まず昔の話から。
僕が初めて山梨に行ったのは約20年前、野球の応援の帰りだった。はぁ? そう言うとなんの話かわからないので説明すると、大学野球ファンだった僕は、母校が近畿を勝ち抜き神宮大会へ出場となった際、応援に友人たちと東京へ繰り出したのである。
東京に行くにあたって、友人たちはもちろん往復切符を用意したが、僕が買ったのは京都発京都行きの片道切符。国鉄(当時)には遠距離逓減の規則があり、距離が伸びれば伸びるほど格安になるのだ。同じ駅を二回通らなければ片道切符なので、まず京都から奈良線で南下、関西本線に乗り換え三重県経由名古屋、そこから東海道本線で東京。帰りは中央本線で長野県経由で大回り、そのまま名古屋に行くところを手前の多治見で太多線に乗り換え美濃太田、高山本線で岐阜、そうして名古屋をやりすごし東海道本線で京都まで。これなら同じ路線を通らずに片道切符となる。ややこしいけれども往復より安いのだった。フトコロが寂しいとこういう手段も講じる。まあ長野経由で帰るなどという行為に誰も賛同者は居なかったので僕一人なのだが。
その日の講義が終わった昼下がり、京都駅から奈良線に乗った。これから東京に向かうとは信じられない列車のチョイスである。木津で乗り換え、伊賀上野を経由して夕刻に名古屋へ。そこで、大垣発の東京行き夜行鈍行列車に乗り換える。すると早暁東京に着く。そのまま神宮球場へ行き。熱戦に声を枯らして応援した。勝ち進めば何泊でもと考えていたが(友人も住んでいるし)、残念ながら敗退、僕は傷心(?)のまま新宿へ向かい、上諏訪行き夜行鈍行に乗り込んだ。(昔は上諏訪夜行と言われて旅人が集ったものだが…)
朝4時くらいに、小淵沢駅着。(ここからようやく山梨県の話。前フリが長すぎる)小海線の一番列車に乗り込んだ。夜が白々と明け、黄昏色の風景の中、富士山がシルエットで浮かび上がり、美しきこと比類がない。こんな高原の風景というのは関西にはない。しばらくその光景を眺めやるうちに夜が明け、列車は野辺山に到着し下車した。
野辺山は国鉄最高所の駅であり、清冽な空気の中、昨日は東京で野球観戦をしていたとは信じられないような気分でしばらく佇んでいた。(しかし野辺山は長野県なので話は端折る)
その後国鉄最高地点まで歩き、そこで八ヶ岳の美しい山容を初めて見た。杉田二郎の「八ヶ岳」という歌に憧れていた僕は感動し、雄大な風景に心を奪われ、ずっと眺めながら歩いて清里にまで戻った(ようやく山梨)。しかしそこはウシの形をした店とかよく判らないカラフルな店舗が並ぶエリアで、場違いな僕は横道をそれ、牧場の方面へ向かう。まず清泉寮へ。ソフトクリームが旨い。その後遊歩道に入るが、途中道がわからなくなり川俣川の渓谷に入り込み、落葉した枯れ葉の洪水の中をラッセルしながら歩き、ようやく美しの森へとたどり着く。一日ハイカーをやって、夕刻泊。
翌日は少しまだ清里をブラついてケーキなどを食べた後(少しはミーハーもやってみたい)、昼過ぎに小淵沢へと戻る。すずらん池など見学したのち、列車に乗って諏訪へと向かった。僕の山梨初体験はこれだけである。話が長すぎるな。
たったこれだけの山梨体験なのに、その後僕はずいぶんご無沙汰をしてしまうのである。それは、「山梨は休日人が多いよ」といろいろな人から忠告されたからだった。
山梨の話じゃないけれど、館山とか伊豆とか那須高原とかは東京圏の人にとっては実に身近なのでしょうね。ちょっと日帰りないしは一泊二日で、といった感覚で気軽に行く旅先としてとらえている、と聞く事も多い。関西にはそういうふうな場所が少ないので羨ましいなぁと思ったりもする。
その感覚の範疇にはおそらく山梨県の清里や山中湖なんかも入っているのだろう。なので週末にこういうところへ行くと大渋滞に巻き込まれることになる。首都圏って人がたくさん住んでいるのだよなぁ(当たり前ですが)。
社会人になって、一度山梨を訪れた。富士五湖を中心にしてブラついたのだけれど、そりゃもう人の波だった。富士山は流麗に聳え美しかったのだが、いい天気の秋の週末だったゆえにとにかく混んでいた。ああやっぱり東京に近いのだなと認識したのだった。
