ピアノ王国のピアニスト、今回はマリヤ・グリンベルク
ユダヤ系の家系に生まれたことで
生涯不当な扱いを受けたが、
20世紀屈指のピアニストのひとり
ホロヴィッツの妹弟子
Maria Israilevna Grinberg
1908-1978 ロシア帝国(現:ウクライナ オデッサ出身)ーエストニア没
ソ連時代のユダヤ人敵視の風潮から
活躍が見込まれた矢先に、父と兄が逮捕、処刑。
本人もマネジメントから外され、
アマチュアバレエ団の伴奏者や時にはティンパニ奏者として
やっと食いつなぐ。
その後ソリストとして再び名をあげ、
国内で引く手あまたとなる。
スターリン没後、50代で外国での演奏が認められました。
60代でグネーシン音楽学校の教授に迎えられましたが、
モスクワ音楽院の教授職やチャイコフスキー・コンクールの
審査員からは締め出されたままでした。
ソ連で最初にベートーヴェンのピアノソナタを全曲録音。
繊細で格調高く、この曲の第2楽章には
聴き入ってしまいます。
ヴィルサラーゼは彼女を好きな演奏家の一人として
挙げています。