凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

僕の旅 徳島県

2007年02月19日 | 都道府県見て歩き
 僕のように兵庫県の瀬戸内がわに住む人間にとっては、明石海峡大橋が架かることによって本当に徳島県が近くなった。それまでは車で行こうと思えばフェリーか岡山周り瀬戸大橋経由、列車でも同様にまず香川県経由でなくてはならなかったため、一直線に行けるルートが出来て助かる。ただ通行料金がちょっと高すぎるのが難ではあるけれども。

 僕が初めて四国に足を踏み入れたときは、鳴門大橋ですらまだ無かった…と書こうとして、念のために調べたら、鳴門大橋は昭和60年開通だった。僕が徳島に初上陸したのは昭和62年だから…もうあったのだな(汗)。間違いを書かなくてよかった。
 そうそう思い出した。橋は確かに開通していた。当時は東洋一の吊り橋ということで話題になっていたのだったっけ。
 あの時は、自転車旅行だった。四国一周を思い立ち、春のまだ肌寒い頃徳島県目指して走り出した。早暁、当時住んでいた京都を発ち、その日のうちになんとか四国上陸を果たそうと思ったのだが、パワー不足と、夏と違って早く暮れてしまうことに阻まれて淡路島の南端までしか行けなかった。宿に泊まり、そこの同宿者と盛り上がって夜半過ぎまで話しこんでしまったために翌日少し寝坊した。遅い出発となったのだが、そのとき初めて鳴門海峡を渡るフェリーが異常に本数が少ないことを知って慌てた。明石海峡はまだ橋もなくフェリーが頻発していたので油断したのだ。急いで港へ走ると、もう船は今まさに出航しようとしているところだった。これを逃せばもう昼まで船便はない。「おーい待ってくれー! !」と叫び、ほぼ滑り込みのような形で乗り込んだ。そうだ橋は確かにあったのだ。
 渦潮で有名な鳴門海峡を、船は橋を見上げながらのんびりと行く。徐々に港が近づき、僕は四国第一歩をそのとき踏み出した。
 今はこんなのんびりした旅ももう出来なくなっている。あの時はまだ橋も出来たばかりで過渡期であり、本数が減ったとは言えフェリーもまだ運航していた。しかし利用客は当然の如く激減し、しばらくしてフェリーは廃航となった。
 鳴門大橋は当然の如く自動車専用道である。すなわち、淡路島から徒歩、自転車、原付で四国へ渡る、或いは逆のコースはもう不可能になった。徒歩旅行はバスに、そして自転車は…どうやって渡ればいいのだろう。もうこのコースは使えなくなったのだ。
 近年、「渦の道」という遊歩道が自動車道の下に出来た。ようやく徒歩や自転車に門戸を開放したのか、と喜んだのだが、これは渦潮を見るためだけに設置された道で、橋の1/4程度しかなく全通していない。そして、これが出来たために橋の下のスペースが埋まり、徒歩や自転車道が作られる可能性は無くなった。自力上陸にはもうずいぶん離れたしまなみ海道しか手段はない。いつの時代も少数者には行政らは優しくない。冒頭に「便利になった」と書いたばかりだが(汗)。

 さて、しかしながら自動車道の全面開通で四国が近くなったことは確かで、四国への旅が増えた。もっとも旅行の全てが徳島目的ではないが、香川に行くにも高知に行くにも愛媛にも、必ず徳島を経由する。なので、四国の旅の終わりは徳島に一泊するのが結構楽しみであったりする。必ず「阿波尾鶏」というダジャレみたいな美味い鶏のモモ焼きを食べスダチ酎を呑み、海鮮居酒屋にハシゴして新鮮な魚を食べ、徳島ラーメンで〆るのが定番となった。徳島ラーメンというのはこれまたコクのあるスープでたまらない。たいてい酔ったあとは街中にある「よあけ」という店に行くが、さんざん呑んで食べた後なのにこれだけは止められない。美味いのだ。スープのコクは天下一品だな。徳島には「いのたに」など有名店も多く、叉焼ではなく豚バラ肉がのり、タマゴを落すとさらに美味いこのラーメンの存在は本当に嬉しい。

