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日本男児もしてみむとてするなり

EU憲法・その3~フランスでの結果が正念場

2005-05-07 11:06:54 | 国際
ECの時代から、いずれドイツとフランスは仲違いして空中分解するとよく言われたものでした。19世紀後半以降の国民国家の戦争では一般国民も戦場で戦うことになりましたから、両国民はつい親や祖父の代まではお互いに殺しあっていた間柄ですから。しかし両国は結局空中分解せずに着々とEU統合へ向かっています。それは両国の根本的な利害が一致しているからに他なりません。それはフランスにとっては「フランスの栄光」(欧州の中心でありたいということ)の維持であり、ドイツにとっては「大ドイツの再現」(失地回復)です。失地の回復は欧州(ユーラシア世界)の常識では戦争によらねば回復不可能であり、欧州域内での本格的な戦争が不可能となった現代においてドイツは失地回復は政治的な方法によるしかなく、一方戦争より政治が得意のフランスはその政治力でドイツの希望を実現する代わりに、EUでの主導権を得たわけです。

そうは言ってもEC発足当時、ドイツの失地はほぼ東ヨーロッパに属し、冷戦期にそこまでECに取り込める見込みはなかったのではないかとも思えます。しかし、政治的枠組みというものは永遠に続くものではありません。まともな政治家はその日に備えて手を打つものです。案の定(予定より早かったのかもしれないが)、冷戦は終結しベルリンの壁は崩壊しました。鉄のカーテンも消滅し東ヨーロッパは次なる政治的枠組みへ移行することとなりました。もしECに向けての仏独の準備がなかったなら、東ヨーロッパの政治的枠組みは未だ定まっていなかったに違いありません。ドイツが冷戦期にフランスとの間で信頼醸成に努めECからEUへの移行を確固たるものにしていたから、東ヨーロッパをEUに取り込むことに成功したのです。まことに天晴れです。

東ヨーロッパ、特にドイツの失地を多く抱えるポーランドがこのドイツの目論見に気付いていないわけはありません。それを承知でEU入りを希望したのです。ポーランドはスラブ人のカトリック教国で伝統的に西ヨーロッパ世界に対する憧れが強いこと、それにEUと一体化したドイツとロシアのどちらの勢力に属するか(どちらを信頼するか)を考えた時、選択肢はなかったはずです。同じスラブ系ながらポーランドはロシアを蛇蝎の如く忌み嫌っていましたから。また、経済的な問題から考えても同様です。ソ連が崩壊し力の空白が生じた機会に乗じて、できるだけ早くEU入りしてEU内での発言力を確保しようとしたわけです。中小国の悲哀といいましょうか。それしかなかったのです。

EUは冷戦後の欧州大陸を、アメリカに代わって仏独連合が政治的にリードするための枠組みです。しかしこの仏独連合がどこまで成功を収めるかはユーロの行方とも絡んで未だに未知数です。したがって、これからもEU域内のそれぞれの国でアメリカに付くのか仏独に付くのかで綱引きが行われるでしょう。イラク派兵を巡るスペインやポーランド、イタリアの反応はそういうところを如実に示しています。そういう観点で考えると、フランスでEU憲法の国民投票で反対が多数を占めるのはEUの求心力を一気に低下させることになり、政治的にまことに一大事です。固唾を呑んで見守りたいとおもいます。


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