P突堤2

「でにをは」別口入力・三属性の変換による日本語入力 - ペンタクラスタキーボードのコンセプト解説

面白画像5年日本語入力6年・ブログ歴振り返り

2022-06-12 | ビッグマウス(砕けた文体)(仮)

最初のブログはgooブログだった。そのブログで長年温めていたペンタクラスタキーボードの解説を掘り下げていくつもりであったが
メンタルに不調を訴えたため開設後すぐに空中分解。更新もままならなくなってしまった。
当時はブログというものが自分には全くの初めてで設定やライティングもわからずまた他者との交流にも不安があったのでなかなか最初からうまくいくものではないと痛感させられた顛末であった。
なのでこのブログはブログ歴のカウントには勘定しない扱いにする。

それから数年後、自分のテーマはとりあえず置いておいて、ブログの練習みたいなノリで面白画像ブログでもためしにやってみようと開設したのが「バンドルゾーン」である。
当時勢いがあってコミュニティも活発だったfc2ブログを選んだ。デザインも豊富で自由度も高い恩恵もあったもののそれには目もくれずトンチキな私は3カラムのこじんまりしたテンプレートを選んでひたすら面白画像を投稿していた。
するとこれが思いのほか盛況でコメントもちらほらつくようになった。
ほぼ画像主体なのでめんどくさいSEOなどはハナから気にせず好き勝手にできたのが大きい。
そのころは更新頻度のせいなのか律儀につけたaltタグの情報を検索エンジンが拾ってくれたおかげなのかが功を奏して
テキスト情報量が圧倒的に貧弱であったにもかかわらず検索の流入が結構あった。今考えると驚きだが当時のアルゴリズムとピッタリはまっていたのかもしれない。

集客手段はよそ様のブログに羅列してある「柱リンク」。これをひたすら踏みまくって足跡を残しリターンの来るのを期待するというスタイル。
fc2ブログには柱リンクずらずらの文化が結構定着していてこれにfc2ランキングの"隣人さん探し"などが組み合わさって交流の間口の生態系がうまく回っていて心地の良いブロゴスフィアであった。
議論言論のマウントゲームに頼らなくとも、日常の発見やオタク記事への共感などのゆるいチャンネルでも人々はつながっていけるのだということを身をもって体感することができて有意義であった。
面白画像系というジャンルはありきたりかと思ったが意外にライバルが少なく当然こちらから飛び込んでいくには全く違うジャンルの方々、
ペット系グルメ系日記系、オタ語り、スポーツ音楽エンタメ、占いスピリチュアル・節約ポイ活投資・評論批評から地域旅行海外生活までありとあらゆるブログの方と交流することになった。

こういった幅広い読者を想定しているうちに時事ネタ・季節ネタを入れたり前後のネタでひそかに関連性を持たせて仕込みをかませたりする遊び
1黄金のタイトル作品、2北海道にいないあいつ、3重力を感じるアニマル画像
…(共通点は"G"みたいに)
いろいろネタの転がし方を試行錯誤できて最初のブログのときとは比べて大分自信をつけさせてもらったように思う。

ブログの集客・活性に寄与したのはいうまでもなく「継続性」であった。
毎週土曜日に3ネタ投下という独特のリズムであったがこれをひたすら続けていつのまにか読者の方の習慣にやがて組み込まれるようになり固定客となってくれたのが手に取るようにわかった。
もちろん前夜の金曜深夜から土日にかけて地道に足跡巡回をして土台を作っていたのは大きいが、アクションに定型のリズムがあることにより今週も更新してるという安心感を持たせられるようになったのが結実したように思う。

こういった成功のおかげもあってバンドルゾーンを運営中のそのさなかに、満を持して「P突堤2」を開設する運びとなった。
この筋書きはバンドルゾーン開設当初から狙っていて「ある程度ユーザー認知を得られたらP突堤2にアクセスを流す」という目標に沿って
ペンタクラスタキーボードのコンセプト記事、アニソン特集記事、打ち言葉の記事など自信作をfc2ブログからリンクを張って実際にその効果を見定めてみた。

