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山遊塾With You

ハイキングやウォーキングの紀行、感想など。
気の向くままに歩いています。

久しぶりの北アルプス・奥穂高岳登山です

2019年07月25日 | 登山
 完全に梅雨が明けきらない7月21日から3日間の穂高岳詣でをしてきました。3000m以上の登山はもうそろそろ限界だと思いますが、頑張って仲間2人と行って来ました。写真は涸沢での一コマです。


 入山時の上高地河童橋。かろうじて穂高連峰が見ています。


 第一日目は横尾まで行ってキャンプです。昼間からもう飲兵衛がおだを上げています。


 翌日の涸沢は曇天で、テント場も数張のテントがあるのみ。数日もすれば2~300張のテントで埋め尽くされてしまうでしょう。


 奥穂高岳へ向かう途中から見た涸沢風景です。前穂高岳は雲に隠れて見えませんが、残雪はまだまだ豊富です。


 相棒の一人S君の奥穂高岳頂上記念写真。この日の登頂者は数人しかいなくて、この時点では我々二人だけの頂上でした。雲の中で何も見えず。


 奥穂高岳登頂の後、一気に横尾まで下りまた酒盛りで二日目が終了。そして三日目、目が覚めたらなんとピーカンの青空で、朝の太陽に照らされた前穂高岳が輝いているではありませんか。こんなことなら昨日無理に下って来なくても、上の小屋に泊まっていれば最高の展望が得られていたのに。悔しがっても後の祭り。


 梓川に架かる新村橋は私にとっては思い出の多い橋。そこでお上りさん宜しく一枚パチリ。


 帰り道の途中で嘉門次小屋に立ち寄って、岩魚の塩焼きを食してきました。日本アルプスを世界に知らしめた、ウォルター・ウェストンのガイドをした、猟師の上條嘉門次の小屋で、明治から現在まで残っている貴重な小屋の囲炉裏で焼いています。後ろの壁にはウェストンから送られた、真っ黒に煤けた鉄砲とピッケルが掛けてあります。現在ひ孫の上條輝夫さんが小屋を引き継いでいますが、今は体を悪くして入院しているそうです。今回穂高へ行った目的の一つに、氏に合う楽しみがあったからです。氏は私と同い年。私の穂高暮らし時代に大変お世話になった人です。


 上高地まで梓川右岸の道を歩きました。左岸の道と違い観光客と顔を合わすことの少ない静かな道です。


 そして最後にカッパ橋でお上りさん宜しくお決まりの記念撮影。何だかんだと楽しい穂高岳登山でありました。

57年前の屋久島宮之浦岳登山の様子です

2019年07月18日 | 登山
 57年前の屋久島宮之浦岳登山は、海外遠征に行くような感じでした。何しろ屋久島には港が無く、波の高い日には鹿児島港を出る船は欠航になる始末。屋久島便は週2便あり、その一つが貨客船の永田丸でした。果たして私達が乗った船も鹿児島港を船出して、錦江湾を出たところで港に引き返してしまいました。その晩は船内に泊めてもらい、翌日やっと出港して屋久島に着きました。しかし港が無い上に太平洋の波は高く、接岸は不可能で島から迎えに来た小舟に飛び移るという、スリル満点の経験をしました。
 船は宮之浦に着いたため、当時宮之浦と安房を往復していたバスに乗り安房まで行きました。着いた安房には宿が無く、小学校に泊まりました。当然乗り物を利用して高度を稼ぐことなどは考えられず、海岸から山頂まで歩くことになります。


 安房から小杉谷まで、伐採した屋久杉を運ぶためのトロッコが走っており、私達はひたすらそのトロッコ道を登り、夕方小杉谷に着きました。当時小杉谷は屋久杉の集荷地として沢山の人が働いており、小学校までありました。現在は無人化して小学校の門だけが残っています。屋久杉を運ぶのには、上の写真の通り大きな屋久杉に跨り、トロッコのスピードを調整しながら山を下って行くのです。狭いトロッコ道ですから、トロッコを避けるために山側に張り付いてやり過ごすのです。しかし結構怖かった記憶があります。


