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株式会社プランシードのブログ

株式会社プランシードの社長と社員によるブログです。
会社のこと、仕事のこと、プライベートのこと、あれこれ書いています。

その243.たまに汗を流さんと・・・

2015-09-06 06:16:47 | 制作会社社長の憂い漫遊記
石丸君と呑んだ。
石丸君とは、現在私が本年度ライフワーク的に取り組んでいる
全11話からなるアニメーションに曲をつけ、
効果音をつけてくれるスタジオ録音マンである。
29歳だから中堅にかかる頃で、
曲付けの楽しさがわかり始めた脂の乗り出した頃だろうか!?

私は25歳でフリーになり27歳で結婚し、28歳で子持ちになり、
29歳で海外ロケの無理がたたり1カ月入院し、
30歳で二人目を授かった。
公私に渡り、激動の年頃であった。
今あの時に戻るかと尋ねられたら、即NOと答える。
なにせ長女の時は出産に立ち会い、育児に時間を取るために
3カ月の休みを取ったので、
出産前の3カ月は寝る間も惜しんで働きづめに働いた。
時代もよくて、ペイペイの私にもワンサカ仕事があった。
もちろん当時の私は「PR映像のNEO巨人」を自負しており、
無茶なオーダーにも応えていたし、応えられていたと思う。
その自信から生まれる気力で、
難題を乗りきっていたかにみえたが、体は正直だ。
29歳で海外ロケの無理がたたり1カ月入院を余儀なくされた。
しかし今思うと、その入院が良かった。
あのまま突っ走っていたら、枯渇していたことだろう。
いや実際は枯渇一歩手前だった。
結局1カ月の入院で「また仕事がしたい」と飢えることができ、
勢い余って退院後の療養中に合体!
それから十月十日後に生まれることになる
次女の出産と育児のための3カ月の休暇も取ることができた。
フリーにとって3カ月の休暇は
半年間お金が入らないことを意味するので、
出産前の3カ月は滅茶苦茶働いたのだろう。
しかも駄作のホームラン王ではない。
結構いい作品を量産したと記憶する。

そんなこんなで、あれから25年。
阪神淡路大震災で被災生活を余儀なくされたが
翌年には(有)プランニングオフィス多田を立ち上げ
2009年には後継者にバトンタッチするために
(株)プランシードを立ち上げた。
社長兼、今でも現役バリバリのPR監督だ。
そして今、石丸君とアニメーションを作っている。
そして並行して入社案内DVD改訂版の演出も
担当させてもらっている。
年内アップの映像はこの2作品だが、
全く違う路線であり、日々苦労しつつも楽しんでいる。
そもそもは映像の演出からスタートしたが、
印刷物やイベントの企画・構成・演出・プロデュースも
やらせてもらっているので、なんだか毎日バタバタとしている。

と、朝から携帯にお客さまからコール!作り物の依頼を受けた。
さっそく午後から作り物の名手・上田氏と会い、
あれやこれやとラフスケッチ合戦をした。
大工の息子である私と、作り物の名手・上田氏のスケッチ合戦は
なかなかの見もので、お互いに細部まで書き繰って、
予算化できるところまで1時間ほど攻防は続き
おおよその形まで漕ぎ着けた。
その攻防戦の終盤、上田氏は自嘲ぎみに
「頭悪いから部屋の中でばかり仕事してたら
頭の中がウニになりますわ。たまに誰かと話しながら組み上げたり、
現場で汗を流さんとあきませんわ」
全く同感である。
先日、入社案内DVD改訂版のロケで汗を流して
スッキリ感のある私めも上田氏同様、もの作りアホなんでしょうな。
汗の量で仕事の成果が決まると、いまだに信じていますし!
仕事さえいただければ
いつもイキイキしておれる幸せ者だと思う今日この頃で~す。

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