ピアノ王国のピアニスト、
今回はウラディーミル・アシュケナージ
ポリーニやアルゲリッチと並ぶ
20世紀後半を代表するピアニスト
Vladimir Davidovich Ashkenazy
1937- ソ連
小柄ながら、どんなパッセージも楽々と弾きこなし、
卓越したテクニックで、洗練された音色で演奏
レパートリーは極めて広く、
クラシック音楽のスタンダードな曲はほぼ網羅し、
録音も膨大な量に上る
18歳で出場したワルシャワのショパンコンクールで2位。
この時にアシュケナージが優勝を逃した
ことに納得できなかったミケランジェリが、
審査員を降板した話は有名です。
同じ年にモスクワ音楽院に入学し、
オボーリンに師事。
翌年、エリザベート王妃コンクールで優勝。
これを機にヨーロッパ各国や北米で演奏旅行をし、
成功をおさめ、音楽院在学中から
国際的名声を確立しました。
音楽院を卒業して2年後に
チャイコフスキーコンクールで優勝。
これはご本人は既に、
他のコンクールで優秀な成績を収めていたため
出場する気はなかったのですが、
国の威信をかけ優勝するように国から命令され、
仕方なく参加したものです。
翌年、イギリスに亡命。
アイスランド出身の妻の故国に移住し、
同国の国籍を取得しました。
1970年頃から指揮活動も始め、
次第にそちらの比重が増えていきました。
2020年、演奏活動から引退を発表。
スイスのルツェルンに居を構え、
ラフマニノフの別荘の近くに住んでいます。
作曲家の孫とは古くから親しくしており、
隣人同士の付き合いがあるそうです。
アシュケナージのリサイタルには
数えきれないほど行きました。
何度も生でその音を聴きました。
ラフマニノフのコレルリの主題による変奏曲の
テーマの最初の音が
東京文化会館の5階の客席にポーンと
跳んできた時には驚きました。
目の前に音がありました。アシュケナージは
ずっと遠くに小さく見えていただけだったのに。
シューマンの交響的練習曲のあるヴァリエーションで、
左手の和音の中にあるメロディーは
ペダルで繋いでいるかのように滑らかだったのに、
右手から聞こえるアルペジォはノンペダルに聞こえ、
あのテクニックには驚きました。
最後に聴いたアシュケナージの演奏は地方でした。
700人位の小さ目なホールでしたが、
最後に聴いたショパンの3番のソナタは
生で聴いたアシュケナージの演奏で
最も心に残るものでした。
たいへん情熱的で、こんなにパッション溢れる
彼の演奏を聴いたのは初めてでした。
アシュケナージはいつもステージ袖から
小走りに出てきて、ピョコピョコお辞儀をされていました。
その姿がとてもかわいらしかったです。
一度、藤沢まで聴きに行った時に
楽屋に行ってみましたら、ファンが誰も来ていなく、
係の方が喜んで楽屋に入れて下さり、
アシュケナージも笑顔で迎えて下さいました。
サインをいただいて帰りました。
駅に向かって歩いていたら、
後ろからお車に乗ったアシュケナージご夫妻が
追い抜いて行かれ、顔を覚えていて下さったようで
何度も手を振ってくださいました。
ステージに花束を渡しに行ったこともあります。
今ではそのような光景は見られませんが、
昔は花束を持ったファンがステージ下に
押しかけていました。
私も一度だけ押しかけ、
しっかりと握手していただきました。
分厚く、がっしりとした手をされていました。
若かりし頃の良き思い出。