ピアノ王国のピアニスト、今回はラザール・ベルマン
鮮やかな超絶技巧、こまやかな情緒表現と
強靭なタッチが特徴
自身も「ヴィルトゥオーゾと呼ばれるタイプの
演奏家に属している」と自認
Lazar' Naumovič Berman
1930-2005 ソ連 ーフィレンツェ没
ハンガリーでは
「フランツ・リストの再来」と絶賛される
アメリカでは「ベルマンの目もくらむようなテクニックは、
ホロヴィッツだけがライバルになることができるもの」
と絶賛される
ソ連では古びてガタガタのピアノで演奏しながらも
聴衆の関心を集めていました。
モスクワの2部屋からなる狭いアパートに住み、
その内の1室はグランド・ピアノに占領されていました。
アメリカデビュー後に引く手あまたとなり、
大きなコンサートや著名な指揮者と共演、
大きなレーベルでの録音など活躍しました。
しかしその頃でさえ、ソ連はベルマンの演奏活動を
制約しようとしました。
ユダヤ系であるがために事態はこじれましたが、
ソ連の存続が危うくなり、妨害活動が減少し、
その隙にイタリアに亡命。
モスクワ音楽院ではゴリデンヴェイゼルに師事する傍ら、
リヒテル、ソフロニツキー、マリア・ユーディナからも
指導を受けました。
19世紀の作曲家の作品をレパートリーにしていましたが、
ショパンだけはなかなか弾こうとしませんでした。
「もちろん以前は弾いたのだが、何年間もワルシャワの
ショパンコンクールに参加したけれども
入選しなかったんだ。自尊心がひどく傷つけられてね、
それからは二度とショパンを弾かないって誓ったのさ」
と話しています。
1970年代にはショパンのポロネーズ集を録音しています。