ピアノ王国のピアニストをご紹介します。
今回はスヴャトラフ・リヒテル
ソ連からの亡命の懸念から
国外への演奏許可がなかなか下りず、
長いこと西側では「幻のピアニスト」と称されていました。
Sviatoslav Teofilovich Richter
1915-1997 ロシア帝国(現:ウクライナ ジトーミル出身)-モスクワ没
20世紀最高のピアニストのひとり
ダイナミックな情感と緻密にコントロールされた技巧を持つ
同時代にアメリカを拠点に活躍した
ホロヴィッツと並び称される
一家はオデッサに移住し、
父親はドイツ人ピアニストで音楽教師の他、オデッサの
ルター派の教会で合唱団長やオルガニストを
務めていました。
しかし、スターリンの粛清により父は逮捕され、
ドイツのスパイの嫌疑をかけられ銃殺。
母親はドイツへの亡命を果たしたため、
リヒテルは亡命の恐れがあるとされ、冷戦で対立していた
西側諸国への演奏許可がなかなか下りませんでした。
録音の一部や評判だけが伝わり、長いこと
「幻のピアニスト」と言われていました。
ブルガリアのリサイタルで演奏した「展覧会の絵」が
西側でもレコードとして発売され、
当代一のピアニストとしてのリヒテルの真価を
知らしめました。
1960年にようやく西側での演奏を許可され、
ヘルシンキに伴奏者として同行。
同年アメリカツアーでリサイタル、
オーケストラとの共演を行い、
センセーショナルな成功をおさめました。
飛行機嫌いなため日本へは1970年に初めて来日。
その後はたびたび来日し、
ヤマハのピアノを気に入っていました。
小さな会場で曲目を予告せずに行うコンサートを好み、
晩年はあえて楽譜を見ながら演奏したり、
照明を極端に暗くした状態で演奏をしていました。
周囲から気難しい人と思われていましたが、
とても繊細な感受性の持ち主で「傷つきやすい巨人」と
ある音楽評論家から評されました。
リヒテルの調律を任されていた日本人のかたは、
決して怖い人ではなかったと言っています。
リヒテルの演奏は実際に練馬文化センターで
聴いたことがあります。
楽譜を置いて、会場のみならずステージ上の照明も
かなり暗くして演奏されていました。
演奏家がそのように本番で演奏する姿を初めて見たので、
一体何が起きたのだろうと思いました。
曲は地味で静かなものが多かったように記憶しています。
シューマンの花の歌があったのは覚えていますが、
あとは記憶にありません。
学生の頃でしたので、
今でしたら何か受け取れるものがあっただろうと
自分に対して残念に思います。