ベクトライズ

様々な出来事について、その過程や流れ、方向性を自分なりに探っていきたいと、ベクトルと「分析」をひっかけた造語です。

ゲーム業界はどこへ・・・

2005年05月20日 23時37分35秒 | Weblog
最近の監禁事件の犯人が、アダルトゲーム好きだったことが話題となった。

彼の中では、現実も願望も一緒くただったのだろうから、AVでもコミックでも何でも同じように刺激を受けたんだろうと思う。その意味で、特にゲームに責任があるわけじゃない。

だた、冷静に販売されているこのジャンルの動向を見ると、本当にこれでよいのかと思うことが多い。

正直なところ、この手のジャンルのゲームを何本も経験はしていないが、パッケージやその説明書きから見えてくる内容は、相当に攻撃的で、非人間的なものに思える。男女関係というのは、お互いの愛情の上に初めて成り立つと思う。たとえその場の遊びで愛し合うとしても、その瞬間はそういうものだと思う。

僕が最近のこの手のゲームのパッケージから感じるのは、独善的な支配欲や屈折した復讐のような、卑屈で野蛮な欲求の開放であり、性的な願望と同調して、女性を差別的にというか、本当に節操無く侮辱することを、あえて意図しているように思う。一番恐ろしいと思うのは、それが業界の常識或いは、製作者たちの共通の願望、渇望する行動であるかのように思えることだ。

もし仮に、この手のゲームの製作に関わる人達が、一応にそのような感情、つまり、女性に対する非常なまでの攻撃性を持って生きているとしたら、未成熟なゲーマー達は大いに影響を受けるだろう。たかがゲームといえるほど、無視できる存在ではない。ゲームというメディアは、既にこの時代を象徴するメディアに成長しているからだ。

メディアは、社会的な影響力を持つものだ。市場のイニシアティブは製品を提供する側にある。どのような製品を供給するかで、マーケット自体を構築できる。現状のこの手のメディアのあり方について、より正常な人間性を求めるというのは、馬鹿げた感情なのだろうか?

性は人の本質に関わる問題でもある。このレベルで人間性を失うのは、とても悲しいことだと、僕は思う。