 徳島に代表させて書くけれども、四国は地勢が険しくまた川が美しい。そして趣のある街々が点在する。
 徳島の真ん中を流れる川は「四国三郎」吉野川である。この大河は徳島を二分して滔々と流れる。美しい。その支流である穴吹川は、四国一の清流である。よく四国の美しい川と言えば四万十川を思い出す人が多いだろうが、この穴吹川は「四国一」の看板をもう10年も背負っている。その穴吹川が吉野川に流れ込む対岸には、うだつで有名な脇町がある。ホッとしますねこの町は。堂々たる観光名所だが俗でない気品がある。
 ただ道は険しい。三桁国道ともなると山間を縫う様にくねくねと走るため、同乗者はたいてい車酔いをおこす。未舗装のところもあり、国道というより林道と言ったほうが相応しい道もある。代表格に439号線(ヨサク)があるが、何度走っても疲れる。
 昔この道を、一部だが自転車で走ったことがある。高知県に入ってしまうのだが、道沿いに寺の経営するYHがかつてあった。そこには僕は何度も泊まった。この宿では修行と称して何パターンかの観光(?)コースを用意しているのだが、そのひとつにこの道を自転車で走るというものがあった。宿に泊まり合わせた何人かとその439号線を走ったのだが、それは修行というに確かに相応しい苦行である。宿は高知県側にあり、そこから徳島県へ抜けるのに「京柱峠(標高1130m)」を越えなければならない。僕は一応サイクリストだったのである程度の峠を上るコツというものを知っているが、レンタサイクルでこの峠を上るのは大変だっただろう。ただ、見晴らしは素晴らしい。実に絵になる美しさで、疲れも吹き飛ぶ(それは言いすぎか)。
 峠を越えてちょっと北上すれば、落人伝説の残る祖谷の村へと降りる。かずら橋が有名である。日本三奇橋の一つであるこの蔓を編んで架けられた、川底丸見えの原始的な怖い吊り橋を渡ってディスカバージャパン。そして北上し小便小僧が断崖に立つ祖谷渓を抜けて、山を降りるとそこは吉野川上流。大歩危小歩危で高名である。
 サイクリングコースとしては秀逸だが、今では無理だろう。

 ちょっと食べ物にも触れたい。僕は麺が大好きだが、ここ徳島には前述した徳島ラーメンの他にも美味いものが多い。かずら橋のある祖谷には「祖谷そば」という素朴な蕎麦がある。どちらかと言えば田舎風の、短く太い麺だが香りがいい。また吉野川沿いには半田素麺がある。伝統がある手延麺で、やや太め。コシが強い。また土成には「たらいうどん」が名物としてある。讃岐との県境に店が密集している。やはりうどん文化圏なのだろう。でかいタライで供される釜揚げうどんであり、やはり美味い。
 最近はじっくりと歩いていない徳島だが、とにかく僕の住むところからは近い。まだまだ歩く楽しみを残している。

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2 コメント

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Unknown (アラレ)
2007-02-28 16:01:18
四国は未踏の地です。
瀬戸大橋に続く道は走ったけど
姿は見てません。

大阪神戸までは遠く感じなくなった
…これもおかしな話ですが(笑)
それより西はやっぱり
遠いって感じます。

一度は四国をゆっくり旅してみたいと
思ってます。

あ~海が見たいよぉ~!
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>アラレさん (凛太郎)
2007-02-28 22:39:37
かつてはガイドブックの売れ行きワースト1だった四国ですが、昨今は瀬戸大橋やしまなみ海道、またさぬきうどんのおかげで四国へ渡る観光客が増えたと聞きます。しかしやはりまだまだ遠いと感じられる方が多いらしいですね。
でもなかなかいいところですよ。日本の正しい風景が色濃く残っていると思います。
でも、アラレさんはどうしても京都、大阪で引っかかってしまうのでしょうね(笑)。
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