ゆっくり一人歩き

いわゆる良い物ってどんなものだろう?考えるより、国宝を見るのが早いでしょう!国宝をゆっくり自分の目で見て廻ろう!

猿の惑星 創世記

2011-11-11 23:49:39 | 映画・エキストラ

『猿の惑星 創世記』を観てきました!

小さい頃に観た第一弾の『猿の惑星』は本当に衝撃的だった・・・

それからン十年後の『猿の惑星』最新作はどんな出来だろうか?

評判は良さそうなので、いつものようにレイトショーへ行くことにしました。

そろそろ公開も終わりということで2Dの字幕版しかやっていない・・・

字幕を観るのは久しぶりだけど、二時間足らずの映画なので面白ければ大丈夫・・・?

観客は平日のレイトショーらしくわずか六人!

年齢層も高め・・・

さぁ!始まり始まり!

 

以下、感想!おもいっきり、ネタバレあり!

まず私は『猿の惑星』のDVDは全作を揃えている!

『猿の惑星』シリーズは時間を戻るワープをしてしまった(いまだに出来ると言う科学者がいるが・・・)ためにストーリーが無限ループ状態に陥ってしまうという常識はずれ(SFに常識もクソもありませんけどね・・・)の残念状態・・・

なので今作はどうするのだろうと密かに思っていたのですが、その辺りはあっさりスルー・・・というかストーリーを変えてきました!

猿の名前は引き継いでいるものの、無限ループから抜け出すためか?創世記というサブタイトルらしく賢い猿の生まれを描いています。

開発中のアルツハイマーの薬(ウイルスらしい)を猿に打つことから一匹の賢い猿が生まれ、賢い猿が広がっていくと同時に、その薬は人間には副作用があって死んでしまうというもの・・・

猿が反乱を起こすまでの心理描写と3D版もあるぐらいのアクションシーンがこの映画の見所となっています。

猿の出演シーンは全部VFX!

多少の違和感があるもののなかなかの出来栄え!

突っ込みどころは反乱する猿の数の増え方!

ドンだけ猿を飼っとんねん!と突っ込んどきます・・・

 

先日、久しぶりに箕面で猿を見ました!

そう言えばざっと見ただけで30匹位はいたかなぁ~

う~ん・・・

この数に反乱を起こされたら一人では到底太刀打ちできません・・・

 

 

 

 

 

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開成皇子墓のつづき

2011-11-04 22:26:46 | 歴史

前回のつづきです・・・

開成皇子墓から山を降りていくと勝尾寺が見えてきます。

見下ろすと勝尾寺の伽藍が広がっているのですが、ここに前身の彌勒寺があった訳ではありません!

彌勒寺があったのは今の奥の院なのです。

奥の院へは本堂から先に進んでいくとある閻魔堂の右手に伸びている石段を登っていきます。

ちなみに閻魔堂の左手に伸びている道は自然研究路なので先に行くと出発点の箕面ビジターセンターに戻れます。

↑閻魔堂

参拝客の多くはこの閻魔堂周辺が奥の院だと思ってここまでしか参拝していかないようです・・・そういう私もここから先に行くのは初めてです。

石段を登って行くと古いお墓が立ち並んでいるのですがその先に・・・

丈六の弥勒菩薩坐像がありました!

いやぁ~びっくりしました!

勝尾寺にこんな仏像があるとは知りませんでした!

どこかの成金が寄付でもしたのかと思うような仏像ですが、なんと!この仏像は江戸時代に鋳造されたものなのだそうです。

よくまぁ~戦時中の供出を逃れたもんです・・・

この仏像の横に文殊堂、文殊堂の奥に納骨堂

↑文殊堂

開成皇子が彫った文殊菩薩が納められていたそうです。

現在は定かではありません・・・

↑納骨堂

(ここに来ても何の案内もないので戸惑うのですが、お堂の名前などは摂津名所図会から判断しました。)

この五輪塔↑は熊谷直実の供養塔と言われています。

なぜこんな所で熊谷直実?と言うと、源平の合戦で焼けてしまった勝尾寺を熊谷直実が再建したのだそうです。

そしてここからさらに上にひとつの小さなお堂・・・お堂というよりは祠にしか見えませんけど・・・

六角のお堂で中には謎の切り株が収められています・・・この切り株は何だろう?

兎に角、この場所を般若台と言い、お堂はそのまま六角堂と呼ばれています。

その昔、開成皇子は写経した大般若経をこの般若台に埋経し、六角堂を造り、道場を建てて彌勒寺と名づけたとされていて、そのままの状況がここに残されているのです。

これだけ開成皇子にまつわる話があって、それに対する場所もあるのだから史実だと思うんですけどね・・・ちょっと出来すぎなような気もしますが・・・

それにしてもこれだけ面白い場所や仏像があるにもかかわらず、CMまで作っていた勝尾寺がこれらのものを宣伝しないどころか、案内板も作らないのは何でだろう?

そっちの方が謎でした・・・ 

 

 

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開成皇子墓

2011-11-02 21:42:18 | 歴史

開成皇子が気になってしょうがないので墓を見に行くことしました。

墓の近くまで行ったことはあるのですが、ついつい楽な道を選んでしまっていたので今まで開成皇子墓を見たことがなかったのです。

せっかく近くに墓があるんだし、開成皇子を語るなら墓を見ないわけにはいかないでしょう・・・(もうなんのことやら自分でもよく解りませんが・・・ww)

ということで箕面ビジターセンターに車を置いていざ出発!

↑ご存知!東海自然歩道の西の起点です!

ここから登っていきます・・・

すぐに分岐があるので今回に限り左手の厳しそうな登りの道を進みます!

するとすぐ・・・

↑箕面ダム

これを見るたびにいつも思うのですが、こういう石積みのダムって他にもあるのでしょうか?

 

最近の箕面の滝へのジョギングが効いているのかバテルことなく目的地付近に到着!

めざす開成皇子墓はこの裏側です。

正面へはここから木組みの道で山頂と皇子墓を廻り込むように行くのですが、木組みの道が壊れているらしくて通行止!

さらに廻り込んで行く様に道が造られていました。

開成皇子墓↑

墓の裏側にあたる先ほどの最勝ヶ峰頂上には岩があり

開成皇子座禅石と言われています。

開成皇子はここで座禅をしていて勝尾寺の開祖である善仲、善算(勝尾寺を開基したのは役行者とばかり思ってました・・・)と出会ったとされています。

話はさらに続き、その後に開成皇子は大般若経を写し、般若台に埋経してお堂を建てたそうです。

それが勝尾寺の前身である彌勒寺だということです。

 

ここで彌勒寺の跡を見に行くことにします!

つづく

 

 

 

 

 

 

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