そんなこんなで山梨を避ける傾向にあったのだけれど、結婚したら妻が大の「山梨ファン」であって、山梨に行こう山梨に行こうとうるさい。おかげで山梨もその後何度も行き、かなり細かく歩いた。やはり人は多いけれどもそういうもんだと開き直って時間にゆとりさえ持てば大したことではない。
甲府は山梨の中心で武田信玄の本拠地であるが、信玄は「人は城、人は石垣」であって甲府城は信玄の遺構ではない。しかしその跡である舞鶴公園はいいところだ。また、僕は博物館や文学館にはよく行っても滅多に美術館には足を運ばないが、山梨県立美術館にはミレーの「種をまく人」があり行かないわけにはいかない。
富士五湖は確かにペンション村の趣きはあるが、邪心を抜くとこれもいいところ。河口湖から少し足を延ばした御坂峠には太宰治ゆかりの天下茶屋があり、「富士山には月見草がよく似合う」と嘯きたくなる。
身延山、そして昇仙峡も必ず訪れなければならないポイントだ。
そして花。甲斐一宮の咲き乱れる桃の花は素晴らしい。同居人がここの大ファンでシーズンになると「行きたいなぁ」と僕をせっつく。そんなに何度も行けないが、桃と並ぶ山梨のもう一つの果樹、ぶどうについては僕も実に興味がある。当然花ではなくその果実を醸した液体を飲みたいからであるのは間違いないのだが、勝沼を筆頭とするワイナリーの充実度合いは比類が無く、ここに車で行っては勿体ない。
食べ物はなんと言っても「ほうとう」だろう。山梨に行ってほうとうを食べずに帰る事はない。美味いんですよなぁ。
最近また少し足が遠のいている。行きたいなぁ。
僕が初めて山梨に行ったのは約20年前、野球の応援の帰りだった。はぁ? そう言うとなんの話かわからないので説明すると、大学野球ファンだった僕は、母校が近畿を勝ち抜き神宮大会へ出場となった際、応援に友人たちと東京へ繰り出したのである。
東京に行くにあたって、友人たちはもちろん往復切符を用意したが、僕が買ったのは京都発京都行きの片道切符。国鉄(当時)には遠距離逓減の規則があり、距離が伸びれば伸びるほど格安になるのだ。同じ駅を二回通らなければ片道切符なので、まず京都から奈良線で南下、関西本線に乗り換え三重県経由名古屋、そこから東海道本線で東京。帰りは中央本線で長野県経由で大回り、そのまま名古屋に行くところを手前の多治見で太多線に乗り換え美濃太田、高山本線で岐阜、そうして名古屋をやりすごし東海道本線で京都まで。これなら同じ路線を通らずに片道切符となる。ややこしいけれども往復より安いのだった。フトコロが寂しいとこういう手段も講じる。まあ長野経由で帰るなどという行為に誰も賛同者は居なかったので僕一人なのだが。
その日の講義が終わった昼下がり、京都駅から奈良線に乗った。これから東京に向かうとは信じられない列車のチョイスである。木津で乗り換え、伊賀上野を経由して夕刻に名古屋へ。そこで、大垣発の東京行き夜行鈍行列車に乗り換える。すると早暁東京に着く。そのまま神宮球場へ行き。熱戦に声を枯らして応援した。勝ち進めば何泊でもと考えていたが(友人も住んでいるし)、残念ながら敗退、僕は傷心(?)のまま新宿へ向かい、上諏訪行き夜行鈍行に乗り込んだ。(昔は上諏訪夜行と言われて旅人が集ったものだが…)
朝4時くらいに、小淵沢駅着。(ここからようやく山梨県の話。前フリが長すぎる)小海線の一番列車に乗り込んだ。夜が白々と明け、黄昏色の風景の中、富士山がシルエットで浮かび上がり、美しきこと比類がない。こんな高原の風景というのは関西にはない。しばらくその光景を眺めやるうちに夜が明け、列車は野辺山に到着し下車した。
野辺山は国鉄最高所の駅であり、清冽な空気の中、昨日は東京で野球観戦をしていたとは信じられないような気分でしばらく佇んでいた。(しかし野辺山は長野県なので話は端折る)
