒸArchitecture Urbanisme Patrimoine 1090

現在「白山」は草生す雑木が茂る丘になっており
城の残骸がそこかしこに点在する


天守の下にあった
池と言っても良いくらいの広い堀の一部は残っている








強者どもが夢の跡....




天守の最上階の暖炉が残っている

ここ「サン・トーバン・デュ・ブルターニュ」の町では
毎年7月28日の15時から
記念式典を行っている




フランス人(左)とブルトン人(右)との一騎打ち





※  ※

この「サン・トーバン・デュ・コルミエ」から北北東に8kmで
絵図⑬の『フゥジェール』に至る
ここは「Marche de Bretagne ブルターニュ防衛線」の
ブルターニュ側北端の最重要な城がある

『Château de Fougères フゥジェール城』 城壁の塔

城の規模は広大で
胸突く高い城壁に囲まれているが
この土地の立地が起伏に富んでいて周囲にぐるりと丘があり
すり鉢の底のような場所に城が建っている
つまり
大砲の精度が上がり信頼性が増した16世紀以降なら周囲から容易に砲撃を受け得る
甚だ不利な場所に在ると言える



ただ水の流れる小川を利用した堀で囲まれているので
歩兵や騎兵の攻め手にとっては
非常に高い城壁と巨大な塔と相まって
甚だしく攻めにくい城であったはずだ


城の南側にすぐ始まる丘の斜面の途中から
右端の三角屋根の丸い塔が大手門







大手門

大手門から時計を逆回りに城壁に沿って歩いてみよう


前の写真のアーチをくぐりさらに奥に進む固定橋を左に見ながら


土手のように岩盤が盛り上がる上に高い城壁が伸び
要所要所を塔が固める

城壁の上の巡警路と
そこにいる守備兵を守る胸壁や石落とし(水平狭間)もしっかり残っている


やがて
突き出した部分が「搦め手門」で
常用ではないので直接出入りできる連絡はなく
非常時に必要に応じて板を渡しで出入りする戦国の城塞のお約束通りの構造


「搦め手門」から回り込むようにさらに城壁が続くが
支える岩盤が頑強であることがよく分かる作りになっている



道路で見えていないが城壁の真下は水が流れる川堀になっている



さらに先に
城壁と平行に教会がある



一つ前の写真の塔が左側の塔
この向き合った位置に『Eglise Saint-Sulpice 聖シュルピス教会』


新郎両側の側廊の壁側に並ぶ礼拝堂の其々が外側に切妻の破風を並べる
ブルターニュ伝統の形のことは
このシリーズが始まった頃にご紹介した通り





やがて行く手に城門のようなものが見えてくる
そこから右に町を囲む城壁が伸びる



城より高い位置に広がる町を防御する城壁(市壁)が今でも一部残っている


二つ前の写真の角度を城壁の上から見下ろすと
門と市壁の関係がわかりやすい


町に入る門のアーチの左の堀の中に水路が二箇所



左のトンネルは城の地下を通って流れてくる水路
右のトンネルは町に入るアーチの位置に左の水路と平行に流れてくる流れの出口


その市門のところに流れてくる水路には4連水車がある
これらの水車は
上からくる樋を流す水で回すようになっている
左の建物はかつての粉ひき工場の跡
最後の水車のすぐ右の四角い穴は市門のアーチの中から出てこられる



再び大手門に戻って


「塔の間のアーチをくぐり
常設橋を進んでさらに中に入るって振り返ると



こうなる


その「大手門」の二重構造部分が「シャトレ(橋頭堡)」になっていて
上から俯瞰する

場内中ほどから大手門の方を振り返る
左奥のやや高い部分は



塔の際上部の小屋掛けの部分が残っている
場内は2haもの敷地で
ブルターニュ有数の大規模な城だった(戦国城塞として欧州最大とも言われる)
現在の城の創建は12世紀後半1173年
古くから有ったこの町の貴族フゥジェール家の城が1166年
イングランド王プランタジュネット家の始祖ヘンリ−2世の攻撃で破壊され
その後
時のブルターニュ公ラウル2世が1173年に再建
その後のブルターニュ家とフランス王家の戦いが続く中で
改良と拡張が15世紀まで続いた


居館などがなくなっているが残骸も興味深い


削り取られてしまった丸い塔だが
内部をうめてしまったものの壁の厚みが凄いのがよく分かる


先程よりもっと奥からの眺め

これが先ほどの「聖シュルピス教会」の前にあった二つの塔
教会も見える


「大手門」のほぼ反対側
一番奥の「搦め手門」の部分の二つの塔


その「搦め手門」を上から覗くとこうなっている


1892年以来「フゥジェール市」の所有と成っている
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