結果は案外厳しく誘導リンクを辿ってくれたのは体感で100アクセス中3-6クリックくらいのものであったが常連さんとかからリアクションをいただけた事もあったので数字以上に実りは大きかったというべきであろう。
fc2ブログでの更新は最近ではすっかり止まってしまい新記事告知くらいで散発的にミニ更新をすることもあったが実態上2019年いっぱいで活動を鎮静化させている。
ただ最終更新の記事もP突堤2への誘導記事であるのでたまにここからも微量ながらアクセスが来ることもある。
だいぶ前からバンドルゾーンはいずれ更新頻度を落としてこれからはP突堤2に軸足を移行しますよ…との告知をしてはいたがこうして振り返ってみると仲良くさせていただいたブロガーさんとの交流を一方的にフェードアウトさせてしまったのは少し申し訳ない気もしつつ、
それぞれのブロガーさんのその後が気になってああちゃんと定点観測しなきゃいけないなーという義務感と申し訳なさが同居して複雑な気持ちになっている今日この頃である。

さて舞台を変えてgooブログ二度目の挑戦となった「P突堤2」であるが
fc2ブログ時代は「gooブログってなんか野暮ったいクソ真面目ブログだなー」なんて内心思っていてfc2のほうがずっとやりやすいしPC作業での閲覧UIは最強だと思っていた(当時)。
それがこのところ風向きが変わってきて評価を改めるいい機会になった。端的に言うと
「gooブログ最近頑張っているじゃないか」
である。

その理由は、
・アプリの使い勝手がよい
・マルシェルとかリアクションボタンとかアピールチャンスなんかも誘因力・動機づけがうまい
・フォロワーの更新情報とかfc2よりSNSみが強い、よりつながりを感じられる

など気づくのが遅いくらい「あたりまえ」なところの洗練さがとてもハイレベルだったという事実。
もうとっくの改善策であり今更取り立てて言う必要のないものなのかもしれないがアクティブユーザーにしても程よい活況感にしても「寂れ感」が全く感じられない。
少なくとも閲覧の浅いレイヤーで受ける感触ではそういうのが目につきにくいように設計されているのだ。
接触導線にはもぬけの殻(休眠)案件に遭遇することがないよう周到に設計されているか、またはfc2ブログみたいに柱リンク列挙の文化もないのでgooブログユーザー自身のコミュニティ文化性のもつ特色も影響しているのかもしれない。
アプリ閲覧が普及すればPC閲覧を前提とした"柱リンク"を見せようがないのでまさにアーキテクチャが文化を規定するということがまざまざと見せつけられたというべきであろう。
2ちゃんねる文化が廃れtwitterが隆盛となる経緯も文化啓蒙やマーケティングによるものではなくてアーキテクチャこそが質的要件を決定することという必然を地で行くカラクリである。
その分、シンプルでわかりやすかったfc2ブログ(ただ足跡を残すだけでよかった)にくらべてgooブログは一段粒度が細かく個別記事への具体的なリアクションが閲覧者と紐づけられるきめ細かさ。
個別記事と紐づいていれば鮮度の裏付けが担保されるしただの拍手だけのfc2ブログよりずっとトレーサビリティがある。

ただ気をつけなくてはならないのがアクセスが欲しいあまりにところかまわずリアクションして回る輩が出てくること(これってまさに私のことじゃないか^^;)。
fc2の拍手のユルさがなんだか貴重なように思えてきた。
リアクションボタン自体は良いにしてもそれ毎のランキングまで序列化するのはデメリットもあるのではないか…貴重なご意見だと思います。
いずれにしましても、ひっそりと楽しんでいる者には迷惑…常連でもないよそ者が場の雰囲気を酌まずにリアクション欄をかき乱す行為、これは私も十分気をつけなくてはいけないなと思いますね。

しかしどういった道具立て(UI導線デザイン)をすればもっと多くのユーザーが満足するブロゴスフィアが作れるのか、模索は続けていきたいと思う。
過去記事に
リアクションボタン拙案(いいねはいらない)検討 - P突堤2
というのを書いたのをとっかかりにして、もうちょっと深堀してみようかと思ったのだがブログ論・ブログコミュニティ考察・UIデザイン論というのは思ったより奥が深く、一筋縄ではいかない。
noteもやっていないしアメブロの熱量もうかがい知ることはできないが、現時点でtwitterとは違う、短文ではないブログ、そしてテキストが主体のコミュニケーションが今後どうなっていくのかを見据えながら愚見を披歴考察していく。

まず大前提に日常のふれあいを楽しむブログと情報源・見識を定点観測したいブログの情報シャワーを分けてフォロー管理したいということである。
これを今は便宜的に
属人キラキラのフォロー/属見キラキラのフォローと名付けることにする。
もとになった考えはfc2ブログ時代に柱リンクの採用方針をどうするか、という悩みからひねり出した用語でこれも独特な造語だがもう少しお付き合いを。

