ベートーヴェン作曲の超!有名曲《エリーゼのために》は、正式には作曲者本人は《バガテル》と名付けた「ちょっとしたもの」という意味をもつ作品なのだそうです。
楽曲解説・和声解析の動画を作りましたので、詳しくは以下こちらを、よろしければご覧下さいませ。↓↓↓
【書込み解説】ベートーヴェン《エリーゼのために》 ~「原典版」の使い方・弾き方~ 【楽曲解説・和声分析】
ご視聴いただきありがとうございます。こちらの動画は、お手元に楽譜をご用意されて、一緒に書き込みながら勉強していただけたら有意義かと思われます...
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作者自身により作品番号はつけられておらず、この曲に《WoO.59》という番号が見受けられるその意味は、ドイツ語で「Werk ohne Opuszahal」という頭文字から取ったもので、日本語に訳すと「作品番号の無い曲」というような意味になります。
作曲者が作品番号を付けるか・付けないかという判断は、自身の仕事(作曲)に対する少なからぬ意味合いを持つものだそうで、作品番号の無い《エリーゼのために》にも、ベートーヴェンの楽曲として、それ相応の位置付けがあるといえるのでしょうか・・・
「バガテル」という言葉には「つまらないもの」・・・という意味もあるのだそうですが、壮麗な《交響曲》や見事な《ソナタ》などを沢山書いている大作曲家ベートーヴェンにしてみれば、このような小曲は、そのような意味合いもあてはまるのでしょうか・・・しかし、ベートーヴェンはその他にも沢山の《バガテル》を書いており、この曲名を単に否定的な意味だけで使ったのではないとも想像されましょう。
現に!大天才の手にかかったこの小曲《エリーゼのために》は、決して駄作なんかではありません! 小曲だからといってベートーヴェンが音楽的に手を抜くことなんかはありえず、まぎれもなくあの大音楽家ベートーヴェンの手による作品であることは、間違いありません!
演奏時間3分とかからない中に満ちているベートーヴェンの充実した音楽性、以下、それに迫ってみたいと思います。
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楽譜の冒頭に書かれているのは、「Poco moto(少し動きを)」と「pp(ピアニシモ)」という指示だけ。しかし、ある自筆譜のスケッチには「molto grazioso(とても優美に)」という指示が見受けられるのだそうです。
この、今日の印刷された楽譜には直接書かれてはいない「molto grazioso」という指示は、「貴重な裏情報」として、ベートーヴェンの脳裏にあったこの曲に関する音楽性のひとつであったかもしれないと知って、そしてこの曲に向かい合うことは、演奏するにあたっての大きな助け・ヒントとなるように思われます。
この音楽は、大いに美しく演奏されて然るべき!ということでしょうか。
ところで、
この曲に関する楽譜の問題は、要注意!です。
《エリーゼのために》
あまりに有名な作品ゆえに、世界中に!数多くの楽譜(名曲集の中などにも含まれていること多々)が出回っており、しかし・・・残念ながらその多くは、ベートーヴェン自身の手によらない、どこの何者か分からない!赤の他人の指示!が書き込まれている楽譜が出回ってしまっているようなのです・・・
冒頭に「mp(メゾピアノ)」とあったり、抑揚を示す「<>(クレッシェンド・デクレッシェンド)」や、その他の音量「p」「mf」「cresc.」「dim.」や標語「rit.」など、そのいずれもが書かれていたら、その楽譜は残念ながらベートーヴェンの手にはよらない、偽物!ということになります・・・
この曲中にベートーヴェン自身が書き入れた記号は、冒頭の「pp」と「Poco moto」に、ペダルの指示(これは沢山!書かれているようです)、そしていくつかのスラー、後半にもう一回だけ「pp」、以上です。
これは、私の手元にある「ウィーン原典版」を参照しながら挙げてみたものです。
ウィーン原典版は、クラシック音楽の楽譜出版にあたって、作曲家本人の仕事を最大限に尊重しようとする姿勢をしっかり持った、信頼性の高い出版社です。
「原典版」というのは、単なる触れ込みや宣伝文句などではない!、音楽に誠実であろうとする意義のある言葉!のはずです。
その信用のおける楽譜によると、《エリーゼのために》の冒頭は、「pp」なのだそうです。そして上記のとおり、それ以後、偽物の楽譜に数多く記されている「<>(クレッシェンド・デクレッシェンド)」等、この曲ではベートーヴェンは一つも書いていないのです!
