Neroliの日記

Neroliは好きな香り。大好きなフィギュアスケーター羽生くん、エンタメ(歌舞伎・映画)、初孫のことを日記に書いてます。

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2018年03月11日 | 日記

大相撲春場所が始まり、相撲好きの母とテレビを見ていたら

初日恒例の協会挨拶の前に東日本大震災の被害にあわれた方々への黙とうが行われ

ふたりで目を閉じて手を合わせました

 

自分なりにできることを続けようと思います

 

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羽生くんの仙台パレードに行けたらいいのですが、難しいので

東北の逸品を買って応援

ヤフーショッピングで桃とふかひれスープを買いました

 

 

 

 

オリンピックチャンネルが東日本大震災と羽生くんにふれていました

Olympic Channel

7年前に被災した羽生結弦の平昌オリンピックまでの歴史

2度のオリンピック・フィギュアスケート・チャンピオンである羽生結弦は、壊滅的な地震と津波が日本を襲った時、地元のアイス・リンクから逃げるしかなかった。今日からちょうど7年前のことだ。2011年3月、羽生結弦は彼の人生とキャリアを変えるような経験に耐えた。日本人フィギュア・スケーターである彼は仙台のホーム・リンクで練習中だった。その時建物が揺れ始め、氷が砕け始めた。スケート靴を履いたまま16歳の彼は壊れてゆくリンクから逃げた。壊滅的な地震が日本の海岸を襲い、巨大な津波を引き起こした。15,000人以上が亡くなり、6,000人以上が重症を負った。地震の後、羽生の家族は3日間を避難所で過ごした。羽生の地元のリンクは数ヶ月間閉鎖されたままだった。トリノ五輪チャンピオンの荒川静香に励まされ、羽生はスケートを続けた。彼は2014年のソチでオリンピック・チャンピオンになった。日本にとっては男子フィギュア・スケート初の金メダルで、4年後もタイトルを守った。地震以来、羽生は多くの時間やお金を復興支援活動に費やしてきた。2018年平昌のガラでの彼の演技は地震の被災者へ捧げたものだった。「僕がここにいるのは、支えてくれた日本のみなさんのおかげです。応援してくれた世界中の人びとがいるからなのです。」初めてオリンピック金メダルを獲得した時の羽生結弦の言葉だ。

 

  

平昌オリンピック エキシビション「ノッテ・ステラータ」

HANYU'S GALA TRIBUTE-FIGURE SKATING PYEONGCHANG 2018 REPLAYS

 

ソチオリンピック エキシビション「ホワイト・レジェンド」

※画質が悪いです

 

 

 

犠牲になられた方々のご冥福をお祈りします

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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