酒をいったいなんのために呑むのだろうか。
人によっていろいろな解釈があるだろう。「味わうため」「酔うため」いずれも正解だと思う。酒というものはずいぶんと人の手がかかって造られている。それはどんな酒でも同じだ。自然界にある穀物や果実から酒精を醸し出すのは大変なこと。だからこそ、自然の恵みと人々の営みに感謝して、あるがままで酒を味わい、酔うべきだと僕は思っている。
しかしこの季節とくにそうなのだが、「会話の潤滑油として」から始まり「相手を酔わせるため」「相手だけを酔わせるため」そして「本音を吐かせるため」「無礼講だと相手を嵌めるため」等々、考えられない目的で酒が消費されている。
酒とはコミュニケーションの道具ではないと僕は思っている。酒は嗜好品だ。それは、ラーメンやコーヒーでコミュニケーションを普通とらないのと同じだ。ただ味わい楽しむために呑むのが正しい。それなのになんで酒はそうはならないのか?
「まあ一杯どうぞ」「ぐっとやってください、ぐっと」「まだいけるでしょ? 遠慮なさらずに」「もっとじゃんじゃん呑みなさいよ」「おい、もっと呑めよ! !」
これではわんこそばをやっているのと一緒だ。ゲームならば楽しいが、酒はもっと自分の好きなように呑ませてくれよ。またそうやって勧めている人の意識下はどんなものなのだろう? 相手をとにかく酔わせなければいけないという強迫観念が刷り込まれているのだろうか。
日本の因習は美しいものが多く文化は守らなければならないが、こういう悪習は改められて欲しいものです。こういう文化社会であるので、勧めない人は気の利かない人間と言われる。
僕も「接待」という仕事をやる。この仕事は正に相手を酔わせていい気分にさせる仕事だ。本当に自己嫌悪に陥る。情けなくて、仕事が終わった後また一人で呑む。接待中は酔うことは絶対無い。
仕事の付き合いも気が重い。呑んだら仕事の話なんかはしたくないのだ。話は会議室か、せいぜい喫茶店まで。だいたい呑んで話して仕事上のいいアイデアが浮かぶわけがないのだ。「ノミニケーション」などと言う言葉がまだ横行しているのは信じ難いが、早く絶滅して欲しい。その点、若い人はそういうところからどんどん脱却している。いいことだ。
「潤滑油」として酒を使わなければ会話が出来ない幼稚な大人から早く卒業しよう。そして、酒の美味さをもう一度思い出そう。夏にさんざん歩き回って汗びっしょりの後に飲む夕方のビール、寒い冬に凍えた身体を溶かしてくれる燗酒、初詣の神社でカワラケで呑む樽の御神酒、満足いく舞台や映画を見たあとでしみじみと呑むブランデー、キャンプで焚き火を前にして呑むバーボン、いずれも美味なはず。
しかしながら、なかなか同じように思ってくれる人は現れず、結局僕は独りで独酌するのがいちばん酒が美味いと思ってしまうのだ。「文士の手酌」で済む友人はなかなか出来ない。
忘年会シーズンのため愚痴っぽいことを少し。
人によっていろいろな解釈があるだろう。「味わうため」「酔うため」いずれも正解だと思う。酒というものはずいぶんと人の手がかかって造られている。それはどんな酒でも同じだ。自然界にある穀物や果実から酒精を醸し出すのは大変なこと。だからこそ、自然の恵みと人々の営みに感謝して、あるがままで酒を味わい、酔うべきだと僕は思っている。
しかしこの季節とくにそうなのだが、「会話の潤滑油として」から始まり「相手を酔わせるため」「相手だけを酔わせるため」そして「本音を吐かせるため」「無礼講だと相手を嵌めるため」等々、考えられない目的で酒が消費されている。
酒とはコミュニケーションの道具ではないと僕は思っている。酒は嗜好品だ。それは、ラーメンやコーヒーでコミュニケーションを普通とらないのと同じだ。ただ味わい楽しむために呑むのが正しい。それなのになんで酒はそうはならないのか?
