↓(ロマン・ロラン著(吉田秀和訳)『ベートーヴェン研究 II 復活の歌』より)
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「1801年の手紙以来、
彼(ベートーヴェン)は、
とりわけ、J.S.バッハについて、
自分を感激させるものが何であるかを
はっきり見きわめていた
――それはつまり、和声なのだ・・・・・
『Die hohe grosse Kunst dieses Urvarters des Harmonie・・・・
(この和声の父祖の、高く偉大な芸術・・・・)』
事実、ヨハン・セバスチアンが、
われわれにとっても、もっとも近代的で、
もっとも新しく、今だに革新的なのは、
まさに、
――彼の対位法に関する凌駕すべからざる支配的力による以上に――
この点によるのである。そうして、ベートーヴェンが、
この点で利するところのあったことは、われわれに了解できる。」
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・・・J.S.バッハの音楽における魅力が、
彼が使い手として有名な「対位法(コントラプンクト)」のみならず、
作品の根底を流れる「和声」にもあることに着目してみる事は、
この音楽を理解し・感じ・愉しむにあたっての
大きな役割をはたすのかもしれません。
それは今回、この記事冒頭にご紹介いたしました
ロマン・ロランの書を通じて知ることのできた
「ベートーヴェン自身の言葉」として、
彼の興味・彼の音楽家としての重要な鍵のひとつが
「和声」にあるという証明にもつながりましょうか。
「大ベートーヴェン」にとっても、
J.S.バッハはこのような理由(和声)から、
「大バッハ」と呼ぶに値する
音楽作品を作曲する力を有した偉大な存在であったのでしょう。
「和声」の力が、
一般的に想像される以上に、
普遍的な音楽の力の根源を
為しているのかもしれません・・・
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PianistSegawaGen@aol.com
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「1801年の手紙以来、
彼(ベートーヴェン)は、
とりわけ、J.S.バッハについて、
自分を感激させるものが何であるかを
はっきり見きわめていた
――それはつまり、和声なのだ・・・・・
『Die hohe grosse Kunst dieses Urvarters des Harmonie・・・・
(この和声の父祖の、高く偉大な芸術・・・・)』
事実、ヨハン・セバスチアンが、
われわれにとっても、もっとも近代的で、
もっとも新しく、今だに革新的なのは、
まさに、
――彼の対位法に関する凌駕すべからざる支配的力による以上に――
この点によるのである。そうして、ベートーヴェンが、
この点で利するところのあったことは、われわれに了解できる。」
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・・・J.S.バッハの音楽における魅力が、
彼が使い手として有名な「対位法(コントラプンクト)」のみならず、
作品の根底を流れる「和声」にもあることに着目してみる事は、
この音楽を理解し・感じ・愉しむにあたっての
大きな役割をはたすのかもしれません。
それは今回、この記事冒頭にご紹介いたしました
ロマン・ロランの書を通じて知ることのできた
「ベートーヴェン自身の言葉」として、
彼の興味・彼の音楽家としての重要な鍵のひとつが
「和声」にあるという証明にもつながりましょうか。
「大ベートーヴェン」にとっても、
J.S.バッハはこのような理由(和声)から、
「大バッハ」と呼ぶに値する
音楽作品を作曲する力を有した偉大な存在であったのでしょう。
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一般的に想像される以上に、
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