イルカさんと言えば、この人は歳を取らない。今年は55歳になるはずなのだれど、相変わらずオーバーオールを着て少女のうたを歌っている。不思議な魅力を持った人だなとつくづく思う。
デビューは「シュリークス」のメンバーとして。このグループを僕は知らなくて後から遡ったのだけれども、初期のシュリークスには山田パンダさんが居たらしい。そんな空気の中で音楽活動を始めたことが、なんとなしにイルカさんを「かぐや姫グループ」の一員にしている萌芽だろうと思う。シュリークスのメンバーである「カメ吉君(神部和夫)」と結婚の後、ソロとして「あの頃のぼくは」でデビュー。このときからシュリークスのLP「イルカのうた」を踏襲してイルカさんになるのだな。
君はもう 二人でいつも買ってた合挽きのコーヒーの あのほろ苦い味も忘れたことでしょう
今は一人部屋の中で コーヒー沸かしているんです
いい曲だなあ。この曲にはちょっとした追憶もあって胸がキュンとなる。
これはもちろん正やん(伊勢正三)の曲。イルカさんのテイストに正やんが合致したのか、その後もコンビで名曲を発表していく。そして昭和50年にかの大ヒット曲「なごり雪」が登場する。
汽車を待つ君の横で僕は時計を気にしてる 季節外れの雪が降ってる
昭和50年と言えば、僕はまだ小学生だったのだがマセガキで、深夜放送ラジオを聴きだした頃。それと同時にフォークソングが大好きになっていった。ベストテンには「およげたいやきくん」とか「ビューティフル・サンデー」なんかが入っていた。しかしまわりがたいやきブームの頃、僕はラジオにひたすらしがみ付いていた。アリスの「今はもうだれも」やバンバンの「いちご白書をもう一度」をたまらない思いで聴いていた。グレープやチューリップの曲が巷に流れてはいたが、まだ「ニューミュージック」という言葉は無かったように思う。あくまでまだ「フォーク」の時代だった。
中学に入って質屋で中古の白いフォークギターを4800円で買うまで僕にとって「雌伏の時代」は続いた。周りはみんなピンクレディーを踊っていたが(僕も妹に付き合って踊ったが 笑)好きな歌の主流はあくまでフォーク。「帰らざる日々」がいいとか「あの唄はもう唄わないのですか」がいいとか「春うらら」とか、そんなことを言っては友だちと話が合わなくて困っていた。
ただ、「なごり雪」だけはみんな知っていて、これはいいと言う僕に賛同してくれていたように記憶している。もともと「なごり雪」はかぐや姫のうたなのだけれども、かぐや姫は周りの友だちには理解してもらえなかったにもかかわらず。イルカさんの魅力だろう。
今でもフォークソングのオールタイムベストテンのアンケートを見れば、必ず「神田川」か「なごり雪」が1位となる。永遠の名曲だ。
しかしながらイルカさんは、ニューミュージックブームの前(僕がギターを買う前)に突然消えてしまう。息子の冬馬くん出産のためとは知らない小学生の僕は非常に残念に思ったことを憶えている。
でも育児休暇が終わればイルカさんは当然のように復活した。「海岸通り」を聴いた時に既にギターを買っていた僕はすぐさまコピーしたことを記憶している。この頃ようやくLPも買うことが出来て、優しい雰囲気の中でたゆたうことが出来るようになった。
アスファルトの間に小さな花を見たとき 僕はこの町が好きだと思った
でもどんなに小さくても 青い空が欲しい (小さな空)
正やんの歌だけではない柔らかなイルカさんらしい曲~童謡にも似たその調べは結構心にまとわりついた。母となったイルカさんは母性がどんどん前面に出てきていたように思う。
雪が降る駅の片隅で誰にも悪戯されないように うずくまっている年老いた犬
パンをあげても見てるだけ 時が来れば汽車に乗る私 泣くことの他何もしてあげられない私…
(いつか冷たい雨が)
みんな名曲だ。今聴いても本当に色褪せない。ただ、丁度青春時代にさしかかっていた男の子の僕には、完全に心に合致するとまではいかなかったかもしれない。むしろこういう曲は今聴いた方が真価がわかるような気がする。
僕が中学を卒業しようとしていたその冬、イルカさんは武道館コンサートを開催する。受験勉強などロクにしていなかったがなんとなしに心が不安定なこの時期、燕尾服のイルカさんが目に付いた。そのコンサートのテーマとも言うべき「我が心の友へ」という曲が僕の耳に流れ込んできた。
みんな私の前から去っていってしまう さよならの言葉は聞きたくないけど
きっとまたいつか会えると信じていてもいいよ、と答えて欲しかったのに
別れの季節にさしかかった僕には、それが応援歌にも挽歌にも聴こえた。
いつも別れは突然 わがままなもの 愛する人々を引き裂いてゆく
どこか知らない街で会えるそんな気がして いつでも汽車の窓から外を見てます
まだまだ今から思えば少年だったはずの僕なのに、こんなふうに別れの予感を感じたことなどなかったはずなのに。けれども感受性だけは今よりも鋭かった少年時代には、移りゆく季節だけでも十分に感傷的になれたのかもしれない。
時の流れが 全てのことを思い出とすりかえて走りすぎても
あなたを忘れはしない。
いちばん最近イルカさんを見たのは「神戸まつり」のイベントに来たときだったかな。驚くほど小さくてギターに抱えられているような感じもするイルカさんだが、いつまでも少女だった。しかし孫もいるはずなんだよなぁ。
デビューは「シュリークス」のメンバーとして。このグループを僕は知らなくて後から遡ったのだけれども、初期のシュリークスには山田パンダさんが居たらしい。そんな空気の中で音楽活動を始めたことが、なんとなしにイルカさんを「かぐや姫グループ」の一員にしている萌芽だろうと思う。シュリークスのメンバーである「カメ吉君(神部和夫)」と結婚の後、ソロとして「あの頃のぼくは」でデビュー。このときからシュリークスのLP「イルカのうた」を踏襲してイルカさんになるのだな。
君はもう 二人でいつも買ってた合挽きのコーヒーの あのほろ苦い味も忘れたことでしょう
今は一人部屋の中で コーヒー沸かしているんです
いい曲だなあ。この曲にはちょっとした追憶もあって胸がキュンとなる。
これはもちろん正やん(伊勢正三)の曲。イルカさんのテイストに正やんが合致したのか、その後もコンビで名曲を発表していく。そして昭和50年にかの大ヒット曲「なごり雪」が登場する。
汽車を待つ君の横で僕は時計を気にしてる 季節外れの雪が降ってる
昭和50年と言えば、僕はまだ小学生だったのだがマセガキで、深夜放送ラジオを聴きだした頃。それと同時にフォークソングが大好きになっていった。ベストテンには「およげたいやきくん」とか「ビューティフル・サンデー」なんかが入っていた。しかしまわりがたいやきブームの頃、僕はラジオにひたすらしがみ付いていた。アリスの「今はもうだれも」やバンバンの「いちご白書をもう一度」をたまらない思いで聴いていた。グレープやチューリップの曲が巷に流れてはいたが、まだ「ニューミュージック」という言葉は無かったように思う。あくまでまだ「フォーク」の時代だった。
中学に入って質屋で中古の白いフォークギターを4800円で買うまで僕にとって「雌伏の時代」は続いた。周りはみんなピンクレディーを踊っていたが(僕も妹に付き合って踊ったが 笑)好きな歌の主流はあくまでフォーク。「帰らざる日々」がいいとか「あの唄はもう唄わないのですか」がいいとか「春うらら」とか、そんなことを言っては友だちと話が合わなくて困っていた。
ただ、「なごり雪」だけはみんな知っていて、これはいいと言う僕に賛同してくれていたように記憶している。もともと「なごり雪」はかぐや姫のうたなのだけれども、かぐや姫は周りの友だちには理解してもらえなかったにもかかわらず。イルカさんの魅力だろう。
今でもフォークソングのオールタイムベストテンのアンケートを見れば、必ず「神田川」か「なごり雪」が1位となる。永遠の名曲だ。
しかしながらイルカさんは、ニューミュージックブームの前(僕がギターを買う前)に突然消えてしまう。息子の冬馬くん出産のためとは知らない小学生の僕は非常に残念に思ったことを憶えている。
でも育児休暇が終わればイルカさんは当然のように復活した。「海岸通り」を聴いた時に既にギターを買っていた僕はすぐさまコピーしたことを記憶している。この頃ようやくLPも買うことが出来て、優しい雰囲気の中でたゆたうことが出来るようになった。
アスファルトの間に小さな花を見たとき 僕はこの町が好きだと思った
でもどんなに小さくても 青い空が欲しい (小さな空)
正やんの歌だけではない柔らかなイルカさんらしい曲~童謡にも似たその調べは結構心にまとわりついた。母となったイルカさんは母性がどんどん前面に出てきていたように思う。
雪が降る駅の片隅で誰にも悪戯されないように うずくまっている年老いた犬
パンをあげても見てるだけ 時が来れば汽車に乗る私 泣くことの他何もしてあげられない私…
(いつか冷たい雨が)
みんな名曲だ。今聴いても本当に色褪せない。ただ、丁度青春時代にさしかかっていた男の子の僕には、完全に心に合致するとまではいかなかったかもしれない。むしろこういう曲は今聴いた方が真価がわかるような気がする。
僕が中学を卒業しようとしていたその冬、イルカさんは武道館コンサートを開催する。受験勉強などロクにしていなかったがなんとなしに心が不安定なこの時期、燕尾服のイルカさんが目に付いた。そのコンサートのテーマとも言うべき「我が心の友へ」という曲が僕の耳に流れ込んできた。
みんな私の前から去っていってしまう さよならの言葉は聞きたくないけど
きっとまたいつか会えると信じていてもいいよ、と答えて欲しかったのに
別れの季節にさしかかった僕には、それが応援歌にも挽歌にも聴こえた。
いつも別れは突然 わがままなもの 愛する人々を引き裂いてゆく
どこか知らない街で会えるそんな気がして いつでも汽車の窓から外を見てます
まだまだ今から思えば少年だったはずの僕なのに、こんなふうに別れの予感を感じたことなどなかったはずなのに。けれども感受性だけは今よりも鋭かった少年時代には、移りゆく季節だけでも十分に感傷的になれたのかもしれない。
時の流れが 全てのことを思い出とすりかえて走りすぎても
あなたを忘れはしない。
いちばん最近イルカさんを見たのは「神戸まつり」のイベントに来たときだったかな。驚くほど小さくてギターに抱えられているような感じもするイルカさんだが、いつまでも少女だった。しかし孫もいるはずなんだよなぁ。
高校の修学旅行で北九州へ行ったとき、海岸線を走るバスの中でみんなで歌いました。この曲を聴くと今でもそのときに見た景色が鮮明に浮かんできます。
でも当時、地理にまるで関心が無かった私には、それがどこだったのか、いまだに確信が持てない…
NAOさんの思い出の中の海岸の景色は今も鮮明だとすれば、その風景がNAOさんにとっての真実ですね。探しようがないその風景は、今でも同じ海かもしれませんね。(^-^)
イルカでした。ラジカセしか持っていなかったので「イルカベスト」のテープを買ったのを思い出しました。
そして「君は悲しみの」を聴きながら眠ったものでした。
イルカやかぐや姫。
青春そのものですね。
青春時代の敏感で壊れやすい心にはなおさら効き目があったかもしれません。
僕の青春の頃は…確かに「僕は僕の事しか見えなかった」かもしれません。まさか君が泣いてるなんて。
なんてことを思い出したりして(汗)。
イルカさんの曲ばかり。昨夜も偶然、海岸通を聞いていましたよ。
「片想いの少女へ」は私そのもの!と思っていた少女時代。
彼女の暖かい雰囲気は私の憧れです。
ちょっと古めのエントリーですがTBさせてくださいね。
ギターを弾いて唄っていた私にとって、イルカ、かぐや姫、風は憧れであり、青春そのものでした。
イルカの「雨の物語」なんて好きでしたね。
「なごり雪」「海岸通り」はやっぱりショーヤンです。
これは譲れません!(笑)
イルカってかぐや姫の妹分としてデビューしたんですよね。
ショーヤン好きだった私は、ちょっと嫉妬に似た気持ちを抱いたのを覚えております。
懐かしいなあ・・・今宵は、彼らのレコードでも聴こうっと!
切ない少女時代のアラレさんが目に浮かぶようです。
しかしまあ、やはり自筆コード譜なども作ってらっしゃったんですね。同じだなぁと少し楽しくなりました。
TBいただきまして(*- -)(*_ _) これから伺います♪
「なごり雪」の「…去年よりずっと綺麗になった」の部分、かぐや姫の正やんとイルカさんでは歌い方が違いますね。ここをサラリと歌うか詠嘆を入れるかで感じがとても変わってくるように思います。
コピーもスキャナもPCもない時代でも、
ラジオでエアチェックしたテープとか、いろんな工夫をしてギターを弾こうとしてました。
コメントありがとうございました。
P.S
あの歌を歌っていた頃と体型は変わってないんですが…純粋さは…どうでしょうか?(笑)
しかしながら、僕の友人が言うには、純粋とかスレたとかそんなことはさほど問題じゃなくて「体型が変わっていないこと」が最も重要なことらしいです。スタイルが全てであとの事は全て不問にする、と。⊂((〃 ̄ー ̄〃))⊃ ふふふ
え、僕が言ってるんじゃないですよ、あくまで友人です(笑)。