子供の頃、テレビの歌番組を見ていて「死ぬまで好きにならないだろう」と思ったのが、東海林太郎だった。好き嫌いでなく、理解不能な歌手だった。燕尾服に蝶ネクタイで登場して「ながすナミダ~が~、オシバイならあば~」と、朗々と歌う。硬派なのか軟派なのか?とは小学生が思わないにしろ、外観と歌の中身のチグハグさが気になった。それと、「東海林太郎は歌が上手い」という大人の意見もおかしいと思った。音程が外れるし、半拍遅れる歌い出しも、正直?な小学生の耳には不快だった。
ところが幾星霜、人間は変わるもので、今は東海林太郎が大好きだ。「ながすナミダ~が~」の『むらさき小唄』とか『野崎小唄』みたいな軟派中の軟派が特にいい。『お駒恋姿』は歌詞の中に黄八丈があり、白木屋お駒の話だと分かると、これにも胸を打たれる。「貴様のちょびひげ、なちょらんぞ」と戦友をからかう『陣中ひげくらべ』。ぜんぜん勇ましくないけど、これも軍歌と呼ばれるのだろうか。こういうユーモラスな歌も、東海林太郎は上手い。テノールだけど男らしい声だ。
子供の頃感じていた「音程が外れる、歌い出しが半拍遅れる」はどうか?今聞いてもそのとおりだと思う。そして「大人が上手い、と言っていたのはこのことか!」と、十分に大人になった現在、従順にも大人の意見に与するのであった。
東海林太郎の歌は、日本の伝統芸能の泥臭さ渋太さが匂う。それがタマラナイ。その泥臭さは演歌や歌謡曲のそれと違う気がする。もっと淡々として、しかも苦い。アメリカ人がブルースを聞くと、こんな気持ちになるんじゃないか?と、ときどき思う。
「あなたが思う国民的歌手は?」と聞かれたら、僕は迷わず「それは東海林太郎です」と答える。誰にも聞かれないけど。いいですよ、東海林太郎。子供の頃に抱いた違和感は「いつか好きになる」という予感だったのかもしれない。