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男は、
谷に沿った街道と、
街道のそばから谷に架かったつり橋を渡っていく山道、
二つの散歩道を持っていた。
街道は見るものに事欠かなかったが、
陽気で気が散りやすく、
それに比べて山道のほうは、
陰気ではあったが、
心を静かにした。
どちらへ出るかはその日その日の気持ちが決めた。
しかしいま、
男の興味は静かな山道に向けられていた。
○
山道は、
つり橋を渡ったところから杉林のなかへ入っていく。
杉の枝先が日をさえぎり、
この山道はいつも、冷たい湿っぽさがあった。
そこから迫ってくる静寂と孤独から、
男の目はひとりでに下へ落ちた。
道のかたわらに生えたこけ、
この道ではそういった、
こじんまりとした自然が親しく感じられ、
またあるところには、
雨露にたたかれた赤土が岩石のように骨立ち、
枝先の隙間を洩れてくる弱い日光が、
道のそこそこや杉の幹、
男の頭や肩先にあたり、消えていった。
○
この道を知ってから間もなくの頃、
男はある期待をこめてこの山道を歩いていた。
男が目指しているところは、
杉林のあいだから冬のような冷気が通っているところだった。
その場所には古びた一本の筧が伸びており、
微かなせせらぎの音が聴こえた。
男の期待はその水音だった。
○
どういう訳で男の心がその水音に惹きつけられるのか。
男はある日、
その水音のなかに不思議な魅惑がこもっていることに気づいた。
風景の中に、不思議な錯誤が生まれているのだ。
辺りは香りもなく花も貧しいのぎ蘭がところどころに生え、
杉の根元は暗く湿っぽかった。
そして肝心の筧といえば、
この辺り一帯の古び朽ちたものに横たえているに過ぎず、
「音はそのなかからだ」
と理性を信じていても、
男が澄み透った水音に耳を傾けていると、
聴覚と視覚の統一はすぐにばらばらになってしまい、
妙な錯誤とともに、
不思議な魅惑が男の心を満たした。
○
男はその魅惑によく似た感情を、
露草の青い花を目にするときに経験したことがある。
草むらの緑とまぎれやすいその青は、
不思議なまどわしを持っている。
男はそれを、
青空や海と共通の色を持つことから生まれる、
一種の錯覚だと信じているが、
見えない水音がかもし出す魅惑は、
その錯覚にどこか似ていた。
○
水音はだんだん深まっていき、
暗鬱とした周囲のなかで、
やがて幻聴のように鳴りはじめた。
水音は閃光のように男の目の前に降り、
そのたびに姿を消した。
なんという錯誤だろう!
男は酔っ払いのように、
一つの現実から二つの表現を見なければならなかった。
一方は理想の光に輝かされ、
もう一方は暗黒の絶望を背負っていた。
そして男が二つをはっきり見ようとする途端、
それらは一つに重なって、
またもとの退屈な現実に帰ってしまうのだった。
○
筧は雨がしばらく降らないと水が枯れてしまう。
男の耳も日によって水音を聴き取れないことがある。
そして花盛りが過ぎてゆくのと同じように、
筧にはその神秘がなくなってしまい、
男はもう筧のそばに佇むことをしなくなった。
しかし男はこの山道を散歩し、
そこを通りかかるたびに、
自分の運命について次のように考えていた。
「課せられたのは永遠の退屈だ。生の幻影は絶望と重なっている」
著者 梶井基次郎(1928年2月)
好きな感じだけど、終り方はヤダァ^^;
小学生の頃、海からは100キロ以上離れてる京都で。
夜中に「波の音」が聞こえた。
布団の中でその音が聞こえる海を想像したけど、
うちには、その音が「波の音で、違う何かの音が波の音に聞こえてくる」と、絶対に想像できなかった。
この作品は27歳のころですね。
学生のころにすでに肺を悪くしていたようで、
この作品だけでなく、様々な作品に一人、死、
孤独の色がはいっています。
たしかにまりさんの言うとおり、
締め方が少し強引な気もしますね。
比喩で進めてきたなら最後をうまくまとめようとせず、
あやふやな魅力を含めた終り方のほうが……。
とも思うのですが、
ショートショートのような簡潔な終わりを目指したのでしょうか。
まりさんの波の話を読んでいてそんなことを思いました^^
まりさんが聴いた波の音はなんだったんでしょう?
ということもありますが、
京都と海のイメージが新鮮です^^
ぼくは逆にニモさんの例えを筧の話に変換してみました。
違和感ないですw