株式会社プランシードのブログ

株式会社プランシードの社長と社員によるブログです。
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その5.価格とは?

2012-06-05 08:38:37 | 制作会社社長の憂い漫遊記
映像や印刷物制作の世界にも定価が求められるようになってきた。
当社の取引先(スポンサー)でもコストテーブルなるものを作り、
社内の誰でもがコスト計算しやすいように作業ごとの単価を
決めている会社もある。
モノクロ、A4、片面印刷、上質紙使用という印刷のコストテーブル
ならまだしも、監督、カメラマンなど集団の人からなるソフト制作に
コストテーブルを作るのである。


(料理番組の収録
料理人・加藤敏彦先生とゲストは柏木由紀子さん
加藤先生の作る酒のアテは絶品!)

当社も当初コストテーブルに難色を示したが、スポンサーのことを
考えるとわからないこともない。
上司のハンコをもらうためには企画前に価格がおおよそ
わかっていないと稟議書も上げられない。
当社でも早速コストテーブル作りに着手したが、
○○○○円~○○○○円と幅が出てしまう。
例えば編集1時間=1万円、録音1時間=1万円と
単価は出るのだが、では何時間で完成するの?となると
人によって異なってくる。作業内容にもよるし、何よりも
監督の技量によって作業時間は大きく変わってしまう。
その監督の技量は、時間単価で計算しにくい。
スポンサーは例えば監督1人1作品=10万円としたいところで
あろうが、当社としては学校出たての新人でも、
この道30年・百戦錬磨のベテランでも同じ10万円とはいかない。
そもそも価格は安い方に流れるので、新人の単価が基本になる
場合が多い。よくて新人とベテランの中間価格が単価となる。
ところが編集時間をみると、ベテランなら2時間で終わるところを、
新人では10時間かかる。従って監督の価格は10万円でも、
技量のあるベテランの方が編集時間は短く済み、
結果ベテランを起用する方が請負額は安くなるという現象が起こる。
スポンサーは得するが、それでは監督もたまったものではない。
そもそもソフトは人がつくるものであるから、誰がやっても
共通価格にするのには無理がある。


(スタジオにセットを組み、宴会用手品ビデオを制作
手品師は「中国は広島生まれ?」のゼンジー北京師匠)

では我々プロデュース集団、監督集団の会社における
価格とはなんなのか?私がよく説明するのは、
価格とは格のあたい(値)のことである。
では格とは?地位。身分。また、等級を指す。
つまり格の値なのである。

新人とベテランでは、どちらが格が上なのか?
その格相応の値があるべきではないのか?
つまりA監督なら5万円、B監督なら10万円と
いった具合である。
しかしスポンサーは業界人ではないので監督の格など
わかろうはずはない。
そこでプロデューサーが登場することになる。

相撲取りには序二段だの、関脇だのという強さに対する
格がある。強さだからランクが付けやすい。
ではソフト業界ではどうか?例えば落語家には格がある。
真打が一つの区切りであるが、舞台に上がる順番(出番)が
格によって違ってくる。
PR業界の監督にも本来は格付けがあってもよいのであるが、
いかんせん商品と作品の狭間でヤットコサ生きているので
明確なる格付けがない(ように思う)。
ただし、プロデューサーの中には監督ごとに
明確な格付けをしている。
時にはお客さまの要望を鑑みたり、時には自分の能力、
仕事量、スケジュールを睨んで監督を決める。
監督の格によってギャラは違うし、同じ監督でも自分が
監督に期待する内容によってギャラを変えてくる。
誰に聞いたのかわからないが、
初めて仕事をするプロデューサーでも提示してくる額に
あまり差はない。
そのルールはというと…多分明確に応えられない
「感」のような要素も大きなウエイトを占めている。
そのあたりはコストテーブルを作ってほしいという
スポンサーもよくわかっていて、
監督1人1作品=5万円と決めた上で、さらに
「監督には○○さんをお願いします」とオーダーしてくる。
5万円の価格は新人のギャラから
算出させておきながら、なおベテランの起用を願い出る!
さすがにスポンサーである。あなどれない!!


(お掃除のノウハウビデオの収録
お掃除博士の深谷ミエ先生とゲストは見城美枝子さん
シリーズになり私の家や先生のお宅でも収録することに)

結局「今回は予算が○○円しかない。
でもどーしてもあなたと仕事がしたい。
あなた以外に監督は考えられない」と言われた方が
よほどやる気が出る。

監督とはそもそも気分屋であるから
恋愛をしている時より、失恋直後の方が当然のこと
「愚作」ができやすい。
お酒をご馳走してくれた方が確実に「傑作」ができる。
そんなアバウトな輩に定価は無用である。
結局いただくギャラよりも過剰サービスするのが
「監督」であるから、逆にいえば過剰分をどれだけ
気持ちよくさせるかがプロデューサーの役割
になる。
「人たらし」という言葉があるが、
仕事がしやすいように状況を整理する、
気分が上がるように誉め言葉を添える、
最後はお酒でガンジガラメにする。
私がフリー監督時代はこういう輩がたくさんいたし、
大手企業のベテラン広報マンなどの中には、
はるかに町場の代理店や制作会社のプロデューサーよりも
凄い方がおられた。

30年ほど前、フィルムからビデオになっても
カメラを操作したり、編集をしたりすること自体に
技術や知識が必要であった。技術がなければ動かせなかった。
しかし、わずか30年の間に、
もはや誰でも簡単に撮影でき、
誰でもPCを使えば簡単に編集でき、
誰でもHP等を使って自分を表現できる時代が来てしまった。

スポンサーの中には
「簡単にできるのにどうしてこんなに高いの?」という
ツワモノまで出現し、ますます行き場がなくなっている
我々に明日はあるのか?
プロの仕事は違う!これは断言できる!
断言できなければプロではない!
しかし、
「価格とは格で決めるもの。彼と僕とでは格が違います」
と胸を張ってスポンサーに断言するには、
この道35年の私とてまだまだ修行が足りない。


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