生命のリンク/宇宙のリンク

生命のリンクはコメントをもらったり足繫く訪問していただいたり日頃お世話になっているブログ様のことである。義理を欠いてはブログ運営は立ち行かぬ、お世話になっているのならアクセス貢献に一役買ってお助けするのが当然のマナーだ。
というのがその眼目である。至極当然な行為ではあるけれど、これにはデメリットもある。
ひとつは一度生命のリンク採用方針を決めてしまうと際限なくリンクが増えていってしまうという問題である。
挙句の果てにはカラム縦列を目いっぱい怒涛のリンクで埋め尽くしてしまうサイトである。ここまでくるとリンク切れや休眠サイトを拾ってしまう可能性が高いのでメンテナンスの面からも訪問者の方にとっても最適形とは言い難い。
それに取り上げられたブログ様の中にはあまり不特定多数の方へ無防備に露出してしまうのを好まない、ひっそりとやりたいユーザーもいる。リンク承認あいさつもおざなりになりがちだ。
そういった面からもトラブルあるいはいらぬ嫌悪感を呼び込むリスクはあるのですぐにこのスタイルで行くのはやめよう、と判断した次第である。
もちろんはじめはよそ様に自分のブログがリンクされているのに気づいて舞い上がったこともあったがそれも一瞬。ただのビラ撒きと同列の行為で敬意はあまり感じられない。

そこで代わりに浮上してきたのが宇宙のリンクである。
これはお目当てのブログ様にとって歯牙にもかけない、一方的な片思いのリンクでもいいから、その見識をぜひ広く皆様にも知ってもらいたい、共有ブックマーク的な色彩の強いリンクである。
これはそのセレクション次第ではプロフィールに準ずるPR効果がある。自分の関心分野はこれですよ、とか(自分単体では補完できない)情報ソースにどうぞ、とか核をぶれずに自己拡張ができるし敬意も示すことができる。
それにブログやSNSに通底する相互主義/等価交換主義から解放されたいという欲求もある。フォローしてくれたらフォロバ100%とか、そういうのは疲れる。
一方的に片務的に非対称的にアンマッチ的にペイフォワード的に無資格的に
前借り的に空手形的に脱相互主義的に無期待的に蕩尽的に馬の骨の対価的に
支援してもいいよ、という形があっても良いのではないか
…その理不尽さが宇宙のリンクの醍醐味である。

で、結局バンドルゾーンの運営ではどのようにしたのかというと結論はそのどちらでもない、である。
もう半分生命のリンクになりかかっていたし常に現在進行形での見解だからやっている間は夢中でそんなこと落ち着いて考える暇もなかった。教訓というのは常に後知恵なのだということだ。

ここまできて、gooブログにおける理想のリアクション行動様式というものは何なのかというとふと我に返ってみるとやっぱりもっと更新頻度を増やして単純接触効果を増やすことが大事なのだろうと思う。
やはりたまの更新で付け焼刃のリアクションあがきをするより自然な積み上げをすべきだということは胸に刻まなければならない。ここのところのリアクション行動は少し甘く見ていた、調子に乗っていた…深く反省すべきだと思う。
ブログの隣人の皆様、すみませんでした。

(閑話休題)
ユーザー導線からすれば自分から情報を取りに行くプル型メディアより慣れてくるとやはりダッシュボードやタイムラインを眺めて自動的に情報が入ってくるほうがありがたい。
プル型にしてもいちいち個別にプルしていくよりも正確にはプッシュ型メディアという定義ではないのかもしれないが適切なフィルターや指向性にもとづいて整形されたデータをシャワーのように浴びれる環境というのが効率的だ。
いままでの議論の中にも出てきた「宇宙のリンク」はすだれ的情報シャワーを浴びたいし関心のあるタグを指定しておいてそこに新着があったらそれもシャワーされたい。
もっと欲を言えば種粒的・タコツボ的な情報はシャワーから取り除いてかわりに今ならトップガンや夏曲などテンポラリで該当ユーザーの多い情報はそのユーザーにとって一見さんブロガーの記事であっても果敢にサジェストする、
そこのさじ加減というのがよくわからないけれど範疇粒度というのかな…適度な粗さの固有範疇でありながら対象ユーザーの誘因度も「ひらけている」性質のもの、その特徴値を持つトピックの意味的(セマンティックな)ビッグデータというのが網羅されているのが理想であります。
なんだかふわっとしていて自分でもディティールが掴めないものであるけど大切なのは
ブロガーとコンテンツの結びつきの対応空間というよりはユーザープロファイル(事前の関心指向性の仕込み)とコンテンツプロファイル(人のプロファイルではなく言葉そのものを誘因力や結合性で評価する)との適切なマッチングが実現できないか、ということであります。
これらの集合体を「プロファイルシャワー」と名付けてこれをダッシュボードの核に据えたいということ、それが新展望をもたらすに違いない。

