伊雑宮を出て奥に歩いていくと
倭姫命の旧蹟地とされる場所があります。
旧蹟地?どういうこと?
取り敢えず行ってみたのですが、これもよく解らない!
↑鏡楠の残根とされる木の根元部分と天井石とされる石が置かれている
鏡楠というのは、ここに生えていた楠の大木が大正時代に壊死したそうで
その根元から鏡が見つかったことから鏡楠と呼ばれているそうです。
う~~~ん・・・?
天井石は?
楠の下から天井石が現れて、その下から鏡が出てきたということ・・・?
それなら蓋石と呼びますよね?
天井石というぐらいだから、古墳があったの?
?????
すぐ近くに千田の御池
↑千田の御池
この辺りに千田寺というお寺があり、
勅賜門が建っていたそうなのですが、今では跡形もない・・・
伊雑宮の由緒に関わる伝説として
真鶴がおとした稲穂を倭姫命が千田の御池に種継ぎをしたところ
見事に実ったので、その穂を国中に広めるとともに、
神にお供えされることになったとされる。
その千田の御池が、ここだということである。
そして後の世に聖徳太子が、この話を聞いて千田寺を造り
持統天皇が勅賜門を建てたそうだ。
立派な由緒なんだけれどなぁ~
そもそも穂を落とした真鶴を祭ったとされる神社は
少し離れた佐美長神社とされているし
登場人物が有名人過ぎて結局、本当かどうか解らなくなってしまっていて残念!
倭姫命の旧蹟地から少し東に風呂屋の谷とあるので行ってみる。
昔は、ここで身を清めてから伊雑宮に参ったそうだ。
結局、旧蹟地というのは史跡のような感じなのですかね・・・
分かり易く、倭姫命伝説の地とかにすればいいのに・・・
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます