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台湾 十分

2024-02-14 23:52:16 | 日記

十分駅









天皇陛下 吊り橋
水害で吊り橋が流され、天皇陛下よりのお見舞い金で造られた吊り橋


支柱に青い菊の御紋がはまられています。



十分












ランタン上げ
いろんな国の言語で書かれたランタン 国際色豊かです。




























台湾 平渓線

2024-02-13 22:19:11 | 日記
日本統治時代のノスタルジックな雰囲気の町並みが人気だった菁桐。2009年に公開された映画の
ロケ地となったことで、一気に有名になりました。
駅前は土産店や飲食店が軒を連ねており、まるで映画のセットのようです。






日本ではほとんど見かけない郵便ポスト、窓には金鳥 キンチョール のポスターが
貼ってあります。




願いの竹筒 許願竹竹筒に願い事を書いて吊るすと叶うとされる「許願筒」
1960年代、桐老街の氷屋さんの女性店員に恋して、その思いを竹筒に書いて伝えたことに
由来します。








石炭積み込み施設
台湾屈指の炭田菁桐坑で採れた石炭を積み込為の建物、柱の間に列車をいれて、上から石炭を
落とし込みます



「菁桐駅」の駅舎
菁桐駅平渓線は、日本統治時代に石炭を輸送するために敷設された鉄道であり、「菁桐駅」の
駅舎は1929年に建てられた、台湾で現存する4つの日本式木造駅舎の1つです。
苔むした屋根の小さな平屋建ての駅舎は、修復を重ねながら、今も大切に使われています。
使われています。






菁桐から十分までのチケット 15台湾ドル(72円)












列車


車掌さんは石田三成の旗印「大一大万大吉」のTシャツをきてましたなかなかお茶目です、
駅の出発は車掌さんがドアを確認し口頭で運転手段に告げてかられっさが動き出します
運転中も運転手さんと車掌さんが談笑していてなんとものどかにトコトコ走っています。



平渓線平渓線(へいけいせん)は、中華民国(台湾)新北市瑞芳区の三貂嶺駅から同市平渓区
の菁桐駅に至る台湾鉄路管理局の渓流に沿って走るローカル線です。
日本統治時代の台湾において屈指の炭田といわれた菁桐坑の開発のため、台陽鉱業が敷設した
専用鉄道が前身であり、1921年(大正10年)7月に開業しました





ランタン
十分から飛ばしたランタンが線路上に落ちていました、停車してランタンを取り除く出なく
何事まなかったようにそのまましゃいでいきました。
ランタンは条件がそろえば20~20km飛ぶそうです、


十分駅




台湾 野柳地質公園

2024-02-12 23:28:27 | 日記
海岸の地層には石灰質の砂岩が含まれ、海食風化と地殻変動により、海食崖や変成岩、岩穴など延々と続く独特の景観を生み出しまし












































一番人気の女王頭(クイーンヘッド) 砂岩は柔らかく触るとボロボロと崩れます。
ガイドさんの話では、中国人観光客が首を触ってどんどん細くなあり、立ち入りできない
ように周りを石で囲いました。

基隆 廟口夜市

2024-02-11 23:46:37 | 日記
基隆廟口夜市は干支(十二支)というお寺の周辺300~400メートル圏内に約200軒もの
屋台が軒を連ねる大きな夜市です。台湾観光のメインルートは台湾海峡側
で太平洋側は観光客も少なく、地元の人ばかりで観光客は私達だけでした。






田舎では「たいこまんじゅう」 大阪では「回転焼き」 東京では「今川焼」 と呼ばれています。
数十年ぶりに大変懐かしい「たいこまんじゅう」の文字をみました









絵は豚で文字は猪と書かれています。干支(十二支)でも日本は猪、中国では豚です。中国語では
猪は豚のこと? 知らんけど












値段は15台湾ドル(70円)~50台湾ドル(240円)です、かなりリーズナブルです


奠済宮は道教の神を祭る廟で、廟口夜市の名前の由来となった廟です。
京都の出入り口である京七口と同じ、廟の入り口すなわち廟口になったのではと思っています
知らんけど。




台湾 基隆 阿根納造船所跡

2024-02-10 19:45:14 | 日記
もともとは炭鉱で採掘された石炭を搬出するヤードとして建設され、その後日本の
会社が引き継ぎ、戦後は台湾政府が引き継ぎ1966年まで使用されていた鉱物輸送の
輸送ドックでした。
1966年、アメリカ人実業家が造船所を設立し、1987年に事業を停止するまで、
クルーズ船と帆船を製造していました。 2014年11月、造船所跡でコマーシャルを
撮影した後、一躍有名になりした。基隆市政府はこれを2016年7月28日に基隆市
の歴史的建造物として登録しました。

ガイドさんの話では400トン~500トンの潜水艇を製造していたそうです、クルーズ船
と帆船よりは興味深い話です。