プラモコレクターの憂鬱

古めのコミックプラモ、航空機、ロケット、ミサイルのスケールモデル、レトロコンピュータが主な話題です。

宇宙時代というのはいつからだったっけ...の巻

2005-04-21 22:23:29 | プラモデル

★久しぶりにお買い物、超スピーディな送り主でありました。
その丁寧な梱包のしかたから毎日のように箱状のものを包む仕事をしていたのではないかと類推してしまいます。(イメージ的には昔の模型屋のおじちゃん&おばちゃんの仕事を思い出す。)箱に貼ったガムテープもすっきりきっちり”いい仕事”こんな送り主に出会うとうれしいですわ...

■箱にも印刷があるようにKKマルサン製です。1968年12月以降のKKマルザンをあらためて調べてみたら1969年には再び事業をしだしたようです。キットは白色のモールドでそつなくつくられています。果たして猫が洞が親類の子供から譲り受けた組み済みアポロ11号月着陸船はkkマルサン製だったのか?
■月面着陸イベントに前後して実際の宇宙機に影響をうけたデザインがSF映画やSFテレビにも登場する事になります。この宇宙船もその一つ(と思う。)
映画の冒頭、湖から船の頭を突き出した格好で見ている人の度肝を抜きました。映画の有名なシーンですね。猿の惑星のフィギュアプラモも出てましたのでひょっとしたらこの宇宙船のプラモも発売されたかもしれませんが(出てない方に一票)がちょ-んとイカすデザインでしょ。

■月面着陸の前は人工衛星を軌道に乗せるのが人類の目標でした。勢いのある時代でしたね。箱絵にそれが現れています。

▲ストロンベッカー社1950年代半ばのプラモデル、サテライトランチャー

そろそろ春ですなあ の 巻

2005-04-14 23:36:31 | プラモデル
★Mig25事件の頃 おそらく モケイのタナヲ屋の薄暗がりの中で発見した潜水艦 YAMADA イ号400 堂々とした箱絵はキャラクターものの軽薄さを吹き飛ばす迫力がありました。会社こそ移籍はしましたが現在でも入手可能なロングセラー YAMADAに比べて童友社のキットは金型改修されて組み立てやすくなってます。(^^)/ 暖かくなってきたので また 水辺に行くかな...


Mig25事件の残したものの巻

2005-04-10 18:25:41 | プラモデル
★函館に”着陸”したMig25ベレンコ機ですが結局米軍技術部隊(通称ミグ屋)と自衛隊の手によって分解調査の上その年のうちにソ連の貨物船に積まれて祖国に帰って行きました。パイロットのベレンコさんはアメリカに亡命がかないました。残された日本政府はといいますと防空体制の強化充実に大騒ぎ。結局レーダー背中に積んで空を飛ぶ早期警戒機のE-2c導入とかF4EJファントムに替わって米国の最新鋭機F15イーグルを奢る事になりました。画像は翼端の形状が違う試作型のF15イーグルと後にプラモの金型自体が修正され発売された量産型F15イーグル。
■量産型F15の箱
■試作型F15の箱

突如 昭和51年9月6日の函館の巻

2005-04-10 10:20:32 | プラモデル
★あのさ~きのう ソ連の飛行機ミグが函館に着陸したんだって!(え~ほんとほんと????)でさータイヤがパンクして車輪カバーが飛んでさー、そいで空港の係の人が飛行機に近寄ったら威嚇射撃で空に向かって腰の拳銃でパンて撃ったんだ!うん そいで驚いて...(棚尾小学校の昭和51年9月7日の朝、ある児童の会話)

あったですよねぇ。(うんうん)あれから30年も経ってしまいました。当時テレビで流れるニュースにはブルーの戦闘機がシートをかけられ映し出されていました。(もっともこの時ブルーにみえたのは空のブルーが機体に映っていたらしいけど)赤い★がピンと張った二枚の垂直尾翼にありました。その後 我が社が一番だ!という新聞見出しで 飛行機のハセガワから 緊急発売(だとおもう)されたMig25模型の写真が紙面をにぎやかしました。
■この事件についてはこの歳になってから妙に当時の大人達の慌てぶりと言うか知りたくて気になって古本等を探したい欲求が高まってます。当時の報道フィルムも何とかデジタルデータ方式で手に入れたいんだけれども 極たまに 昭和を紹介するニュースの中で”空色のミグ”をちらっと見るのだけれど...Mig25に乗れるぞ~ 高度25,000m マッハ2.4!!!スーパージェッターの流星号には及ばないが(マッハ15は無理無理)本物に乗れまっせ!
希望者は後で職員室まできなさい!(笑)猫が洞は全く責任は取りませんよ。

http://www.ctn-japan.com/Tracon/Sky/mig25.htm