2月13日(日)アンドラーシュ・シフ(Pf)
紀尾井ホール
【曲目】
バッハ/平均律クラヴィーア曲集第2巻BWV870~893


3日間の司書のスクーリングの最終日、最後の長時間の筆記試験に大汗をかき、やっと5時過ぎに答案を提出。演奏会は6時開演だが、ありがたいことにたまたまスクーリングの会場が四谷だったので余裕でコーヒーを飲んでケーキも食べて紀尾井ホールに入った。
プログラムは平均律第2巻全曲という大物。クタクタのコンディションがちょっと心配だったが、そんな心配は全くの杞憂となる、掛け替えのない時間を持った。このシフの演奏に、本当は言葉は要らない。どんな言葉で表現しても、どれもが安っぼくなってしまいそうだ。
シフが奏でるバッハの世界は、殊更に声部ごとに音色を変えて豊かな彩りのポリフォニーを聴かせるというのでもないし、多彩な表情を持つ数々のプレリュードで感情移入してドラマを作るのでもないし、フーガのテーマを際立たせ、堅牢な構築物としての威容を見せつけるのでもない。或いはビートを利かせたノリノリのパフォーマンスを楽しませてくれるというのでもない。
普段バッハの演奏に求めているそうしたおいしいところがない(「ない」なんて言うととても語弊があるのだが)にもかかわらず、シフのバッハと向かい合えば向かい合うほどに、そうした俗世の娯楽を超越した、別の次元の世界に入って行くのを感じる。その世界は、宇宙の無限の拡がりと普遍的な秩序の世界。平均律の珠玉の名品のひとつひとつが、夜空を静かに彩る星たちが作る星座のように、何万光年もの彼方から眺めて初めて認識できる、壮大な空間に広がる調和の世界。シフのバッハはそんな超次元的な世界へと連れて行ってくれた。
シフの演奏の何がそんな世界を実現しているのか、具体的には言えないが、あらゆる私利私欲を廃し、一かけらの迷いも歪みもなく、ミスタッチなんていう次元をはるかに越えたところで殆どノーミスで集中力を持続させるという、人間離れした業があってこそ成し得ることができることに間違いはない。しかも3時間にも及ぶ大作を暗譜で弾き通してしまうシフと向き合うには、聴衆としても生半可な姿勢は許されない。
そうした意味で今夜シフのもとに集まってきた聴衆は素晴らしかった。曲間でも殆んど咳ひとつせず静かに聴き入り、前半も後半も演奏が終わったあとにしばしの沈黙があり、そして熱狂的な拍手が続いた。この聴衆があったからこそ今夜の演奏は実現したのかも知れない。最後のロ短調のフーガを弾き終え、しばらく微動だにしなかったシフが、ようやく我に返った様子は、本当に別の世界に行ってしまっていたようだった。
終演後、スクーリングの疲れがウソのように軽くなり、満たされた気持ちで、足取り軽く駅へ向かった。
アンドラーシュ・シフ ピアノリサイタル 2008.3.10
紀尾井ホール
【曲目】
バッハ/平均律クラヴィーア曲集第2巻BWV870~893



3日間の司書のスクーリングの最終日、最後の長時間の筆記試験に大汗をかき、やっと5時過ぎに答案を提出。演奏会は6時開演だが、ありがたいことにたまたまスクーリングの会場が四谷だったので余裕でコーヒーを飲んでケーキも食べて紀尾井ホールに入った。
プログラムは平均律第2巻全曲という大物。クタクタのコンディションがちょっと心配だったが、そんな心配は全くの杞憂となる、掛け替えのない時間を持った。このシフの演奏に、本当は言葉は要らない。どんな言葉で表現しても、どれもが安っぼくなってしまいそうだ。
シフが奏でるバッハの世界は、殊更に声部ごとに音色を変えて豊かな彩りのポリフォニーを聴かせるというのでもないし、多彩な表情を持つ数々のプレリュードで感情移入してドラマを作るのでもないし、フーガのテーマを際立たせ、堅牢な構築物としての威容を見せつけるのでもない。或いはビートを利かせたノリノリのパフォーマンスを楽しませてくれるというのでもない。
普段バッハの演奏に求めているそうしたおいしいところがない(「ない」なんて言うととても語弊があるのだが)にもかかわらず、シフのバッハと向かい合えば向かい合うほどに、そうした俗世の娯楽を超越した、別の次元の世界に入って行くのを感じる。その世界は、宇宙の無限の拡がりと普遍的な秩序の世界。平均律の珠玉の名品のひとつひとつが、夜空を静かに彩る星たちが作る星座のように、何万光年もの彼方から眺めて初めて認識できる、壮大な空間に広がる調和の世界。シフのバッハはそんな超次元的な世界へと連れて行ってくれた。
シフの演奏の何がそんな世界を実現しているのか、具体的には言えないが、あらゆる私利私欲を廃し、一かけらの迷いも歪みもなく、ミスタッチなんていう次元をはるかに越えたところで殆どノーミスで集中力を持続させるという、人間離れした業があってこそ成し得ることができることに間違いはない。しかも3時間にも及ぶ大作を暗譜で弾き通してしまうシフと向き合うには、聴衆としても生半可な姿勢は許されない。
そうした意味で今夜シフのもとに集まってきた聴衆は素晴らしかった。曲間でも殆んど咳ひとつせず静かに聴き入り、前半も後半も演奏が終わったあとにしばしの沈黙があり、そして熱狂的な拍手が続いた。この聴衆があったからこそ今夜の演奏は実現したのかも知れない。最後のロ短調のフーガを弾き終え、しばらく微動だにしなかったシフが、ようやく我に返った様子は、本当に別の世界に行ってしまっていたようだった。
終演後、スクーリングの疲れがウソのように軽くなり、満たされた気持ちで、足取り軽く駅へ向かった。
アンドラーシュ・シフ ピアノリサイタル 2008.3.10