完全に梅雨が明けきらない7月21日から3日間の穂高岳詣でをしてきました。3000m以上の登山はもうそろそろ限界だと思いますが、頑張って仲間2人と行って来ました。写真は涸沢での一コマです。

入山時の上高地河童橋。かろうじて穂高連峰が見ています。

第一日目は横尾まで行ってキャンプです。昼間からもう飲兵衛がおだを上げています。

翌日の涸沢は曇天で、テント場も数張のテントがあるのみ。数日もすれば2~300張のテントで埋め尽くされてしまうでしょう。

奥穂高岳へ向かう途中から見た涸沢風景です。前穂高岳は雲に隠れて見えませんが、残雪はまだまだ豊富です。

相棒の一人S君の奥穂高岳頂上記念写真。この日の登頂者は数人しかいなくて、この時点では我々二人だけの頂上でした。雲の中で何も見えず。

奥穂高岳登頂の後、一気に横尾まで下りまた酒盛りで二日目が終了。そして三日目、目が覚めたらなんとピーカンの青空で、朝の太陽に照らされた前穂高岳が輝いているではありませんか。こんなことなら昨日無理に下って来なくても、上の小屋に泊まっていれば最高の展望が得られていたのに。悔しがっても後の祭り。

梓川に架かる新村橋は私にとっては思い出の多い橋。そこでお上りさん宜しく一枚パチリ。

帰り道の途中で嘉門次小屋に立ち寄って、岩魚の塩焼きを食してきました。日本アルプスを世界に知らしめた、ウォルター・ウェストンのガイドをした、猟師の上條嘉門次の小屋で、明治から現在まで残っている貴重な小屋の囲炉裏で焼いています。後ろの壁にはウェストンから送られた、真っ黒に煤けた鉄砲とピッケルが掛けてあります。現在ひ孫の上條輝夫さんが小屋を引き継いでいますが、今は体を悪くして入院しているそうです。今回穂高へ行った目的の一つに、氏に合う楽しみがあったからです。氏は私と同い年。私の穂高暮らし時代に大変お世話になった人です。

上高地まで梓川右岸の道を歩きました。左岸の道と違い観光客と顔を合わすことの少ない静かな道です。

そして最後にカッパ橋でお上りさん宜しくお決まりの記念撮影。何だかんだと楽しい穂高岳登山でありました。

入山時の上高地河童橋。かろうじて穂高連峰が見ています。

第一日目は横尾まで行ってキャンプです。昼間からもう飲兵衛がおだを上げています。

翌日の涸沢は曇天で、テント場も数張のテントがあるのみ。数日もすれば2~300張のテントで埋め尽くされてしまうでしょう。

奥穂高岳へ向かう途中から見た涸沢風景です。前穂高岳は雲に隠れて見えませんが、残雪はまだまだ豊富です。

相棒の一人S君の奥穂高岳頂上記念写真。この日の登頂者は数人しかいなくて、この時点では我々二人だけの頂上でした。雲の中で何も見えず。

奥穂高岳登頂の後、一気に横尾まで下りまた酒盛りで二日目が終了。そして三日目、目が覚めたらなんとピーカンの青空で、朝の太陽に照らされた前穂高岳が輝いているではありませんか。こんなことなら昨日無理に下って来なくても、上の小屋に泊まっていれば最高の展望が得られていたのに。悔しがっても後の祭り。

梓川に架かる新村橋は私にとっては思い出の多い橋。そこでお上りさん宜しく一枚パチリ。

帰り道の途中で嘉門次小屋に立ち寄って、岩魚の塩焼きを食してきました。日本アルプスを世界に知らしめた、ウォルター・ウェストンのガイドをした、猟師の上條嘉門次の小屋で、明治から現在まで残っている貴重な小屋の囲炉裏で焼いています。後ろの壁にはウェストンから送られた、真っ黒に煤けた鉄砲とピッケルが掛けてあります。現在ひ孫の上條輝夫さんが小屋を引き継いでいますが、今は体を悪くして入院しているそうです。今回穂高へ行った目的の一つに、氏に合う楽しみがあったからです。氏は私と同い年。私の穂高暮らし時代に大変お世話になった人です。

上高地まで梓川右岸の道を歩きました。左岸の道と違い観光客と顔を合わすことの少ない静かな道です。

そして最後にカッパ橋でお上りさん宜しくお決まりの記念撮影。何だかんだと楽しい穂高岳登山でありました。