徒然草は現代人もよほど興味があるらしい。ヨドバシのネット通販→書籍→徒然草で
検索すると、500以上ヒットした。しかし人物像となるとよくわからなくて、前回紹
介した小川剛生氏の「兼好法師」で少し分った事もあるが、結婚していたのかどうか
西行とは比べ物にならないほど不明点が多い。和歌四天王と呼ばれていた割には人口
に膾炙した和歌が無いのも理由の一つかもしれない。兼好の和歌の師は二条家だった
ので、宮廷歌壇では主流だったが保守的だったという。
徒然草の冒頭には筆に任せて思いつくままに書いたと言っている。だからこれを信用
する限り、本音が出ていると考えてよい。唐木順三氏は「日本人の心の歴史(上)」で
中世的生活の達人と呼んでいる。出家はしたが、当時は権力紛争に巻き込まれないた
めの方便の意味もあったかもしれない。事実、「一言芳談」という書物は浄土思想を
称揚するものだが、徒然草第98段には160余りの項目のうち覚えているのは五つだけ
と書いてある。これだけでも熱烈な信者ではないとわかる。58段でもそうだが、兼好
は極端という事を嫌っている。身を安全に保つためには賢明な在り方だ。
兼好は若いころ鎌倉幕府の北条氏に仕えていたらしく、室町幕府時代には高師直と関
係があったらしい。権力者が替わっても仕事が出来たという事は、地位は高くなかっ
たことや能力があったという事が考えられる。
カタバミ?
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