伊勢志摩つれづれ

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自叙伝・人脈は狭いようで広かった(つづき)

2020-08-25 16:39:19 | 写真と観光・伊勢志摩の風景
(写真は 稲の収穫と稲架干し)
(近鉄創業時の大協力者で泉家があり 
末裔の方が 昭和35年頃から 親会社おられ 
懇意な関係にあり 私を信頼くださっていたし 
私も彼を信頼していた 
彼の奥様は 佐藤栄作元総理大臣の姪ごさんで
奥様とも親しくしていただいていた 
彼が退任する時同じくし 私も退任した
案外身近に 関連していたものである)

ある時 パーテーの席上で 親会社の
佐伯会長と会い 堀木氏から この男(私)が 
子会社にいる よろしくの挨拶があったらしく 
我が社のトップ川口氏から なぜ その用な
お偉い方を 知っているのかと尋ねられた

氏がホテルに来られた時 挨拶に上がり 
尋ね人があった 部屋にお通し 失礼しようとすると 
尋ね人に この人は お前より長い知り合だ 
居ろと言われた 来客が 三重県の議長と知った

それから 長い月日が流れ わが社のトップも
変わりローテーションは 2-4年と速くなった
私は48歳で役員に推挙され 末席を汚すことになった

総会後の食事会で 近鉄の佐伯会長は 
当社の会長あり かっての話を覚えていたか否か
定かでないが 多分記憶の中にあったのだろうか
堀さん 堀さん わしの横へ来るようにと言われた
通常新参者は末席 他の役員は 顔を見合わせ
驚の表情だった
美味しい料理は 味もわからない程緊張した

(堀木氏は 鉄道省として 戦前関東は東急  
関西は近鉄に統合する私鉄網の構想を持ち 
戦後はいち早く 京都伊勢志摩間に新線を敷く案を
持っていた)

青二才の青年のころから あらゆるつてに 怖気もせず
厚かましく自宅へなどへ伺い 持前を発揮し 
狭いようで 思いの他大海に広く繋がった人脈に
助けられ 有難い人生だった



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