goo blog サービス終了のお知らせ 

ポケットの中身

冗談にも程がある。

時代も成長するのかも

2008-07-07 20:53:39 | Weblog
前々項でテレビは無価値みたいなことを言ったが。
ちょっとだけ訂正。

テレビ(のみならず雑誌だの映画だのもだが)はその時代の人間の程度を測るバロメーターになるという価値もあった。

テレビアニメの色使いを見ると時代の精神性のようなものがその背後に垣間見えて興味深い。
70年代は幼い淡さ、80年代は中学生から高校生ぐらいの子供が背伸びして勢いをつけているような原色。90年代は未熟ながらも大人になった落ち着き。

そんな時代の年齢、精神性のようなものを感じる。
時代も成長しているのだ。

そう考えれば、80年代が平和ボケの毒ジュース漬けというのも分かる。
中高生って、真っ直ぐなだけに騙されやすかったり、自分に自信ができただけに親や故郷を否定する誘惑に駆られるよなと。

ま、そういう時代を通らなきゃ、立派な大人にはなれないわけですが。







きせのん2

2008-07-07 20:42:10 | 相撲
13日から七月場所が始まる。
新番付にまたきせのん小結に据え置きかよ、とぼやきつつ。
人生こんなことは多いもんだと気づいた。
大きな功績を立てても成果を挙げても、大人の事情や比較で据え置き、放置されることは多い(寶智山もがんばれ)。
ここで精進するか消尽するかで人生が決まってしまう。

きせのんは先場所後の会見から見て確実に前者だろうが、俺も前者になれるように努力しなくては。

テレビに映ってる奴が偉いわけじゃない

2008-07-07 20:22:08 | Weblog
テレビは洗脳装置だと放言した大昔のテレビマンがいたが、まさにそのとおりだと最近気づいた。
よくもまあこの程度の内容で40年も第一のメディアの座を保っていられたものだととあきれ返る内容の薄さである。

こんなのばかり見ていたら白痴になってしまう、というのにも同感。
作り込まれた番組もないわけではないが、大概は大衆向けに分かりやすくするため、知名度の高い素材しか使わない。新奇な素材を出してきたとしても、使い方はそれまでとあまり変らない。興味本位の刺激的な内容ばかりだ。
個人がやっているインターネットのサイトであれば、商売ではないからマイナーなものごとを扱うことも多々ある。
だが、商売でやってるテレビはそういうわけにはいかないのである。
だから、興味を引きそうにない話なんぞやらない。

おまけに作り手の見せたいものしか見せないから、情報量もごく少ない。
そう、テレビマンの人口なんて所詮は何万人規模の代物で、その中でさらに番組制作に関わってる人口はさらに少ない、情報を集めたり選んだりする人間はさらに少ないのである。
そこに時間の要素も加えると少ない情報がさらに減る。一日は24時間しかなく、実働時間はその半分程度と見積もると、何千人かの人間がわずかな時間でかき集められる量の情報、さらにそこから人間の事情分大人の事情分をさっぴいた分しかわれわれの元には届かないのである。

さらに性質の悪い奴は捏造までする。
確かにヽ(゜∀゜)メ(゜∀゜)メ(゜∀゜)ノを通り越してヽ(゜▽、゜)ノ ウヘヘヘになっちまうわな。

テレビに映ることは一昔前まではちょっとしたステータスになったし、俺もステータスであると思っていたが、今ははっきりそんなもんどうでもいいと思える。

テレビに映ることなんて、ちっとも偉くないのだ。
所詮テレビなんて、映像が映る以外の価値は何もないと思っていいのだろう。
あ、遠くの出来事を見られる価値はあるかw


梅雨(・д・)

2008-07-05 03:41:41 | Weblog
梅雨なのに雨が降りきらないと嘆いていたら、夜になって大雨が降り出した。
そろそろ梅雨明けかという頃合で、ようやくの雨である。
実家の近くの田んぼでカエルが鳴いていたり、梅雨らしくはあったのだが、肝心の雨がなかなか降らなかった。
昔の梅雨時はもっと毎日雨が降っていたように思う。
ここ十数年は世の中だけでなく、季節もかつてとは違ってしまったようだ。

だが、最近は世の中が良くなる兆しがようやく見えているようだ。
毎日新聞英文サイトの捏造情報流布事件など、少し前までなら発覚すらしなかった。
下関教育長発言事件なども、昔なら闇から闇に葬られていた。
最悪の事態が起こっている、起こりつつあることが人の目に見えるようになり、人がそれに怒りを示すようになってきている。
世の中は変わりつつある。
梅雨時の曇り空、雲が低く垂れ込めているような状況からは早く脱して、清めの雨にどっと降ってもらいたいものだ。

そして日本が洗い清められて浄化されますように。






うひょろげ 

2008-07-02 20:49:52 | Weblog
帰宅早々南米からいやーなニュース・聞きたくないもの2号を耳にした。

( ゜д゜)y \_

(;´∀`)・・・

(#゜Д゜)ゴルァ!!


