ガブリエル・フォーレ レクイエム Pie Jesu
「 いつくしみ深き主イエズスよ
彼らに安息を与え給え
絶えざる安息を彼らに与え給え 」
何回もソプラノでこの歌詞が歌われる
そのメロディーの美しいこと・・・・
どうしょうもない
苦しみ悲しみが次々と襲ってくる
しかし
自分の力ではどうにもならない時がある
その時
苦しみ悲しみを受け入れて
その中で生きていくしかないことを悟る
このぎりぎりの悲しみの中で
はじめて切実に祈りをささげる
もう 祈ることしか出来なくなったとき
信仰が始まる
真剣にイエスの名を呼び
ただ 安息を願う
この切実さが この歌にはある
切実さから生まれてくる美しさ・・・・
このメロディーを聴くと
鎌倉・室町時代の阿弥陀仏信仰を思い出す
「南無阿弥陀仏」とメロディーをつけて唱えるのだか
そのメロディーがこの歌と似ていると思う
無常という言葉を連想させるメロディーを感じる・・・・
Pie Jesu
前の金曜日に
上の二人の娘と買い物に行った
その帰り道
娘たちとの会話で
久しぶりに KYという言葉が出てきた
その流れで AKYという話になった
AKY ・・・・
KY は 空気が読めないのだけど
AKY は あえて空気を読まないということです
それで 僕は何となく
「 AKY48 なんて言ってな~ 」
と しゃれてみた
すると 娘が
「 あえて空気を読まない48歳かぁ~
おとうさん いくつだったけ 」
と 言ったので
「 53歳だよ 」
と 言って
「 まぁ このくらいの歳になると
空気を読んで 事を進めるだけじゃなくて
あえて空気を読まないで
嫌われることも
やらないといけないしな~ 」
と 言葉をつないだ
そしたら 娘が
「 そうだね~ 」
と 返事をした
娘たちも大人になってきて
それなりの苦労もしているのだなぁ~
なんて思ってしまった
いくつになっても
子供の成長は うれしいものだね
あいのわ