3月12日の日曜日は穏やかな春の一日となったため、急に思い立って一人で笠山へ行ってきました。笠山登山と言えば白石車庫までバスを利用し、七重峠経由で笠山山頂へ、というのが一般的ですが、今回はちょいと長めのコースにしました。小川町駅から歩き出して越中の切通橋を渡り、槻川の支流である館川に沿って上流に向かい、赤木で舘川ダムへの道と別れて山上集落の栗山から笠山への道をとりました。下山ルートは慈光寺方向へ複雑な尾根道を辿り、都幾山を経由して小門に下り、長い車道を上古寺~下古寺と歩き再び小川町駅に戻るという周回コースです。駅をスタートしたのが午前9時30分という、やたら遅い時間だったので、最初から陽のあるうちに、再び駅に戻って来ることは出来ないだろうと、覚悟を決めての出発でした。
駅南口から旧川越、児玉街道に出るまでの駅前通りには、20m間隔程度に万葉歌集から抜粋した詩を紹介し、その現代表記と内容説明がなされた小看板が立ててあり、立ち止まって読んでいるとなかなか面白く、足が前に進まなくなってしまいました。
これはいかんと正気に戻り、古い町並みの続く旧街道に出ると、通る車の数の多いのに閉口しましたが、道の先を見るとこれから目指す笠山が遠くに見えていました。
腰越郵便局を過ぎ、パトリア小川町健康増進センターまで来ると、視界は大きく開け眼前に笠山と隣の堂平山が良く見えてきました。そして道路脇には早くも春の花が春を告げています。
矢岸橋と笠山です。橋はとても古い鉄橋ですが、車は通れませんが人の渡橋はOKです。
切通しの手前に古い茅葺の家があります。車だと見過ごしてしまうでしょうが、徒歩であればまず見逃すことはないでしょう。今でも人は住んでいるようです。
舘川に架かる切通橋から見た笠山です。なかなかいい感じの眺めです。
橋を渡った所に東屋とトイレがありました。笠山を眺めながら一服です。
館集落で見た白梅が今最高潮です。又見渡す集落風景が何とも穏やかで平和そのもの。移住するならここがいいなと思いました。
路傍の古い馬頭観音や石仏が古の山村を思い起させます。なかなかいい感じの道です。
赤木で左の七重峠と右栗山への分岐ですが、栗山への表示があまりにも古すぎる標識のために、文字が消えかかっており解読に時間がかかりました。ここからきつい坂道に変わりました。こちらがゼイゼイ息を切らして歩いているのに、脇を車がスイスイ抜けて行くのに腹が立ちます。
白梅も美しいのですが、ピンクの紅梅も負けていません。
路傍にはスイセンが思いっきり花弁を広げていました。又見上げると早咲きの桜も咲いています。標高は300mほどの所なのですが、温暖な所のようです。
栗山から見上げる笠山はもうすぐそこに見えますが、登山口に着く前に正午になり、道脇に座り込んで弁当にしました。結構気温も上がり、上に着ているものを2枚脱いでもまだ暑いと感じました。
栗山の道路脇の福島家のマキと呼ばれている大木です。本来ならば温暖な地方に生育する種類のものが、関東の山の上に大木として元気に育っているのは珍しい事のようです。
マキの大木のすぐ上手に新しい公衆トイレが出来ています。車であればここまで楽に登って来れます。
笠山登山栗山口です。ここに着いたのが12時50分。5~6台分の駐車スペースがあります。登山道は良く手入れがされています。
しかしこのような落ち葉に埋もれた部分もあります。
山頂の神社には午後1時42分に着きました。周囲が木に囲まれているため眺望は良くありません。頂稜を西に少し行くと三角点のある笠山頂上で、着いたのは午後1時52分。登山口から山頂までの間で4名の登山者に会いました。いずれも単独で来た人たちでした。
笠山を午後2時に出発して、南に急な山道を七重峠に向かって下り、林道に出ると七重峠に向い、峠から堂平山に向かう山道を右に見送り、写真のガードレール終点から、左に主稜線を離れ慈光寺に向かう道に入りました。
鬱蒼とした杉山の中の急坂を下ると、舗装された林道に出ました。これが七重峠~赤木林道で、午後3時丁度に白石峠や堂平山への分岐(上の写真)に着きました。さてこれからが今回一番の面白コースになりました。
舗装された林道から外れて東に向かう道は今までとは一転。杉や雑木の薄暗い森の中を、ただひたすら踏み跡を追って30分進むと再び林道に出て、そこには右に行けば天文台、左は赤木とあり、都機山方向へはまたまた森の中へと入って行きます。しかしここからの道は意外に良く、ハイキングコースとして整備されています。
極端な上り下りも無い道の途中には、木の根元に食い込んだ馬頭観音碑がありびっくりしました。
尾根上に林道が並行して走り、その道が尾根を跨いで左に変わった所から、尾根上を行く緩い登りの山道を行くと都幾山の広い山頂でした。時刻は丁度午後4時になっていました。さてここから先の道が不鮮明で、西方向へ明瞭な道が下っていますが、これは慈光寺への道と判断し、そのまま尾根上を北に進むと踏み跡が現れました。ほとんど獣道状の踏み跡ですが方向的には間違っていないので、その踏み跡を見失わないように下って行くと又林道に出ました。
林道を横切り深い溝状になった古い山道を小門に向かって下るのですが、鬱蒼とした杉林の中は間伐された杉の丸太や枝打ちされた枝が足元に重なり合って歩き難いことこの上なし。九十九折の嫌な道ですが、恐らく自動車が無かった時代に慈光寺詣での参詣道として多くの人が通ったのでしょう。
水の音がして小さな流れが現れると荷馬車が通れるほどの道が出て来て、ほどなく今にも壊れそうな橋が現れ、未舗装の車道に出ました。今は無人の小さな荒れた民家の前に古い道案内があって、ほとんど消えかかった慈光寺の文字がありました。
しかしそこからが長かった。上古寺、下古寺と過ぎて今朝別れた腰越の分岐の郵便局が見えたとき、やっと戻って来れたと安堵したとたん足元がふらつき、膝が痛み出して急に空腹を覚えました。具合よく現れたコンビニでハムサンドと缶コーヒーを買って、歩きながらそれを食べ、午後6時16分に小川町駅に帰り着きました。いい年こいたジジイがまだこうした山と歩きが楽しめることに感謝です。