どんなニュースかは、この顔劇場からお察しください<(_ _)>

ここ数日、(#゜Д゜)ノノノチェインッジ!なビジョン、見かけと兄弟順が一致するイメージ、さる人物が正装してても体操服姿の園児にしか見えなくなる、そういうにおいしか発しなくなる脳内出来事があった。
そうとだけ言っておこう。
ま、普通は兄貴のほうが先に老けるわな。頭とか顔とか年取るし仕事してる男の顔になるわな。
だって惣領だもの。
それがそうじゃねえってことはほっとかれるほうがおかしいよな。

あの。
俺みたいなナマンダブ、ナマンダブ、ヒデブなヒデブヤローにまで微妙にお知らせっぽいってことは、もう末期ですぜ。

要約すると『将来の代償行為としての養育方針です』というさる方のお言葉が表向きの理由だった、実は『将来なるものに合わせた養育方針でした』という結果になりそうで…嘆息。






音楽見物

2008-07-02 00:18:25 | Weblog
ここしばらく自分のあまりの無教養さに呆れ、昔やりかけて挫折していたクラシック鑑賞の習慣を復活させた。
いきなりメンデルスゾーンの長い楽曲とかは無茶なので、ごく手近なところでベートーヴェン(より正確にはベートホーフェンらしい)、そしてブルックナーから始めた。

感想。
やはり高校生以上はクラシックを聴かないとだめである。
無知無教養が許されるのは(AA略。

断っておくが、現代音楽がクラシックに劣ると言うつもりはない。
歴史と伝統とが息づく世界に近づくためには、その世界へ繋がる扉を開けないとだめだということである。

ブルックナー交響曲 第9番 ニ短調、でかいよ。

生活習慣病は一発では治らない(´・ω・`)

2008-07-01 23:26:48 | Weblog
♪ねーきーん、ねーんきーん、のうみそねーんきーん♪
脳みそに粘菌が巣作ってやがる…orz
注:イメージの世界のお話です。

昨夜の続き。
今回はオカルトチックなお話。

大祓終了帰宅後、頭痛種の悪の道への勧誘&引き込むパワーが超強化。
死闘の末左目が一時腫れ上がる事態にまでなってしまった。
何とか復活して、パラメータの異常の一部が消えたことを実感したものの、今でも顔面にはひげ根が張ってる感覚がorz

ここしばらく、HPLPが死ぬ寸前になる過程で相当の毒・麻痺・呪い・害虫(笑)を食らっていた模様で、自分でもプラス家に帰ったら肩に塩を振ったり水を浴びたり自己鍛錬したりといろいろ対策を取っていたのだが。
食らったダークフォースが強すぎ、さらに挫折した分の絶望や世の中に対する怒りの度を越した分、もしかすると筆者のこれまでの人生で蓄積された分もが加わって強化された香具師らには効いていなかったようだ。

まったく、生活習慣病とは恐ろしいものである。
この治療は長くかかりそうだ。

お祓い受けるか…。




博多大祓狂騒曲

2008-07-01 00:49:00 | ホームタウン
昨日6月30日は大祓の日。
筆者も最近、頭痛が頻発したり顔面に違和感を覚えたり、やたら頭が重かったりと死にそうだったので、住吉神社の大祓に是非とも参加しようと予定を空けておいた。

が。

筆者に寄生している何か頭痛の種?はこれを是が非でも邪魔したかったらしい。
行くまでが大騒動だった。
前日は寝そびれ、当日起きたのは式の直前。
何とか間に合ったものの(去年は丁度終わったところに着いてorzだったのでそれでも一安心)、お作法を間違えて頭を抱え、左目の辺りで誰かがゲラゲラ笑っているような気がして思わずびびり、式の終わった後には撤収中の綱と御幣に頭を直撃され、気がつけば綱の結界の中に取り残され、さらに笹に躓いて転びかけると、約20分あまりの間に筆者の体及びその周辺を舞台としてひと戦争あったようで、なんともいえない気持ちになった。

しかもこれで終わりではない。

筆者のいる博多の総鎮守は櫛田神社なのだが、ここがキャナルシティ博多と通路で繋がっている。
大祓をなんとか終了して別件の用事を果たそうとキャナルに向かった筆者は、ふんづかまえられて(もうこう表現するしかあるまい)引っ張られ、櫛田神社でも大祓に参加することになったのだった。

だが、これが有難かった。
大祓の二連発は強烈に効いた。
慢性化していた頭痛の約半分はただちに解消(去年の分の穢れか?)。
残り半分もまだ痛みを感じるところまで回復したのである。
そのほかにもあれこれとパラメータの異常を回復してもらったようで、帰宅するころにはすっかり上機嫌。
疲れはしたものの、いやな気分はすっかり吹き飛んでいたのだった。

神様、大祓の二連コンボごっちゃんでした。