憧憬、大艦巨砲主義w

盆栽RF900R 営農機セロー250 奥様号レブル250

どうせなら。

2009-03-05 22:25:25 | 俺だよ、オレ。
 

今週の末はお仕事でございます。
あまり、お天気自体はかんばしくないようで。
晴れててもクヤシイのですが、雨なら雨で、お仕事の方も厳しいのです。


はて。
皆様、「残り時間」と聞いて、何を考えますでしょう?


あとどれくらいの時間、バイクに乗っていられるのでしょうか。
極端な話では、今夜、脳溢血で体の自由がままならない人生になるかもしれません。
これまた極端な話では、知人で、80歳を超えてなおTZR250にまたがって百貨店にお買い物に出かけるヒトがいました。


G共と家庭らしい家庭でともにいられるのは、あと、どれくらいなのでしょう。
1号は5年生に上がりますので、彼の自我の自立という点では、その季節はすでに終焉を迎えているかも知れません。
1号2号は中2歳ですので、2号だって子供らしい成長は、あと数年です。
この一年は、本当に、惜しまれてなりません。


ウチの会社、定年退職者の平均余命は10年ないそうです。
はて、今、オレの自我を形成している意識って、あと何年活動できるのでしょう。
その意識は、あとどのくらい、この身体を活動させることができるのでしょう。


ややや。
別に、枯れるまでこの生命が維持されるよう望んでいるのではないのです。

今、現在、あまりにお別れしたくない、ヒトや、精神世界や、モノがあまりに沢山あるのです。
ずっと触れていたいモノもあるし、抱いていたい思いもあるし、見届けたいコトもあるし、、、そういうのがあり過ぎるのです。


オレの真実とは、そこにあるように思えてならないのです。
そこに、このささやかな生の存在価値があるように思えてならないのです。

そして、それは、なんでもない日常が連続した時間の流れの川底に横たわっています。


どうせなら。
その流れを意識できうる、身の置き場を。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする