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凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

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イルカ「あの頃のぼくは」

2012年12月28日 | 好きな歌・心に残る歌
 時計の針を戻すことができるなら、と思ったことがある人は、多いに違いない。
 誰しもが、後悔を重ねて生きている。
 もしもあのときああしていれば私は違った道を歩んで…という人生の岐路にかかわる事柄もあれば、もっとささやかな後悔もあるだろう。いつまでも忘れられない失敗。あのときひとことが足らなくて誤解を生んでしまった。勇気がなくて体の不自由な人に席を譲れなかった。酔って暴言を吐いてしまって呆れられた。そんなことでも夜中に思わずギャッと叫んでしまいたくなったり。それらが積み重なって、人生になっている。
 じゃ時計の針を、本当に戻すことができるならばどうだろう。人生のある一点からやり直すことが出来るなら。そういう夢想の中には、いつも二種類の方法が脳内に示される。
 ひとつは、とにかくただ時間を戻してくれればいい、あの頃の若かった自分に戻りたい、という考え方。そしてもうひとつは、現在の自分の経験値と解析能力を持ったまま、あの頃の自分に戻りたいという都合のいい思考。
 どっちも妄想なのだが、後者は医療技術などの発達によって可能になることもあるかもしれない。つまりこれは「若返り」なのだから。現在でも、アンチエイジングの技法はかなり進んでいる。とても50歳には見えない美魔女も存在している。いくらでもやり直しがきく、とも言える。しかし、いくら頑張っても例えば18歳には戸籍上はなれないのだから、結局時計の針は戻せないとも言えるが。
 僕はといえば、時計の針を戻せるとすれば現在の頭脳をそのまま持ち込まなくてもいいように思っている。確かに経験を積んで口も巧みになり洞察力も磨かれてはいるが、そのぶん記憶力も低下し感受性もかなり磨耗しているように思うから。やはり若いときの頭脳や心も欲しい。それでないと人生をやり直すことにはならないように思われる。
 しかしながら、こと「男と女」の話になれば、今の経験を積んだ頭脳があの頃に少しでもあったなら…とどうしても思う。

 うたの世界のなかでの主人公は、そんな後悔をどう歌っているんだろうか。
 ユーミンはこんなふうに歌う。

  青春のうしろ姿を 人はみな忘れてしまう
  あの頃のわたしにもどって あなたに会いたい (あの日にかえりたい)

 ここでいう「あの頃の私」というのは、長い人生という観点からみればちょっと前の姿を指している。当時のユーミンは二十歳そこそこであり、そんな昔のことは振り返れない。しかしそんな短い昔でも、染まっていなかった頃の自分と染まった(染められた)自分との違いはある。おそらくそんな意味だと思うので、「あの頃」に経験値を持ち込みたいと思っているようにはみえない。
 中島みゆきは、こんなふうに歌う。

  長い髪を三つ編みにしていた頃に めぐり逢えればよかった
  彼女より もう少し早く                (横恋慕)

 これも、経験値を持ち込みたいと願っているようには思えない。時間さえ戻せれば、そして自分が先に彼に出逢っていれば、という後悔のみ。もっとも「たぶんだめね」というところが哀しいのだけれども。

 もちろん一概に二元論では言えないことは承知だが、もしかしたら女性のほうが素直なのだろうか。今の俺ならもっとうまくやれたのに、などと考えるのはもしかしたら腹黒いだけなのかもしれない。けれども、僕はどうしても思ってしまう。あの頃の自分にただ戻っても結局同じことを繰り返すだけだろう。あの頃の自分にはなかったものを、今なら持っている。その力が、あのときに欲しかった。

 僕は若かった頃、もう少し具体的に言えば学生だった頃に、女性と交際した経験がない。つまり、彼女というひとは存在しなかった(と思っている)。
 こうはっきり書くことには我ながらかなり抵抗があって、社交性のない変人だったのではないかと思われてしまう可能性もある。あるいは、よっぽど女性に忌避されるような人間だったとか。事実変人だったのかもしれないしもちろん面相に自信など今に至ってもないが、それは措いたとしても、かなりのオクテだったと見られるだろう。
 いまの世の中、中学生どころか小学生だって、告白し恋人同士となっているヤローもいる。そしてそれは、時代が違うのだとばかりは言えない。僕の頃だって、いくらでも事例はあった。深夜放送にはそんな話が溢れていた。そして現実の僕の周りにも、いくらでもカップルはいた。
 思春期という時代は、若者は異性に対してもの凄く興味を持つ。僕もエロ本はたくさん所持していたし、老け顔だったので高校生にもかかわらずポルノ映画だって観にいった(そんな時代だったんだよなー)。しかし恋愛というものに対しては、何故か斜に構えていた。そんなことよりもっと楽しいことがたくさんあるだろう、と。
 斜に構えていた、というのは当時の僕の心境なのだが、経験値を積んだ今ならそれを簡単に分析できる。結局臆病だっただけ。
 高校時代、好きだった女性がいた。まあこのひとなのだが、彼女はその後友人のひとりとなった。何でも気軽に話せる間柄だったと思うが、ここで僕が「あなたのことがすきです」と言ってしまうと、全てが終わる可能性もある。恋は走り出せばall or nothing。なので、僕は踏み出せなかった。この関係性を壊す勇気はなかった。そして、そのまま卒業して終わった。
 それに関しては、阿呆だったなとは少し思うが、後悔はしていない。ただ僕が、後戻り出来ないことを覚悟するほどの強い気持ちがなかっただけ。誰も傷つけてはいない。
 
 そうして僕は、進学した。(約30年前は)極端に女性の数が少ない大学、学部だったが、出会いはそれだけではない。合コンもよくやった。学友は地方からやってきたヤツも多く、地元出身でありしかも共学の高校を出ている僕は重宝され、女子大に通う同級生と話をつけてセッティングもしばしば行った。そうして女の子たちと河原町で酒を飲んで騒ぐ集まりは、楽しかった。もちろん最初は未成年ばかりだったが、もう時効だろう。
 今はとんと聞かないが「合ハイ(合同ハイキング)」も試みた。日本のあちこちから学生は京都にあつまってくる。いいところへ案内しよう。というので、例えば鞍馬山や伏見稲荷などみんなで歩いて楽しいところへ連れて行った。
 そうした中で、カップルも誕生してくる。これは素直にうれしかった。自分が主催した会がきっかけならなおさら。そうして、僕はとにかくけしかける側にまわっていた。自分がアクションを起そうなどと思ったこともなかった。そのときが楽しければ、それで良し。そんな祝祭のような日々を続けていた。
 もちろん、淡い気持ちを抱いたことがなかったわけではない。ただ、それ以上は自分の中では膨らんでこなかった。これは、ただ消極的だっただけとも言える。他のことではあれほど積極的であったのに。
 
 また、僕はそれ以外に旅行にも夢中になっていた。自転車を駆って日本中を回ろうと思っていた。旅先では、同じ旅人であるというよしみで女性とも気軽に話も出来る。そんなのもまた、楽しみの一つだった。
 19歳の夏。僕は北海道にいた。野宿などをする以外は、宿は主としてユースホステルを利用していた。夏の北海道のYHはとにかく混雑している。それだけ若い男女がひとつ屋根の下に集うわけで、出会いはそこかしこに転がっている。
 ただそんな場所でも、僕は幹事的役割をいつも率先して行っていたような気がする。臆病云々というより、そういう性格なのだろう。そういえば鍋奉行になることも多い。

 そんな旅も終わりに近づいた頃、僕はとある日本海側の宿に泊まった。とある、などともったいぶるわけでもなく増毛という町の宿なのだが、そこはあれだけ旅人が混雑している夏の北海道においてエア・ポケットのように空いていた。富良野や知床と比べて知名度が低かったのだろう(ごめんなさい)。僕も、いわば通りすがりだった。自転車でなければ、泊まらなかっただろう。
 宿泊客は、僕の他は女性がひとりだけ。向かい合って食事をした。

「君、どっから来たん?」
「京都ですけど」
「あら、私も京都。生まれは滋賀なんやけど、今は仕事で京都に一人暮らし」
「へー偶然ですね。京都のどこに住んだはるんですか」
「白梅町」
「え、僕はその近くの大学に通てるんです」

 彼女は26歳。髪の長い小柄な人だった。
 食事が終わり(YHでは飲酒禁止であり簡単に食事は終わる)、二人で海まで夕日を見に行った。

「ビール飲む?」
「ええんかな…」
「ええやん、どうせ二人しか泊まってへんのやから」

 陽は静かに水平線へと沈み、しばしの夕映えのあと、漁り火が少しづつ見え始めた。

「このあとどうするのん?」
「明日、小樽まで走って、船に乗って帰ります」
「そうなん。私ももう3日で帰るんよ。京都でまた会お…」

 翌朝、彼女と別れ僕は小樽へ向けて自転車を走らせた。
 そして一週間後、もう僕らは会っていた。再会したその日に、僕は彼女のマンションに泊まった。

 僕は、彼女のことを深く知ろうとは思わなかった。根掘り葉掘り聞くのは得意ではないし、彼女もゆるやかな関係を望んでいた(ように見えた)。どうやら長いお付き合いをしていた男性がいたこと、そしてその人とはもう別れてしまったことくらいはなんとなしにわかったが、詮索はしなかった。たいていは僕が一方的に話し、彼女は聞き役だった。
 共通の話題は、まず旅のこと。そして、音楽のこと。
 彼女は、イルカさんのファンだった。

「君は、どの曲が好き?」
「そうやな…”我が心の友へ”とか好きやね」
「通やねぇ(笑)」
「姐さんは?」(そう呼んでいた)
「私は初期の頃のが好きかな。やっぱり”あの頃のぼくは”はいいよ」

 「あの頃のぼくは」はイルカさんのソロデビュー曲である。伊勢正三作詞作曲。

  あの頃のぼくは若すぎて君の気まぐれを許せなかった
  そんな君のやさしさはおとなびていました
  机の上に編みかけのセーターの残していったまま 
  朝から続く雨の日に泣きながら飛び出していった

 そして、レコードを聴いて過ごした。
 夏が終わり、秋が過ぎ、京都に底冷えの季節が訪れようとしていた。

 あるとき、彼女は僕に聞いてきた。

「君は、私のことどう思ってるの」

 不意を衝かれたような問いだった。
 僕は、この関係を「交際」だとは思っていなかった。ひらたく言えば「付き合う」ということは、まず少なくともどちらかが相手のことを好きになって、告白して、そこから始まるものだと思っていた。彼女とは、そんなステップは踏んでいない。お互いに意思表示もしたことがない。だいいち、彼女は僕よりずっと大人だった。
 もちろん、彼女のことは好きだったと思う。ただし、それが恋愛感情なのかどうなのかはわからずにいた。彼女のことを「俺の恋人なんだ」なんて気持ちは、少なくとも持っていない。それはおこがましいように思っていた。これは対等な付き合いではない。彼女のような大人の女性が、僕みたいな若造を真剣に相手にするわけがない。そう勝手に思っていた。
 僕が言葉を継げずにいると、彼女は悲しげな瞳でさらに言った。

「私は、好きでもない男を何度も家に泊めたりはしないよ」

 そうして、彼女との関係は終わった。

 本当に馬鹿だった。
 僕は、言葉は悪いが彼女に遊ばれているつもりでいた。そして、遊ばれているならそれでもいい、この関係を無理して壊す必要もないと思い、そのまま流れに身を任せていた。
 そうじゃない。遊んでいたのは、彼女ではなく僕のほうだったのだ。
 僕が、ただ面倒くさい部分を棚上げにして、自分本位でいただけだった。

  ぼくはぼくの事しか見えなかった 君が泣いてるなんて知らなかった

 自分は、なんと卑怯な人間だったのだろうか。イルカさんの「君は悲しみの」を聴くたびに、痛切にそう思う。
 あの頃のぼくに、19歳のあの頃のぼくに、もう一度戻ることはできないだろうか。

 イルカさんのLPは、僕は数枚しか持っていない。「いつか冷たい雨が」と「あしたの君へ」そして「我が心の友へ」。それ以外の音源は、初期のものはみな彼女にカセットへコピーしてもらったものだ。インデックスも、彼女の字。それらカセットは、まだ僕のラックに残っている。

  君はもうこの古いアルバムの中の想い出の女として
  小さな灰皿の中で燃えてゆくのです
  君の長い髪はとても素敵だったと言いたかった

 僕は、彼女の写真すら一葉も持ってはいない。あの長い髪の小柄な彼女の姿は、すべて、追憶の彼方にいる。残っているのは、そのカセットテープと、ケースに書かれた文字だけ。
 もちろん、それ以降、彼女に会うことはなかった。しばらく経って一度、未練たらしくもマンションの前まで行ったことがあるが、郵便ポストの名前が消えていた。おそらく引っ越したのだろう。
 あのひとは、今元気に暮らしているのだろうか。幸せになってくれているだろうか。

  君はもう 二人でいつも買ってた合挽のコーヒーの
  あのほろ苦い味も忘れたことでしょう
  今はひとり部屋の中でコーヒー沸かしているんです

 あなたの好きだったイルカさんの「あの頃のぼくは」を、久しぶりに聴いています。
 あれからずいぶん時がながれました。
 僕はまだまだ愚かなままだけれども、あの頃よりは少し人の気持ちがわかるようになりました。
 そんなことを伝えたくとも、もうそのすべはありませんが。

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ショルダースルー

2012年12月02日 | プロレス技あれこれ
 「ショルダースルーがもっとも危険な技」という話は、よく聞く。
 だがそのように言われる技だが、難易度は低いのではないか。説明するまでもないが、相手と正対し、身をかがめて相手の懐(腹部あたり)に肩を入れ、そして相手を自分の肩の上にのせて持ち上げると同時に身体を伸ばして相手を上方に跳ね上げ、後方に飛ばし捨てる。補助的に腕を使うことはあっても、基本的に腕は必要ない。相手を肩にのせて跳ね上げる下半身の力と背筋力さえあれば成り立つ。さらに力はなくとも、多くはカウンターで放つためタイミングさえうまくあえば、後方に飛ばすことができる。仕掛ける側のタイミングは確かに重要だが、カウンターの勢いさえあれば非力な僕にだって出来そうである。
 相手が空中高く舞えば、見栄えがする。したがって誰もが試合に取り入れる技だが、これがフィニッシュになることは、まずない。単純すぎる技だからだろう。ボディスラムでピンフォールを奪えた時代というのは確かにあったが、ショルダースルーが決め技になっていた時代はあったのだろうか。ちょっと想像がつかない。また、この技を「得意技」として公言しているレスラーもあまりいなかったのではないかと思われる。公言するほどでもないからだろう。

 この技が危険であるのは、受ける側の技量が必要とされるからだ。相手がどのくらいのパワーで跳ね上げてくるのか。それによって、受身をとるタイミングが変わってくる。絶対に頭から落ちてはいけない。しかし中途半端に足から落ちても怪我をする。よって空中で体勢を整え、うまく背中から落下して背中と手と足で同時に受身をとる。しかし背中に目がついていないので、マットに着地するタイミングをうまくはからなければならない。一歩間違えると、大変なことになる。したがって素人に仕掛ければ一撃必殺の技だ。
 自由落下に身を任せるというのは、実に怖い。高角度から落とされるものには他にデッドリードライブがあるが、雪崩式でないかぎりその高さはリフトアップした高さであり、アンドレがやらないかぎりまず3mはいかない。ショルダースルーは跳ね上げるのでその高さは想像できない。
 よって、若手はこの技の受身を、プロレスの基本として徹底して練習するといわれる。何より危険なのだ。なんせ2階から落とされる技と同じなのだから。
 話がそれるが、僕は昔、投げ技というのは仕掛ける相手がしっかりとホールドしているほうが危険だと思っていた。叩きつける力が加わると思っていたからだ。だからバックドロップもジャーマンも本式は最後まで腕のクラッチを放さない。しかし、投げっぱなしジャーマンというものの危険さを見てから見方が変わった。手を離すほうが危ない。そうやって思えば、クラッチのあまい馬場さんのバックドロップなどは相当に怖い。またバックランドがダブルアームスープレックスで手を離して投げ飛ばしたり、必殺アトミックドロップの体勢で相手を目の高さまで持ち上げ、意表をついて後ろへ放ったりするのはかなり危なかったのではないか。
 自由落下は、危ない。プロレスでもしも殺意を持つとすれば、ブレーンバスターで相手を持ち上げ、そのままパッと手を離せばいいのではないか。こんな怖いことはない。
 なお余談ながら、ショルダースルーは英語で書けばshoulder throughだろう。しかしこれでは肩透かしではないのか。多分に日本語的発想だとは思うが、shoulder throwの間違いじゃないのかと昔は思っていた。肩投げのほうがこの技に適うような。なまじ肩透かしという言葉が日本語にあるだけにそう思ってしまう。なお、肩透かしという技は、相撲にはある。しかしもちろんショルダースルーではない。相撲の決まり手で言えば、居反りに少し近いようにも思う。これは後述。

 ショルダースルーがうまい、といえば、やはり猪木を僕は思い出す。
 ショルダースルーは、そのタイミングが難しい。ロープに振って返ってきたその反動を利用して跳ね上げるのが最も良いが、相手の懐にもぐりこまなくてはいけないためどうしても頭を下げる。しかし、ロープに振って返ってくるのを頭を下げて待っていればそれは相手に読まれてしまう。一発キックを食らって終り。ヘタをすればスモールパッケージホールドで丸め込まれてしまう。
 猪木のは、その直前まで頭を下げず相手を睨みながら、わずかに肩を下げてすっともぐり込んで跳ね上げる。猪木がショルダースルーを失敗したのを知らない。
 対していつも失敗をしていたのは鶴田だった。鶴田は、ロープに振るやいなやマットの中央で頭を下げて待ち構えている。カウンターで返ってきた相手は、最初から鶴田が中腰の体勢で、ショルダースルー見え見えで待っているために引っかからない。蹴りを放って終りである。鶴田がショルダースルーを成功させたのを、これまた見た記憶がない。
 だがこれは鶴田の名誉のために書けば、お約束のムーブだろう。プロレスは攻めて受けて試合が成り立つ。鶴田は一時期バケモノの如く強かったが、スタミナは無尽蔵であるのに攻めさせるのはあまり得意とは言えなかったと思う。なのでこのようにショルダースルーを失敗することによって相手に反撃の糸口を作った。余裕のなせるわざだが、これは観客にもみなバレてしまっている。全くのところ不器用だった。

 ショルダースルーは、受ける側の技量も必要だと書いたが、そういう意味においては相手の跳ね上げる力以上に自分の勢いで高く飛んでゆくレスラーもいる。危ないのによくやるなと思うが、受身に自信がないと出来ない。そして、そういう動きは試合を派手にする。飛んでいる間にひとアクションいれるレスラーもいた。リックフレアーなどは見事だったと思う。NWAヘビー戴冠記録保持者は伊達ではない。
 Jr.ヘビーの試合になると、飛ばされたレスラーが一回転してマットに両足で着地することがままある。跳躍力を生かして技を殺したわけだが、僕は見ていてあまり好きではなかったなぁ。もちろんレスラーはいかにうまく受身をとってもダメージは当然残るわけで、受けたくはないだろうが。だが、この動きは案外危険だと聞く。レスラーは体操選手ではなく体重も抱えているので、着地を失敗すれば足に怪我をするとも。
 基本に忠実に背中から落ちたほうが安全、とはプロレスの世界もすごいものだとは思うが。どれだけ受身というものは洗練されているのかと感嘆する。

 ショルダースルーは、このようにカウンターでリング中央で放たれるのが通常だが、ロープ際での攻防の際に放つ場合がある。相手が突進してきた場合などは、仕掛けられた側は当然勢いあまってリング下へ落ちることになる。言ってみれば断崖式ショルダースルーであり相当危険であるが、落ちる際にロープを掴んだりエプロンでワンクッション入れたりでそのまままっ逆さまにリング下、ということはまずない(そんなことがあれば大変だ)。しかし当然ダメージはありすぐにマットには上がれない。Jr.ヘビーの場合は、それを見てプランチャ、あるいは反対側へ走りトペ敢行、というのもまたお約束だ。ショルダースルーで場外に落としスイシーダ攻撃、というのはひとつの流れである。
 また、場外フェンス際でも昔はよく放たれた。オーバー・ザ・フェンスの反則があったころはそれで試合が決したことも多かったが、オーバーザフェンスが反則でなくなってからは、なぜかこのムーブは稀になったようだ。

 類似技を考えると、相手を肩に乗せて投げる技というのは他にもある。側面からであれば、柔道の肩車、またアマレスの飛行機投げというのは肩投げだろう。長州力がよく放っていた。これは、横からのショルダースルーであると言えなくもない。
 ファイアーマンズキャリーからの投げであり、必ず腕をとってはいるが、肩で跳ね上げて自由落下の形になっている。ショルダースルーの一派とは見られないだろうか。だが、その「横から」の部分が決定的に異なるため、同範疇でみにくいのも確かである。難しいかな。なお、ここに膝を出せば「牛殺し」になる。

 相手と正対して投げる、ということに拘れば、フロントスープレックスは相手を肩越しに投げるわけではないが、たとえばダブルリストアームサルトなどはショルダースルーに近い。そのリストを掴むのを省略すればショルダースルーみたいだ(もっともリストを掴まなければ成立しないが)。
 だが反り投げはブリッジを前提としているので、類似技とは言えないかも。肩で跳ね上げているわけではないからなあ。これが類似技なら、ノーザンライトスープレックスなども近い技になってしまう(汗)。

 水車落しは、さらにショルダースルーに近い。
 タックルで相手の懐に入りそのまま持ち上げ肩の上にのせ後方へ投げるのだから、これは字面だけだとショルダースルーと相似形とも言える。カウンターで入るかタックルで入るかはどちらでもいいこと。これを必殺技としていたサルマン・ハシミコフは、必ず相手の片方の手首を掴んでいた。だが、手首は掴まなくても水車落しは成立する。
 水車落しにはブリッジも必要ないのだが、肩に担いで一旦動きをためる。ここが、まずショルダースルーと違う。そして後方に倒れこんで投げる(実際にはブリッジとは言わずとも反り投げている)。ショルダースルーはカウンターでの勢いや遠心力を活用して投げるため、むしろ「跳ね飛ばす」と書いたほうが相応しい。ここが決定的な差異であるように思える。
 また、マットに落とすときに自らの体重を相手にかけ押しつぶす、というのがこの技のミソである。ここもショルダースルーと異なる。なのでかつて僕は水車落しをバックフリップの縦バージョンであると考えた(→バックフリップ)。
 ただ、ショルダースルーとは異なるものの、正対した相手を肩にのせて後ろへ投げるのだから、やはり系統は近い。

 前述した相撲の「居反り」はかなりショルダースルーに近い。四つ相撲で相手のふところにもぐりこんで肩で相手を持ち上げ、腰と背筋で後ろへと投げる。まわしをとっていても、主体は肩(背中)で投げる。そしておすもうさんにブリッジは難しい。
 しかしこんな技は普通は出ませんな。智の花が昔これを決まり手としたことがあったが、何十年ぶりとか言っていた。だが、ショルダースルーには近い。
 この居反りに近い技がプロレスにある。リバーススープレックスである。
 スープレックスと名はついているが、これは一種の返し技であって自ら仕掛けることは難しい。例えば相手がドリルアホールパイルドライバーを仕掛けようとする。当然、正対して頭を股の間に入れ、上からがぶって胴をクラッチし、逆さまに持ち上げようとする。自分からみれば相手の重心が高く、身体が背中にのっかっている状態だ。そこで、タイミングをみて上体をよっこらしょと起こし相手を持ち上げる。相手は自分の胴を持っているので跳ね上げることはできないが、そのまま後方に倒れると相手の背中をマットに打ち付けることができる。体重も乗る。
 がぶられたときの返し技として有効で、パイルドライバー以外にもパワーボムや、カナディアンバックブリーカーを仕掛ける体勢などは、返しやすい。まれにはサイドスープレックスやダブルアームスープレックスもこれで返す。
 この技で誰もが忘れられないのはカールゴッチのそれで、昭和47年の新日旗揚げ戦のメインイベントvs猪木で、ゴッチは猪木の技をリバーススープレックスで返し、何とそれでフォールを奪っている。体重のかけかたが絶妙だったのだろう。地味な返し技が必殺技に昇華した瞬間だった。
 水車落し同様その体重のかけ方がこの技のキモなので、ショルダースルーと同列には考えられないが、相手を後背部で投げるという部分はショルダースルーと兄弟技と言っていいかもしれない。
 
 派生技として、フラップジャックがある。ショルダースルーで相手を跳ね飛ばす際に、相手が一回転して受身をとろうとする動きを許さず脚をとり、そのまま後方へ倒れこむ。相手は顔面からマットに落ちる。フェイスバスターとなるが、怖い技だ。オカダカズチカが使用する。
 また、ショルダースルーで相手を上方に跳ね飛ばし、落ちてくるところで頭部を肩で受けそのままエースクラッシャーにいく。メキシカン・エースクラッシャーと称される。
 タッグの合体技においては上ふたつの複合技というのもあって、ショルダースルーからフラップジャックを仕掛けると同時に、もう一人が空中で頭部をキャッチし担いでエースクラッシャーにいく。ダッドリー・ボーイズがやればダッドリーデスドロップ(3D)、天山と小島なら天コジカッターとなる。

 なお、肩で投げるという観点を外せば、その形状と効果においてショルダースルーに実に近い技がある。モンキーフリップである。
 これは、つまり両足で放つ巴投げである。カウンターに限らないが、正対して相手の頭部を掴み(場合によっては手四つの体勢から)、ジャンプして自分の両足を相手の腹部に当て、引きずり込むように自ら後方に倒れこんでマットに背中がついたら両足を思い切り跳ね上げる。脚の力と自らの後方回転による遠心力で相手は飛ばされて、回転して背中からマットへと落ちる。相手の頭や腕から手を離せば相手はポーンと跳ね飛んでゆく。ショルダースルーが肩投げならこれは足裏投げだが、後方に跳ね飛ばすという部分においてショルダースルーと同様の効果が得られる。
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エースクラッシャー

2012年11月18日 | プロレス技あれこれ
 ネックブリーカーについて書いたので、スタナー系の技についても少し言及しておこうかと思う。アンダーソンのリバース・スタンガンがオールド・ネックブリーカーそのものであり、違う技にせよ、対応しているように思えたので。
 もっとも、スタナーについてはあまり知らない。僕は今のプロレスも好きだが、どちらかといえば自分の青春期に見ていたプロレスに郷愁をおぼえる部分も多々あり、そういう意味では、ファルコンアローなどと同様に「新しい技」として興味が薄かった。スタナーの元祖はスティーブ・オースチンらしいのだが、彼が活躍していた時代('90年代か)、私事だが僕はあまりプロレスを見られる環境におらず、ぼんやりしている間に広まった感がある。なので印象が薄かったのかもしれない。
 だが、よく見ればこれは結構えげつない技である。さらに、プロレス技というのはほぼその原型が4~50年ほど前に出揃った感があり、現在みられるものの多くはそのバリエーション技であることなどを考えると、単純な形の新技が開発されたというのも特筆すべきことであるのかもしれない(ラリアートなどと同様に)。

 スタナーは、まず相手が立っている状態で、その前で同方向に立つ。つまり縦に並んで立つ状態で、後ろの相手の頭部を肩にかつぐ。そして相手の顎を肩に固定し、そのまま自らはドスンと尻もちをつく。さすれば、相手の顎そして首に衝撃が走る。「顎砕き」である。これは厳しい。
 これすなわち、ショルダーネックブリーカーを相手の方向を違えて放つのと同じである。自らの動きはショルダーネックブリーカーと同じ。相手が後ろを向いているか前を向いているかだけの違いである。
 基本的には顎砕きであろうが、頭部の固定の仕方によっては、つまり顎ではなく顔面を肩に当てて尻もちをつけば、顔面砕き、ショルダーフェイスクラッシャーとなる。もう少し頭部を深く担げば(首根っこを肩に当てるような形であれば)、喉ぶえ砕きとなる。ギロチンドロップやラリアートに似た効果を生み出す。
 単純だが、結構なダメージを与えると考えられる。どうしてこんな技が古くからなかったのだろうか。コロンブスの卵だったのか。
 スティーブ・オースチンは、この技をロープを使った反則技から発想したという。すなわち、相手をボディスラムの要領で抱え上げて投げ、顎・首をトップロープに打ち付けるという技。ゲホゲホ言いそうな技だがこの技には「スタンガン」という名称がついていた由(反則だろうに^^;)。ロープより自らの肩口のほうがいいと改良したとか。

 さて、このスタナーとほぼ同型の技がある。エース・クラッシャーである。
 ジョニー・エースの必殺技として名高いが、見ていると、ほぼスタナーと同様の形で顎砕き・首折りの技である。
 スタナーの場合は相手に一発蹴りを入れて、そのダメージの隙に自らの身体を反転させ(つまり同方向を向く)、首を担いで落ちる、という形であったために、相手は足をついたままであることが多く、地味な(見方によっては陰惨な)印象がある。エースクラッシャーはジャンプも入り相手の首を引っこ抜くように放つ。つまりもっと動きが派手であり、相手はたいていの場合飛び上がってしまう。
 したがって、僕はずっとスタナーが元祖で、エースクラッシャーが派生技だと思い込んでいた。プロレス技の変遷は、たいてい地味→派手の系統を辿る。華々しいエース・クラッシャーはスタナーを改良発展させたものだと思っていた。
 最初に書いたが、僕はこのスタナー系の技について詳しくなく、この時代('90年代)のプロレスも詳しくない。だがちょっと調べてみれば、ジョニー・エースはスティーブ・オースチンより年齢も上でキャリアも長く、どうもスタナーよりも早くにエースクラッシャーを開発していたらしい。コロンブスの卵を立てたのは、どうやらジョニーエースのようだ。
 これは申し訳ない勘違いをしていたと思うが、惜しいのはそのネーミングだろう。「エース」クラッシャーと自分の名前を冠しているために、後発だと勘違いしてしまう。自分の名を技名に入れる場合、多くは派生技である(ジャーマンスープレックスから派生したのがドラゴンスープレックスだったりタイガースープレックスであるように。またジョニー・スパイクもそういうことだろう)。そのため、損をしているように思う。ジョニーエースはもちろんオリジナルであるから自らの名を冠したのだとは思うが、もっと一般的で単純なネーミングのほうが良かったのではないか。
 またそのネーミングが個人名であるために、技の分類においても「エースクラッシャー系」とはされず、「スタナー系(あるいはカッター系)」と言われてしまうのも、惜しい気がする。
 つまりスタナーはエースクラッシャーのパクリであると言う事も出来るのだが、関係性はどうなっているのだろう(前述のようにあまり詳しくない)。スティーブオースチンはロープワークの反則技からの発想と明言しているようであるし。
 このあたりは、詳しい方もいらっしゃるだろうからまたご教示していただければ有難い。

 エース・クラッシャーには、旧型と新型がある。旧型はスタナーと同様尻もち型だったが、ジョニーエースは放つ時にジャンプするためスタナーよりも危険性が高いことが想像され、それに加え自らの尾てい骨への負担もかなり大きかったと思われる。おそらくそうしたことが原因で、自らの身体を前方に投げ出して背中で受身を取る新型へと移行した。この新型もかなり相手の首への負担が大きいと思うが、肩に直接打ち当てる度合いは低下したようにも思われる。また、自らも背中から落ちるためにより派手になったという見方もできよう。
 その後エースクラッシャーはさらに動きが大きくなり、相手を上方へはね飛ばし、空中で首を捉えて落とすような形にまで発展した。こうなるとスタナーとはかなり趣きが異なり、ますますスタナーが派生技だったことがわかりにくくなってしまったのかもしれない。そして、エースクラッシャーはまた広がりをみせる。
 ダラス・ペイジがダイヤモンド・カッターという、新型エースクラッシャーとほぼ相似形の技を使用するが、これはエースクラッシャー由来であることははっきりしているらしい(直伝とか)。それとスタナーの誕生がきっかけになったか、どんどんこの技は広がっていく。
 WWEをあまり見る機会がないのでランディ・オートンのRKOという技はよく知らなかったのだが、エースクラッシャーやダイヤモンドカッターとどう異なるのかはよくわからないにせよ(片手なのか?)見ると相当に迫力を感じる。コジコジカッターとはかなり違うなと(もっとも小島は繋ぎ技として使っている)。そして現在、カールアンダーソンが「ガンスタン」と称して、日本でこれをフィニッシュとして使用している。
 また、バリエーションも生むようになる。田中将人はブレーンバスターの体勢から落下させエースクラッシャーに持っていくというすさまじい技を出す。また、ドラゴンスリーパーの体勢で、自ら前方回転してエースクラッシャーへと持っていく。無茶な技だとつくづく思う。危ない。
 しかし、このようにバリエーションが登場することによって、エースクラッシャーは普遍的な技になったとも言える。
 丸藤のやる不知火は、最初の技の入り方はスタナーと同じだが、一回転するため後頭部を打つことになり、これは別系統と考えるべきだろう。

 さて、エースクラッシャー、もしくはスタナー、ダイヤモンドカッターはネックブリーカーに非常に近しい技ではないかと最初に書いた。ネックブリーカーは相手の後頭部を自分の肩に乗せて落とすのに対して、エースクラッシャー系は顎を肩に乗せて落とす。相手の体の向きが異なるだけで、ダイヤモンドカッターはゴージャス・ジョージのオールド・ネックブリーカーと同じであり(ジャンプ等を加えることにより勢いが増しているが)、スタナーはビル・ロビンソンのショルダーネックブリーカーと体勢は同じである。
 しかし、ダメージを与える部位は全く違う。ネックブリーカーは後頭部、後頚部であり、エースクラッシャーは顎、もしくは顔面、のど笛となる。受ける側の体勢が間逆である以上、当然である。
 ちょっと違う発想でエースクラッシャーを見てみる。
 頭部を担いで尻もちをつく、或いは身体を投げ出して背中で受身をとり、クラッチを話さずしっかりと頭部を固定していれば相手の顎そして頚部に強いダメージを与える。また背中受身方式で頭部固定をあまくすれば、顎と頚部への衝撃は軽減するかもしれないが、顔面が肩もしくはマットに当りフェイスバスターのダメージが加わる。これは、ブルドッキングヘッドロックに実に近いのではないか。
 ブルドッキングヘッドロックは、近頃とんと見なくなった。カウボーイ・ボブ・エリスが元祖とされ、僕がプロレスを熱心に見ていた時代は日本人選手ではラッシャー木村、そして外人選手ではアドリアン・アドニスがよく放っていた。最近みないので一応書いておくと、まず相手をヘッドロックにとらえ、走って勢いをつけジャンプ、自らマットに倒れこみ、その衝撃で相手の頚部にダメージを与えるという技だ。
 ラッシャー木村のそれは、ヘッドロックを離さないことによって首に強い衝撃を与える。アドニスは、ジャンプした瞬間にヘッドロックを解き、抱えていた腕を上に向け、ちょうどエルボーを後頭部に押し付けるようにしてマットに顔面を叩きつけ、フェイスバスターの効力も加味していた。
 無骨な木村式がスタナー、華麗なアドニス式がダイヤモンドカッター(もしくはRKO)に対応するのではないか。そういえばアドニスがきれいなジャンプで最後はマットにすべりこむように背中で受身をとっていたのに対し、ドタドタと走る木村はむしろ尻もちをついていた(ように見えた)。
 エースクラッシャーとブルドッキングヘッドロックとの差異は、相手の頭部を肩に担ぐか、脇に抱えるかの相違である(とも言える)。
 エースクラッシャーは、瞬く間にマットに広まった。その流行が、ブルドッキングヘッドロックを廃れさせたのではと想像してみる。牛の首根っこを捕まえてねじり倒すことから発想されたカウボーイ系の技であるブルドッキングヘッドロックよりは、エースクラッシャーのほうがよりスピーディで見栄えがしたのかもしれない。木村もアドニスも、もうこの世にいない。
 完全な想像だが、ブルドッキングヘッドロックという技が好きな僕には、少し残念なような気がするのである。もっとも、これは当然ながらエースクラッシャーのせいではないが。
 
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ネックブリーカー2

2012年10月31日 | プロレス技あれこれ
 中西学が復帰を果たした。これについては、いち中西ファンとして素直に喜びたいと思う。
 死んでいたかもしれない状況、そして下半身不随、よくて車椅子と言われた中から懸命にリハビリに取り組み、動けたどころか1年4ヶ月をかけてリングに再び上がるというその姿には、プロレスラーの強靭さと執念というものを感じざるを得ない。彼が自分と同世代ということを考えると、感嘆の思い止まない。しかしくれぐれも、無理をしないでほしいと願う。
 長年のダメージを措いて簡単に言ってしまってはよくないが、中西負傷(脊髄損傷)の直接の原因はジャーマンスープレックスを受けたことである。
 素人ながら、後頭部そして首(頚部)への攻撃が、レスラーにとって最も危険なのではないかと思う。後藤のバックドロップで馳浩は生死をさまよった。そして、ライガーボムで亡くなったプラム真理子、バックドロップで亡くなった三沢光晴。いずれも、後頭部を叩きつけられている。恐ろしいと言わざるを得ない。一歩間違えば死。そのギリギリのところで説得力ある試合を提供するレスラーの凄みを、忘れずに観戦したい。

 それは、措いて。
 例えば後頭部にダメージを与える場合、プロレス技としてはまず2種に分かれる。後頭部をマットに叩きつけるか、あるいは直接後頭部に打撃を加えるか。
 前者が、バックドロップやジャーマンスープレックスである。そして後者が、延髄斬りなどである。
 身体に衝突するのが肉体の一部なのか、それともマット等かによって、技は分類されてしかるべきだ。背中への攻撃の場合、相手を抱えあげて、そのままマットに背面を叩きつければボディスラムだが、自分の膝の上に背面を叩きつければそれはシュミット式バックブリーカーとなる。全く違う技である。
 だが、これが一緒くたになってしまっている技がある。最も危険な後頭部から頚椎への攻撃、ネックブリーカーである。

 僕は昔、ネックブリーカードロップという記事を書いたことがある。その中では、まず大昔に首を捻る技というものがもしかしたらあって(それがネックブリーカー)、そして捻った上でマットに後頭部を落とすからネックブリーカードロップではないか、と書いた。捻って(首をねじ折る所作すなわちネックブリーカー)、落とす(ドロップ)。
 これはスイングネックブリーカードロップを念頭に置いて書いているが、ショルダーネックブリーカーも一応首をロックして落としているため苦しいながらも同様だと考えた。馬場さんのランニング(ジャンピング)ネックブリーカードロップも、腕が首にラリアート気味に当る(引っ掛かって鞭打ち気味にカクンとなる)ところでネックブリーカーが成立し、そして後頭部をマットに落とすのでドロップである、とした。
 その後、少し考え方がかわった。
 上記記事には「ネックブリーカー」という言葉にとらわれるあまり首を捻る(もしくは引っ掛ける)部分が技の主体であるような書きぶりもあったが、やはりこの技の主体は「ドロップ」の部分である。落として後頭部にダメージを与えている。したがって、スイングネックブリーカードロップやジャンピングネックブリーカードロップはマットに後頭部を叩きつけるので同じ枠内だが、ショルダーネックブリーカードロップやキン肉バスターは自らの肩に後頭部(頚部)を叩きつけるので別枠と考えた方が良いだろうと思っている。ボディスラムとシュミット式バックブリーカーが異なるように。
 言い分けをするならば、肩に後頭部(頚部)を落とすものはネックブリーカーと呼び、マットに落とすのをネックブリーカードロップとするか。ビル・ロビンソンも肩に「落とし」ているので、相応しくないかもしれないが、そんなふうに考えていた。

 だが、前回記事を書いた頃はあまり充実していなかったwikipediaでネックブリーカーを見てみると、全く異なることが書いてある。
 「ネックブリーカーはネックブリーカードロップと混同されるが、別の技である」と。
 wikipediaが言うには、スイング式もショルダー式もネックブリーカーであり、馬場さんがやるカウンターで引っ掛けて落とすもの(派生技含)が唯一ネックブリーカードロップであると言う。へー。何か納得がいかず。スイング式だって落としてるやん。
 ただ、有難いことにネックブリーカーの原型について言及されていて、引用させてもらうと「立っている相手の後方から相手と背中合わせになり、相手の後頭部を掴み自らの肩の上に乗せ、そのまま相手を倒しながら自らの背中をマット上に倒し、その衝撃で相手の頭部へダメージを与えるというもの」らしい。元祖はあのゴージャス・ジョージらしいが、なるほどと頷かされる。
 僕が昔書いた記事では、首を捻るのがネックブリーカーか、などと書いているが、どうもそれは異なるようだ。訂正しておこう。またこれがネックブリーカーの原型であるならば、スイング式とショルダー式にどのように分派していったかもよくわかる。
 そうやって考えれば、wikipediaが書くところのネックブリーカーは、決まった時の形状は相手の首(後頭部)が肩の上に乗る。スイング式はフロントヘッドロックのような形から捻り上げて落とすが、結果的に後頭部はマットに落ちるものの方向から考えれば頭は肩(あるいは上腕)の上だ。つまりこれがネックブリーカーの基本形と考えていいのだろう。背中合わせで(脚の向きは双方逆となる)首は肩の上。
 ネックブリーカードロップは、相手の頭部が脇の下にくる。ここが異なる。さすれば後頭部の下には肩も腕もないため、マットに叩きつけられるより仕方が無い。「別の技」というのも、うなづける。
 そもそも、馬場さんのあの技に「ネックブリーカー」を冠したのがいけなかったような気もする。ゴージャスジョージの技をネックブリーカーの原型とするならば…いやしかし、馬場さんのあの技はカウンターで首をカクンと引っ掛け、落として後頭部を打ちつける前にまず首そのものの破壊を狙う。ラリアートの原型と言われるくらい首へのダメージが考えられている。じゃやはりネックブリーカーだろう。そもそもゴージャスジョージの技は首というより後頭部で、バックヘッドブリーカーじゃなかったのか。いや、あの技も十分首には負荷がかかっている。
 だんだん袋小路に入ってきた。
 ただ、wikipediaが全て正しいわけではないだろうがが首肯できる部分もあるので、表題はネックブリーカードロップ2ではなく一応、ネックブリーカー2としておく(笑)。

 前回記事でも「キン肉バスターはネックブリーカーではないか」と書いたが、広義に解釈すると首を破壊する技はみなネックブリーカーとなる。
 一応、便宜的にドロップ式、スイング式、ショルダー式と無理やりに分類する。
 ドロップ式で昨今最も目立つのは棚橋のスリングブレイドである。派手な技で見栄えがするが、空中で旋回することにより馬場さんのネックブリーカードロップよりも「腕を首に引っ掛けてラリアット的ダメージを与える」威力が軽減されている。よって、フィニッシュホールドになり得ない技となっている。
 また潮崎のゴーフラッシャーをネックブリーカードロップの一形態としている意見もある。これはファイナルカットも含めて考えねばならないのかもしれないが、決まった形はネックブリーカードロップに似ているものの、これはやはり違うだろう。
 ネックブリーカードロップのその「ドロップ」という部分においては、ゴーフラッシャーはドロップすぎるくらいドロップである。しかしながら、ネックブリーカードロップの力のベクトルは落下するだけではなく、カウンターですれ違って首を引っ掛けられ逆方向に引っ張られる力のベクトルがどうしても重要であると考えられる。
 ゴーフラッシャーには下向きの力しか働いていない。したがってあれは、やはり変形ブレーンバスターだろう。
 しかし背中落ち式ブレーンバスター(バーティカルスープレックス)の決まった形というのは、ネックブリーカーに酷似しているね。フロントヘッドロックから捻って(つまり横向きに回転させて)後頭部を落とせばスイングネックブリーカー、持ち上げて後方に倒れこんで(つまり縦向きに回転させて)後頭部を落とせばブレーンバスターか。スイングネックブリーカーとブレーンバスターは、系統の同じ技だったのだな(暴論)。
 
 さて、ドロップ式以外のネックブリーカーだが、先般実に興味深い技を見た。カール・アンダーソンのリバース・ガンスタンである。
 アンダーソンのガンスタンは、相手と同じ方向を向いて前に立ち、相手の頭部を肩に乗せて前方ジャンプし首や顎、顔面にダメージを与える技であるが(つまりダイヤモンド・カッターと同型ね)、そのリバース型は相手と逆方向を向いて背中合わせとなり、相手の頭部(後頭部)を肩に乗せて前方ジャンプする形になる。え?つまりこれって、スイング式どころかあのゴージャス・ジョージの開発した原型ネックブリーカーとほぼ同じではないか。
 なんだか回りまわって先祖がえり的な感じもするが、このリバースガンスタンがネックブリーカーであれば、原型とは前方ジャンプの部分だけ異なるのか。あるいはコーナートップから飛びついて仕掛ける場合もあり、ジャンプ式ネックブリーカーと呼んでもいい。そしてこのジャンプ式(仮)は、スイング式よりもショルダー式よりもさらに原型に近く、ほぼ正調である。正調なんだから、リバースガンスタンなどと言わず堂々とネックブリーカーと呼んでくれよ。裏の裏は表みたいな話で気持ち悪い。

 スイング式はどんどん廃れてゆく傾向にあると思われる(蝶野や小川以来見ていない気がする)。
 派生技の代表としてドノバン・モーガンのコークスクリュー・ネックブリーカーがある。相手をフロントヘッドロックにとるだけでなく脚まで抱え、スイングしてネックブリーカーを決める。簡単に言えばフィッシャーマンズスープレックスの体勢から横回転して叩きつけるわけで、受身がとりにくそうだ。しかしこのコークスクリューネックブリーカーとフイッシャーマンズスープレックスとの関係性も、前述のスイングネックブリーカーとブレーンバスターの関係性と同じだな。
 他に、最終的に肩もしくはマットに後頭部を叩きつける、という部分(この部分が技の肝ではあるのだが)を除けば、近い技はある。しかもえげつない。永田がやる首へのドラゴンスクリューである。武藤もやるか。あれはまさに「首捻じ切り技」であり、怪我をしないかとヒヤヒヤしてしまう。
 さて、MVPのやるプレイメーカー(首に脚を引っ掛けて回転して後頭部を叩きつける技)もスイング式だとみられる向きもあるが、こうなるともう線引きがわからなくなる。ドラゲー吉野のライトニングスパイラルもネックブリーカーみたいな気がしてきた。さすれば河津落しもネックブリーカーか? 頭がゲシュタルト崩壊してきた。

 さて、ショルダー式だが、以前にキン肉バスターがショルダーネックブリーカーの派生技だと書いた。固定して首(後頭部)を肩に叩きつける技は、この2種しかないと思っていた。
 オカダ・カズチカが今、リバース・ネックブリーカーという技を使用する。
 オカダは売り出し方はともかく、レスラーとして見ていて本当に楽しい。あの風貌で現在世界一かもしれないドロップキックや、ダイビングエルボー、ツームストンパイルドライバーなどの伝統的な技をしっかり使用して試合を組み立てる。あのレインメーカーとかいう意味の分からない技さえなければいいのにといつも思っているのだが(ボストンクラブやらねーかな)、それはさておきリバースネックブリーカーである。
 このネーミングもまた奇を衒わず古典的でいいが、この技は首を肩に打ち付ける技ではない。膝である。
 双手刈りの状態で相手の両足を抱えたまま上体を起こし、相手を後方に逆さ吊りにしたうえで相手の身体を少しずらし片方の手で頭を抱える。つまりシュバインの体勢から片膝に後頭部(頚部)を当て、落として打ち付ける。
 膝に相手の頭部を打ち付ける技と言えばまず馬場さんのココナッツクラッシュ(椰子の実割)を思い出すが、オカダの場合は相手を逆さまに背負い固定することによって後頭部を狙うことに成功している。これはかなりのダメージが想像されフィニッシュにしてもいい技であり、肩ではなく膝であってもネックブリーカーと称することが新しい。キン肉バスターを下方にずらした形態とも言えるので、ネックブリーカーと称しても全く問題は無いと思われる。ネックブリーカーの範囲が広がったとみていい。ショルダー式ではないが、ダメージは近い。ニー式ネックブリーカーか。
 
 このリバースネックブリーカーまではネックブリーカーの範疇と考えていいと思うが、そうなるとさらに考えなければならない技がある。後藤洋央紀の牛殺しである。相手をファイヤーマンズキャリーで持ち上げ、頭部を抱えたまま相手を足の方から横方向に投げ捨てる。その際に相手の後頭部(頚部)を自分の片膝に当てて落とす。なんともえげつない技である。
 これもダメージは完全にネックブリーカーのそれだが、ネックブリーカーとしては相手を完全固定していない。なので打ちつけられる瞬間がわかりにくく危険だ。さらに、こういう言い方をしていいかどうかわからないが後頭部(頚部)への衝撃を加減できない。なので、怪我の可能性が高まる。実際に天山がこれで怪我をしている。
 牛殺しもリバースネックブリーカーもネックブリーカーの範疇なのかもしれないが、オカダの技の方がプロレス技としては完成していると言えよう。後藤のは、固定が甘ければ見方によっては落ちてくる相手の後頭部を狙った突き上げニーパットだ。
 後藤の牛殺しは、いつも見ていてヒヤヒヤする。最近は雪崩式にも手を染めている。
 プロレスは、相手を殺す(怪我をさせる)ために競技するのではない。四天王プロレスの時代もそう思ったが、そんな綱渡りのような技を放たなくてもオカダのように説得力のあるプロレスは出来る。天山や中西のようなベテランでも怪我をするのだ。少なくとも雪崩式はいかがかと思うのだがどうか。
 
 雪崩式の牛殺しを見ていて、ディックマードックのカーフブランディングをふと思い出した。この技も、見方によればネックブリーカーである。ネーミングも偶然ではあるが「仔牛の焼印押し」であり酷似している。こじつけて無理やりに言えば、雪崩式牛殺しはリバースカーフブランディングである。コーナーに上るのも攻守リバースであり、落ちる向きも逆だ。
 マードックのカーフブランディングはコーナーを背にして立つ相手に対し自らは後方からコーナートップに上り、相手の後頭部(頚部)に膝を押し当てそのまま前方へ飛び相手の顔面からマットへと落ちる。相手の頚部と身体の一部(膝)を固定して衝撃を与えるためネックブリーカーの一種と解釈できるが、まともに決まれば相手の生命をも奪うほどの技である。こんな危険な技はなかなか無い。
 ただし、まずマードックは仕掛ける場合相手を選ぶ。藤波のような受身のベテランにしか仕掛けない。そして双方ともがマットに前向きに倒れ落ちるため、距離感もつかみやすく、またさすがにマードックも全体重を頚部に押し当てた膝にかけることはできない。必ず相手の抵抗があるため、最後は少し崩れた形になる。
 本当に完璧に決まれば危ないというギリギリのところで技を放ち、見る側に緊張感を保たせ説得力を褪せさせないところは、一流だった。それが雪崩式牛殺しには難しい。なんせ受ける側は背面からマットに落ちてゆくのだから。後藤に全てを託さざるを得ない。そこが、怖い。
 後藤は気性の荒さを前面に出しパワーもあり、中西路線を継承する力を十二分に感じる。いいレスラーになった。くれぐれも、相手に怪我をさせないような技で観戦する我々を納得させてもらいたいと願う。中西の復帰を見て、ことさらにそう思う。
  
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反則技 4 (凶器攻撃)

2012年09月20日 | プロレス技あれこれ
 プロレスの反則といえばそれはチョークや急所攻撃も連想されるが、最も典型的なものは、凶器を使用することである。
 いや…かつては典型的であった、と書いたほうがいいだろうか。現在のプロレスにおいては、凶器攻撃はさほど目立たなくなった。むろん、現在でも凶器攻撃がなくなったわけではない。椅子や机などは頻繁に使用される。鉄柱にもよく相手をぶつける。
 しかし、僕が「凶器攻撃」と言って想像するものとはちょっと違う。かつて凶器とは、もっと鋭角的なものだった。

 基本的に凶器攻撃とは、本来リングに持ち込んではならない何らかの器物(危険物)を用いて、相手にダメージを与える攻撃を示す。
 ただし、何も道具を使用せずして「凶器攻撃」が成立してしまう場合がある。それは人体の中にも、凶器となりうるパーツがあるということ。すなわち「噛み付き」。
 これは圧倒的に「銀髪鬼」フレッド・ブラッシーが有名である。
 とにかく伝説が多すぎる。曰く「ヤスリで歯を研いでいた」「テレビ観戦をしていた老人が噛付きによる流血シーンでショック死」「相手の血を啜って肝炎がうつった」等々。
 僕はリアルタイムでブラッシーを見ていない(むしろマネージャーのイメージが強い)のだけれども、幼稚園くらいだったと思うが、何かの雑誌(少年誌だったと思う)でブラッシーが噛み付き血を啜る写真、そしてヤスリで歯を研ぐイラストなどを見た記憶がある。今も鮮明に脳裏に甦らせることができるが、それは、幼児だった僕にすればホラー、怪談とほぼ同じで、強烈な恐怖心を残した。夜中にトイレに行けないような。
 ブラッシーのリング上での具体的なことは、当時何も知らない。ネックブリーカードロップを得意としていたというのも知らない。ただとにかく「怖かった」その記憶は今も鮮烈だ。

 僕はその幼年期から、現実と架空が交わりながらプロレスに馴染んでゆく。架空とは漫画(TVアニメ)のタイガーマスクである。ブラッシーも、タイガーマスクに登場する。
 タイガーマスクは、ご存知の通り「虎の穴」という悪役レスラー養成機関が重要な役割を果たしている。したがって、反則技が数多く出てくる。その大半は、凶器攻撃といえる。もちろん現実にはありえない凶器も出てきたが、リアルのプロレスにも登場する凶器もあった。
 その当時の「リアル凶器」の代表格だった「メリケンサック」というものは、もはや絶滅危惧種だろう。
 メリケンサックとは一種の「鉄甲」である。拳にはめる鉄輪。そもそも正拳が反則であるのに、さらにこんなものを装着して殴れば相手は大変なダメージを負う。使い手は、ディック・ザ・ブルーザーやクラッシャー・リソワスキーなどの荒くれ者。僕らは子供の頃、ダンボール紙やガムテープでメリケンサックを手製しては遊んだ。
 もうひとつ古典的な凶器攻撃として、マスクの中に凶器を仕込み、ヘッドバットを放つ方式がある。ミスターアトミックがおそらく元祖だと思うが、デストロイヤーなどもやっていた。相手の額が割れ、返り血で自らの覆面も赤く染まる。もうこんな反則技はほぼ絶滅したのではないかと思われる。

 そんな漫画とクロスオーバーした幼年期を経て、僕が本格的にプロレスに夢中になっていった時期には、全日に「黒い呪術師」アブドーラ・ザ・ブッチャー、新日に「インドの狂虎」タイガー・ジェット・シンがいた。
 この二人のレスラーは、日本のマットに登場した最後の「ヒールらしいヒール」だと思う。二人以後は、典型的な「悪玉レスラー」は存在しない。
 その反則技としての凶器攻撃は、陰惨なものだった。「凶器は鋭角的なもの」という僕の印象は、ブッチャーとシンから出ている。
 彼らの試合は、ロックアップから始まることはほぼない。相手がリングインしたとき、或いはそれより前に花道などで襲い掛かる。シンなら持っているサーベルの柄などで突いたり、ターバンで首を絞めたりする。そしてなし崩しにゴングが鳴り、いつの間にか試合に突入している。場外で鉄柱や椅子などを利用した反則攻撃で相手を痛めつけ、リングではコブラクローや地獄突きなどのノドを狙った技、或いはトーキックなどの反則技で相手を追い詰める(そういえばブッチャーの靴は凶器シューズと呼ばれた特殊な形状だった。実際蹴っている場面は知らないが)。
 そうして相手にダメージが蓄積された試合後半、凶器をこっそりと手に持つ。多くはタイツやシューズの中から取り出すが、最初からタイツに入れてあれば怪我をするので場外乱闘の途中にでも隠し持つのだろう。それは、五寸釘のような尖った金属製のもので、総じて大きくない。だが小型でも、観客やTV視聴者は凶器を取り出す一部始終を見ているので恐怖心が煽られる。しかし観客には見えてもレフェリーにだけは見えないよう巧みにブラインドをつくので、使用前に発見されることはまずない。これを相手の額に突き立てる。ここから、ほとんどは流血戦となる。
 こうやって書いていても試合は反則技のオンパレードだが、いくつかパターンはあると思う。凶器攻撃について分類してみたい。

 まずは、その場に固定して存在するもの(設営されたもの)を活用する場合。これは、解釈は実は難しい。
 主たるものは鉄柱攻撃である。相手を頭から叩きつけて流血、が最も多いか。さらに鉄柱とロープを繋ぐ金具などを活用することもある。クッションを取ってしまえば、これは危険だ。さらに、コーナーに押し込んでタッチロープで首を絞めるというのもある。
 ここらへんまでは間違いなく凶器攻撃の範疇だが、場外乱闘で相手を会場の壁に叩きつけたりするのは、凶器攻撃にあたるのだろうか。
 凶器攻撃についてのルールは、以下である。全日は「器物・危険物を使用しての攻撃」を反則と規定し、新日は「リング内外を問わず器物(試合進行の妨げとなる危険物)を使って相手競技者に危害を加えてはならない」とする。これだけなので、難しい。
 鉄柱はリングの一部であり設置された状態で動かないが、おそらくは危険物と見なせるだろう(よってコーナーにクッションがある)。しかし壁やら何やらはどうなのか。よく場外乱闘において固い床に直接ブレーンバスターなどの投げ技を放つことがあるが、あれは反則なのだろうか。実に難しい。プロレスは、リング内でのファイトが前提ではあるが、場外での戦いを完全には禁じていないからだ。
 上記新日ルールにも「リング内外を問わず」という文言がある。リング外での戦いを認めていることになる。さらに、勝敗に「場外ノックアウト」が存在することによってもわかる。この場外ノックアウトは、リング内でダメージを負ったのちリング外に落ち、そのまま20カウント内に上がれなかった場合だけを示すのではなく、場外乱闘の末に上がれなかった場合も有効となる。
 場外に居る相手に向かって放つスイシーダ系の技は反則技ではない。とすれば、場外パイルドライバーなどは極めて危険な技だが、反則ではないことになってしまう。
 こういうことはあまり考えたことがなかったので迷宮に入りそうだが、やはり壁や床も「凶器」であると僕は考えたいと思う。理由は、固いから(笑)。もちろんリング内と同様5カウント以内で放たれるため、反則技ということになるだろう。
 なお、新日のルールに「故意に相手競技者を場外フェンスにぶつけてはならない」という一文もある。これも、凶器攻撃の一形態と考えていいだろう。しかし、故意でない場合というのは存在するのだろうか。偶然に相手をフェンスにぶつけてしまう? よくわからん。
  
 さて、次に器物を使用したわかりやすい凶器攻撃について。その中でも、会場に存在する備品を凶器として活用する場合。
 これは、会場のパイプ椅子が使われることが最も多い。場外乱闘において、畳まれたパイプ椅子の座面で背を思い切り叩く。座面がよく吹き飛んでいる。
 この反則技で思い出すのは何といってもジプシー・ジョーで、しかも叩くのではなく叩かれ役としてである。殴られるのが得意技というのも尋常でない話だが、椅子で殴打されても平気な顔を見せ逆に椅子が壊れるというパフォーマンスは、その体躯の頑強さを大いにアピールした。
 しかし座面にはクッションもあり、また衝突面積も広いので鍛え上げたレスラーには本来ダメージは少ないのではないか(一般の人はやってはいけないが)。また金属製のパイプ部分で腹などを突く場合もあるが、こちらのほうが効きそうに思われる。
 椅子攻撃は最も頻度の高い凶器攻撃で、観戦すれば少なくとも一回くらいは見られる。それがためあまり恐怖心を煽らないが、マットに持ち込んで置き、その上でパイルドライバーやパワーボムなどを仕掛ける場合がある。あれは、怖い。
 長机も多く使われるようになった。かつては相手を殴るのに使われて危険だったが、最近は立てかけてそれに向けて相手を叩きつける。或いは、場外で机の上に相手を置いて、そこにコーナートップからプランチャを仕掛ける。たいてい机は真っ二つになり、衝撃をうかがう事ができる(もっとも、机が折れないとかえって危険だと思われる)。
 他には、本部席にあるゴングやそれを鳴らす木槌、実況用マイクのコード(首を絞める)、またリング設営に使用されリング下にしまってあったはずのスパナなどの道具、リングに上るための梯子なども、凶器として利用された。
 ヒールはそのあたりにあるものは何でも凶器として使うのである。「視界に入った」という理由で。
 現在では、たまにゴングや梯子などは見かけるものの、たいていは椅子と長机くらいしか使われない。絶滅種としては、お客さんが持っていたもの(傘など)。観客のものを使えば補償が必要となりややこしいので廃れたと思われる。あるいはバケツやビール瓶など。今はついぞ「61分三本勝負」などは見かけないが、昔はタイトルマッチにこの形式が多く、インターバルがあるため水を入れた瓶やバケツは常備されていたのである。三本勝負が皆無となった現状ではもうこんなものはない。(実際バケツや金盥、ガロン缶などを凶器として使うと、コントのようになってしまうのが難点だったとも思える)

 次に、自ら凶器を持ち込む場合であるが、これにもいくつかパターンがある。
 まずは、表立って持ち込んでいるものを凶器として使用する場合である。多くは、コスチュームとそれに付随する装飾品を転化する。
 レスラーは様々に飾り立てて入場する。全く飾らずタイツ一枚で出てくるアンドレのようなレスラーもいるが、多くはガウンやシャツなどを羽織っている。このガウンやシャツすら凶器と化す。タオル一枚でさえ、首を絞めるのに使用できる。
 また装飾品もレスラーは多く持ち込む。ワフー・マクダニエルらインディアン系のレスラーは羽根飾が美しいウォー・ボネットを被った酋長スタイルで登場する。対してハンセンらはカウボーイの装束。こういうところからドラマが生じ、衣装はプロレスに欠かせないが、こういうものは全て凶器となる。牛追いのための鞭、カウベルなどは相手を殴打するのに最適だ。
 ただし、レスラーがみなコスチュームを凶器に転化するわけではもちろんない。ブロディもたまに入場時に振り回すチェーンを使うこともあるが、常時ではない。だが、悪役レスラーはこういう装束を大いに活用する。
 かつてアメリカでヒールとして活動していたグレート東郷ら日系レスラーは、たいてい下駄を履いて入場した。これは、凶器とするために履いていたと言っていい。まずこれで殴りかかって相手にダメージを負わせる。
 シンが振り回すフェンシングのサーベル、上田馬之助が持つ竹刀などは、その典型といえる。シンのサーベルは一応は狂気の演出道具だが、実際にこれで攻撃するからたまったものではない。もっとも、柄の部分を利用する。あれで突き出したら事故につながる。
 矢野通は番傘を持ち込んでいるが、番傘は強度がなくしかも現在は結構高価なものなので、あまり凶器としては使用していないようだ。北斗晶の木刀は…どうだったっけか。
 
 こうした例は、今も多い。例えば真壁がブロディの真似をしてチェーンを持っているが、あれを腕に巻きつけてラリアートを放つ。ああいうのはブロディへの冒涜であり全く好きになれない行為だが、コスチュームの一部を凶器として使用する一例である。
 また、飯塚高史が使用する「アイアンフィンガー・フロム・ヘル」という阿呆らしい凶器も、コスチュームの一部と考えていいだろう。入場時から堂々とアピールし、密かに持ち込んだ空気がまるでないからである。
 僕がかつてイメージしていた「凶器」というものには、まさにその「密かに持ち込む」空気感ががあった。だからこそ、陰惨な感じが滲み出たと言える。そして、形だけでもレフェリーのブラインドをついて攻撃するからこそ、凶器が卑劣な「ヒール」というものの存在を際立たせてきたように思える。現在の椅子や長机攻撃にその陰惨さはない。むしろカラリと明るい。それは、現代プロレスにもうかつてのようなヒールが存在しないことからの帰着であると考えられるが、それは措く。

 その「隠し持った凶器」だが、それにも幾パターンがある。
 まずは、固形の武器でないものの使用。目潰しに使われることが多い。
 かつて日系レスラーは、入場時の下駄による攻撃とともに、持ち込んだ塩を撒くことがあった。さらに、塩を相手の目に摺りこむ。痛そうだ。
 目潰しとしては、滑り止めのロージン(松脂の粉)なども撒かれる。白い粉をわっと投げつけられたレスラーが目を押えてのた打ち回る光景は、よくある。
 口吻による噴霧もある。単純に水を噴いたり、矢野通が酒を噴いたりもするが、やはり毒霧がもっともインパクトが強い。ザ・グレート・カブキの入場パフォーマンスから始まり、ムタやTAJIRIが使用する。赤や緑の毒霧を相手の顔面に噴きつけるが、その成分が何なのかは定かではない。
 最も強烈なものは「火炎噴射」だろう。ザ・シークがおそらく元祖だと思われ、のちに多くのヒールによってコピーされた。日本でも、ミスターポーゴや大仁田厚が火を噴いた。

 さらに、前述したように鋭角的な凶器を隠し持ち、ブラインドをついて使用し流血に追い込むパターン。僕にとって、凶器攻撃と言えばこれである。
 大きさは、たいていは手のひらに隠れる程度のサイズ。レフェリーに見つからず、すぐにタイツなどに隠せるように。針金の太いやつとか五寸釘的なもの(的なもの、とはつまり僕も見ていてはっきりとは確認できていないのだ。チラ見せしかしてくれないので)。これで、主として額を狙う。前頭部は最も流血しやすい。血がドバっと出る。
 ヒールによる凶器攻撃はこの流血こそが主目的であり、血が止まらないさまは試合をヒートアップさせる。ブッチャーは額が割れやすく(額はいつもザクザクの傷だらけの形容である)、ちょっとしたことで流血し、さらに相手も凶器によって流血させるから、いつも双方血だるまの試合となる。
 たいていはそういうパターンだが、ブッチャーはあるとき、その凶器にフォークを選んだ。ブッチャー&シークvsファンクスの試合は、現在でも語り継がれている。それほど、凄惨な試合となった。
 このフォーク攻撃の凄惨さの理由は、ブッチャーがフォークで額を狙うのではなく、腕を狙ったことにあると僕は思っている。主としてテリーファンクが狙われたが、腕は傷つけられても額ほど流血しない。したがって、傷口がよく見えてしまう。思わず僕は目を覆いたくなった。後年、大仁田厚が有刺鉄線デスマッチで皮膚が裂けるさまをいやというほど見せつけ酸鼻を極めたが、ああいうのはやはり本人が言うとおり「邪道」だ。少しもカタルシスを得られない。ブッチャーのフォークによる腕攻撃はそのはしりだったと言えよう。結果的にこれに逆襲したテリーはスターダムに躍り出たが、結局残忍さだけが残ったように思う。
 まだ頭部からの大量流血のほうがマシ、とは変な話ではあるのだが、凶器も度を過ぎるのはよろしくない。個人的意見ではあるけれども。

 他に、凶器を表には出さず、コスチュームの中に忍ばせて攻撃するという例もある。
 この嚆矢は前述の如くミスターアトミックのマスク内凶器による頭突き攻撃だろう。マスクの中に忍ばせたのはコインともビールの王冠とも言われるが、コインであれば自らのほうがダメージが大きいのではないか(クッションを入れていたのかな)。いずれにせよ捨て身の凶器攻撃と言える。
 このコスチューム内凶器の例は、あまり多くない。噂の範疇で、あの猪木vsアリ戦でアリがグローブに石膏を入れていたという話があるが、おそらくは虚構だろう。対抗して猪木がシューズに鉄板を忍ばせようとしたという話もあるが、話としては面白いが無理だろう。そもそもこれはプロレスではなく異種格闘技戦であるが。
 その後、僕が見た中では、コスチューム内凶器の例が一度だけある。驚くことに木村健吾がやった。
 木村健吾は、新日本プロレス内では常に関脇クラスだった。上には猪木、坂口(またストロング小林)、そして同世代には藤波が居て、ずっとその下に甘んじていた。長州力も居たが、長州は造反によってメインへと上り詰めた。前田日明も登場し、ずっと引き立て役をせざるを得なかったのは辛かっただろうとは思う。さらに次の世代である武藤らも台頭してきていた。
 木村は藤波と組んで猪木・坂口組を破り初代IWGPタッグ王座に就いた。Jr時代以来久々に脚光を浴びた木村は、ついに藤波に挑戦。木村は藤波を押しまくり、ついにレッグラリアートでピンフォールを奪う。だがこのとき、木村は脛のサポーターに凶器を忍ばせていた。スパナだったと言われる。試合後すぐに発覚してしまった。
 この凶器攻撃の意味は何だったのだろうか。善人キャラからの脱却を狙ったのだろうか。しかしその後のヒール転向も、中途半端に終わった。そして、年齢もあり徐々に序列が下がっていった。
 いろんなことを思う。木村はいいレスラーだった。ジャンピング・パイルドライバーは実に美しく、何よりその体躯は猪木に酷似していた。しかしプロレスには、実力だけでは如何ともし難い何かが存在していて、木村を頂点には立たせなかった。

 その木村が凶器を使った80年代後半。ブラッシーやシークはもうリングにはおらず、ブッチャーやシンも既に悪玉としての存在感はなかった。本当の肉体を傷つけるための陰惨な凶器の存在は、この木村の脛に忍ばせたスパナを最後に、終焉を迎えたといえる。遺恨試合となった藤波と木村の再戦のレフェリーには、何とかつての凶器攻撃の雄であった上田馬之助が登用され、その上田が木村の反則攻撃を徹底して封じたことも、それを象徴しているかのように思える。
 その後凶器攻撃はまだプロレスには存在しているものの、かつての陰惨さは失われた。イス大王として栗栖正伸が脚光を浴びたのはすぐその後の90年代初めであり、これも凶器のありかたが変わったことを思わせる。現在の飯塚のアイアンフィンガー・フロム・ヘルに、かつての五寸釘の暗さはない。
 もちろん、それはいいことだと僕は思っている。プロレスは研ぎ澄まされた肉体同士のぶつかり合いが至上であるべきで、何かそこに尖った物などが介在すべきではない。
 ただ、現在の凶器攻撃は、肉体の限界を超えていること、危険度が増していることを誇示するために展開されているようにも見える。長机が真っ二つに割れるさまは、その状況を如実に表している。これもまた、好ましくないように僕には思えるのである。

 反則技の話、おわり。
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