そして宙に浮いた「日常のふれあいを楽しむブログ=属人キラキラフォロー」のブログはお返しを期待して私のような不届きなブロガーがリアクション爆撃をかますリスクがあるので
もれなく逃したくないプロファイルシャワー群とは違っていっさいのトレーサビリティーを放棄する、つまり足跡が残せない=リアクション爆撃が成り立たないようにさせればよいかと思っている。
それではあまりにも過激派すぎるのではないかという向きもあるかもしれないがタグや指名検索にはもちろん引っかかるし足跡も残る。
プロファイルシャワー指定外であったとしても「ひらけ誘因度」にもとづく救済的取り立ても自動で入ってくるしブログ全体のトップページからの閲覧導線ももちろん確保している。
要は受け手にも訪問子にとっても不毛なマッチングというのを量的に減らす手立てだということだ。
こんな調子では各ユーザーは一体どのタイミングで属人キラキラフォローをするのか、ということになってしまうが
これはアクティブユーザーの集合をランダムに提示・ピックアップしていけばそれで十分ではないか、常連で固まった新着群に目新しさを入れるのならいっそランダムな出会いに託してコミュニティを耕していけばよいと思う。
一応「新人さん応援枠」というのもあるみたいだがこの際だからすべてのブロガーさんに(不特定ユーザーへの露出を了承のうえでなら)大きなまな板の上でシャワーを向けられる・浴びられるような仕掛けがあってもいい。
つまり属人フォローはユーザーが吟味的に選択するというプロセスをもたない、デフォルトの提示群そのものが「日常のふれあいを楽しむブログ=属人キラキラフォロー」なのですよ、ということだ。

現在PC版でのアピールチャンス枠は8枠、アプリ版でのアピールチャンスは7枠くらいだったかな?
あれをもっと巨大なプールにしてランダムネス、層の厚いメガ一覧、リアクション数でなくアクセス(ダッシュボードからのCTR)数による提示
個別具体性のタグで散り散り分断になるのを回避するために歳時記性記事フィルタ、漫遊記性記事フィルタのような個別トピックでない抽象トピック、包括トピックによるフィルタ検索
これはたとえば記事投稿時に梅シロップづくりのタグを入れている方がいたら運営側から「◎歳時記」みたいなフックタグを追加してもよろしいですか?みたいなのを普及させて
このタグはユーザーが自由につけれない特別な付与タグ(メタ情報の入っているタグ)にして導線の根幹を担うようにさせてみる。
この先もっと言語処理の技術が発展すれば釣りタイトルに騙されずに中身の文の要旨を解析して真に価値のある生成文なのかを適切に判定させてフィルタ導線に活かすこともできるかもしれない。

ただの構想とはいえ
この案でいくとアクセス上位常連さんブロガーからは総スカン食らうだろうと容易に予測できるが私もうすうす自覚していることだがテキストブロガー・見識ブロガーさんへのえこひいきが過ぎてペット雑記さんとかタグなし雑記さんへの冷遇はなんとかならないものかとお叱りを受けることもあるかと思う。
しかし現状、接触の導線がキーワード検索・タグ検索・指名検索しかなく、トップページからのナビゲートもアクセスランキング・各ジャンルのおすすめブロガー・人気記事・ハッシュタグまわり
と主だった材料は揃ってはいるのだがもっと違う「軸」がほしい、それをなかなか言語化できなくて悩んでいるところなのだが…。
しかし私はトップページからのナビゲーションと常に流れていくダッシューボードのどちらでもない、もしくは、どちらも混然一体となったような着手テーブルメイン画面がほしいのだ。
それを麻雀に例えて言うのなら
順子 刻子 風三元 以外のスートを追求していく、という試みにどこか似ているところがあるということだ。
構成面子に新たなバリエーションが加わった時、ゲーム性が変わる。それはもう麻雀というゲームですらなくなってしまうが、私の意味するところはそういうモノである。

