今日は東日本大震災の日。
まず初めに、この震災で亡くなられたすべての命に、あらためて哀悼の誠を捧げます。
そして、
今日はぼあちゃんの三回忌。震災の日とぼあちゃんの命日が重なってるというのは、あの子が亡くなってかなり経ってから気づいた。
亡くなるちょうど1年前、ベランダで日向ぼっこ中のぼあちゃん。
これまで、初七日から百箇日まで、さらに一周忌も含めて9回にわたり十王によるお裁きのことを書いて来た。今回の三回忌はその10回目、つまりこれで十王のお話が完結するので、はじめにそれをちょっとだけ書いておく。
三回忌に登場するのは五道転輪王。で、十王についてこんなサイトを見つけた。
このサイトによるとこういうことらしいんだけど、ぼあちゃんは何度審判されても大丈夫(だと思うw)。それに、五道転輪王 の本地は阿弥陀如来らしい。阿弥陀様は一切の衆生を救うために四十八願をたてた仏さま。こんなに心強いことはない。
ちなみに、このサイトは新しいのかな? ぼあちゃんが亡くなった時とか一周忌の時とかに読みたかったなあw。
昼からは、一周忌の時と同じように、ぼあちゃんの葬儀をしていただいたお寺に行き、三回忌の法要をお願いした。法要と言っても、相変わらずお骨は我が家にあるので、あの子の位牌だけを持って行ってお坊様にお経をあげていただいただけ。次は七回忌なので、とりあえず一区切りという意味もあった。
お寺に着いた時は陽射しがたっぷりでコートがなくても大丈夫なほど暖かかったんだけど、法要が終わって本堂から出たら雲が広がっていてちょっと寒かった。ぼあちゃんのお骨は我が家にあるけど、ワン様のお骨はここの納骨堂に安置されているので、法要の後、もちろんワン様にもお参りしてきた。
ぼあちゃんが亡くなってから書いたあの子に関する記事を読むと、儂の気持もずいぶん変わってきてるなと思う。特に一周忌から今日までの1年間に大きく変わったように感じる。
今は一周忌の頃までのようないわゆるペットロスっていう感じではなくなってる。かと言って、ぼあちゃんがいた頃、あるいはそれ以前のように戻ったかというと、それもまた違う感じ。
あの子が2021年の年末に調子を落し始め、それから3ヵ月ちょっとの闘病のこと、そして亡くなる前日や亡くなった日のこと、さらに葬儀を終え、お骨になって我が家に戻って来た時までのこと等々、これらのことは今でもかなり鮮明に覚えてる。でも、2年たった今でも、当時の写真を見たりブログを読み返すことがどうしてもできない。
あの子が亡くなった時に自分の時間も止まり、そのままそこに残ってしまった自分がいるなと、最近感じるようになった。先に「とりあえず一区切」りと書いたけど、本当の意味での一区切りがつくのは、ぼあちゃんが亡くなった時に残ってしまった自分と今の自分がもう一度一つになる時なのかもしれない。それまではあの頃のことを振り返ることはできないんだろうなと思う。儂にとってあの子は、それだけ大きな存在だったということは間違いない。
あの子が亡くなった時に自分の時間も止まり、そのままそこに残ってしまった自分がいるなと、最近感じるようになった。先に「とりあえず一区切」りと書いたけど、本当の意味での一区切りがつくのは、ぼあちゃんが亡くなった時に残ってしまった自分と今の自分がもう一度一つになる時なのかもしれない。それまではあの頃のことを振り返ることはできないんだろうなと思う。儂にとってあの子は、それだけ大きな存在だったということは間違いない。
これは今から4年前の今日のぼあちゃん。
この日の日記を読んでちょっとビックリ。儂にとって忘れられない事件の一つが起きたのはこの日だったんだ。もしかして3月11日ってぼあちゃんにとって特別な日だったのかな。。。
って、前にも書いたかな? それは忘れたけどw、この事件のことだけは絶対に忘れないわ。
そしてこれ、少し前にブロ友のsolo_pinさんのブログで紹介されてたものなんだけど、これを読んで、やっぱりぼあちゃんのことをできるだけ多くの方に覚えておいてほしいなと思った。
という訳で、いつまでもぼあちゃんのことを覚えていていただきたいので、またフォトアルバムを作りました。51枚もあるのでちょっと長いですが、ながら見でも見ていただけるととてもうれしいです。
これからも、時々でいいので、そう言えばこんなトカゲがいたなということを思い出していただければ、望外の喜びです。