古墳は国内に約16万基あるという。
国内のコンビニ店舗数の3倍。
どこにでもあるのがコンビニだと思うが、古墳はさらにある。
つまりコンビニはないが、古墳はあるという町が存在するのだ。
古墳は3世紀半ば~7世紀にかけて作られており、
形は大阪府堺市にある大仙古墳(仁徳天皇陵)の前方後円墳が
チョー有名だが、形は円墳や方墳など約10種類ほどある。
埋葬されているのは、天皇や妃・家族、地方の有力者だ。
その中でも天皇家のルーツがわかる壁画や埋蔵品がある古墳は
宮内庁が管理しており、許可なく立ち入ることはできない。
従って歴史の解明は2千年経った今も、神である天照大神や大国主命が
実在する神話が史実として伝えられている。
いぜん謎の迷宮のままだ。
国から給与をもらう大学教授や歴史学者、国立博物館の研究員などは
日本の国の始まり~700年辺りの歴史には深入りできない。
いつの世も歴史は勝者が作り、権力を持つ者が改竄できる。
たかだか100年ほど前の太平洋戦争の経緯さえ
正確に教科書に載ることもなく、教育という名の
上書き保存が行なわれている。
だから1700年も前の古墳時代の歴史となると、
鎌倉~室町幕府、戦国時代~明治まで幾度となく上書きされたことだろう。
いつの日か必ず、宮内庁が管理する古墳の発掘調査は
行なわれるとは思うが、それまでは神話=史実というなのだろう。
卑弥呼の謎、神功皇后の三韓遠征の謎、聖徳太子の神仏習合などなど
知りたいことは山ほどあるが、少ない情報と
国が作る教科書しかない私達は空想を巡らすしかない。
ちなみに私の生まれ育った兵庫県は日本で一番古墳の数が多い。
兵庫県で最大の前方後円墳は、このblogのその525にも
載せた「五色塚古墳」だが、二番目は篠山市にある雲部車塚古墳だ。
▲五色塚古墳
▲雲部車塚古墳
先日、淡路島の棚田をドローン撮影したのが
私の初フライトだったこともあり(このblogのその525)、
長梅雨が明けたので、能勢町から篠山に第2回目のフライトにでかけた。
まず撮影したのは、能勢町長谷の棚田。
みごとだった。
畔際もよく手入れされており、休耕田も目立たないほど少ない。
暑かったこともあり農家の方も作業しておらず、じっくりと撮影できた。
厄介な電線もうまくかわせる位置にある。
大満足で移動。次は少し大きな圃場を撮りたいので篠山方面に向かった。
ここには、雲部車塚古墳がある。。
事前にストリートビューを見たが、古墳の回りは田んぼが広がっていたので
田んぼナメで鍵穴型の円墳を収めることにした。
あくまでも田んぼ撮影がメインである。
▲雲部車塚古墳が田んぼの向こうに見える
▲上空から見ると前方後円墳だとよくわかる
空から見ると、古墳の回りには堀が張り巡らされている。
美しい前方後円墳だ。
埋葬者の候補者は第9代開花天皇皇孫「彦坐王王子・丹波道主命」
といわれており、宮内庁管理下の古墳(陵墓参考地)となっている。
したがって発掘はできないし、許可なく立入りもできない。
今回の目的は田んぼ撮影だが、上空から見る美しさに堪能したことで、
この辺りに点在する「北条古墳」と「胴中古墳2号」も見て帰ることにした。
▲空撮よりも人目線の方が良い場合もある(胴中古墳1号・2号)
全国に点在する古墳は、2千年の間に盗掘にあったり、
戦国時代の砦になったりして、すでに埋蔵品のかけらもない古墳も多い。
「五色塚古墳」も太平洋戦争下、
食糧難から畑となったがその後復元された。
しかし毎年、古墳は発見されているので、
いまだ発見されていない古墳もまだまだ多くあるという。
ちなみに大阪駅前の大阪マルビル建設時も地下から遺跡が出てきた。
工事を中断して調査されたが、調査後は埋め戻されてマルビルが建った。
2020年には、大阪駅北開発で
江戸時代の人骨が1500体以上も出てきたが調査後埋め戻された。
基本的には地価の高い都会の遺跡は一応調査はされるが、
埋め戻されてビルが建つ運命にある。
遺跡公園ができるのは地方都市か田舎で、観光資源としての活用が目的だが
小学校の社会見学が主で、よほどのことがない限り
遺跡に人が集まることはままない。
今回の古墳も、下からでは単なる森なので見学する人は少ない。
ちなみにまだ私のドローンテクはまだお金が取れる域にはないので、
しばらく訓練のため田んぼのドローン撮影はする予定だ。
なので古墳・遺跡見学も兼ねた撮影も予定にプラスしておこう。
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