話を続けるがたとえばwikipediaに代わるものとして諸項の詳しい解説は割愛して構成物(装置)だけを抽出、並列したものとして「列挙Pedia」というものを考えている。
列挙は検索だとスパム扱いされてなかなか掬い上げられないものであるがいかにWEB上のゴミ列挙の山の中から有用な列挙を見つけだすか、その判定ファクターとして「列挙Pedia編集歴があって一定以上の評価を得ている」のをいわば裏付けにして
そのコミット性いかんによってそれをダッシュボードシャワーにも反映するという仕掛けはできないか、という絵図を描いている。
ブログトップページからのコンテンツナビゲーションにはこれらユーザー自身の持つ列挙ペディアスコアに記事の関連度が加味されて優先提示される。
結果として検索では拾いにくい列挙サブセットが容易に得られて、なおかつ貢献スコアが身元を保証するのでゴミ列挙も抑制できる。
そして指示対象付きいいね:アローいいねを使って列挙補完の拡張リアクションが有機的にリンクすることによって元の列挙ペディア記事も補強されるという算段だ。

これはニコニコ動画圏で旗印になっているニコニ・コモンズのコンテンツツリーのエコシステムが面白かったのでそこにヒントを得て着想したのだが
創作者に最適化されたエコシステムと違って列挙ペディアは親子関係ではなく合流・統合のネットワークで貢献者を可視化する試みであるのが一味違う。
列挙エコシステムからさらに考えを進めると「話題叢サブセット」という口語会話においての展開頻度にもとづく参照ネットワークも重要度を増してくる。
たとえばwikipediaで「野球」という項を調べると競技説明・ルール・軟式やペサパッロ(フィンランド野球)/ソフトボールなどの亜種のくだりとかも入ってくるがこんな会話を交わす人など皆無だ。
われわれが世間で行われる会話であれば「福岡ソフトバンクホークス」「高校野球」「選手名」それに「野球マンガ」「野球Podcast」「野球好きの上司との付き合い方」などの範疇の外の外部性要素だって普通の会話では当たり前のように出てくる。
Wikipediaのサブセットはいわば諸元説明の粒度であって会話展開子の粒度ではない。会話の展開というのはいくらでもあるし時事的・反復的重複にも堪える構築系というのはあまりにも茫洋としていて輪郭が掴めないものではあるがもうすこしあがいてみたい。
困難は山積しているがそこをなんとか押し通して、列挙ペディアスコア/ユーザーの貢献度とそのスフィアでの補強的参照の広がり
…というのをまずはテコにしてゆくゆくは「話題叢サブセット」の構築につながっていけばよいだろう。

-----------------------------------------------------------------------------

長々と話してしまったが、理想のブロゴスフィアを作るには導線設計にくわえて列挙ペディアのような文脈付きペルソナのエコシステムというテコになる装置が必要になるということだ。
われわれは出来の良くない検索サイトのような粗雑なランダム情報シャワーには耐えられないものであるが、理に適ったフィルタと指向性を織り込んだ理想のダッシュボードのシャワーの出現をいつの日にか切望している。
課題はまだまだ多い。
ひょんなブログ遍歴の話からかなり大風呂敷を広げてしまったが、

過去に確かにいた 小さなブロガーにも 小宇宙は宿っている そのまなざしに

というポエムを添えつつ記事を終えよう。
なお「面白画像5年日本語入力6年」とは題しているが、重複期間があるので
総ブログ歴は"7年"であります。案外歴史浅いな…しかしいろいろあった…。

最後に一言、
このとっ散らかった記事はとりあえずアウトプットしてみて自分の頭ン中を整理してみたい
…という欲求から衝動的に書いたものであって読者様への配慮は微塵も顧慮されていない面妖なシロモノであります。
乱文・悪文・今時分・脱線・混線
大変失礼いたしましたぁ~
いつか列挙ペディアについては今後も整理して追記事を書くつもりなのでよろしくお願いします。
お付き合いありがとうございました。

 


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« [コピペ推奨]そろそろ夏曲プ... | トップ | Yahoo!リアルタイム検索アプ... »
最新の画像もっと見る

ビッグマウス(砕けた文体)(仮)」カテゴリの最新記事