最近やたら時間が出来ると思ったら、
ろくに読書の時間を作っていない。
気温が温かくなって、
街全体が息を吹き返したように、
色、空の色、道路の色、
川の色が濃く感じるので、
ぼくは浮き浮きして、
つい色々なものに手を出したくなるのだ。
読書というのは、
時間の余りに嗜むもの、
という感覚があって、
作られた時間の中で空想に耽ることは、
本、本来の力に背く行為だと思う。
つまり、
本は心を豊かにしてくれるけれど、
読まなきゃいけないものではない、
という考え。
当たり前かもしれないけど、
ぼくはその当たり前がよく分かっていない。
本は常に読者に語りかけてくれるものだから、
一定の期待がそこにあって、
いくら読んでも文章が頭に入ってこないとき、
面白くないと感じる。
しかしそれは、
ぼくが本に働きかけないからだと思う。
書き手は、
文字の中に息を吹き込む。
読み手は、
その息を探し出す。
その二つが交われば、
本と対話をしているような感覚を、
思い出せるかもしれない。
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出だしからこの記事に合ってないけれど;
タイミングというか、波長なるものが
自分とその行動に合わさっていないと
心から楽しめなかったり、飽きてしまったり、
素直になれなかったり、うまく掴み取れなかったり、
って結構多い気がする。
読んでもちょっとわかりにくいかもしれないので
コメントここらで終えます。
これも、ノッテルときとノッテナイ時の波長の差なんだろうと思える。
相思相愛 初めての恋
一途な想い 果てなき未来
叶わぬ願い 厳しくも恋
奪うのが愛 降り積もる迷い
咲いて散る花 優しさは恋
無償の想い 明日なき二人
出会い戸惑い 傷付けては恋
直しては愛 答えなき問い...
罪ですよね。
ぼくはなんだか漠然と不安になってしまったのですが、
この記事を書いてなんだか落ち着きました。
不安の原因が自分にある場合、
気の持ちようでなんとでもなるのかもしれない。
けれど、それを楽観しせず、
なんとでもなるけれどなんとでも思うことは簡単に結論を出してはいけない、
とも思いました。
人との関係を考えるなら、
相手は生きているのだから、
もの以上に自分と関わっていない要因が、
絡んでくるのかもしれませんね。