野球選手イチロー
先日テレビで、イチローのドキュメントが放送されましたが、
やっぱり彼はいいですね!!
話もいい。含蓄がある。かっこいい。それは本気の自然体。
見ているこちらもなんだか力が沸いてくるよう、
彼の姿を見ながらそんな思いを持つ人は、
きっと僕だけではないでしょう。
そんな番組のから、ひとつ掻い摘んで書いてみたくなったのですが、
これは自分にとって目からウロコ、いや、
きっと正確には、心のどこかでしっくり来ていなかったことが
イチローの言葉を通して、しっくり来た、というところです。
「満足していい。僕は満足人間です。」
よく、
上を目指すのならば、
今の状態に満足してはならない、
という言葉を聞きます。
「常に謙虚でいること」、「向上心が尽きないこと」、
「満足してしまっては終わりだ」・・・etc。
よく考えてみるならば、
究極的には、完全な満足ということは、きっと無いでしょう。
世の中に「完全」と呼ばれるものが果たしてあるだろうか?
これと同じ哲学、「完全な満足」というものも、
きっと無いでしょう。
でも、
哲学者プラトンの「イデア論」を借りるならば、
人間界を遠く超越したイデアの世界における「満足そのもの」の
「影」がこの世の現象であって、
この世において我々が健全に感じる「満足」という感情は、
遠い世界の「満足そのもの」から来るもの、
完全な満足ではなくても、満足のはしくれではあると。
だから、この世には「満足らしきもの」くらいは、きっとあるというのです。
自然に・健全に・正直に自分の心と向かい合ってみれば、
「満足らしきもの」が多かれ少なかれ、我々の中に
存在していることを否定する必要もないでしょう。
上に思わず「健全」という言葉を書きましたが、
もしも、「満足してはいけない」
「満足してしまってはそれ以上の向上はない」
という考えはもちろん結構なのだけれど、
キケンなのは、それを「無闇」に押し付けてしまうのは
「不健全」、
と考えられはしないでしょうか。
日々試行錯誤、道を探っているのが我々人間です。
そうしている以上、何かを「つかんだ」「うまくいった」
と時に思うことは、自然とありえることだと思うのです。
そう、きっと
「自然」なのです。
「満足してはならない」を闇雲に不健全に押し付けてしまっては
・・・あまり納得できるものじゃないな・・・
そんな気がするのです。
もちろん、イチローも言うように、満足した
と思っても、また別の課題はきっと出てくる。
そういうものなのでしょう、人生って。
そして、何かを求め続ける。そして、
「これだ!これかもしれない!」と見付ける、
見付けたような気がする、いや、きっと見付けたんだ!
いやでも違うかもしれないし・・・でもきっと・・・
↑こんな調子で、探り続けてゆくのが人生?
それにしてもドキュメント・イチローは面白かった!!
想像を絶するプレッシャーの中で
ここ何年間も結果を出し続ける
彼の口から出てくる言葉は、重みがあります。
同時に、彼だけが特別なのではない(もちろん
特別だけれど、でも特別じゃない・・・
・・・色即是空 空即是色)と考えるならば、
我々の中にも少なからず彼と同じような要素が
あるのかもしれません。だとするならば、
彼の言葉を、我々自身に反映させてみても
いいのではないでしょうか。
大いに参考にして、大いに励まされて、
新たな力を持って、明日へと歩んでゆきたいものです。
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