「まあ一杯どうぞ」「ぐっとやってください、ぐっと」「まだいけるでしょ? 遠慮なさらずに」「もっとじゃんじゃん呑みなさいよ」「おい、もっと呑めよ! !」
これではわんこそばをやっているのと一緒だ。ゲームならば楽しいが、酒はもっと自分の好きなように呑ませてくれよ。またそうやって勧めている人の意識下はどんなものなのだろう? 相手をとにかく酔わせなければいけないという強迫観念が刷り込まれているのだろうか。
日本の因習は美しいものが多く文化は守らなければならないが、こういう悪習は改められて欲しいものです。こういう文化社会であるので、勧めない人は気の利かない人間と言われる。
僕も「接待」という仕事をやる。この仕事は正に相手を酔わせていい気分にさせる仕事だ。本当に自己嫌悪に陥る。情けなくて、仕事が終わった後また一人で呑む。接待中は酔うことは絶対無い。
仕事の付き合いも気が重い。呑んだら仕事の話なんかはしたくないのだ。話は会議室か、せいぜい喫茶店まで。だいたい呑んで話して仕事上のいいアイデアが浮かぶわけがないのだ。「ノミニケーション」などと言う言葉がまだ横行しているのは信じ難いが、早く絶滅して欲しい。その点、若い人はそういうところからどんどん脱却している。いいことだ。
「潤滑油」として酒を使わなければ会話が出来ない幼稚な大人から早く卒業しよう。そして、酒の美味さをもう一度思い出そう。夏にさんざん歩き回って汗びっしょりの後に飲む夕方のビール、寒い冬に凍えた身体を溶かしてくれる燗酒、初詣の神社でカワラケで呑む樽の御神酒、満足いく舞台や映画を見たあとでしみじみと呑むブランデー、キャンプで焚き火を前にして呑むバーボン、いずれも美味なはず。
しかしながら、なかなか同じように思ってくれる人は現れず、結局僕は独りで独酌するのがいちばん酒が美味いと思ってしまうのだ。「文士の手酌」で済む友人はなかなか出来ない。
忘年会シーズンのため愚痴っぽいことを少し。
『酒をいったいなんのために呑むのだろうか?』・・もし聞かれたら、『美味しいから』かな?(^_^;)
私自身はお酒は大好きだけど、呑めない人には勧めません。お酒に弱くても、ほんの少しのお酒でいい気分になる人もいるし、一滴も呑まなくてもお酒の場が好きな人もいますから、一緒に楽しんでます。
宴会とかで、呑んでる時マイペースで呑みたいのに、酒を注ぎに来て「まだ空いてない」と言われるのは嫌いでいつも「はい、ぼちぼちと」と答えてます。
おちょこだと他の人も気を使うので、その為にもコップにしてもらいます。
気兼ねない仲間とわいわい呑むお酒も美味しいけど、一番美味しいのは自分の好みにあったお酒を一人でじっくり味わう時かな。(^^)
酒というのは、相手が居るとなかなか自分勝手を許してくれないのですね。このことについては、後にも記事にしたことがあります。面倒ですよねー。楽しめればそれで良いのですが、「価値観の押し付け」が困るのですよ(汗)。
一人がラクだなー(笑)。一人旅がいいのと同じ理屈かなー(それは違うだろ? ^^;)
おねえさん 同性にもにっこりやさしかったけど 一口呑むと注ぎ足されるのにはまいったなあ。
悪酔いしちゃった。
我が家は 彼がビール まるちゃんが焼酎。
それぞれ勝手に手酌。
でも いっしょに呑む。
勝手に手酌というのは実に僕の理想です。でも一緒に呑んでいる。まるちゃんちはなんだかほんわかしていいですね。うちの相方は普段はあんまり呑まないのですが、呑むときはやはりお互い手酌同士です。長年の暗黙の了解ですね。