青い日は晴れ

こら下界。お前はゆうべも職をむなしゆしなかった。
そして疲れが直って、己の足の下で息をしている。

ペギーは本題から反れることで忙しい

2009-01-28 07:29:28 | 思想


キャロル、お前はどうしてこの物語が、

1930年11月に始まる、と考えたんだ?

考えるべきは時間軸だけではない。

人物もまたそうだ。

誰を中心に据えるかで事件は、

千変万化に姿を変える。

つまり事件はひとつ。

けれど物語はそれに関わった人の数だけあるのだ。


※BACCANO 第1話

【副社長は自身が主役である可能性について語らない】より


ポストモダン文学ね。

たぶん。

太宰治の人生を、

BACCANO風に書いたらどうなるんだろう。

妻と入水自殺を図った際に、

自分だけ助かったことを始まりに据えようか、

飲んだくれて金が無くなって、

仕送りを待つ気持ちを綴ったら

メロスが完成したことを始まりに据えようか。

おっと、

考えるべきは時間軸だけではなかった。

BACCANO風に書くならば、

文豪たちの馬鹿騒ぎを書いていかなければ。

三島由紀夫のモリモリ筋肉、

腕立て100回出来たところを始まりに据えようか、

太宰の写真をサンドバックに貼り付けて、

右ストレートをかましている姿を始まりに据えようか。

ああ、フィクションじゃつまらないか。

現実から始まって、

ありそうな事で脇を固めねば。

誰かがたくあん食って、

面白おかしく。

物語に終わりがあってはならないのです、

とキャロルが悟るわけ。




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