小杉谷では作業場の宿舎に泊めてもらいました。2食付きで弁当まで作ってもらい200円だったことを覚えています。暗い内に小杉谷を出て、花之江河経由で宮之浦岳に登頂しました。5月のゴールデンウィークだったにも拘わらず、登山者は我々三人のみで、他の登山者は一人も見かけませんでした。頂上近くにはまだ豊富な残雪があり、傘をピッケル代わりにグリセードをして遊びました。登頂したその日だけ好天に恵まれて、緑のヤクザサと点在する花崗岩の岩塔、そして残雪の白、さらに太平洋の青い海の色など、今も思い出すことが出来ます。
 写真は花之江河で撮ったもので、左から永松、広松、私です。残念なことに山頂で撮ったものがありません。下山は小杉谷からトロッコに乗せて貰い安房まで下りました。これはスリルがありました。下山後安房で船待の間、2日間小学校に泊まり、その間釣りをして時間を潰しましたが、売るほどの魚が釣れました。

 その後ずっと時間を置いて屋久島を訪れましたが、良き時代の屋久島は無くなっていました。もう行くことはないでしょう。

鬱陶しい梅雨ど真ん中に日光白根山に行って来ました。

2019年07月08日 | 登山
 梅雨の時期に登山は適していないと思う向きもあるでしょうが、案外この時期の登山はいいものです。登山者も少ないし、綺麗な青空は望めなくても、静かに流れる霧の中を歩くのも心地よいものです。写真は菅沼コース途中にある弥陀ケ池の木道です。


 途中の岩場には可憐なイワカガミが咲いていました。


 日光白根山山頂です。ガスに包まれていますが、風も無く薄日も覗く穏やかな山頂でした。やはり丸沼スキー場のロープウェイを使って登って来る人が多く、山頂一帯には結構な数の登山者がいました。


 帰りは五色沼を見るため避難小屋の方へ下りました。視界の悪い日はルートを誤る可能性があります。


 ダケカンバの林に入ると避難小屋はもうすぐです。


 霧の中に避難小屋が見えてきました。通常湯本温泉から登る場合、この小屋の前を通ることになります。冬の白根山登山には欠かせない小屋です。


 避難小屋の内部です。綺麗に整頓されていて、大事に使われていることがわかります。


 五色沼は沼というイメージはありません。特に今回のように霧に包まれた五色沼は神秘的な美しさを持っています。秋の紅葉時期に訪れると、名前の通りの五色に染まる池の風景を楽しめます。水の色も現在よりももっと青く澄み、池まで足を運んだ苦労が報われます。
 池まで回ったおかげで下山が遅くなり、菅沼の駐車場に着いたときには、私達の車が1台だけ残っていました。


山遊荒川倶楽部7月のウォーキングは、皇居周辺散策の軽いもので済ませました。

2019年07月08日 | ウォーキング
 東京駅丸の内1階ホールに集合した時点では、細かい雨が降っていました。私には今まで関心も興味も無かった、皇居を目的の見学会やウォーキングですが、今回は枯れ木も山の賑わい的な気分で参加しました。
 皇居外苑から大手門、皇居東御苑、北桔橋門など巡ってきました。
 写真は皇居前広場の黒松の林ですが、良く手入れされた枝ぶりの良い松ばかりでした。


 百人番所です。僅かですが江戸城当時の建物のひとつです。260年もの長期政権だった権力の中核だったにも拘わらず、残されているものがとても少ない、との印象を受けました。


 なぜ江戸城には天守閣がないのか。ですが江戸幕府初期の頃にはあったということでした。その名残の天守閣の土台である石垣がありました。登るのは疲れるので止めました。


 何と言っても素晴らしいのはこの石垣です。一個一個の石が大きいことに加え、上下左右の石の隙間が、殆どないくらいに綺麗に削り上げられた石が積み上げられています。正に芸術です。


 武道館の傍の東屋で小雀相手に遊んできました。とても人懐っこくて、掌に乗ってパンくずを拾うのに感激しました。その武道館には松田聖子ちゃんの大きな幕が掛かっていました。まだまだ人気は高いのです。


 ついでに靖国神社に立ち寄りました。やはり異様だったのは、本殿の中で直立不動の人たちが、トランペットが高らかに奏でる、同期の桜や、海往かばを斉唱している姿でした。ここは始めて来た所ですが、やはり普通の神社ではないことが判りました。