しかしだからといって、ベートーヴェンが何も書かなかったから「音楽は平坦」ということは決してあり得ず、あくまでもこの事実を知った上で、和声(ハーモニー)やフレーズ、音楽の流れに沿った適切な抑揚は、奏者がよくよく感じ・考え・工夫し勉強すべきことでしょう。
「偽物の楽譜」とここでは批判的に呼んでいますが、ベートーヴェン自身ではないけれど、そこに書き加えられた抑揚が、音楽に合っていることもあると思われます。一方では、音楽的に合っていない!?と思われるものもあります・・・
いずれにせよ、
楽譜を出版については、研究が進み天才作曲家達の「真の姿」により一層近付くことが出来る可能性が広がった21世紀の今日において、印刷されている書き込みが、作曲者本人のものか、他人によるものなのか、あるいは作者本人が後日付け加えたものなのか等、それを使用者に判るように印刷することは、誠意ある真面目な出版社としての必要な大事な姿勢といえましょう。
そうでないと、楽譜に書いてあったら、使用者は普通にそれを「ベートーヴェンが書いたもの」と思って、そうしてしまうでしょう。しかし、実はそれはベートーヴェンの書いたものではなく、他人のもので、しかも間違っているようなものだったら!?使用者がそこにかけた時間と労力は、まさに間違いの無駄となってしまうのです・・・
これは避けたい!野放しにしてはならない、楽譜に関する大問題なのです。
(余談ですが、これと同じような問題は、ショパンの、こちらもまた超!有名曲《幻想即興曲 op.66》においてもあります・・・世間一般に多く弾かれているものは、ショパンの下書きに、作者の死後、友人であり助手でもあったフォンタナ氏により、数多くの(・・・杜撰な!)指示が書き込まれてしまったものです。ショパン本人の手を施したものもあり、それは20世紀になってピアニストのアルトゥール・ルービンシュタインが発見したと言われる版で、これは下書きを超えて、音符も大幅に変更され!、細かな指示もそれぞれに意味のある、より一層音楽的に充実したものとなっています。)
とはいえ、上記のこのような文章・・・我ながら「原典主義」のような硬く苦しい印象があるよう感じられ・・・これが過ぎると、せっかくの音楽の喜びが失なわれてしまうよう危惧もされます・・・
なので、最後に楽譜の問題についてまとめてみますと、《エリーゼのために》を弾くにあたって、楽譜に向かい合う際、この事実を一応知っておいた上で、ベートーヴェンが書いたのではない指示であると分かったら(上の文中の情報を参考にしていただければ、スラーとペダル以外で、ベートーヴェン自身が書いたものは分かるはず!です)、これらはあくまでも「参考」として、ちょっと批判精神をもって見て、よいと自分で判断されたならそのようにしてみて、こうではないかも、と思われたら、そうでなく弾くこともあり得る・・・などなど、色々と考え、試しながら、自分にとってよいと思われる《エリーゼのために》を磨いてゆくことが、ピアノを弾く楽しみ、ベートーヴェンの天才的な音楽に触れる喜び!となるよう、提案させていただきます。
話がすっかり楽譜の問題となってしまいましたが、
《エリーゼのために》、この重要な問題を踏まえた上で、次回は、このベートーヴェン自身による「原典版」を元に、その音楽を観察・考察してゆきます。