高崎線宮原駅の東、鴨川の東岸に聖学院大学がありまして、ここまでは駅から20分ほどで着きました。暖冬のお蔭で早咲きの桜も満開で、桜の向こうのグランドでは若い女性(学生)たちが元気に走り回っていました。
のんびりと長閑な田舎道を歩いていると、関東の富士見百景なる看板が立っていました。どうやら昔からこの辺りからは富士山が良く見えていたようです。この日は生憎霞がかかっていて富士山を拝観することはできませんでした。
上尾から川越に向かって延びる秋葉通りを西に向かうと、上尾、さいたま市の市境に戸崎の浅間塚を見つけました。所謂富士山信仰の名残りのミニ富士山で、ここの塚は標高約7mくらい。山頂には立派な社が乗っかっていました。周囲はこんもりとした杉林になっています。現在もなお大事に守られているミニ富士山です。なお秋葉通りとは指扇秋葉神社に通じる昔の参詣道で、火伏、盗難避けを祈って人々が参拝に歩いた道です。
浅間塚の隣が農林公園の入り口で、道を挟んで花の丘公園があります。この日は冬とは言え風も無く暖かで、近隣の家族連れが散策や、お弁当持参で昼食を楽しんでいました。さらに消防署の地震体験装置を積んだ車も来ていて、結構皆さん親子で楽しんでいました。
農林公園の中を北口まではほぼ30分ほどで、川に沿った細長い公園です。川にはどこかの跳ね橋を模した橋も架かっています。
公園を出て左に上尾南高等学校を見て、間もなく以前は日産ディーゼル工場と呼んでいた、UDトラックスの長い塀に沿った道を歩いて、正面門の前に出ました。現在ボルボの資本が入っていて、工場に出入りする外国人を多く見かけるようになりました。
UDトラックスから西に向かい大きな西上尾第二団地を半周するような形で丸山公園に到着。ここまで宮原駅から約3時間かかりました。梅も見ごろで結構な人出で賑わっていました。
ここは長い池が名物ですが、今は水を抜いていて池の底が剥き出しになっています。水連やアヤメの咲くころには池も水が入っているでしょう。
そして最後に秋葉神社に立ち寄って帰宅しました。ここは関東総社秋葉神社となっており、関東秋葉神社の総まとめなので、春と冬の例祭には多くの出店が並び、方々から沢山の参拝客が集まって来ます。
のんびりと長閑な田舎道を歩いていると、関東の富士見百景なる看板が立っていました。どうやら昔からこの辺りからは富士山が良く見えていたようです。この日は生憎霞がかかっていて富士山を拝観することはできませんでした。
上尾から川越に向かって延びる秋葉通りを西に向かうと、上尾、さいたま市の市境に戸崎の浅間塚を見つけました。所謂富士山信仰の名残りのミニ富士山で、ここの塚は標高約7mくらい。山頂には立派な社が乗っかっていました。周囲はこんもりとした杉林になっています。現在もなお大事に守られているミニ富士山です。なお秋葉通りとは指扇秋葉神社に通じる昔の参詣道で、火伏、盗難避けを祈って人々が参拝に歩いた道です。
浅間塚の隣が農林公園の入り口で、道を挟んで花の丘公園があります。この日は冬とは言え風も無く暖かで、近隣の家族連れが散策や、お弁当持参で昼食を楽しんでいました。さらに消防署の地震体験装置を積んだ車も来ていて、結構皆さん親子で楽しんでいました。
農林公園の中を北口まではほぼ30分ほどで、川に沿った細長い公園です。川にはどこかの跳ね橋を模した橋も架かっています。
公園を出て左に上尾南高等学校を見て、間もなく以前は日産ディーゼル工場と呼んでいた、UDトラックスの長い塀に沿った道を歩いて、正面門の前に出ました。現在ボルボの資本が入っていて、工場に出入りする外国人を多く見かけるようになりました。
UDトラックスから西に向かい大きな西上尾第二団地を半周するような形で丸山公園に到着。ここまで宮原駅から約3時間かかりました。梅も見ごろで結構な人出で賑わっていました。
ここは長い池が名物ですが、今は水を抜いていて池の底が剥き出しになっています。水連やアヤメの咲くころには池も水が入っているでしょう。
そして最後に秋葉神社に立ち寄って帰宅しました。ここは関東総社秋葉神社となっており、関東秋葉神社の総まとめなので、春と冬の例祭には多くの出店が並び、方々から沢山の参拝客が集まって来ます。