ベクトライズ

様々な出来事について、その過程や流れ、方向性を自分なりに探っていきたいと、ベクトルと「分析」をひっかけた造語です。

記憶についての考察

2005年03月10日 01時14分50秒 | Weblog
人格の構成に、記憶が大きな役割を果たすはずだ。
特に潜在意識の中に埋もれている沢山の記憶は、その人の発想に大きく関わる。

コンピュータに絡む仕事をしていると、人の記憶の情報量には、あきれるばかりだ。わずか数秒の動画を圧縮してもメガ単位なのに、膨大な時間の映像に音も、匂いも、その他の感情要素まで含んで記憶している。

そこで、ふと思った。

記憶は、人の脳の中に収まりっこない。ナノテクのメモリーで構成しても、あんなサイズの中に収められっこない。まして生物学的な細胞構造の組み立てによって情報を維持するなんて、現実的ではない。

では、いったいどこに収納しているのだろう?

もし、記憶がイメージの集合体なら、イーメージそのものがある種のエネルギー波動でできているなら、説明がつかないでもない。非物理的なエネルギー波動として、光以上の周波数の波動として存在するなら、その存在自体が、時空にとらわれずにすむ。

だとすると、脳はそれを取り出すインターフェースだと考えることができる。

これなら、現実的なサイズだし、生物学的な構造物でも十分機能しそうな気がする。人は必要なときに、過去の様々な記憶を引き出したり、探したりできる。時に、未来が予測できる可能性もある。未来は変化するものだが、ある時点での未来像を把握することができる可能性はある。

心霊現象も、占いも、サイコメトリーやテレパシーの類まで、一気に科学的な事象として考えられるようになる。神秘主義的であり、心理学的な世界が開けて来る。

仮にこの理屈が正しいとしても、実証するすべない。

ただ、その昔からある様々な謎に解決の糸口を与えてくれそうな気がする。

馬鹿げた発想だろうか?