ぴらにあの写真館 in 伊豆大島→都会へ(新・日記帳)

8年間の伊豆大島生活から都会へ移住しました…
旧日記帳(ODNまいぺーじの思い出)は、BOOK MARKよりどうぞ!

写真館を「No.977 密を避けてGOTO別府地獄巡り!・その6(油屋熊八さんの銅像)」に更新しました!

2021-02-13 21:17:06 | まいぺーじ写真館
 別府駅前のビジネスホテルの温泉の源泉名が「熊八の湯」だったんですけどね、その「熊八」って何なんでしょう?。熊さんと八っあんが発見した温泉なのか、この辺りの地名なのかよくわかりません。で、朝飯前の散歩の駅前ロータリーで謎が解けました。油屋熊八さんという方は別府温泉を開発したパイオニア的な大人物だったんですね・・・

 熊八さんは江戸末期に伊予国(愛媛県)の豪商の家に生まれ、米相場で大儲けしたりスッテンテンになったり、奥さんを置いてヤケッパチでアメリカに渡ったり、すったもんだの挙げ句に別府にたどり着き、今度は奥さんの伝で温泉旅館(現Kノ井ホテル)を開業したそうです。熊八さんは当時はまだあまりメジャーじゃなかった観光に目を付け、大正から昭和初期に別府地獄巡りの開発、日本初のバスガイド付きの観光バスの運行、関西地区からの大型客船や水上機の運行や遊覧飛行、自動車を活用した九州全体の周遊、ゴルフ場を作って温泉保養とセットで宣伝したり、今でこそアタリマエの総合観光開発を100年前に手がけたレジェンドなのでございます・・・

 ぴらにあの大好きな温泉のマークも熊八さんが全国に広めたらしい。でも、熊八さんはかな~り変わったところもありました。敬虔なクリスチャンでお酒を飲まなかった熊八さんは、自分の営業するKノ井旅館はなんと禁酒旅館(ぴらにあも下戸ですがさすがに意味不明?)だったそうな。「旅館なんだから飲ませろ~!」とゴネるお客さんに、熊八さんは「温泉でお酒なんか飲むな!」と説教していたという。しかし、「禁酒旅館は営業として成り立たないから困ります!」と説得する従業員に根負けして、とうとう禁酒の令を解いたそうですが、日本酒は2本まで、ビールなら1本までだって。まるで落語ですよね・・・


【う~ん、朝日の当たる別府の山並みがステキですね。九州は東京より小一時間ほど夜明けが遅いので、ちょっと時間の感覚がズレてます。寝坊しないように注意しないといけませんね・・・】


【地獄巡りの前にチョイと小娘さんが好きそうな神社にやって参りました、その名も「八幡竈門神社」と言いまして最近人気があるようです。お彼岸の中日には素晴らしい日の出が見られるそうです・・・】


【昔々、鬼が暴れ回って村人は困っていたので、「夜中のうちに鬼が100段の石段を作れたら何でも言うことを聞く」的な約束をしたそうですが、例によって99段目で夜が明けてしまったというヤツ。その鬼は改心してかまど地獄の門番になったという・・・】


【石段を上がりきった所に機雷みたいな球がありましたので、社務所の人に「あの機雷みたいの何ですか?」と聞いてみましたら、「機雷です!」だそうです。坂の下に病院(昔は海軍病院だった)がありまして、昭和3年に日露戦争の戦勝記念で奉納してくれたそうです・・・】


【この天井図の龍(火災から守っている)がすこぶる人気なんだそうです。つまり・・・】


【この龍の構図がですね、チェック柄の少年剣士の挿絵の龍とクリソツなんだそう。「この少年の絵を描いた人は神主さんの奥さん?」という問い合わせもあるらしい・・・(真義のほどは?)】


【境内の木の一部が龍の顔に見えたり、龍の穴があったり、鬼の足形があったり、とにかく鬼と龍がいっぱいなんです・・・】


【お守りは緑と黄色もありましたけど、ピンクのがいいそうです。もう、このカラアゲ娘に竹チクワで猿ぐつわしてやろうかと・・・】


【緑のチェック柄のお狗様なんですね。緑の少年とピンクの少女のツーショット写真もたくさんありました。さてと、そろそろ血の池に向かいましょう・・・】

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