その後国鉄最高地点まで歩き、そこで八ヶ岳の美しい山容を初めて見た。杉田二郎の「八ヶ岳」という歌に憧れていた僕は感動し、雄大な風景に心を奪われ、ずっと眺めながら歩いて清里にまで戻った(ようやく山梨)。しかしそこはウシの形をした店とかよく判らないカラフルな店舗が並ぶエリアで、場違いな僕は横道をそれ、牧場の方面へ向かう。まず清泉寮へ。ソフトクリームが旨い。その後遊歩道に入るが、途中道がわからなくなり川俣川の渓谷に入り込み、落葉した枯れ葉の洪水の中をラッセルしながら歩き、ようやく美しの森へとたどり着く。一日ハイカーをやって、夕刻泊。
翌日は少しまだ清里をブラついてケーキなどを食べた後(少しはミーハーもやってみたい)、昼過ぎに小淵沢へと戻る。すずらん池など見学したのち、列車に乗って諏訪へと向かった。僕の山梨初体験はこれだけである。話が長すぎるな。
たったこれだけの山梨体験なのに、その後僕はずいぶんご無沙汰をしてしまうのである。それは、「山梨は休日人が多いよ」といろいろな人から忠告されたからだった。
山梨の話じゃないけれど、館山とか伊豆とか那須高原とかは東京圏の人にとっては実に身近なのでしょうね。ちょっと日帰りないしは一泊二日で、といった感覚で気軽に行く旅先としてとらえている、と聞く事も多い。関西にはそういうふうな場所が少ないので羨ましいなぁと思ったりもする。
その感覚の範疇にはおそらく山梨県の清里や山中湖なんかも入っているのだろう。なので週末にこういうところへ行くと大渋滞に巻き込まれることになる。首都圏って人がたくさん住んでいるのだよなぁ(当たり前ですが)。
社会人になって、一度山梨を訪れた。富士五湖を中心にしてブラついたのだけれど、そりゃもう人の波だった。富士山は流麗に聳え美しかったのだが、いい天気の秋の週末だったゆえにとにかく混んでいた。ああやっぱり東京に近いのだなと認識したのだった。
そんなこんなで山梨を避ける傾向にあったのだけれど、結婚したら妻が大の「山梨ファン」であって、山梨に行こう山梨に行こうとうるさい。おかげで山梨もその後何度も行き、かなり細かく歩いた。やはり人は多いけれどもそういうもんだと開き直って時間にゆとりさえ持てば大したことではない。
甲府は山梨の中心で武田信玄の本拠地であるが、信玄は「人は城、人は石垣」であって甲府城は信玄の遺構ではない。しかしその跡である舞鶴公園はいいところだ。また、僕は博物館や文学館にはよく行っても滅多に美術館には足を運ばないが、山梨県立美術館にはミレーの「種をまく人」があり行かないわけにはいかない。
富士五湖は確かにペンション村の趣きはあるが、邪心を抜くとこれもいいところ。河口湖から少し足を延ばした御坂峠には太宰治ゆかりの天下茶屋があり、「富士山には月見草がよく似合う」と嘯きたくなる。
身延山、そして昇仙峡も必ず訪れなければならないポイントだ。
そして花。甲斐一宮の咲き乱れる桃の花は素晴らしい。同居人がここの大ファンでシーズンになると「行きたいなぁ」と僕をせっつく。そんなに何度も行けないが、桃と並ぶ山梨のもう一つの果樹、ぶどうについては僕も実に興味がある。当然花ではなくその果実を醸した液体を飲みたいからであるのは間違いないのだが、勝沼を筆頭とするワイナリーの充実度合いは比類が無く、ここに車で行っては勿体ない。
食べ物はなんと言っても「ほうとう」だろう。山梨に行ってほうとうを食べずに帰る事はない。美味いんですよなぁ。
最近また少し足が遠のいている。行きたいなぁ。
私にとって山梨といえば、富士山、ワイン、武田信玄。
将来は、富士山の見える場所に暮らしたいと願っているので、静岡と山梨が候補なんですよ。
で、先日初めて知ったのですが、『武田節』という、信玄をたたえる唄があるんです。
いつの時代でも、甲斐の方達にとっての誇りなのですね。
僕はいつも相方の言うとおりに動いているようにも見えますが(汗)、それはつまり「口実」というヤツでして(笑)。本当は僕も行きたくてしょうがないのです。^^;
「武田節」は知りませんでした。信玄は北条早雲と並んで民政に尽力しましたから、人気も相当なものですね。政治家はこうでないといかん。(^-^)